感受性が強い人をスピリチュアル的に説明すると
感受性とはなんでしょう?「一般的には感覚的に物事を捉える感覚」といったニュアンスで使われている言葉です。
感受性をスピリチュアル的に言うなら、それは単に眼に見える事象をとらえる感覚ではなく、眼に見えない事象を捉える感覚にも関わる言葉です。
そして感受性が強いといわれる人ほど、霊的な感覚も鋭いと言われています。
感受性とスピリチュアル(霊的)な感覚についてお話したいと思います。
【目次】
感受性とは?
感受性が強い人は霊的な感覚も強いそれはそうです。私たち人間は風が眼に見えなくても頬に受けて感じることが出来るように、日常的に眼に見えないたくさんの刺激や情報をその身に受け取っているからです。
まずは一般的に使われている「感受性」という言葉の定義を再確認しましょう。
かんじゅ‐せい【感受性】 の解説
1 外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き。「感受性の強い人」「感受性が豊かだ」
2 病気にかかりやすいこと。例えば、麻疹 (はしか) や風疹などの感染症に対する免疫ができていないため、感染した場合に発症する可能性が高いことをいう。
感受性(かんじゅせい)の意味 – goo国語辞書
ここで言う感受性は、1の「外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き」のほうですね。
同じような意味を持つ言葉に「感性」なども存在します。
感受性をスピリチュアル的に説明すると
感受性とは、「外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き」といった意味の言葉ですが、スピリチュアル的に言うなら外界の刺激や印象は肉体に基づく感覚だけでなく、霊的な感覚によっても感じ取っているため、「感受性」は見えない霊的なエネルギーを感じ取るような人間の感覚や能力にも関係しています。
これと似たような話を、じつは「勘」とか「直感」にかんする記事でしたことがあります。
人間は五感と霊的感覚で物事を捉えているといった内容でしたが、「勘」や「直感」が感覚的に得ている情報から瞬時に深くアウトプットをすることに対し、感受性は感覚的に捉えていることに対してつねに浅くアウトプットしつづけている感じです。
まあ、すごく簡単に言うと「鈍い人」とあるいみ対極的な存在が、「繊細な人」であると思うと解りやすいと思います。
感受性とエンパス
たとえば人の言葉の裏側にある悪意に気付いたり、逆にぶっきらぼうな人のもつ優しさに気付いたり、感覚で捉える力が強いがゆえに人の気持ちがわかったり、周囲や環境の変化、ちょっとした人間の関係性の変化にもよく気がつきます。
察しが良すぎるという意味では、「エンパス」の人とも共通する面も多くあります。というか、感受性が強すぎる人が「エンパス」であるとも言えるかも知れません。
この記事を読んでいる人の中で、自分は感受性が強すぎると感じている人は、エンパスの記事も読んでみてください。
感受性の豊かさはスピリチュアルな感覚の広さ
感受性の豊かさとは、ある意味感受性の範囲の広さと言えると思います。
私たち人間の肉体には五感と呼ばれる感覚があります。視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚です。じつは私たち人間の霊的か感覚にも同じように五感が存在します。
霊的な五感
霊的な視覚とはつまり、オーラを見たり、霊など、普段見えない霊的なものを見る感覚です。普通の人間には見ることが出来ない霊的なものを見る力です。同じように普通の人には聞こえない霊の声や聖霊の声を聞く霊的な聴覚、体に害がある食べ物を瞬時に見分ける霊的な味覚、病気のエネルギーや視者の臭いを嗅ぎ分ける霊的な嗅覚、気やオーラを手や肌に感じる霊的な触覚、人間は肉体の五感と同じように霊的な五感を持っています。
感受性の豊かな人とはつまり、霊的な感覚が浅く広く発達している人であると言えます。
目に見えない霊的な情報を受け取っているため、「目に見えない何か」にたいしての想像力や考察、自分なりの解釈があたえられ、心とアウトプットが豊かになります。
簡単に言うと、霊的な感受性によって、「妖精」「天使」「霊」といった存在を信じたり受け入れやすい心が育まれていくといった感じです。
感受性が豊かな人とは、霊的な感覚を浅く広く持っている人と言えます。
感受性の強さはスピリチュアルな感覚の深さ
感受性の豊かさが、もっている霊的な感覚の広さという話しをしましたが、感受性の強さは持っている感覚の深さであると言えます。
霊的な五感のうち、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚、いずれか一つでも強い感覚を持っていると感受性は強くなります。
例えば霊的な視覚であれば、普通の人が見えないような霊的な存在を見る頻度が増えるわけですから、その経験や考察、そこに働く尊像力によってより感受性は磨かれてゆきます。これは霊的な聴覚など、他の感覚にも共通しています。
たとえば、ほかの人には聞こえない人の声がかすかに聞こえたら耳を澄まして聞き取ろうとするでしょう。人間の想念の仕組みから言えば、霊的な声を聞き取ろうとするほどにその力は具現化し強まっていくことでしょう。
感受性の源である霊的な感覚はどのようにして強くなるのかについては個人がかなりありますが、一番大きな理由はカルマの法則に起因しています。つまり混成でクリアすべき課題に関係して持っている「特別な感覚」であり「個性」です。
感受性が強すぎる
感受性が強すぎるとそれはいずれ「エンパス」となる可能性があり、もっと言うとその延長上に「霊能力」と呼ばれる能力があります。
この記事を書くこのサイトの管理人☆ウリエル☆には霊能力がありますが、私も最初からその能力を持っていたわけではありません。もっと言うと21歳まではわりと普通の人間でした。瞑想を通じて感覚が研ぎ澄まされ、眼に見えない世界や存在を感じ始めることによって「霊能力」と呼ばれる力が発現しました。
これには良いこともありますが、普通の人間として社会を生きるに当たっては弊害になることも多いです。
もし強すぎる感受性に悩んでる人がいたら、その感覚をこれ以上強めたくないという人がいたら、まずは出来るだけ霊だのスピリチュアルだのといった情報から遠ざかるようにしてください。
人間の霊的感覚や霊能力を強める一番の要因は、自分自身の関心とそこに働く想念です。
私が霊能力とそれに付随する人生を手放そうとして時のことが記事にありますので、感受性が強すぎる人は参考にしてみてください。
感受性に乏しい… 感受性を高めるには?
世の中には感受性に強すぎることを悩んでいる人が結構いますが、逆に感受性に乏しいことを悩んでいる人もいます。
感受性の意味とは、
外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き。「感受性の強い人」「感受性が豊かだ」
そしてこの「刺激」や「印象」の中には霊的な感覚からえる情報も含まれている、霊的な感覚は自分の関心や想いによって強まる、というのがここまでの話しだったと思います。であるなら…
感受性を育む物とはつまり、人間の好奇心です。
もし自分が「感受性に乏しい」みたいに思っていて、もっと感受性豊かになりたい、感受性を強めたいなら、好奇心をもつことをオススメします。ただ、私自身が思うのは好奇心って自分が好きな分野以外には働きにくいですし生まれ持ってきた性格によっても好奇心の出方がかわるので興味ないものに無理に興味を持とうとするぐらいなら「感受性」をむりに磨かなくても良いのではないかな?とも思います。適度な感受性は心を豊かにしれくますが、強すぎる感受性は精神や心に害を生み出すこともあるので。
個人的にオススメなのは本を読むことです。
本で得られる情報は眼に見えずに想像するものが多いため、良い本は正しい感受性を身につける手助けとなってくれるでしょう。
感受性のまとめ
とてもシンプルな話しですが、簡単にまとめると「 外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き」という感受性という言葉の定義の中には霊的な五感の感覚も含まれていて、その霊的な感覚が広ければ感情生が豊かで、霊的な感覚が強ければ感受性が強いといったことです。
感受性はとくに「芸術」「音楽」「創作」などに重要な感覚ですが、日常生活のさまざまな局面においても役立ちます。例えば料理、家事育児にも役立つと思います。なぜなら「人を思いやる心」といったテーマであっても、相手や周囲から得られる情報が多いほど想像力の幅が広がるからです。
ただし、強すぎる感受性はエンパスとなったり、霊能力を発現させたり、自分の心や精神に負担をかけることも多いので、もしそういった刺激が強すぎると観じた場合は気にしすぎないようにとくに眼に見えない情報から自分を遠ざけるのが良いでしょう。
感受性を正しく育むのには本を読むことがオススメです。
心を清めて愛を持って生きていれば、自分の感受性がインプットした情報を正しい形でアウトプット出来ます。
こんにちは。
私は子供の頃から感受性が強く人見知りでした。仲の良い近所の友達と遊ぶことはありましたが1人で本を読むのも大好きでした。それが今ではフリーで販売接客という仕事が天職のようになっているのが自分でも不思議です。エンパスで相手の気持ちを受け取りすぎて疲れることもあります。それでも私と出会う人達から学ぶことも多いです。そして本や映画やドラマ、音楽からも多くの学びがありますね。人間って本当に興味深いです。
ウリエルさんおはようございます。
子供時代に親に感受性が強いと言われた事はありませんが(私の父は自分勝手に生きた人なので、感受性と言う言葉さえ知らないと思いますが)自分の言葉を外に出せない子供ではありました。嫌な事があると土手に行って、夕焼けを見ながら物思いにふけり、大人になってからは、月を見ながら物思いにふけり、自分の中の自分と対話することでバランスを取ってたように思います。察しが良すぎて「共依存」「共感力」が強くて、痛い目には随分会いましたが、今は、これが役にはたってると思います。
質問というか「自分自身の関心とそこに働く想念」ですが、昔、タロットを習ってた時に先生にタロットの絵柄、一つ一つに集中する学びの実験で、色にフォーカスする事の実験をしました。外の景色の看板を何気なく観察し、次に目をつむり、脳?潜在意識?に青を思い浮かべて、目を開け外にある看板を見ると、今まで見えなかった、青が直ぐに目に入る。これがカードにフォーカスすることです、と教わったのを思い出しました。そういうことですかね。
今度オーラで試して見ます。基本オーラの色を思い浮かべる事ででるのかを。でも、それってその人の持ってるオーラではないですよね。何だかややこしくなったのでやめます。スピリチュアルは、難しい。自分が体現することは、真実ですが、それを定義するのは難しいですね。ブログ有り難うございます。