大人のおねしょをスピリチュアル的に説明
おねしょは子供がするもの、と思われがちですが大人でも悩まされてる人は数多くいます。
子供のおねしょは成長と共になくなっていきますが、大人になってもおねしょがなくならない人もいます。
なぜ?大人のおねしょには、医学的な背景とスピリチュアルな背景それぞれ存在します。
結論から言ってしまうと、大人のおねしょのスピリチュアルな理由は、幼少時代に感じた強い不安やストレス、トラウマが癒やされぬままに成長したことです。
【目次】
おねしょとは?
だれでも赤ちゃんのときはおむつをしていますし、おむつが取れても幼少期はおねしょをします。
その頻度は成長と共に少なくなっていきますが、その頻度がなかなか減らない、5歳以降でもおねしょが月に1回以上、3ヶ月以上続くと「夜尿症」とよばれ精神的にしろ肉体的にしろなんらかの問題を孕む症状として定義されます。
おねしょは5歳前後で20%の子がしていて、小学校低学年でも11%程度はあるそうです。
小学校高学年でも5%程度、成人しても1%の人は続くそうです。
高齢者と子供を差し引いてザックリ数字した場合、70万人程度いるような計算になります。
とまあ、ここまでが一般的な大人のおねしょ(夜尿症)のお話です。
大人のおねしょには医学的な原因もいくつかあるため、すべてがスピリチュアルなことに起因するわけではありませんが、それでもやはりスピリチュアルなことに原因がある場合もありますし、もし大人のおねしょでなやんでいたなら、そこを改善できれば状況が大きく変わることもあります。
なので、ここからはスピリチュアルなアプローチをメインでお話で進めていきたいとおもいます。
いちおう老人ではなくもっと若い方々を想定しています。
大人のおねしょのスピリチュアルな理由
まず前提として知っておいて欲しいと思っていることがあります。
大人のおねしょは、わりとありふれている、よくある症状であるということ。
そしてそれは恥ずかしいことでもなんでもないということです。
足が速いとか遅いとか、片付けがうまいとか下手とか、数学が得意とか苦手とか、足が長いとか短いみたいなある意味で言えば人間の個性(個体差)です。
大人のおねしょに関しては育った環境に起因する場合もあったり、過去の経験に起因していたり理由はさまざまです。
どうしても現代においては「健康でトラブルがない」状態にみえることが「普通」といった基準になりがちで、医療機関をたよると個性(個体差)にも病名がついてしまいます。
繰り返しになりますが、個性(個体差)です。
悪いことでも恥ずかしいことでもないと認識してください。
大人のおねしょのスピリチュアルな理由
まず結論から申しあげると、大人のおねしょのスピリチュアルな理由は3つあります。
- 緊張状態
- 心の傷
- 愛の不足
そしてこの3つの理由はすべて繋がっています。
愛の不足が心の傷そのものでもあり、愛の不足が心の傷が癒やされない原因であり、心の傷がもたらす緊張状態が日常化していることによる肉体への影響が大人のおねしょの原因となっています。
大人のおねしょをは自分でさえも自覚していない緊張状態を緩和すれば頻度も減るでしょう。
原因を遡っていくと緊張状態をうみだしているおおもとの心の傷(トラウマ)があるはずなのでそれを解消することで緊張状態から解放れます。
心の傷を癒やすためには、自己肯定や自己愛、他人から受ける愛が必要です。
緊張状態とおねしょの関連性
睡眠は膀胱(ぼうこう)の緊張がゆるみ、目を覚まして活動している昼間とくらべると1.5倍程度の尿をためておくことが出来ます。
よく緊張するとおしっこをしたくなるみたいな話しがありますが、その話しは本当で、緊張をすることで膀胱(ぼうこう)が伸縮し、貯めておける尿の量が減ったり貯まっている尿が押し出されるというわけです。
そして睡眠時は脳の下垂体後葉から抗利尿ホルモンが分泌されます。
このホルモンによって睡眠時は体内でつくられる尿の量が少なくなるため長い時間トイレにいかなくても朝まで寝ていられるわけです。
つまりとてもシンプルに言うなら、
緊張しているとおしっこがでやすくなる
ではどんなときに心や体は緊張するのでしょう?
学校や仕事での心配ごとやストレス、心や体への負担が増えることで緊張は増し、その緊張の強度によっては誰であれ大人でもおねしょをする可能性はあります。
大人のおねしょは成人した人でも100人に1人程度の割合でいる感じですが、一人で悩んでいる人もたくさんいるでしょうから実際の割合はもうすこし多いと思います。
大人のおねしょは過去のできごとや育った環境など理由はさまざまですが心と体の緊張のベースのレベルを引き上げている原因となることがなにかしらあり、そこに日々の心配やストレスが加算されて睡眠時の膀胱が緊張で収縮しおこります。
ちなみに私は大人になってからというのはなかったですが、家庭環境が特殊だったこともあり9歳ぐらいまではたまにおねしょしてました。
家は借金だらけで、おねしょをすると父親にはキツく叱られたので、子供ながらに常に緊張状態だったとおもいます。
ですが振り返ると、おねしょは恥ずかしいこと、おねしょはダメなこと、そういった周りの刷り込みや自分の思い込みが一番の悪影響であったと思います。
心配やストレス、心身への負担を減らすだけでも頻度は減るはずなのでまず簡単に出来ることとしてはリラクゼーショングッズを使ってみたり、アロマなどもオススメです。
不安、ストレス、心の傷とおねしょの関連性
もっともリラックス出来る空間ってどんな空間でしょうね?
広くて綺麗で防音されていて、うるさくしてもOKで、となりの部屋の音も聞こえてこない。
自分ひとり、もしくは完全にこころを許せる相手といっしょにいて寂しさもない。
そんな感じでしょうかね?
部屋が狭くて壁の向こうの音が気になったり、隣を気遣ってもの音が立てられなかったり、そんな窮屈感だけでも人間の心身の緊張のレベルって変わったりします。
結婚して家庭に入ると自分の部屋を持たない(持てない)主婦のかたも結構います。
夫が出勤して子供が学校に行って家事と用事をひととおり終わらせて、緊張から解放されて一人でゆっくり出来る時間はごくわずかみたいな。
なにが言いたいかというと…
人間は大なり小なり、緊張感をもって日々の生活をおくっています。
そして緊張のレベルはひとそれぞれです。
じつは似たようなことが自分の記憶の積み重ねや心のなかでも起きています。
それが心の傷(トラウマ)です。
たとえば子供の頃にひどい家庭環境で育ったり、虐待やいじめを受けたり、ひどく自信を失うようなできごとがあったり…
これら心に残っているできごとは自己否定につながり、それが他人や社会にたいしての不安となり心身を緊張させます。
人間は過去のできごとや経験によって、日々の生活でもつ緊張感のレベルが大きくかわるのです。
簡単に言えば、世界はとても愉しく素晴らしいと思っている人と、世界は残酷で痛く苦しいと思っている人では
生きるベースとなっている緊張のレベルがことなりますし、家の玄関の外に出ることでさえも緊張のレベルが異なるということです。
もし大人のおねしょで悩んでいたなら、緊張の源となっているものを探してみてください。
トラウマを解決する方法はその時の感情や想いを消化することです。
トラウマの種類もさまざまでしょうが、「許す」「手放す」「愛する」といった想いが鍵になるでしょう。
相手を許す、自分を許す、そして想いや感情と一緒に記憶を手放す、手放せたら愛で満たす。
ここでお話しするにはちょっと大きすぎるテーマですね。
愛の不足とおねしょの関係
おねしょの原因である緊張を感じることのない最高の状態とはいったいどのような状態でしょう?
赤ちゃんであれば母親の胸に抱かれて身近に母親の純粋な愛を感じているときではないでしょうか?
それは子供も大人も、何歳になっても本質はかわることはありません。
家族、友人、恋人、伴侶、なにものでもかまいません、自分に純粋な愛を感じさせてくれる人、与えてくれる人、もっと言えばそれが人でなくとも愛に満たされてさえいたなら自分を解放できるはずです。
遠く離れていてもだれかの励ましや祈り、愛を感じていられたなら私たちは身構えた体をすこし緩めることが出来るでしょう。
赤ちゃんが緊張するのは母親の手を離れたるとき。
腕の中で眠った赤ちゃんを布団やベットに寝かせようとしたとき、まるでセンサーでも付いているかのように目を覚ましてぐずり始める、親であれば誰でも経験があると思います。
幼児期、繋いだ手を振り払って走り出そうとも、反抗期になろうとも、子供は親の愛なくしては生きられないからいつでも愛を求めています。
愛の不足が心配や不安が緊張のみなもとであり、虐待にしろいじめにしろ、愛から離れた行為、愛と真逆の行為が心の傷(トラウマ)の源です。
愛さえ十分に得られたなら、愛に満たされることが出来たなら、もしこの世界があいに満たされた優しい世界なら、心配も不安も自分を傷付けるものもないでしょうから緊張からも解放されるでしょう。
ですが、この世界はそんなに優しくはつくられていないです。
大人のおねしょで悩んでいる人はまずは自分を愛し、人を愛してください。
もしまわりに大人のおねしょでなやむ人がいたら愛してあげてください。
大人のおねしょだけでなく、この世界で人間がかかえるほぼあらゆるトラブルが本質的には愛の不足に起因していますから、
心を清めて愛を持って生きることをみんなで実践しましょう♪
この世界はそんなに優しくはつくられていないです。
母に言われた言葉を思い出しました。
「そんな純粋じゃ、世の中渡っていかれない」
「きれいごとだけじゃ、生きていけない」
人生の先輩として、少し?馬鹿にしたような口調でした。
私は思います。たくさん我慢をして、寂しくても甘えることもできず、歯をくいしばって孤独に闘い乗り越えて得た強さ?が、自信?が、この結論を母の中に生み出したのだなぁと…
母が悪い訳ではないと…
優しくつくられていない世界、ならば皆が優しい世界を、強く強く想ったら、魔法のように一瞬で叶えることは難しくても、きっと優しい世界につくり直すことができると私は信じ続けます☆
全ての人の真の目的が、公平に公正に目指せる、素晴らしい学びの場(世の中)になれた時が優しい世界達成!でしょうか?
心の傷、痛み、苦しみが、癒える、癒される、誰かや何かに、それぞれの人が出逢えますように☆