「私は私である。」「私が私でありますように。」この系統の言葉、言い回しは天空の庭先ではたびたび紹介されます。この記事では、なぜこの言葉がそれほど強い力を持つのか、その理由とルーツ、そして具体的な使い方をお伝えします。なぜそんなお話をするのか?それは理解が深まるほどに言霊の力も増すからです。
☆ウリエル☆この言葉は、私自身がここぞという場面で唱えてきた、とても強い言霊です。人生の危機的局面で、あるいは普段の生活の中でも、自分を保てなくなりそうなとき、ぜひ思い出してみてください。
なぜこの言葉が必要なのか
誰かが誰かコントロールしようとするとき、想念エネルギーが向けられます。これは呪いのような悪意あるものに限りません。例えば、誰かが誰かに強く恋をしているとき、相手のことが大好きであっても、その思いは無意識のうちに相手を支配しようとすることがあります。向けられた側にとって、それは必ずしも心地よいものとは限りません。
コップと水のたとえ
私たち人間は、肉体という器によって個々が区切られています。これはコップに汲まれた水のようなものです。コップ同士が触れ合っても、中の水が交わることはありません。
ですが、心の領域まで含めると話はもっと曖昧になります。肉体がコップとコップのようなものだとしても、そこから発せられているオーラは互いに混じり合います。さらに深い心の領域になると、距離や空間という概念を超えて相手に干渉します。
人の思いが、自分の思いに混じり合ってしまうことは、日常のいたるところで起きています。最初は気にもならなかった相手なのに、好意を寄せられているうちに気になって好きになってしまう。嫌いだった食べ物でも、大好物だと言って美味しそうに食べている友人につられて食べてみたら、意外と好きになってしまう。こうした心の動きも、その一つの表れです。
ちなみに私は、子供の頃に大好きだった叔父さんが「桃は嫌いなんだよ、果物のくせに毛が生えてるとか気持ち悪いだろ」って言っているのを聞いて食べられなくなり、社会に出るころに仲の良かった友人が「世の中で一番好き、桃が世の中で一番美味しい食べ物だよ」という言葉を聞いて一口食べたら好きになったという、しょーもない経験があります(笑)
「私は私である」という遮断の言霊
だからこそ、この曖昧な心の領域において、自分が自分であることを宣言することは、非常に強力な遮断行為になります。「私は私である」と唱えることで、自分に向けられている想念や、目に見えないつながり(エーテルコード)を断ち切ることができるのです。
この言葉のルーツについて
聖書には「私はある、私はあるところのものである」という言葉があります。カバラにおいてこれはエヘイェ・アシェル・エヘイェと呼ばれ、生命の樹の最高位ケテルに対応する神の名とされています。さらに、カバラの魂の階層論では、この力は「イェヒダー(唯一なるもの)」と呼ばれる、個人の中にある最も深い階層、何ものにも侵されない核そのものだとされています。
天空の庭先では、人間の魂は神によって生み出された光のかけら、いわば小さな神であると繰り返しお伝えしてきました。魂と神は、エネルギーの大きさこそ違えど同じ構造を持っています。私たちの魂は、神の似姿として作られているからです。
神がまだ唯一であった頃は、「私はある」だったのだと思います。ですが、数えきれないほどの魂がそこから生み出された今、一つひとつの魂を分かつためには「私は私である」という言葉が必要になったのです。「私は私である」は、宇宙規模の「私はある」を、無数に分かれた魂の一つとしての自分の立場から語り直した言葉であると思います。
「私は私である」私自身はこの言葉を誰かに教わったわけでも、どこかで読んだわけでもありません。前世や過去性の記憶に基づく感覚として、こういうときにこう唱えれば良いという形で、もともと持っていたものです。
活用法いろいろ
基本の使い方:アファメーションとして
一番シンプルな使い方は、心の中で、あるいは声に出して「私は私である」と唱えることです。他者の思いに引っ張られていると感じたときに、静かに繰り返してみてください。
エーテルコードを断ち切るイメージと組み合わせる
エネルギーワークの分野では、自分と他者をつなぐ目に見えないつながり(エーテルコード)を断ち切る技法が広く実践されています。光の刃でコードを切るイメージと、手刀で切るような身体の動作、言葉による宣言を組み合わせる方法が一般的とされています。「私は私である」と唱えながら、自分と相手をつなぐコードを断ち切るイメージを重ねると、より強く働きかけられると思います。
ちなみに私自身は、この言葉の力を信じ切っているので、言葉と共に胸の上から湧き上がってくるエネルギーが全身に広がるのを感じるようにすると、大抵問題は解決されます。
一歩進んだ使い方(私からの提案)
ここから先は出典のある技法ではなく、私からの提案としてお伝えします。
- 苦手な相手や、感情的に強く関わってくる相手に会う前に、あらかじめ唱えておく(予防的な使い方)
- 瞑想や祈りの際の習慣にする(想念を向けられやすい人にお勧めです)
- 紙に書いて、お守りのように身につけておく
どれも試してみて、自分にしっくりくる方法を見つけてもらえればと思います。
注意点
この言葉は、あくまで自分の境界を保つためのものであり、人間関係そのものの課題を解決してくれるわけではありません。相手との間に本当に向き合うべき問題があるなら、その問題自体には現実の中で向き合う必要があります。この言葉を、向き合うべきことから目をそらすための盾にしてしまわないよう、知恵と愛のバランスを大切にしてください。
まとめ
「私は私である。」「私が私でありますように。」この言葉は、外側からの想念に自分を明け渡さず、自分自身を取り戻すための宣言です。宇宙規模の「私はある」が、無数の魂それぞれの立場から語り直された言葉だと思えば、この言葉が持つ力の大きさも自然と感じてもらえるのではないかと思います。
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