祈りのスピリチュアルな力と祈り方

祈りの光

祈りは目に見えないスピリチュアルな良き力をもっています。
願いは人間の願望や未来への希望ですが、祈りは普通、神や神格化された存在に向けて行われます。簡単に言えば、祈りとは神や高次の存在に語りかけることなのです♪
人間はとくに信仰をもつこともなく、祈ることもなく人生を送っても生きていくことができます。しかし、自分自身の霊的な成長を望んだり、この世界を動かす大いなる力や、その力に従属する存在たちに見守られたい、力を貸してほしいと思うのであれば、人生に祈りを取り入れた方が良いでしょう。あなたにゆかりのある霊的な良き存在たちが力添えをしてくれますし、悪しき力から身を守る手助けをしてくれるでしょう。
祈りにはとても強いスピリチュアルな力があるのです。


 

祈りとは?

祈りとはいったいなんでしょう?
とくに宗教に属していなくても、神社や教会にいって祈ることは出来ますし、もっと言えば、普段祈る習慣がなくても、日常の中で祈るときはあります。
たとえば宝くじを買ったときとか、入院した身内が手術をしているときとか。
まずは祈りのお話をするまえに、祈りの定義を明確にした方が良いかも知れませんね。

祈り(いのり)とは、宗教によって意味が異なるが 世界の安寧や、他者への想いを願い込めること。利他の精神。 自分の中の神と繋がること。 神など神格化されたものに対して、何かの実現を願うこと。 神の定理は各宗教による。 [1]。祈祷(祈禱、きとう)、祈願(きがん)ともいう[2]。儀式を通して行う場合は礼拝(れいはい)ともいう。
祈り – Wikipedia

まずは祈りの定義からですが、そもそも一般的にはどのような定義になってるのか?
wikiとか見てみるとこんな感じですね。
少し長いのでもっと簡単に要約してみましょう。

「宗教などで違いはあれど、神や神格化された存在に、世界や他者へ思いを込めて願うこと」って感じですかね?

一般的に知られる祈りの意味は短く簡単にするとおおむね上記のような意味になると思います。

天空の庭先では、祈りをこのような言葉で定義しています。

「清く正しい心で神に語りかけること」

たとえば神に、「ライバルを怪我させてくれ」などと祈ったなら、それは祈りではなく願望や呪いです。
祈りというのは善良な気持ちによって行われるべきであり、それは祈りの大前提です。

そして、全ての正しい祈りは、天使や菩薩などの善良な存在を対象としたとしても最終的には根源的な神へいきつきます。
言葉を短く簡単にしたかったこともありますが、祈りとは、「清く正しい心で神へと語りかけること」です。

祈りのスピリチュアルな力

祈り方にもよりますが、もし正しい祈りの言葉で毎日祈ったのであれば、私たち人間は、神、仏、天使、精霊など、祈った存在からエネルギーを受け取ることができます。

自分の内側のエネルギーは「内気」、そして自分の外側のエネルギーは「外気」です。神、仏、天使、精霊など、祈った存在から受け取るエネルギーは「外気」になりますから、自分のエネルギーだけで何かをしたとしても、よりパワフルになにかを行うことができると思います♪

祈りによって神や高次の存在とどれだけ繋がれるか、どれだけ力添えいただけるかは個人差があります。
祈りが届いてどれだけ叶うか?神や高次の存在との繋がりの深さはおもに2つの基準があります。

  1. 信仰心の強さ
  2. どれだけ清い心と愛を持っているか?

信仰心とは、神や神に連なる存在たち、それらがもたらす啓示、関係性などに確信を持って信じ、心を尽くすことです。
仏教であれ、キリスト教であれ、あるいはその他の宗教、自分独自の信仰であれ、信じる気持ちの強さがもたらされる恩恵や加護のちからと関係します。

強い信仰心を持っていたとしても、何かを願い祈る気持ちが我欲であったなら力添えいただくことは出来ないでしょう。

求めるだけでなく、まずは自分自身が恩恵や加護を受けるに相応しい人物とならねばなりません。

心の清さ、そして愛の大きさは、神の加護や恩恵を受け取る自分自身の霊的器の大きさと言えます。


祈り方は?

祈りの言葉や作法は、宗教や思想によっても異なりますが、本質はただ一つです。

清く正しい心で、想いを尽くし、心を尽くし祈る。

どれぐらいの時間祈るのか?それは祈る人が自分で必要だと思う時間を祈れば良いと思います。
ちなみに私は、瞑想の前には必ず祈っているのですが、普段は時間にして3~5分、長いときでも10分ぐらいです。

なにか目的があって祈るときには数時間祈ってるときもあります。
(なかなか成仏しない霊を成仏させるときなど)

実際に祈ってみるとわかるのですが、ひとつの言葉に意識をフォーカスし続けるというのは思った以上にむずかしいことです。
心を一つにして祈るというのは、自分の心をコントロールする力を必要とします。日頃から祈る習慣のない人がたまに祈ると、まず3分も祈ってられないみたいなことが起きます。
人間は気がそれやすい生き物なのです。

祈りは人間の意識を対象にフォーカスさせる訓練にもなります。
この意識をフォーカスさせる力は私たち人間の霊的な力の基礎になります。

それと「言霊」なんて言葉を聞いたことがある人もいるかと思います。言葉には、その言葉そのものにさまざまな霊的な力が秘められています。私たちが神仏に唱える祈りには、とても高い波動の霊的なエネルギーが秘められています。つまり、祈りの言葉自体が、新たに生み出されるエネルギーでもあり、その良いエネルギーは私たちの身体や住んでいる環境のエネルギーを整えてくれます。
お坊さん、退魔師、神父などが、祈りの言葉で悪いものを退けるのは、受け取る恩恵や加護の力と、言葉自体に宿ったちからによるものです。

言葉はスピリチュアルなエネルギーに方向性を与えるものです。


言霊についてはこちらの記事に詳しく書きましたので参考にしてみてください♪

祈りの方法

清く正しい心で、想いを尽くし、心を尽くし祈る。

祈るとき大切なのは何をどのように祈るかではなく、どのような心で祈ったかです。

ですから、祈り方や祈りの言葉に囚われる必要はありません。

その前提を踏まえた上で、祈るときには自分自身に馴染みが深い宗教や思想にある祈り方で良いと思います。

例えば仏教徒なら仏教の祈り、キリスト教ならキリスト教の祈りです。
どの宗教の祈りが強いとかはさほどありませんし、無理に新しい言葉や祈り方に変える必要はあまりないです。
私自身が感じているのは、馴染みのある言葉や習慣的につかっている言葉の方が影響を与えたり受けたりしやすいということです。
自分自身の信仰にもとづいて祈れば大丈夫です。

私の自身はなんの宗教にも属してません。ですが、個人的に最も敬愛しているキリストの教えにある祈りを唱えています。
主の祈りです♪

天におられるわたしたちの父よ、
御名が聖とされますように。
御国が来ますように。
御心が天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン

私の師のような人も同じで、宗教に属してないけど、個人的にキリストを信じていて、キリストの教えにある祈りを唱えていました。

主の祈りは、キリストが祈るときにはこう祈りなさいと教えた祈りです。
この祈りの素晴らしいのは、人間の7つのチャクラに対応するキーワード(パワーワード)がバランス良く有ることです。
私の場合、主の祈り以外では、古い白魔術などで使われる祈りを祈っています。

祈り願うときに大切なこと

祈りの中には、なにか目的をもった祈りも存在します。
たとえば、愛する人と結ばれたいとか、子供の受験が巧くいくようにとか、試合で勝ちたいなどです。

願いを含む祈りは祈るときの心の姿勢が最も大切です。
たとえば、「愛する人と結ばれたい」その祈りが利己心や我欲の類いであったなら、それは祈りではなくただの願望です。
「子供の受験」「試合での勝利」どのような願いの祈りであれ、利己心や我欲であったなら祈りではなくなってしまいます。
逆にどのような目的であれ、心から相手のことを思い、動機が愛にもとづいていたなら、それは祈りとなりえます。

例えばですが、「神よ、愚かなあの人が自分の過ちに気づけますように」このような祈りであれば、あまり価値も無いでしょう。
相手だけが悪いといった思い上がりがこの言葉の中に映し出されています。

裏を返すと否定的な祈りというものは世の中に結構たくさんありますし、自分で祈りの言葉を作るときに否定心を込めないためにはいくつか注意するべきことがあったり、結構たいへんです。

そして長々祈るとか、強く念じるほうが願いが届くと思っている人も多いですが、長い言葉を考えたり、強く念じたり、どのような祈り方をするかより、祈る本人の心がいかに清められ、愛に満ちあふれ、どのような動機で祈られたかのほうがよっぽど大切です♪

清く正しい心で、想いを尽くし、心を尽くし祈る。

愛にもとづく心で祈りましょう。
神は、私たちが願うより先に私たちが必要としているものを知っています。

多くの人は、どうやって祈れば聞き届けられるのかと言葉を模索しますが、私たちが心に思うことは全て神には筒抜けです。
心を清め愛を持って祈りましょう♪
そうすれば必要に相応しい祈りの言葉があればおのずと心からわき上がって来たりするのです♪


祈りの言葉

私がよく祈る、祈りの言葉を参考に書いてみますね♪

朝の祈り

「今日一日私に相応しい仕事を与えてください」
「神よ私はここに居ます、どうか私をお使いください」

神さまに委ねるって感じです。あるいはなにか辛いことが起きても、自分のために必要な出来事なのだと。

なにかをお願いするとき

「私の隣人の○○さんを癒し清めたまえ、すべては神の御心のままに」

御心のままにというのは、つまり最後は全部神様にお任せしてしまう感じです♪
自分がこうして欲しいという祈りも、最後は神の御心のままに♪ です。
このように祈れば、もし祈りの中に自分の我欲があったとしても、最後は神の御心が勝るからです♪

感謝の祈り

「あなたに健康と幸福がありますように。すべては神の御心のままに」

私はこの記事を読んでくれた方にこの感謝の祈りを送ります♪

祈りのスピリチュアルなエネルギー

愛に基づく祈りのエネルギーがもつ力についてのお話です。
神のエネルギーの性質は、私たちの世界で言うところの「」です。
すべてはもともと神と一つでした。そして神から別れた私たちをふたたび一つにするのは「愛」です。

この天空の庭先には、オーラに関する記事がとてもたくさんあります。
オーラは大きくわけると4つの階層になっています。

  • 第一階層:私たちの肉体がまとう生命力のオーラ
  • 第二階層:私たちの性質を表し感情と想念に対応したさまざまな色のオーラ
  • 第三階層:私たちの霊的な体やエネルギーに対応した高次のエネルギーのオーラ
  • 第四階層:私たちの本質と魂の輝きである神の光のオーラ

祈りが愛にもとづいていたなら、祈りが持つエネルギーとオーラの輝きは、第三階層の高次の光のオーラです。
つまり、人間の感情や想いを超えた先にある、より純粋な霊的エネルギーです。

第二階層のオーラが白にとなり、さらに愛や信仰によって第三階層のオーラの性質を帯びると、かつての聖人聖者がまとっていたと言われているシルバー系のオーラにいたります。
より深い信仰と愛によって神と繋がったなら、無限とも言える神のエネルギー、神のオーラへと至ります。

つまり、聖人聖者とは、常に清く正しく祈り続けているような状態にある人たちであると言えるかもしれません。

祈りの力は究極的に言えば、かつての聖人聖者たちが起こしたような、奇跡を実現させることができる力です。

どんな時でも、否定する人ではなく、祈る人であってください。

いつかあなたの言葉や行動が、祈りそのものとなりますように。


いっしょに読みたい記事




 

 

 

 

天空の庭先 管理人の☆ウリエル☆です♪瞑想歴27年、オーラ見える歴25年、ヒーリング歴26年、浄霊歴23年、オーラ視、浄霊、ヒーリング、などなど、いわゆる霊能力と呼ばれる力を持っていて、占星術など占いの分野やオカルトなど、スピリチュアルな分野に精通しています。 これまでの人生でのスピリチュアル体験から得たことを記事にしています♪ 関わる人全てに豊かになって欲しい。それが私の願いです。 <strong>霊能力が身についたキッカケ</strong> 霊能力と呼ばれる力を手に入れるキッカケは、21歳の時に霊的な師と出会い、ヒーリングを受けた事でした。 私をヒーリングしてくれたその方は、世界を旅しながら無料で奉仕やヒーリングをして生きている方で、日々何十人、何百人と癒していました。その方との出会いをキッカケに、私自身にもヒーリング能力が身についたり、オーラが見えはじめたり、体外離脱を体験したり、成仏出来ない霊を救う能力が発現したり、様々な霊的な体験をしました。それら体験は、この天空の庭先にまとめられています。 <a href="https://arcangel.jp/experience/">体験談</a> <strong>天空の庭先オープン</strong> 2004年に楽天ブログで天空の庭先がスタートしました。 本業はデザイナーで、ふつうに社会で働きながら、平日の夜や週末の休みを利用して、霊的な疑問や相談にお答えする活動をしてきました。 今日までの天空の庭先の歩みはアーカイブのページにまとめられています。 <a href="https://arcangel.jp/archive/">ブログアーカイブ</a> 「☆ウリエル☆」というハンドルネームは、宇宙の運行や浄化を司る天使の名前を借りました。横の2つの☆は当時の楽天ブログでウリエルというハンドルネームがすでに取得されていたために、仕方なく横にくっつけたのですが、この☆のおかげで姓名判断や数秘術でとてもよいハンドルネームになりました♪ 「天空の庭さき」というブログとサイトのタイトルは、天の国のかたすみ、みたいなニュアンスで命名されました。 私は本当の「天国」や「楽園」は、それを求める人の心の中にあるものだと思います。ここを訪れる人たちが豊かで美しい人生を歩むヒントをみつけてくれたらそれは私にとって幸いです。  

プロフィール



関連記事一覧

  1. blankぽぽぽ

    いつもありがとうございます。

    神に祈るという事は、本来は神である自分に祈っているのだと思いました。

    「どんな時でも、否定する人ではなく、祈る人であってください。」このフレーズが響きました。

    今日はというか最近気がつくと、他人をジャッジしています。。
    人は自分の鏡、という事は結局、自分を否定しているのだろうと思っています。

    全てに意味があるのだから、このジャッジも私には必要なのでしょう。

    空の天気のように移り変わる心の中を、雨だから悪いと判断せず、そのままを感じられる練習中です^ ^