天空の庭先の用語辞典「輪廻・カルマ・運命」のページです。輪廻転生、カルマ、運命と宿命、ソウルメイトなど、魂の旅についての言葉を、15語まとめています。ほかのジャンルやあいうえお順の索引は、用語辞典のトップからご覧ください。
それぞれの言葉は、辞書や百科事典による一般的な意味と、天空の庭先での解釈を並べて説明しています。印の意味は次のとおりです。
◎ 天空の庭先の言葉 天空の庭先で生まれた、または天空の庭先ならではの意味で使っている言葉
○ 独自の解釈が強い言葉 一般にも使われるが、天空の庭先では独自の解釈をしている言葉
このページの言葉
輪廻転生(りんねてんせい)
別名:廻、生まれ変わり、転生
一般的な意味
サンスクリット語の「サンサーラ」に由来する言葉で、命あるものが死んだあと、何度も生まれ変わることを指します。人だけでなく動物なども含めた生き物として生まれ変わると考えられ、インドの多くの宗教や哲学、仏教の根本的な考え方のひとつです。
出典:Wikipedia「輪廻」
天空の庭先での解釈
私たちの魂は永遠不滅の存在で、肉体が死んでも、再びこの地上に生まれ変わってきます。肉体が死ぬと、霊魂は多くの場合いったん霊界へと戻り、準備が整うと、その魂のステージに合った場所に生まれ変わります。地球人であれば、たいていはこの地球の上で、しかも同じ文化圏で生まれ変わりを繰り返す傾向があります。
生まれ変わりを繰り返す理由は、大きく2つあります。ひとつは、魂を成長させて、より光り輝く大きな存在になるため。もうひとつは、過去の過ち、つまりカルマを解消するためです。この世界は、魂が成長するための学校のようなものです。
生まれ変わるときには、魂の記憶、徳や罪、カルマ、能力や人格の一部を持ち越します。生まれ持った才能や環境の違いも、理不尽なものではなく、過去の自分から持ち越したものです。今の自分を来世へ持ち越すのですから、何かを始めるのに「もう遅い」ということはありません。
前世(ぜんせ)
別名:去世、過去生
一般的な意味
ある人生を起点として、それより前の人生のことです。ヒンドゥー教や仏教など、生まれ変わりを前提とする宗教の世界観で認められてきた考え方で、現代ではスピリチュアルの分野でも広く使われています。科学的には一般に認められておらず、前世を信じるかどうかは個人の考えによります。
出典:Wikipedia「前世」
天空の庭先での解釈
今の人生のひとつ前に生きた人生を「前世」、今より前の人生全般をまとめて「過去世(過去生)」と呼んでいます。
私たちが前世の記憶を持たずに生まれてくるのには、理由があります。ひとつは「忘却は神の慈悲」だということです。もし前世で残酷な行いをした記憶を持って生まれたら、心が育ちきらない子どものうちから、罪の意識に苦しむかもしれません。もうひとつは「学び」のためです。前世の記憶を持っていたら、答えを知った状態でテストを受けるようなものだからです。
記憶は失っていても、前世の行いや持ち越したカルマは、今の人生に良くも悪くも影響しています。そして、死んで魂の状態に戻っている間は、誰もがこれまでの生まれ変わりの記憶をすべて思い出すことができます。
来世(らいせ)
一般的な意味
今の人生を終えたあと(死後)に、魂が経験する次の人生を指す言葉です。「後世(ごせ)」とも言います。
出典:Wikipedia「来世」
天空の庭先での解釈
今の人生を終えたあと、この地上に生まれ変わってくる次の人生のことです。ただ、私たちの魂は、必ずしも地球や物質の世界で生きると決まっているわけではないので、来世を霊的な世界で生きることもあります。
今の人生で培った経験や成長は、魂が記憶して来世へ持っていきます。今の行いは、良いことも悪いことも、来世の自分に報いとして現れます。だからこそ、今のこの人生を、肉体が死を迎えるその瞬間まで、向上心を持って生きることが大切です。
カルマ(かるま)
別名:(ごう)、カルマの法則
一般的な意味
サンスクリット語で「行為」を意味する言葉で、仏教では「業(ごう)」と訳されます。人が体・言葉・心で行う善悪の行為と、その行為が力として残り、のちに報い(果報)をもたらすことを指します。善い行いには善い結果、悪い行いには悪い結果が返るという因果応報の考え方と結びつき、輪廻思想の土台になりました。
出典:デジタル大辞泉、日本大百科全書(ニッポニカ)、改訂新版 世界大百科事典(いずれもコトバンク「業」)
天空の庭先での解釈
カルマとはサンスクリット語で「行為」を意味する言葉です。「業」という言葉でも知られています。カルマの法則は「因果応報」とも呼ばれ、人にした行為が、結果として自分に戻ってくるという法則です。
カルマの法則の背後には、「神の慈悲の法則」と呼ばれる、一般的にはあまり知られていないもう一つの法則があります。このもう一つの法則を理解することで、初めてカルマの法則を正しく理解することができます。
カルマの法則が理解できると、過去のカルマを解消し、自分自身を清め、新たにカルマの負債を生み出すことを避け、人生を豊かに、幸福に生きることができるようになります。その先にあるのは「魂の完成」、つまりカルマからの解脱です。すべての人間は、いつかカルマを解脱し、神と一つになるという使命を持っています。
カルマは、人が死んでも、報いを受けるまで消えることはなく、生まれ変わっても作用し続けます。前世の行いが今の人生に現れ、今の行いが来世の自分に現れます。たとえるなら、借金の返済や、自分でまいた種を自分で刈り取る農業のようなものです。
カルマの法則は、行動だけでなく、想ったことにも働きます。そして、罰のような面ばかりが語られがちですが、良いことを想い、行ったときには、喜びや愛といった素晴らしい報いが返ってきます。
カルマの法則を知ると、過去の行いで自分を責めたくなることもあるかもしれません。でも、反省したのなら、必要以上の自責の念は手放して、前を向いてください。より良い行いでより良い結果を受け取れるように、心を清めて愛を持って生きることが、カルマを解消し、新しいカルマを生まない道です。
詳しくは:カルマの法則の意味とカルマの解消法
関連する用語:因果応報/神の慈悲の法則/カルマの解消/原罪/輪廻転生/魂のプラン/運命/宿命/心を清めて愛を持って生きる
因果応報(いんがおうほう)
別名:因と結果の法則
一般的な意味
仏教の言葉で、良い行いには良い報いが、悪い行いには悪い報いがあるということです。「因果」は原因と結果を意味し、仏教では業(カルマ)の考え方と結びついて、自分の境遇の原因と結果の関係として語られてきました。
出典:Wikipedia「因果」、改訂新版 世界大百科事典(コトバンク「業」内の「因果応報」の記述)
天空の庭先での解釈
天空の庭先では、因果応報をカルマの法則の別名として使っています。カルマの法則には2つの側面があり、そのひとつが「原因と結果の法則」です。物事には原因と結果があり、自分でまいた種は自分で刈り取らなければならない。盗んだものは盗まれ、人に良いことをすれば良い報いが返ってくる。これが、一般によく知られている因果応報です。
ただ、因果応報だけでカルマを理解しようとすると、矛盾を感じることがあります。その背後にある、もう一つの側面が「神の慈悲の法則」です。
詳しくは:カルマの法則の意味とカルマの解消法
神の慈悲の法則(かみのじひのほうそく)
一般的な意味
(天空の庭先の言葉のため、一般的な辞書の定義はありません)
天空の庭先での解釈
カルマの法則の背後にある、一般にはあまり知られていないもう一つの法則です。原因と結果の法則だけで考えると、たとえば前世で千人の命を奪った魂は、千回命を奪われなければならないことになります。でも、神の慈悲の法則が働くことで、過酷な環境に生まれたり、人への奉仕に身をささげる人生を送ったりすることで、同じ回数の報いを受けずにカルマを解消できる道が用意されています。
神の慈悲の法則は、原因と結果に、「動機」というもう一つの基準を与えます。憎しみを持って行った場合と、偶然や事故の場合とでは、後者のほうがカルマは軽く働きます。反対に、悪いと知りながら行ったときは、この法則の助けを得られず、より重いカルマを背負います。「私たちの行いは、行為より動機によって量られる」のです。
前世の記憶を忘れて生まれてくるのも、悪夢で殺されそうになった瞬間に目が覚めるのも、心が壊れないように守ってくれる、神の慈悲の法則の働きです。そして、宿命が訪れるまでに積んだ徳と愛の行いが、その影響を和らげることもあります。
カルマの解消(かるまのかいしょう)
別名:ルマの返済、カルマの消化
一般的な意味
(辞書に項目はありません)スピリチュアルの分野で、過去の行いによって背負ったカルマを、経験や償い、気づきなどによって清算していくことを指して使われる言葉です。
天空の庭先での解釈
カルマから逃れる方法は、基本的にはありません。カルマは、そのできごとを自分の身に受けることや、その行いがなぜいけないのかに「気づく」こと、そして「さとる」ことで解消されます。
カルマの法則の背後には、「神の慈悲の法則」があります。たとえ重いカルマを背負っていても、同じ数だけ報いを受けるのではなく、つらい環境や人への奉仕を通じて、より少ない回数で解消できる道が用意されています。また、カルマは行為だけでなく動機によっても量られます。悪いと知りながら行った場合はより重く、偶然や事故の場合はより軽く働きます。
カルマを解消する機会は、この世界を生きることで巡ってきます。つらいことでも受け止めて、心を清めて愛を持って生きること。そして、新しく悪いカルマを生み出さないことが大切です。ただ、カルマを作ることを恐れて行動しなくなると、カルマの返済そのものが止まってしまいます。
詳しくは:カルマの法則の意味とカルマの解消法
原罪(げんざい)
一般的な意味
キリスト教(とくに西方教会)で、人類の祖であるアダムとイヴから受け継がれた罪のことです。
出典:Wikipedia「原罪」
天空の庭先での解釈
私たち人間の魂は、原初のとき、天使のような霊的な存在で、この世界の調和の一部でした。神の似姿として創られた魂には、神と同じ「創造の力」と「自由意志」がありました。その私たちが物質の世界に縛られるようになったきっかけは、物質の織りなす美しさに魅せられて、たった一輪の花を手折る、そんなささいなできごとでした。
天空の庭先では、原罪を、魂が最初に経験したカルマの始まりと考えています。太古の地球で、神々であった魂たちが物質や生き物に執着し、争いや快楽に身を投じて、地上に縛られていきました。その魂を救うために、カルマを同じ物質世界で解消する道が用意され、私たちは輪廻転生を繰り返しています。
私たちの良心は、どんなに小さな悪も見逃さずに声をあげます。その声に耳を傾け、日々心を清めて愛を育むことで、私たちは光り輝く本来の姿を取り戻していけます。
魂のプラン(たましいのぷらん)
別名:生のプラン、人生のシナリオ、人生の設計図
一般的な意味
(天空の庭先の言葉のため、一般的な辞書の定義はありません)
天空の庭先での解釈
魂が人間として生まれてくる前に、自分で組んでくる今世の人生の計画のことです。自分に欠けた部分を補う学びのテーマや、カルマを効率よく解消できる環境、出会う人までが、このプランに組み込まれています。生まれる家族や環境も、魂が自ら選んでいます。
ただし、魂のプランは一本道ではありません。条件によって分かれる、たくさんの分岐を含んだプランです。頑張れば頑張っただけ、正しく生きれば正しく生きただけ、人生は良い方向に進みます。どの分岐に進んでも、解消すべきカルマと、成長できる環境が用意されています。
一人ひとりが違う課題に挑戦しているのですから、他人と自分の人生を比べて落ち込む必要はありません。
運命(うんめい)
一般的な意味
人の意思を超えて、人に幸福や不幸を与える力のこと。また、その力によってめぐってくる幸不幸の巡り合わせや、将来のなりゆきを指します。人生は天によって定められているという考え方に基づく言葉です。
出典:Wikipedia「運命」
天空の庭先での解釈
運命は、宇宙の法則によって決められた人生の道筋や、そこで起きるできごとを支配する力です。そしてその中身は、自分自身の魂が決めてきた今世の人生プランです。
運命は生まれたときから決まっていますが、変えられます。「運」という言葉には「巡り合わせ」「はこぶ」という意味があり、私たちは自らの意志で、ことを運ぶことができます。魂のプランにはたくさんの分岐があるので、より良い想いと行いで、より良い未来を選び取っていけるのです。
天空の庭先では、運命と宿命をはっきり分けて説明しています。運命は「変えられるもの」、宿命は「基本的には変えられないもの」です。
宿命(しゅくめい)
別名:運
一般的な意味
生まれる前の世から定まっている、人の運命のことです。もとは「しゅくみょう」と読む仏教の言葉で、過去世からの影響によって定まっていること、変えることが難しいことを指します。
出典:デジタル大辞泉(コトバンク「宿命」の語釈を天空の庭先の記事内で引用)
天空の庭先での解釈
宿命は、カルマを解消するために、人間に強制的に働く宇宙の法則の力です。前世の行いが原因となって、今世で必ず起きるできごとで、運命よりもずっと強い拘束力を持ちます。「宿」には「やどる」という意味があり、宿命は魂そのものに宿る命(めい)なのです。
人生にどの分岐の道を選んでも、宿命は確定したできごととして必ず起こります。それは、魂の成長のための、逃れがたい大切な学びのテーマです。良い宿命もあります。徳を積み、霊性を高めてきた人が、師として人を導く宿命を持って生まれてくることもあります。
宿命は、言霊やイメージの力といった小手先の方法では動きません。それでも、わずかながら、乗り越える可能性はあります。宿命が訪れるまでに積んだ徳と愛の行いが、神の慈悲の法則によってその影響を和らげることがあります。そして、我欲を捨ててでも人のために行動できるほどの、強い意志と愛。それが、最も重い宿命さえ乗り越える力になります。
ソウルメイト(そうるめいと)
一般的な意味
英語の soul(魂)と mate(伴侶、仲間)を組み合わせた言葉で、「魂の伴侶」のことです。一般には、価値観が深く通じ合う相手、初対面でも懐かしさを感じる人、深い縁や精神的なつながりを感じる大切な人などを指して使われます。
出典:Wikipedia「ソウルメイト」
天空の庭先での解釈
長い輪廻転生の中で深い関わりを持ってきた、魂の仲間です。ただ、その本当の意味はもっと古くまでさかのぼります。私たちの魂は、地上に生まれる前、天上で神々として存在し、いくつかの系譜に分かれていました。その神々の時代から同じ系譜に属し、特別な絆で結ばれてきた兄弟のような魂、いわば「同じ系譜に属する光の兄弟」がソウルメイトです。
初めて会ったのに懐かしい、なぜか心が安らぐと感じる人は、ソウルメイトかもしれません。恋人に限らず、家族や仲間、職場の人など、さまざまな関係で出会います。
詳しくは:ソウルメイトのスピリチュアルな意味と特徴|魂の仲間との出会いと見分け方
関連する用語:ツインソウル/グループソウル/魂の系譜/輪廻転生
関連するFAQ::ソウルメイトやツインソウルとは、どんな存在ですか?
ツインソウル(ついんそうる)
別名:の双子、魂の片割れ
一般的な意味
(辞書に項目はありません)スピリチュアルの分野で、「もとは一つだった魂が二つに分かれた相手」「魂の双子」「魂の伴侶」といった意味で使われる言葉です。
天空の庭先での解釈
もともと一つだった魂が、二つに分かれて生まれてきた存在です。太古の私たちは、男女両方の性質をあわせ持つ、天使のような霊的な存在でした。物質の世界にとらわれた仲間の魂を救うためなどの理由で、この世界の二元的な法則に従い、一つの霊魂が男性と女性の二つに分かれたのが、ツインソウルの始まりです。
ツインソウルと出会えば必ず幸せに結ばれる、というわけではありません。むしろ、いずれ互いに自立した存在になっていく関係です。互いの成長のために、恋人だけでなく、あらゆる関係で生まれてくる可能性があり、同じ時代に生まれていないことさえあります。「体の特徴が似ている」「必ず男女として出会う」といった話は、根拠のないものです。
関連するFAQ::ソウルメイトやツインソウルとは、どんな存在ですか?
ツインレイ(ついんれい)
一般的な意味
(辞書に項目はありません)スピリチュアルの分野で、「魂の片割れ」「究極のパートナー」「最後に出会う運命の相手」といった意味で使われている言葉です。
天空の庭先での解釈
ツインレイは、古くからあるツインソウルとは違い、比較的近代になって生まれた新しい概念です。英語圏で広まった「ツインフレーム」という考え方をもとに、日本では「ツインレイ」という言葉で広まり、「ツインソウルより上位の存在」「究極のパートナー」「必ず男女として出会う」といった定義が、あとから付け足されていきました。
天空の庭先では、ツインレイを、ツインソウルという概念を商業的に都合よく利用するために曲げた概念だと考えています。この言葉が広まった背景には、理想の相手と出会いたいという純粋な願いが、スピリチュアルのセールスやプロモーションに利用されてきた面があります。耳ざわりの良い言葉に惑わされず、自分で感じて考え、自分で決めることが大切です。
詳しくは:恋愛で眠くなるスピリチュアルな意味は?ツインレイという幻想と魂の真実/ツインソウルとは?特徴・試練・統合の本当の意味
グループソウル(ぐるーぷそうる)
別名:ウルグループ、類魂
一般的な意味
近代の心霊主義(スピリチュアリズム)で語られる考え方で、霊魂はグループに属しており、そのグループで人生の経験を共有しながら霊的な進化の道を進むというものです。日本語では「類魂(るいこん)」と訳されています。
出典:Wikipedia「類魂」
天空の庭先での解釈
天空の庭先では「ソウルグループ」という言葉で説明しています。ソウルメイトが、同じ系譜や、自分の魂と強い絆を持つ存在を指すのに対し、ソウルグループは、家族や一族、民族、国、星、銀河といった、さまざまな大きさのまとまりで使われます。私たち地球の人間も、地球に属するソウルグループです。
家族の中で自分だけが異質に感じ、いつも疎外感があるという人は、家族とは異なる系譜やソウルグループの魂なのかもしれません。
