誰かのことをどうしても赦せず、その感情に苦しくなってしまうことはないでしょうか。赦さなければと分かっていても、赦せない自分をさらに責めてしまう。そんな悪循環に陥っている方も少なくないと思います。この記事では、赦すことのスピリチュアルな意味と、赦すことは最後は自分さえも救うという「赦しの本質」についてお話出来たらと思います。
結論:赦しとは、相手を自由にすると同時に、赦す側である自分自身をも縛りから解き放つ行為です。すべてを無条件に赦す必要はなく、自分を守りながら少しずつ手放していくことができます。
- 赦すことのスピリチュアルな意味と、赦せない自分を責めなくていい理由
- 赦しが相手だけでなく、自分自身をも解放する本当の理由
- 境界線を守りながら、安心して赦しに向かうための考え方
赦す(許す)とは?スピリチュアルにおける本当の意味
☆ウリエル☆「赦す」という言葉に、少し身構えてしまう人もいるかもしれませんね。まずは、その意味を一緒に整理していきましょう。
一般的な意味と辞書的定義
辞書では「赦す(許す)」について、相手の過失や罪を責めないでおくことと説明されていますつまり言葉の上では、相手の行いを問い詰めたり裁いたりする気持ちを、そっと下ろすことを指しています。
出典:コトバンク。
スピリチュアルな視点で見る「赦し」
スピリチュアルな文脈では、赦しは単なる感情の整理にとどまらず、魂やより大きなつながりを取り戻すプロセスとして語られることがあります。怒りや恨みは、相手と自分との間に壁を作りますが、その壁を少しずつ取り払っていく営みが赦しです。
魂・ワンネスとのつながりという捉え方
すべての存在は本来つながっているという考え方(ワンネス)を土台にすると、相手を裁き続けることは、大きなつながりの中にある自分自身を苦しめることさえあります。赦しは、相手と自分の間に、何かしらの出来事によってつくられた隔たりを取り除き、魂のつながりを思い出していく過程でもあります。
赦しは愛であり、同時に強さでもある
正しい動機で行われる「赦し」は弱さや我慢の証ではなく、むしろ強さの現れといえます。怒りに飲み込まれたままでいるよりも、その感情に向き合い、手放す道を選ぶことには、確かな強さと愛が必要です。
赦しは、赦された側だけでなく赦した側も解放する
ここからは、私自身が大切にしている赦しの本質についてお伝えします。誰かを赦さずにいるとき、赦されない相手はその行いや自責の念にずっと縛られ続けます。ただ、実は赦せずにいる側もまた、怒りやわだかまり、その出来事への思いに心を縛られ、自由を失っています。赦すという行為は、相手を解放するだけでなく、赦す側である自分自身をも解放する行為です。だからこそ赦しは、相手のための我慢ではなく、自分を自由にするための選択でもあります。
だからこそ、赦しは積極的に選ぶべき選択です。ただし、何でもかんでも赦せばいいということではありません。この後お伝えする境界線の話とあわせて、知恵と愛のバランスの中で赦しを選んでいくことが大切です。
赦せない自分を責めなくていい理由
怒りや恨みは「未熟さ」ではなく傷
「早く赦さなければ」と自分を急かしてしまう人もいますが、赦せない感情そのものは未熟さの証ではなく、傷ついた心が発しているサインでもあります。怒りや恨みが消えないのは、それだけ深く傷ついた経験があったということでもあります。氷は自然にゆっくりとけます。
同じように、赦すという行為にもわだかまった心を溶かすために、時間がかかるものなのです。
無理に赦そうとすることのリスク
感情を置き去りにして無理に赦そうとすると、かえって本心を抑え込み、後になって別の形で苦しさが表れることがあるります。赦しは急ぐものではなく、自分のペースで少しずつ近づいていくもので構いません。


まず自分を赦すことから始まる
自己受容と自己愛としての赦し
他者を赦すことばかりに意識が向きがちですが、多くの場合、赦しはまず自分自身に向けることからはじまります。自分を赦せないという問題を抱える人が現代には大勢います。過去の選択や失敗を責め続けている限り、他者への赦しにも力が向きにくくなります。
まず自分を愛し、赦すことが、人を赦すための足がかりになります。
自分を赦すための具体的な視点
「あの時はあの時なりに、できる範囲で最善と思い選んでいた」という視点を持つことは、自分を赦す助けになるでしょう。自分では全力を尽くせていない、自分では寛容になれなかった、などなど、自分の行動を認められない瞬間はあるかもしれませんが、あえて言うと、「実力を出し切れなかった」みたいなケースにおいても、結果から言えばそれが「実力」なのです。
今の自分の目線で過去の自分を裁くのではなく、当時の状況ごと受け止めていくことが、自己赦しの一歩になります。


赦すことと、距離を置くことは両立する
「赦す=再び関わる」ではない
赦すことは、相手の行いを正当化することでも、再び同じ関係に戻ることでもありません。心の中で相手を裁く重荷を下ろすことと、その相手と物理的・心理的にどう関わるかは、切り離して考えることができます。
境界線を引く強さも赦す強さと同じ源から生まれる
自分を守るために距離を置くことは、赦しと矛盾するものではありません。むしろ、境界線を引く強さと赦す強さは、同じ根から生まれるものです。どちらも「自分を大切にする」という一点でつながっています。
安全を守るための現実的な選択肢
心身の安全が脅かされるような関係では、連絡を断つこと、距離を置くこと、専門機関や相談窓口を頼ることも、自分を守るための大切な選択です。赦しは、危険な状況に留まり続けることを求めるものではありません。
法やルールがあるからこそ、人は安心して手放せる
私は、赦しを後押ししてくれるものの一つに、法やルールの存在があると考えています。誰かに過ちを犯された場合、その責任を裁く役目は、本来感情を持つ私たち自身が背負い続ける必要はありません。法律や社会のルールが、感情を介さずに過ちを裁く仕組みとして機能しているからこそ、私たちは裁く役目をそちらに委ね、安心して赦しに向かうことができます。すべてを自分の感情だけで抱え込むのではなく、委ねられる部分は仕組みに委ねる。それもまた、知恵と愛のバランスの一つだと私は感じています。
余談ですが、法やルールが機能しなくなると「法が裁けない」という状況が起きて、感情が行き場を失ったり、法ではなく人間が裁くということが起き始めます。
ですから、私たちはいつでも、公平さや公正さを求めなければ成りません。
魂の成長と現実的な安心を両立させる赦しの実践
スピリチュアルな学びとしての赦し
赦しに向き合う経験は、魂の学びの一つです。怒りや恨みを手放していく過程そのものが、自分自身を深く知り、成長させていく機会でもあります。
赦しには忍耐と寛容、そして愛が必要だからです。
現実生活での安心・安全を優先する視点
ただし、魂の学びを理由に、現実の安全や安心を後回しにする必要はありません。心の中で少しずつ手放すことと、現実の生活で自分を守ることは、同時に進めていくことができます。
よくある質問
- 赦せない自分をどう扱えばいいですか?
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無理に赦そうとせず、まずはその感情を否定しないことが大切です。怒りや悲しみは、傷ついた心が発している自然なサインだと捉えてみてください。
- 赦すことは、相手の行為を正当化することになりませんか?
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赦しは相手の行為を正当化することではありません。過ちを裁く役割は法やルールに委ね、自分の心を縛りから解放するために赦す、という捉え方もできます。
- 赦しても、また同じ人と関わるべきですか?
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必ずしもそうではありません。安全と安心を優先し、距離を置いたままでも赦しは成り立つと考えられます。
- 自分を赦すとはどういうことですか?
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過去の自分の行いや選択を責め続けるのをやめ、当時の状況ごとありのままの自分を受け入れていくことです。
まとめ:赦しは自分も解放する
赦すことは、相手のためだけの行為ではありません。赦さずにいることで自分自身を縛ってしまっている鎖を、ほどいていく行為でもあります。すべてを無条件に赦す必要はなく、自分を守るための境界線を持ちながら、少しずつ手放していくことができます。赦しは、自分自身をも解放してくれます。
天空の庭先でよく語られる、「心を清めて愛を持って生きる」という言葉。
赦すことで手放せる、それによって心の中が片付き、整理される。心が綺麗に保てるのです。そして赦しには愛と忍耐が必要です。
赦しは、心を清めて愛を持って生きるという生き方を体現することなので、赦すという選択を積極的に選び取りましょう。
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コメント
コメント一覧 (1件)
ウリエルさん、こんにちは!
お久しぶりです。
まさに今の私にピッタリ過ぎました。
どのように内なる罪悪感に向き合って行こうかと思っていました。
これは逆に罪になるのかと
安心、安全ですね!
どうもありがとうございます!