寂しい気持ちの意味とスピリチュアルな本質

寂しい人

寂しい気持ちはなぜどこから…? 心の奥底から湧き上がってくる寂しいという気持ちはスピリチュアル的に言うなら心のSOSです。
一人が寂しい、別れるのが寂しい、一緒にいられないのが寂しい、理由も分からず寂しい。
家族でも恋人でも、一緒にいたい人と離れるのは寂しいですし、一人でいるのは寂しいです。
この寂しいという感情、想いはいったいなぜ湧き上がってくるのでしょう?
愛に乾いたとき、愛が必要なのに得られないとき… 人は寂しさを感じます。


 

寂しさのスピリチュアルな意味

人間の魂は本来ひとつの源から生まれました。
それを神と呼ぶ人もいますし、宇宙の根源的なエネルギーとよぶ人もいます。
呼び方はどうあれ、私たちの魂はもともとは強大なエネルギーのもとでひとつの存在でした。

それが別れてこの地上に魂の成長のために生まれて来たとき、私たちは「個」となり分離を経験しました。
私たちの寂しさの本質とは、この地上世界で「個」として分け隔てられたことに由来します。

もっと言えば、大きな魂がさらにツインソウルやソウルグループとして別れたことや、一部の魂が物質や利己にとらわれさらなる分離によって離れたことが本質的には大きな原因と言えるでしょう。

そして私たち人間の多くは魂のなりたちについて知りませんから、本来ひとつであったころからの魂の分離を、この地上世界ではまるで母親から引き裂かれた幼子のように感じ続けるわけです。

つまり寂しさとはこの地上に魂の分離をへて生まれて来た魂すべてが本質的にもっている「個体性」であると言えます。

もし寂しさを感じないという人がいるのであれば、それは「個体」でありながら「完全性」を」持っているか、あるいは「個体」でありながら「完全」な存在と繋がっていかでしょう。

この物質世界での解りやすい言葉におきかえると、イエス・キリストのように神(根源的なエネルギー)へと至った人間や、神(根源的なエネルギー)と繋がっている人間です。

すべてはもともとひとつであった、別れた私たちの魂が成長し、もういちどひとつになるためには相手を自分がごとく愛することが必要になります。愛はすべてを一つにします。

ツインソウルやソウルグループに関してはこちらの記事が参考になります。


寂しい気持ちのスピリチュアルな理由

寂しさのスピリチュアルな本質が「個体性」であったなら、欠片である私たちの魂がこの地上で寂しさを感じるのは当然です。
欠けている、満たされない、そういった人間の「個体性」の裏側にある愛の不足にもとづく感情です。

寂しい気持ちになるとき

そもそも寂しい気持ちとはどんな気持ちなのでしょう?
もう少し寂しいという気持ちを掘りさげてみましょう。

[形][文]さび・し[シク]《「さぶし」の音変化で、動詞「寂(さ)びる」に対応する形容詞》

1 心が満たされず、物足りない気持ちである。さみしい。「―・い顔つき」「懐が―・い(=所持金が少ない)」「口が―・い」

2 仲間や相手になる人がいなくて心細い。「一人―・く暮らす」

3 人の気配がなくて、ひっそりとしている。さみしい。「―・い夜道」

[派生] さびしがる[動ラ五]さびしげ[形動]さびしさ[名]

Weblio国語辞典

心が満たされない… 足りない… 人間は不足しているときや無いときに寂しいと感じるようです。

仲間や相手になる人がいない、これも同じです。
遊び相手がいないとか、一人で留守番をしてるとか、ずっと一人とか、人とのコミュニケーションやふれあいが不足しているときや得られないときに寂しいと感じます。

人の気配がない、ひっそりしている… この「ひっそりしている」という言葉は音が無くて静かという意味なので、人や生活音がなかったりシーンとしてる状態にも人は寂しさを感じます。
さみしがり屋のひとがラジオやテレビを付けっぱなしにするのも、人の気配や温もりを少しでも感じたいからでしょう。

つまり寂しさとは、不足しているときや無いときに感じる感情や気持ちということになります。

何が?それは人間との関わりやふれあい、もっと言えば愛です。


原因不明の寂しさ

原因はわからない… でもなんだかソワソワする、今日は寂しさや孤独感を強く感じる…
人間、生きていれば人生もいろいろと変化や浮き沈みもあるとは想いますが、それにしても原因が分からない寂しさや孤独感を感じるとき、もしかしたらスピリチュアルな理由があるかもしれません。

誰かの感情を受け取っている

スピリチュアル的に言えば、私たち人間の感情や想いのエネルギーは距離を超えて想った相手へと届きます。
感情のエネルギーは近くにいる人間なら1~2メートル程度は波動となって相手に伝わります。

そして距離が離れていても、人を想う気持ちは相手に届きますし、それが積み重なれば「想念体」や「生き霊」となって相手に干渉します。
もしとても強い寂しさや孤独感に苛まれている人がいたとして、その人があなたのことを思い出し、強い感情や想いをあなたに向けたなら、あなたは理由も分からずそのだれかの寂しさを受け取り、寂しい気持ちになったり孤独感を感じることがあるかもしれません。

誰かによって分かたれた寂しさを受け取ることによって、その誰かの寂しさをいかばかりかやわらげることができたかもしれません。

人間の想いが伝達する仕組みについてはこちらの記事に書きましたので参考にしてみてください。

寂しさを埋めるには?

以前、人間の心が満たされない理由は「愛の不足」だというお話をしたことがありますが、寂しさは愛を得ることが出来ればたいていは解決されます。
人間のあらゆる依存は愛の不足からおこります。

愛はすべてを一つにします。
言い換えると愛がなければこの物質世界で分離を体験し続けることになります。
もし関わる人たちから十分な愛を得られたなら寂しい気持ちをもつこともないでしょう。
もし十分な愛を得ているにも関わらず寂しいという気持ちがなくならないのであれば、愛の質か、あるいは受け取るがわの心にも課題があるかもしれません。

寂しさを埋めるには?

人間はあらゆる依存によって寂しさをうめることが出来ます。
たとえば先ほどお話しにもでた、テレビ、ラジオもそうですが、ドラマやアニメ、ゲームに漫画、音楽やミュージシャン、バイクや車などの趣味もですが自分が興味があって好むあらゆるものに依存できます。
寂しさの本質的な原因は「愛」の不足ですからあらゆる依存のなかでも最も起きる大きな依存は対人関係の依存であり、とくに恋愛でそれは起きます。

献身的に尽くし、暴力にさえ耐えられるほどの愛情はある意味では依存の裏返しである場合もあります。
自分はこの人に必要な存在なのだと。

寂しさを埋める手段は無限にありますが、それらはすべて穴埋めに過ぎません。


寂しさを根本から解消するには?

寂しいという感情や想いを本質的に解消しようと思ったなら方法は主に2つあります。

  1. 愛情を得る
  2. 自らが愛そのものになる

2つ方法をあげましたが、普通であれば「愛情を得る」という方法が一般的だと想います。

愛情を得る方法にはいくつかありますが、前提としてまずは「自分で自分自身を愛する」ということが出来ると良いでしょう。
自分で自分を愛せないと、たとえばだれかが自分のことを愛してくれたときも「自分が愛せない自分を他人が愛せるわけが無い」とおもってしまい、十分に愛を受け取ることが出来なくなってしまうからです。

ですから、寂しさや孤独を感じている人たちにとって、あるいみ最初から高いハードルになりますが、まずは自分で自分を愛しましょう。

そして受け身にまっていてもだれかが愛してくれるとは限りません。
自分から人に愛を与えましょう。それが出来たならその愛が呼び水となり、より多くの愛を引き寄せます。

人から受ける愛に、愛で答えたいというのは私たちの魂がもつ本質です。

自分や人の愛し方に関してはこちらの記事が参考になります。

そして最後に、自らが愛そのものになる…

おそらく普通の人にはわかりにくい言葉かもしれませんが、ある意味では私たち人間の魂が地上に生きる究極の目的です。
人間の魂はもともと神のもとにひとつでした。幾億もの欠片に分かたれた私たち人間の魂はそれぞれが成長し、いずれふたたび神のもとへとひとつになります。

かつての聖人聖者たちが、神に至るすべとして「愛」と説いてきました。
自分のごとく人を愛せることは、自分と相手を等しく、そして一つにするからです。
すべての人間がいずれ真の愛に目覚めなければなりません。

ありのままの自分であることの大切さ、あるがままを受け入れることの大切さ、そして自分を愛することができれば人を愛することができます。

愛とは?

愛とは…

愛のために自分を厳しく律するのでもなく、愛を絞り出すのでもない。

愛は溢れ出すものであり、私たちは自然に愛に溢れた行いを選択するようになっていかねばならないのです。

つまり私たちはいつか…

ありのままの自分が愛そのものとなるのです。

自らが「愛」となれば、愛に飢え乾き寂しさを感じることもなくなるでしょう。


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天空の庭先 管理人の☆ウリエル☆です♪瞑想歴30年、オーラ見える歴28年、ヒーリング歴29年、浄霊歴26年、オーラ視、浄霊、ヒーリング、などなど、いわゆる霊能力と呼ばれる力を持っていて、占星術など占いの分野やオカルトなど、スピリチュアルな分野に精通しています。 これまでの人生でのスピリチュアル体験から得たことを記事にしています♪ 関わる人全てに豊かになって欲しい。それが私の願いです。 <strong>霊能力が身についたキッカケ</strong> 霊能力と呼ばれる力を手に入れるキッカケは、21歳の時に霊的な師と出会い、ヒーリングを受けた事でした。 私をヒーリングしてくれたその方は、世界を旅しながら無料で奉仕やヒーリングをして生きている方で、日々何十人、何百人と癒していました。その方との出会いをキッカケに、私自身にもヒーリング能力が身についたり、オーラが見えはじめたり、体外離脱を体験したり、成仏出来ない霊を救う能力が発現したり、様々な霊的な体験をしました。それら体験は、この天空の庭先にまとめられています。 <a href="https://arcangel.jp/experience/">体験談</a> <strong>天空の庭先オープン</strong> 2004年に楽天ブログで天空の庭先がスタートしました。 本業はデザイナーで、ふつうに社会で働きながら、平日の夜や週末の休みを利用して、霊的な疑問や相談にお答えする活動をしてきました。 今日までの天空の庭先の歩みはアーカイブのページにまとめられています。 <a href="https://arcangel.jp/archive/">ブログアーカイブ</a> 「☆ウリエル☆」というハンドルネームは、宇宙の運行や浄化を司る天使の名前を借りました。横の2つの☆は当時の楽天ブログでウリエルというハンドルネームがすでに取得されていたために、仕方なく横にくっつけたのですが、この☆のおかげで姓名判断や数秘術でとてもよいハンドルネームになりました♪ 「天空の庭さき」というブログとサイトのタイトルは、天の国のかたすみ、みたいなニュアンスで命名されました。 私は本当の「天国」や「楽園」は、それを求める人の心の中にあるものだと思います。ここを訪れる人たちが豊かで美しい人生を歩むヒントをみつけてくれたらそれは私にとって幸いです。  

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  1. あんじゅ

    こんにちは。
    いつも素敵な記事を有り難うございます。

    本当に不思議なくらいウリエルさんの愛についてのお考えに共感しています。どこか欠けている感覚が誰にもあるので依存してしまう。自分を愛せなければ人を愛する自分を信じられない。私はどちらかというと人を愛するのも愛されるのも苦手でした。自分の心のブロックを外すのが下手なのです。でも今は100%の愛でなくても受け取ることって嬉しいなと感じるようになりました。

    ただ生きてるだけでなんだか楽しいなと感じるようになれた事がうれしいです。そして出会えた人に感謝と愛を伝えられるようになりたい、今はそう思います。

    本当にいつも有り難うございます💓
    これからも宜しくお願いします。

  2. くれるん

    最近ひとりぐらしを始めたのですが、
    なんかさみしくてたまらなくなることが
    あり、食事に没頭したり、勉強に集中していると楽になります。

    でもがんばってるほうだとおもいます。不完全なのは分かっています。
    今までの人のぬくもりというか、なんも話さなくても、同じ空間にいるだけで、
    無意識に満たされていたんだなあと思い返します。

    日々を積み重ねて、またいつか、もっとちゃんとした人間になれたらいいな
    とおもいます。