瞑想と魔境の意味とは?
魔境(まきょう)とは? もともとは禅の言葉で瞑想者や霊的な修行者が霊的な力を覚醒させていく中で陥りやすい霊的な段階のことです。精神的に不安定になったり、霊的なアンバランスに陥ったり、それが自意識の肥大や広大妄想へと結びつくなど、いずれにしても瞑想を通じて望ましくない否定的な状態や破壊的な結果にむすびくつ危険性が伴う状態や段階であるといえます。
【目次】
魔境とは 魔境の意味
瞑想はマインドフルネスに代表されるように健康効果や心身の効果を得るリラクゼーションに近いライトな健康法としても世の中に広まり、知られるようになりました。
ですが古の時代より行われていた本来の瞑想は、「人間が神に至る」ための秘儀や修行体系として主に口伝や一部の人間しか見ることのできない書として伝えられてきました。
そして魔境とは瞑想によって訪れる一つの段階です。
魔境はもともとは禅の言葉ですが、瞑想が一般化して世の中に広まる過程の中で、瞑想のデメリットや危険性を説明する言葉、「makyo」として広まりました。
そういた背景には、健康効果を期待して行われた「瞑想」によって、否定的な結果、破壊的な結果をうみだした例が存在したことがうかがい知れます。
魔境という段階は瞑想によって霊的な感覚を身に着け始めた人たちに起きる一つの段階ですが、この魔境という段階は瞑想者を闇に突き落とす危険性をはらんでいます。
魔境は主に瞑想時の「幻覚」や「妄想」として説明されています。
最近ではインターネット上には「魔境」に関する説明の記事も多く見かけますが、そもそも「魔境」は瞑想中級者ぐらいに主に訪れる状態ですしそこまでいくのも私に言わせれば中々大したものです。
「魔境経験者」がいたらその方はそこまで瞑想を習得したのですから、ある意味では尊敬に値すると思います。
何が言いたいかというと、本当に瞑想を通じて「魔境」を経験した人がどの程度いるか? という事です。
それぐらいに、世の中で言われている「魔境」は本質を得ていないのです。
魔境に落ちると
さて、では魔境とは一体何でしょう?
具体的に魔境に落ちるとどのような状態になるのでしょう?
これは私自身の経験やこれまでの観察の結果からの言葉になりますが、「魔境」は瞑想を通じて誰にでも必ず訪れる段階であるといえます。
なぜなら、「魔境」を「魔境」たらしめているのは外ならぬ自分自身の未浄化な心の部分だからです。
人間は誰しも、人生を生きることや瞑想を通して「浄化」されていくのですから、瞑想を行う人間は大なり小なり、必ず「魔境」という段階を経験します。
ただし、瞑想は輪廻転生を経て幾世にわたって行うものですから、今世で瞑想を始めたばかりみたいな人はもしかしたら「魔境」を経験せずに今世を終えるという事はあるかもしれません。
それでも輪廻転生を経て瞑想を行い続けていれば、いつかは必ず「魔境」という段階は巡ってきます。
魔境に落ちる人
瞑想における「魔境」に落ちる段階とは主に中級者です。
例えば瞑想を初めて1週間で「魔境」に落ちました。みたいな人が居たとしたら、その人は前世や過去世で瞑想をしていた人だと思います。 本当の意味で瞑想の初心者がいきなり「魔境」に落ちることは特殊なケースをのぞいてはほぼ無いです。
禅などで言われる「魔境」は、瞑想時に見える「幻覚」や「妄想」などの霊的な体験を指し示す言葉ですが、現代では瞑想によって起きるあらゆる「痛み」や「不安」などの否定的な結果、破壊的な結果をも含む言葉になりつつあります。
魔境は具現化、実現する
実際のところ「魔境」は瞑想を通して瞑想者の人生に発現します。
瞑想をすると霊的な力が強まり、それが私たちの「想念」を具現化させるからです。
つまり瞑想によっておきる「破壊的な結果」とは、瞑想者の未浄化な想念がこの世界に具現化した結果なのです。
これは思いは実現するというこの宇宙の法則や私たちの本質がもつ力によってです。
魔境が人生に発現したときにはもはや夢や幻覚の類いではありません。それは現実です。
例えば「霊の存在を信じている」ひとが霊能力を求めて瞑想したなら、「霊媒体質」や霊を身近に感じる現実を具現化させてしまうでしょう。
魔境による現実とはつまり、ある種の精神病、誇大妄想、霊媒体質、前世の記憶、自分は宇宙人だ、天使や女神などのあらゆる想像に取り憑かれている人も、「魔境」が発現した現実の中にあると言えます。
魔境が瞑想者にもたらす否定的な結果、破壊的な結果は主に4つの側面が存在します。
そして未浄化な心や霊性がもたらす痛みや否定心を自ら経験します。
身体的苦痛
痛み、苦しみ、倦怠感などの苦痛
物質レベル:肉体
精神的苦痛
不安、いらだち、鬱、怒り、恐れ、孤独感など
アストラルレベル:感情
社会的苦痛
社会的苦痛、経済的な問題、人間、家族関係など
アストラルレベル:想念
スピリチュアル的な苦痛
生きる意味、死への恐怖、自責、価値観の変化など
アストラルレベルからメンタルレベル
これらは4階層の概念に当てはまります。
肉体的な苦痛は物質界に存在する私たちの肉体に起きる問題です。
瞑想によって身体的な痛みが引き起こる事を体験から知っている人はやはり瞑想の中級者ぐらいからだと思います。
そして心や精神に湧き上がるさまざまな感情があり、仕事、家族、人間関係など自分をとりかこむさまざまな環境や人への想いがあります。輪廻転生、人間の死生観、瞑想によって得る気づきや疑問により自分を省みるスパイラルに陥ったり、急激な価値観の変化に戸惑ったり、良心の呵責に苛まれる人達も沢山居ます。
つまり「魔境」とは「瞑想」が引き金となって起きる、人間のあらゆる肉体的感覚や感情や想いを増大が否定的に働いたときに落ちる状態なのです。それは自分の体や自分の人生に具現化します。
瞑想と魔境が生み出すスピリチュアルな危険性
「魔境」という言葉自体がそもそも危険性を孕む言葉なので、そもそも魔境には危険が満ちあふれているのですが、スピリチュアルな界隈の人が特に陥りやすい危険性をいくつかお伝えしておきます。
もし健康効果を期待して、「スピリチュアルなんて知らないよー」って人がライトな感じで瞑想を始めたなら、魔境によって訪れる現実や否定的な結果も主に「健康面」や「社会的」な事になるでしょう。
何故なら、「魔境」は瞑想者の想いを具現化するからです。
もし、瞑想者が霊能力やスピリチュアルな能力の開発を期待して瞑想を始めたならどうでしょう?
それはつまり、普通の人間が生涯関わる事が無いかも知れない、「悪霊」や「悪魔」を探知したり、関わってしまう土壌を自分自身や周りに具現化させてしまう可能性があるという事です。
特に多いのが「霊媒体質」とか「チャクラのアンバランス」や、「霊能力のアンバランス」です。
ちなみに私は魔境を1~2年程度の時間経験しましたが、まさにこのケースでした。
私の場合は霊を浄化する浄霊能力があった為に、霊を寄せ付ける霊媒の力も凄まじく、魔境を体験した約2年の間には眠れない日々やもう死ぬか?と思った事も多々あり、結果何万という数の霊を浄化しました。
瞑想を行い、「魔境」という段階を迎えた人がすべて私と同じ体験をする訳ではありませんし、むしろ人間と人間の想いの数だけ魔境の種類もあるでしょうからひとそれぞれ異なる経験をするでしょう。
ただ知っておいて欲しいのは、瞑想によって手に入る霊的な大きな力は、それ自体には危険性はありませんがそれを取り扱う私たちの心のほうに大きな危険性があります。
瞑想は必ず心の浄化や愛を育む事と組み合わせに行うようにしましょう。
瞑想の危険性については
そして瞑想が引き寄せるものに関してはこちらの記事に詳しく書いています。
瞑想と魔境の体験談
最後に、この天空の庭先には私が瞑想を始めてから体験したさまざまな事が、体験談として記事になっています。
その中には「魔境」に関するものがあります。
こちらに簡単にまとめて起きますので、よかったら参考にしてみてください。
瞑想の危険性や魔境の危険性について書いてきた上で私はこのようにも願っています。
それら危険性に臆すること無く、心を清め、愛を持って生き、瞑想を行いさまざまな霊的な真実にたどり着く人間が一人でも多く増えることを。
ウリエルさん、皆さん、こんにちは。興味深く拝見いたしました。
霊能力は、全然欲しくありません。笑。本当にいりません。笑。(スピ好きなのですが。。私には、まだまだ霊能力を扱えるだけの高い人間性がないので。。)
でも、仕事や日常生活で貢献できる高い人間性と心身の強さを身につけたくて、瞑想しています。
明らかに初心者ですから、魔境も、もちろん経験ないです。でも、魔境が本当に現れたら、、日常生活に支障が出て、本末転倒になったら、きっと瞑想はやめてしまうかもしれないです。
でも、家庭で、職場で、世界で、平和と愛を表現したいという純粋な気持ちを失わず、その時が来るまで瞑想を続けていきたいなと思います。
Polar bearさんこんにちわ♪
瞑想時を通して発現する能力は、主に過去世で持ち合わせてきたもので、自分の今世の魂のプランに合致するものなので人それぞれ様々です。
第七チャクラが覚醒すると、浄霊のお役目はきっと人生にくっついてきます。担い手がまだまだ少ないのです。
瞑想は続ける事に最大の価値があると私は思っています。
聖書の言葉を借りれば、「求めるものには与えられる」といった感じです♪
ウリエルさん、こんにちは。
ウリエルさんの記事は、勉強になる言葉や体験が盛りだくさんで
いつも圧倒されます。ありがとうございます。
今回も、たくさん勉強させていただいたので、特に心に残った言葉をお伝えしたいと思います。
1「何が失敗だったかというと、霊に対する愛情の無い接し方や、目に見えない良いエネルギーより悪いエネルギーを強く意識しアンバランスに陥っていた点、自分の力や存在を特別視するあまり傲慢になり、誤った使命感を持つに至り、霊の存在や浄霊といった事へ意識が捕らわれた点です。」
私には霊と接するような力はありませんが、
誤った想念を持っていたせいで、悪いエネルギーを強く意識し、誤った使命感を持っていました。
2「自分の心の姿勢や愛に問題がありました。」
想念が現実となって逃げられない状況が続いたおかげで、やっと想念の過ちに気がつき、認識を改めることができました。
3「慰めでも思い込みでも無く、僕はとても自然に、「自分は豊かで幸せ」なのだと想いました。
そして僕は、この「気づき」を一時のものにしてはいけない、そう思い、どうすればこの「気づき」をずっと忘れずにいられるか、自分自身とする事ができるかを考えて居ました。
この頃から僕は、誰とかではなく世界の為にも祈るようになりました。
この世界のすべての人に豊かで幸福な未来がありますように…」
今の私は、この時のウリエルさんのような心境です。
無いと思い込んでいた誤った認識が、こんなにある!と変わりました。
今は、あると気づいたものを片っ端から譲っていきたいと思っています。
また、「無いものを与えるから出てくるんだ」という認識にもなりました。
ウリエルさんのように世界の幸福を願うまで広げていきます。
4「「過去や未来の事を考える自分」を内観しつづけること」
急いで結論出そうとすると、フタをしてしまう結果になることが多かったので
もやもやと内観する時間が多いです。
認識が変わる時が来るまで、ひたすら内観するという感じでやってます。
5「ここで言う集中力は、勉強やスポーツなどで一時的に発揮される集中力では無く、一日を通して絶え間なく続く集中力、日々を真剣に生きる人がもつ生きる事にフォーカスした力です。」
これが普通だという生活をできるよう、努力いたします。
日常の中でも、認識を改められるような機会が度々あるので
内観を続けて行くことが大切なんだなぁと思います。
日常の全部が、瞑想時と変わらない内観の状態でいられるよう、続けていこうと思います。
6「瞑想の危険性や魔境の危険性について書いてきた上で私はこのようにも願っています。
それら危険性に臆すること無く、心を清め、愛を持って生き、瞑想を行いさまざまな霊的な真実にたどり着く人間が一人でも多く増えることを。」
この言葉に、胸を打たれました。
怖いことが起きたって、それは自分の想念次第ですものね。
心を清め、愛を持って生きること、続けていきます。
ウリエルさんの記事のおかげで、
自分の立ち位置、この先の道筋が明確になります。
自分ができたこと、できてないこと、目標となるあり方など、学ばせて頂いています。
いつも、本当にありがとうございます。
ウリエルさんやご家族の方々、このサイトに訪れる方々に、幸福がありますように。
まりあさんこんにちわ♪
たくさん書き込みありがとうございます♪
まりあさんが書き出してくれた記事の文章は、私がみなさんに伝えたくて特別な気持ちを込めたフレーズばかりです。
記事をしっかりと読んで頂いたのだなぁとひしひしと伝わってきます。
この天空の庭先が何かの参考になったのであれば幸いです。
私の言葉に耳を傾けていただき本当にありがとうございます♪
私、寝ながらお経聞いていたらいつの間にか魔境に落ちていて取り敢えず自分の汚いとこだって書いてあったので、どうすればいいか分からなかったですが、 落ち着いた方が良いかなと思って、受け入れた方が良いかな?と思って幾分か落ち着いているのですが、どうすれば抜けられますか?
私はカタレプシーで歩くのが大変な障害者です。あと、魂腐っている様な気がします。
抜けられると言うのは魔鏡からです。