鬼滅の刃は低級霊界に通じる作品?スピリチュアルな事実はいかに?
鬼滅の刃は低級霊界や地獄に通じる作品… 詳しいことは知りませんが、スピリチュアルな界隈ではそんな風に言っている人もいるみたいですね。
さて、それは事実なのでしょうか?アニメ作品が低級霊界に通じているなどということがあるのでしょうか?
結論から言うと、鬼滅の刃に限らず霊的な存在やテーマを扱った作品にはたしかに「霊的な感性」を強める作用があらわれる場合もありますが気にするようなレベルではないです。
そしてそれは…
作品にではなく受け手により大きな理由があると言えます。
○○○○は低級霊界に通じている… 私に言わせるとこの言葉のフレーズってまたか… いつの時代もこんなこと言う人いるよな… って感じです(笑)
【目次】
鬼滅の刃は低級霊界や地獄に通じてる?
鬼滅の刃は低級霊界や地獄に通じている…
こんな言葉を知ったのは、前回記事のコメント欄からでした。
そんな話があることを書き込んでくれたのですが、いつの時代にもありますね、○○は低級霊界に繋がってるみたいな話し。
さて、低級霊界ってどこにあるのでしょうね?そこにはどれぐらいの数の霊がいるのでしょうか?全部悪い霊なのでしょうか?
言ってる人は低級霊界を見たことあるのですかね?
アニメ作品から通じているところをみるとほかにも色々通じているものがあるのでしょうか?なんならどこかに出入り口があって行けるとか?
もし出入り口があるなら作品よりもそっちの方が危険ですよね。
低級霊界とか地獄に通じてるって… 低級霊界と地獄は同じ場所なのでしょうか?それとも別の場所?結構違いそうなのですが…
低級霊界に繋がるとなにが起きるのでしょう?どれぐらいの被害者がいるのですかね?(笑)
そしてちゃんと自分で作品を見ての体験や評価なのでしょうかね?
スピリチュアルな界隈でよくあることですが、目に見えないことで検証が難しいにもかかわらず、要件を定めないで話しだけが進み、広がっていく…
これと似たようなことを知ってます、それは子供の世界で広まる子供の嘘です。
では鬼滅の刃は安全で悪影響がないのか?
冒頭でも言いましたがこれは完全に受け手次第です。
鬼滅の刃という作品の影響
霊的な存在やテーマを扱った作品が霊的な感受性を育てるということは確かにありますが、そこには個人差があってほとんどの人にとって取るに足らないと言っておきます。
では実際にどの程度の影響があるかについてですが、ひとつたとえ話をしますね。
たとえば、食と健康の本を読んだ後ってしばらくは食や健康に気を遣いませんか?
ダイエットの本を読んだ後、筋トレやストレッチの本を読んだ後、本の内容に感化されたり共感したりして本書いてあることにしばらくは影響されると思います。
鬼滅の刃についても同じです。
残酷なできごとに登場人物がみまわれたり、鬼が人を食べたり、血みどろの戦いが繰り広げられたり…
人間の獣性や低位の意識を刺激するような要素はたしかにありますし、その点に影響されればしばらくは何かしら心や精神に影響はあるかもしれません。
ですが、多くの人はこれを「作品」として見ています。
そして作品全体として見た場合には、多少のギャグ要素があったり、美しい作画があったり、音楽があったり、物語の内容においては主人公の心の優しさ、苦難に自分の内の勇気を振り絞って戦うさま、信じることや正しいことのために命さえなげうって戦う姿勢、そうした良き影響もたくさんあるでしょう。
映画をみた多くの人が、感動した、最後泣いてしまったと言います。
多くの人は残酷なシーンではなく、主人公や周りをとりまくキャラクターたちの心や想いのほうに共感できたからこういった良い感想が多く聞けるのではないでしょうか?
いや~鬼が気持ち悪くて人が血まみれで死んでマジ最高!
そんな感想を言う人は多くないと思います。
もしこんな人いたとしたら本人の心や精神の奥底に眠る衝動によるものだと思います。
つまりカルマに起因した本人の問題です。
この世界は二元的で、ほぼ全てに良い面と悪い面が存在します。
どちらに共感するのか、どちらをすくい上げるのか、それは人それぞれであるはず。
そして仮に、鬼滅の刃という作品がだれかの「霊的感受性」とか「残酷性」を引き出す結果になったとしても、そこにはすくなからず本人に起因する原因があります。
低級霊界につながる作品とか、低級霊界につながる番組とか、あなたは低級霊界に繋がってるとか…
いつの時代でもスピリチュアルな界隈にはそんなことを言う人が少なからずいます。
人がなにを言っているかではなく、自分がなにを感じ、どう思うか、自分自身の考えを持つようにしてください。
そもそも低級霊界はどこにある?
霊界は魂の安寧の場所、私たちの魂のふるさとです。
神や愛へむかい一元的に収束されていくこの領域には純粋な霊的な存在がいます。
低級霊界とは、この天空の庭先で私が幽界(アストラル界)という言葉で説明している領域に等しいです。
この物質世界とかさなりあうように存在する霊的な世界の領域で、そこには人間の感情や想念、そして想いを残してこの世に囚われた、霊界に帰ることが出来ない救われない霊がいます。
私は零霊媒体質なのである意味では低級霊界に繋がった人間と言えるかもしれませんね(笑)
ですが、体外離脱で霊界に訪れることもできますし、神に祈れば救われない霊を成仏させるちからも持ってますから、神に繋がった人間であるとも言えます。
これって、実はみんなそうです。
この記事を読んでるみなさんも同じです。私たちは神(この世界の根源的エネルギー)なくしは生きられないのでだれもが神と繋がってますし、だれもが感情や想いが渦巻く低級霊界と背中合わせで生きています。
低級霊界とよばれる幽界(アストラル界)には私たちの感情や心のエネルギーが常に働いているからです。
全部ひっくるめて世界であり、私たちの学びです。
鬼滅の刃を見るべき?見ないべき?
鬼滅の刃は低級霊界や地獄に繋がる作品。
一生懸命に作品を描き上げた作者や、漫画やアニメ作品、映画に関わったスタッフの方々、そして作品を支えるファンの方々に対して根拠を示すこともなく語られたとても失礼な言葉ですね。
これによくにたことがあります。
Aちゃんに触るとA菌がくっつく! みたいな、子供の世界にある根拠のない中傷です。
実際のとこ、私は霊媒体質で、霊が居ればすぐにわかりますし、悪いエネルギーにもすごく敏感です。
そんな私ですが、映画館に足を運んで作品を見ましたが気分や具合が悪くなることもなく、呪われることもなく、低級霊界とよりいっそう深く繋がるとかもなく(笑) まあふつうに見て帰ってきました。
でも残酷な表現やグロイ演出もあるのでエンパスの人はちょっと注意が必要かもですね。
私自身が感じたことは前回の日記にもかきましたが、声優の演技や作品のクォリティーから感じる熱量です。
良い作品をつくろうと力を尽くしたであろう、とても強い熱量です。
鬼滅の刃は低級霊界や地獄に繋がる作品。
なんか、この言葉だけ聞くと、「鬼滅の刃を見ると呪われる」みたいなニュアンスに聞こえなくもないですが、最初に言いだした人はきっと…
悪いものに心を引かれないように、正しい判断と行いをことをするように
そんなニュアンスで言ったのではないかと思います。
それが色々な受けとめられ方をして広まって今にいたってるのではないかと。
結論、自分が作品から何を感じるかなので、低級霊界とか地獄に通じるみたいな言葉から敬遠してた人がいたら自分が見たければ見る、嫌なら見ないでよいと思います。
お話したとおり霊的な影響など実際は些細なもので(笑)
私自身の意見としては作品に含まれるメッセージを正しく受け取れるなら、とくに劇場版は作品としてすばらしいできばえなので是非見ていただけたらと思ってます♪
結局、スピリチュアル的に言うならば大切なことはどんな作品を見たかではなく、日々をどのように生きているかなので(笑)
いっしょに読みたい記事
ウリエルさん、こんにちは。
今日の記事を拝読して、ごめんなさいの気持ちと感謝の気持ちで一杯になりました。
私事ですが、あれから映画を観ましたが胸に響く素晴らしい作品でした。
登場人物の中でもとくに炭治郎さんは、ウリエルさんがいつも仰っている「心を清めて愛をもって生きる」を実践されてるように感じます。
作中で一番涙したのは、炭治郎さんの無意識領域でのシーンです。あまりの美しさに感動しました。
炭治郎の優しさの化身である光る小人たちが、病の青年が精神の核を探していると察するとそこまで案内したシーンが心に残っています。
この作品に関わってくださった方々、記事を書いてくださったウリエルさんに心より感謝いたします。
それにしても、一昔前までは無意識領域だなんてなかなか漫画に出てこない語句だったような気がします。奥深~い作品ですね。
映画の続きのお話もとても楽しみですね。
こんにち和、こんばん和☆
鬼滅の刃は2回観ました♪
ネタバレしたくないので
深くは話しませんが
まだな方はぜひ!観てください♪
主人公の心の在り方にとても惹かれます。
映画全体を通して
憐れみ、応援したい気持ち
正しく、真摯に
もっと頑張っていこう!
そんな後押しもあったように感じます。
その他にも
笑える内容も含まれているので
沢山楽しめる!そんな
とても素晴らしい作品です♪
恥ずかしながら周りに
誰もいなかったら
きっと号泣してますね、はい。。
煉獄も好きになりましたが
富岡さん推しです。
ごめんなさい。
この世界は両極だと思うので
自身がどっちに存在したいか。
迷う事も多いですが
本当は
とてもシンプルな事だと思います。
答えはいつも自分の中に。
ありがとうございます☆
ウリエルさん、よく書いて下さりました。
まさに、地獄に繋がっている女と言われたばかりです笑
映画はまだ見ていませんが、見に行きたいとずっと思っておりました。でも低級霊界に繋がっているとか地獄に繋がっていると言われると見に行けなくなりますね笑
漫画ではなくアニメを見て、本当に技を出す時の映像美、主人公の慈しむ心、鬼でも人として真摯に向き合う姿、心温まる作品だと思っています。低級霊界に繋がる作品がここまで人を感動させることが出来るだろうか。
どんな形であれそこに携わる人達がいて、一生懸命なはず。結局同じ感性のもの同士くっつく世界なのかもしれませんね。だからどのような心であるかが大事なんだなと思っております。
あのコメントを見て、この記事を読むまでの間ずっと悶々としていました。
鬼滅の刃を見て悪い世界と繋がるかどうかは受け取る人の気持ちの問題じゃないの?
なんで凄く大好きで思い入れのある作品をそんな風に言われなければならないのか?
何の根拠があって低級霊と繋がるなんて言っているのだろうか。
とてもとても悔しくて悲しかったです。
でもこうして記事にしていただいた事で救われました。
ウリエルさん、ありがとうございます。
日々ウリエルさんの記事を読んで学ばせて頂いています。
これからもブログ等活動を応援しています。
ウリエルさんこんにちは。
鬼滅の刃、子供たちにも大人気ですね。
先日知り合いの5歳の子に某寿司チェーンでもらったコースターをあげたら大喜びしてました。
私の考えだと低級霊界も上級霊界も現実世界も重なって同じところにあるイメージなので何かきっかけがあると
どこでも扉は開いてしまうっていうのは分かる気がします。
ただ、これだけ愛されてる作品が霊界につながる?
言い方は悪いですがやっかみや妬みからのこじつけにしか思えないです。
世間には霊界や死者を扱った作品も多いですが小説、漫画、アニメ、ゲーム等がきっかけで障りが来たことは一度もないです。
聞き流すのが一番でしょうね。
皆さまのお言葉は美しくて心にしみます^_^
鬼の眼にも泪…。
実は今、私の課題なのです。
世代の違い、国の違い、環境の違い。カーストとか人種とかありますよね。
いかにしてその異なった人々の心の持つ神さまと繋がれるか。「鬼の部分」でなく。
毎日考えながら悩まずに試しております。
その為には自分自身がなるべく高い次元の力をお借りできるかどうか。忙しいけど瞑想や祈りで浄め、愛し、試みます。
こんにちは!
私もその方のブログを拝見していましたが、鬼滅の刃以外のことでも、既にどこかにある情報を以って、自分が予言していたことが現状となりました、のような記事の書き方に疑問を持ち、最近は見なくていいかな、という判断をしました。
鬼滅の刃は、全巻読みました!
あの世のことや、転生のことなども描かれていたり
また、極めた剣士を“柱”と呼んでいることも、日本の神仏や見えない世界を理解した方が書かれていると思う一方、人であるのに柱という部分については、自己犠牲を伴い人間を救うものという悲しい意味合いがあるのではないかとも思います。
そして、炭次郎の極めて日本人的な性格、古き良き日本人の姿を描いているように感じます。その中で、炭次郎が罪深き鬼に寄せる優しさに涙します。鬼も現代社会で取り残されてしまった人、我欲や執着によって鬼のようになっている人を表しているのではと。その魂の救済を炭次郎が行っていて、これは今を生きる人へのメッセージでもあるように思います
ウリエルさんの記事を拝見し
与えられたもをどう捉え何を学ぶかが大切
という答えに、ものすごく納得をしました。
(その方の記事を見てモヤモヤしていたこともあり(*´ー`*))
素晴らしい見解をありがとうございます!
追伸させて下さい、思い付いたので。(思いつく→閃き☆?)
仏教の神さまの鬼子母神は鬼でしたがその絶大な力を使い子どもを護る存在になりました。
鬼子母神(女性)も、鬼の部分、神の部分をお持ちで、時々鬼に戻りそうになった時は仏様から与えられる知恵で切り抜けていらっしゃる、辛抱強い方です。
ウリエルさん、皆さん、こんにちは。
大好きな友達が鬼滅の刃いいよー。と、ずっと勧めてくれています。
でも、コロナ渦の影響で仕事が倍になってしまって、
まだ映画どころかアニメもまだなのですが。。友達のお墨付きとこれだけの人気で、良い作品なのだろうと勝手に思ってました。観ます!笑。
こういった作品は、受け手次第。よく言ってくださいました!
私は、癒し系も、もちろん大好きですが。。癒し系じゃないジャンルの映画や音楽、結構好きです。低級霊界を絵にしました!みたいなバンドTシャツも密かに持ってます。笑。(もちろん着ていく場所は選んでますよ。。)
で、一部のスピリチュアル好き仲間に、そんな音楽聴いて、そんな格好してるからー波動が落ちるんだよー。あなたがうちに来ると花が枯れるよ等と言われたことがありますが、、聴いてる音楽と波動、、あまり関係ないのでは。。?と思いました。
そう!ウリエルさんのおっしゃる通り人の作る作品は受け手次第、その通りだと思います。
美しい蓮の花は泥の中でないと育ちませんよね。泥の中で、もがく。。そんな感じの表現があって、でもハスの花が咲いたような美しさもある、そういう理由で、ただ綺麗なだけではない作品にも私は、惹かれます。
安全な場所にいて、泥の中でもがく人を上から見下して醜いというのは、容易いです。でも、それは、愛とは逆の道ではないかなと思うんです。自分も泥の中でもがきながらも、他の人たちにも救いの手を差し伸べられる。。そんな風になりたいなと思います。
ウリエルさん、こんにちは!
子どもの世界こそエグいですよね。(元、幼稚園教諭、保育士です。)
戦いごっこ
がそうです。
沢山の園で経験してきましたが、弁護士、パイロット、医者などの子どもたちが多く通う、あるお勉強幼稚園では、仮面ライダーを全く見たこともなければ知りもしない子がいました。また、公立幼稚園では、争いが良くない、怪我の元になって危ないなどの理由で
戦いごっこが禁止でした。
でも、それってどうなんでしょう。
戦いごっこやチャンバラごっこをしたからといって、悪意たっぷりの野蛮な大人になりましたか?と。
それは狩猟をしてきたDNAからの遊びだったり、悪意と戦うことを怪人と見立てた作品である
とわたしは考えています。
ボクシングや格闘技や剣術はいいけど
戦いごっこはダメって
意味が分からないです。(T▽T)
むしろ、プリキュアや仮面ライダーとか、今の世の中を捉えていいところついてるなーと最近思います。
世の中を悪の物語に書きかえる組織と戦うファンタジー「仮面ライダーセイバー」
地球をお手当てする「ヒーリングッドプリキュア」
おもちゃを売るという戦略もありますけどね(T▽T)
とりあえず、
20年前とは違って、子どもが子どもらしくないのが分かります。
誰かを批判したりいじめたりしていますし、
大人を見下したりもしていますし、
どうなってしまったのか…。
とりとめもないのですが、
鬼滅の刃は大好きな作品のひとつです。
分かりやすくて、キャラがハッキリしていて、声優さん、
映像美がすばらしい。。。
まだ映画行けてないんですけどね(T▽T)
文化のひとつと捉えて
前向きに
日々暮らしていきたいと思います。
本日も、
素敵なお話をありがとうございました♪(*^^*)
鬼滅の刃、見ていませんし見る予定もありませんが、凄い人気になっていることは普通に生活していても分かります。
こちらの記事に対するコメントの数の多さからも、コメントが集まるスピードからも…
音楽や芸術、あらゆる作品はいつの時代もその時代、世相を反映し、必要なものが生み出されているのだなぁと。
どんなことも受けて次第、本人次第、成長の糧として活用できるのか?自分の行いを都合のいいように解釈し、それだけならまだしも、世の中もそれを肯定し、認めてくれているんだと、追い風のように錯覚してしまうのか?
行き着く先はどこなのか?
どこを目指すのかも本人次第ですね☆
今世なのかいつのものなのか?もはや誰にも分からないカルマを、身に受けた時に生まれ出る、自分でもゾッとするような感情を心の中に見つけた時にどうするのか?
解消し、手放し、乗り越えて先に進む!!
大なり小なりそれぞれが胸の内で、日々そんな感情と闘っているからこそ、この作品に感動し涙し、心は目に見えないけれど、自分だけじゃない!みんな一緒だ!繋がっている!を感じさせてくれる。
人の心に大切なことは何か?を問い掛けてくれているように感じました。
なぜか?「因幡の白兎」「情けは人のためならず」と浮かんだので、調べてみました。
「因幡の白兎」はなんだか聞いたことがあるような?くらいでしたが、お話の内容が奥深くて解釈次第で感想も正反対?になってしまうだろうと、今の自分なら分かります。
「情けは人のためならず」は現在半数以上の人が本来の意味と間違って解釈しているとのこと。
自分の解釈は正しいのか?最善の道を選び取り進めているのか?いつも自身に問い掛けながら、その答えはいつも生きていく先に待っていて、何か自身にとってよくないことが起きた(還ってきた)時には振り返り、改善してまた問い掛ける。それを繰り返しながら成長(上昇)していく過程に人間の幸せ、豊かさ、喜びが詰まっているように感じます☆
こんにちは。
同じ絵を見ても受け取り方は千差万別です。
この世に生まれてきたからには光と闇を心の中に持っていると思いますが表れ方は違いますから。
私は光の方に行きたいのですが闇も無視する事は出来ない気がしています。それを知らなければ光の意味も理解出来ないのでは。神に試されているのかもしれません。
闇を知っても光の道に行けるかと。
皆がそれぞれに違って見えるメガネを掛け、自分だけの基準で作り上げてきた物差しと秤を持って、自分が測りたい時だけそれを使ったり、使わなかったりしながら生きているとしたら…?
そうだとしか思えない。
皆が違う。それは個性。素晴らしいこと。
カルマの法則の中に生き続けるのが人間ならば、傷つけ合ったり、貶し合ったり、妬み合ったりすること、負の感情はこれからも必要なのだろうか?
自分が身に受けたことは、誰かに同等に感じてほしい?
辛かったことほど誰にも同じ目には遇わないでほしいと本当に思える?
悪いことをする人が、悪いことを考えてしまう人が、その人だけが本当に悪なのか?
自分はそんなことはしない、言わない、やらない、思わない。
自分がそうでも、自分と同じ「人間」がそれをしているということを、本当に真剣に考えなければならない時がきているように思います。
なので、強い想いを持って「愛」に溢れる世界を、暮らしを、イメージし続けます☆