瞑想の危険なやり方と失敗例
瞑想は安全だ、という人も居ますし、私のように瞑想には危険性があるという人も居ます。
「チャクラを開く瞑想法」「夢が叶う瞑想方」「開運できる瞑想法」などなど、世の中にはさまざまな瞑想法が紹介されています。
中にはスピリチュアルビジネスとして、セミナーや商品の販売が目的のものもあります。
瞑想の危険性を訴えるような人や記事などもたまに見かけますが、自分自身の体験を語っているのかもさだかではないような曖昧な話も多いです。
果たして何が本当なのでしょう?
瞑想の危険性について、私の経験や知識からお話しできたらと思います。
【目次】
瞑想の危険は3つ
瞑想の危険性についてですが、私はおもに瞑想による大きな危険は3つあると思っています。
この天空の庭先でたくさん見てきました。スピリチュアルや誤った瞑想によって人生や自分自身に深いダメージを負った人を。
誤った瞑想により、困難にあるような方からも相談を受けました。
私は、人間は何をするにも多少のリスクはあると思います。
例えば、車の運転、スキーやスノーボード、ダイビング、登山など、100%安全という訳ではありません。
ですが、瞑想のリスクはそれら私たち生活や趣味の中にあるリスクとは根本的に違ういます。
それは、正しいと信じられるマニュアルや指導者が極端に少ない事。
そして、自分自身の身体や人生が道具になるという事です。
例えばですが、私は自宅のネットワークを自分でわりと複雑に組んでいます。
あと、パソコンも詳しいので自分で本体をバラしたりカスタマイズや拡張したりもします。
ですが、それで飯を食べてるプロでは無いので、自分のレベルを超えたトラブルが起きるとお手上げです(笑)
まあ、いじくってるのは「物」なので、買った部品がたまに無駄になったり、壊れたものを買い直したり、損失はその程度で済みます。
なんでそんな話? と思うかもしれませんが、つまり私がお伝えしたいことは…
瞑想でも、あるいは「霊能力の訓練」や「呼吸法」でも、自分の身体を使っているというです。
機械や家電と違い、うっかり扱いを間違えたり、壊したときにはそれが自分の心身だという事です。
何事にもリスクはありますが、無防備に取り組むのでは無く、リスクを知ってリスクヘッジを行った上で取り組むのが良いです。
さて、本題ですが…
瞑想に潜む大きな危険性は3つです。
- 瞑想に関する正しい知識や情報が少ない
- チャクラやエネルギー体を傷つける可能性がある
- 想った事は実現するという力がマイナスに働く
自分の心身や人生を壊しかねない事なので、どうかぜひ、私の言葉に耳を傾ける時間をいただけたらと思います。
瞑想に関する正しい知識や情報が少い
正しい知識や情報が少ないだけならまだしも、誤った情報が蔓延しているのが現状です。
瞑想に関する知識やそのノウハウに関して、瞑想やそれに関連するさまざまな技法は、もともとは霊的な能力を持つための修行の一環であったり、霊的に覚醒するために秘法でした。
仏教やそこから派生したさまざまな宗派、ヨガ、シャーマン、古い魔術の体系のなかでも瞑想やそれに類する体系はずっと存在してきました。
昔は霊的に強い力を持つ子供はお寺や教会に預けられる事はよくありました。霊的に強い力を持つ人間は同じ資質を見抜きます。
そして、霊的な力を学んだり扱ったりするためには、心の、場合によっては身体の鍛練と組み合わせで行われてきました。
それ故に、霊的なさまざまな問題を解決するのは僧侶や神父など、心と霊的な力を磨いた人達であったわけです。
(少しだけ話がそれますが、私の母はその土地の大地主の家に生まれましたが、2歳の時にカトリックの孤児院に連れて行かれました。そういう事や話が分かる人達によってそう決められたようです)
今はインターネットが普及している現代で、欲しい情報は大抵手に入ります。
ただし、ディスプレイに文字や画像が表示されているだけなのでその情報が正しいかどうかを判断したり、かみ砕いて理解するのは自分自身です。
瞑想のやり方を見つけたなら、指導者もおらず心や体の鍛練など関係なく、今すぐにでも始められます。
霊能力の修行法も同じです。
私たちは、ライオンという生き物を知っていますが、ライオンが一日にどれぐらい餌を食べるか?とか、自分とライオンの戦闘力の差は知りません。
私もよくインターネットで調べごとはしますが、もはや情報が多すぎて、欲しい情報を探すのも、判断するのも一苦労です。
私が瞑想や霊能力に関わる情報の取り扱いに慎重なのは、上記のような理由があります。
スピリチュアルな事で言えば、セミナーや物販、アフェリエイトに繋げているような情報は一端慎重に判断してみてください。つまりビジネス絡みです。
こちらのシリーズが役に立つと思います。
チャクラやエネルギー体を傷つける可能性
瞑想や呼吸法、霊能力の訓練などを誤って行った場合に起きます。
おもにどのような時かと言うと、「チャクラや特定部への意識集中」「激しいヨガの呼吸法」「身体に関わるイメージトレーニング」「特殊な瞑想法」「特殊な音のCD」「パワーストーン」などです。
これを見ていくつか知ってるようなもの、あるかもしれませんね。
チャクラ
チャクラは人間の体にある霊的エネルギーを取り扱う中枢です。
チャクラに関しては、これまでチャクラの特集記事などで説明してきた通りです。
スピリチュアルな分野でによくあるのは、額にパワーストーン貼り付ける訓練方法とか、あとはチャクラを下から順番に意識を当てていく訓練法などです。
どちらも正しく行えば危険はありませんが、チャクラの場合は正確な位置であったり、あと肉体的に何かトラブルがある場合はチャクラに対するアプローチも少し変わってきます。
ヨガの呼吸法の激しいもの
上級者向けの呼吸法はチャクラやエネルギーラインに負担が大きいです。
テンポ良く強く呼吸を繰り返すようなものや、息を吐く時間が極端に長いものは注意が必要です。
筋肉のように徐々に鍛えていくのであればあるいは大丈夫かもしれませんが、初心者がネットで情報見てすぐ試してみるとかは危ないと思います。
複雑な瞑想法
瞑想は深まるほどシンプルに、あるいはシンプルなほど深まると思います。
色んな人が○○瞑想とか、○○呼吸法とか考案して広めだして、ビジネスにしたり、いずれにしても大層な名前のついてる瞑想法や、手順の多い瞑想法は効果は薄く危険性が高いので、そういった事を教える人には関わらず、あまり複雑な瞑想はチャクラやエネルギーラインに悪影響が出る可能性があるのでやらないほうが良いです。
景色も見えないぐらいに ぼーーーーっとしてる あの感じが瞑想状態です。自分でその状態を目指すなら、お金払って学ぶまでもないと私は思います。
特殊な音、CD
クリスタルボールや音叉、特殊な周波数の音源、CDなど、色々とありますが、これらが悪いという訳で無く、言われているほど効果があるものではないと理解してください。
アイテムを使っても何の変化も得られない人は沢山いますが、中には劇的な変化を体験する人も居るようです。
実はアイテムを使って大きな変化を体験した人の多くは、元々本人が資質を持ってる場合が多いです。
つまりはアイテムの力ではなく本人が過去世から積み上げてきた力って感じです。
アイテムの良くない理由は、チャクラや身体への意識集中のメゾットと組み合わせになっている事が多いのと、過剰に使いすぎる可能性がある点です。
パワーストーン
これも度々話してきて、もう言い尽くした感もありますが、いちおう書いておきます。(笑)
人間と石には相性があるので、石が持つエネルギーの性質や、人間との相性が解らない場合、解る人が身近に居ない場合は使用は控えた方が良いでしょう。
想った事が実現するという力がマイナスに働く
この天空の庭先でたびたび説明されるのは、私たち人間は神から生み出されて、魂は神と同じ性質のもので、私たちは神と同じく「創造」の力と「自由意志」を持っているという事です。
そして「創造」の力の物質世界への表れが、「想念の力」です。
「想いは実現する」過去の多くの偉人が口にしてきたこの言葉の背景には、この世界の法則や、その法則従った霊的な概念が存在します。
もし私たちの心が完全に清められていた、愛によってのみ生きていたのであれば、瞑想の危険性の多くを避けられると思います。
逆に、欲望や我執を持った状態で瞑想をすれば、さまざまな危険性があります。
想念は私たちが日頃から想うものを実現します。例えばですが、誰かを強く憎む気持ちを持ったまま、瞑想をして霊的な力が強まったとします。
心に憎しみを持ち、自制もきかなかった場合は、憎む相手に強い呪いを与えてしまうかもしれません。
場合によっては病にしてしまったり、死に至らしめる可能性だって0ではありません。
瞑想の危険性の中では、最初に、しかも簡単に起き得るのが「強まった霊的力で誰かを不幸にしてしまう」事です。
それはもしかしたら親しい家族かもしれませんし、あるいは自分自身かもしれません。
霊能力欲しさにオカルトをかじって、瞑想をして、霊媒体質になってしまう人も居ます。
心を清めて愛を持たないで、「想いを実現」させてしまうと良くないことが起きます。
最後に
瞑想を行う危険性は、「瞑想」そのものにあるのではなく、私たち自身の内に潜んでします。
それは、霊的に無知であることかもしれませんし、愛よりも力を求める心かもしれません。
瞑想を行うのに、「動機」はひとつ、とても大切な事だと言えます。
そして、「心を清めて愛を持って生きる」ことで、瞑想の危険を遠ざける事ができます。
瞑想の危険性についての話は一端ここでおしまいですが、私の知る瞑想に関わる失敗のエピソードを載せておくのでよかったら参考にしてみてください♪
天空の庭先の常連様は、このサイトの何処かで見た事があるかもしれませんが。
愛よりも霊能力を求めたケース
実は若い頃の自分は微妙にこのケースに該当するんですよね… 魔境の前後です(笑)
子供の頃は家にあるピラミッドにおでこ当てた事もありましたし…
ここで例に上げるケースはもっと酷いケースです。
ある人が霊能力ほしさに霊能力開発に関わる5番目と第六チャクラに意識を集中して、霊感が手に入るにつれ慢性的な頭痛と吐き気がするようになりました。
その人はついには日常生活に支障をきたすようになりました。癒しの力や自衛能力が開発されてない事による弊害と思われます。
霊とコンタクトを取りたい
瞑想を始める動機に、霊能力を身につけたい、死者とコンタクトを取りたいというものは多いです。
実際私自身、何度も質問された事があります。
死者の霊については、私たちの世界に最も違い見えない世界、幽界にたくさん存在します。
霊とコンタクトを取りたいといった動機で瞑想を始めた場合、最も多い弊害は「霊媒体質の形成」です。愛や神を求めずに、こういった力だけを求めてしまった場合、霊を引き寄せるが自分では浄化ができないという厄介なケースに陥ることがあります。
瞑想で夢を叶える 瞑想で願望実現
大金を得るために瞑想をしてた人の話ですが、も霊感の開発が進み強い想念を持つようになり、有る日、念じた思いが具現化して思いもかけない大金を手にする機会が訪れました。
それは両親の交通事故によって手に入った保険金だったのです。
正しい動機で行われない限り正しく報われることもないと言う事なのでしょうかね。
精神的な成長が伴わない強い念
自分の嫌いな人の不幸を考えてしまったり、自分を傷つけた人間を傷つけかえすような想像をする。そんな未熟な精神のまま強い念だけ手に入れてしまうと、うっかり相手を呪うような事を強く念じてしまった時、その念はその相手を不幸にするような方向に力を加えてしまいます。
その力が相手を病気などに追い込んでしまったりもします。つまり、呪いです。生き霊などが人に障りしてるケースもこれと同じです。
例えば霊が見えるようになってもそれに対処ができなければ困りますよね?
霊的な夢を見ても解釈で来る認識や理解が無ければやくたたずです。
瞑想に不純な動機、私利私欲がからむと霊的成長にアンバランスを生み出すので瞑想は正しい理想と動機によって行う事が必要です。
それによって全てのチャクラがバランス良く開発されていけば、「力」「想念」「感情」「愛」「意志」「霊力」「神性」全てがバランス良く強まっていきます。
「自分自身の健康の為」「周りの人々を癒したい」「人の役立ちたい」「もっと自分を成長させたい」「世の中を良く変えたい」動機と理想が高いほどエネルギーの経路は純化されチャクラも開発されていきます。
そして自己の成長や身につけた新たな自分の力を理想に準ずるかたちで役立てればさらなる成長にやくだつでしょう。
そして究極の動機と理想は 「自己の魂がいつか神の随伴者になること」「世の全ての魂がいつか神の随伴者となる事」
もし全ての人間が すばらしい愛を持った美しい心の人間になったなら、どれだけ優しい世界がそこに存在する事になるのでしょう。それは誰もが争わず傷つかずにすむ楽園のような世界です。
この地上は地上でありながら天国のような楽園に変わるに違いないのです。
瞑想は必ず、愛と自己浄化、自己の成長と理想のために行ってください♪
霊感の悪い例 オマケエピソード
霊感で競馬を当てた我が母の話です…
当てちゃったんです、実験的に霊感使って当てて1000円が4万円に(笑)
それから一ヶ月後の事です。
支払いのために封筒に入れてたお金約4万円が紛失してしまって…(笑)
母が言うには霊感を悪く使っちゃダメだという警告でこのような事がおこったに違いないと言ってますが、どーなんでしょう…
封筒のお金は結局みつからず終いです。
身内の事だけに逆にこれは単なる偶然だろ? みたく思ってしまいますが(笑)
でも確かにこんな経験、私もした事があります。
瞑想は人の霊的力を強め、具現化や実現を可能とさせますが、どのような現実を創り出すかは、その人の心、もっと言えば霊性によるのでしょう。
お世話になります
前回のコメントで書かなかったのですが…実は私が学生の頃、引き寄せの法則にハマってまして、それを使って麻雀大会で四暗刻(滅多に出ない、最高の役)を上がって役満賞の高級サイフを当てました!
イメージ通りになって感動したのですが、数日後に仲間と麻雀を打って大敗し、2万円(丁度サイフ代)を一瞬で失いました(泣)
その半年後、会社のイベントでビンゴ大会があって、そこでも引き寄せの法則で欲しかった5万の折り畳み自転車を当てました!!
しかし、その1ヶ月後に盗まれました…
それに懲りて、もう引き寄せは使わなくなりましたが…ある人いわく
「お金は人の心が集約されたエネルギーだから、受け取るには自分から先にエネルギーを出さないといけない。先に払わなければ、後で必ず代償を支払うハメになる」
と言われました
カルマというより、エネルギー保存則みたいですね
tafuさんこんにちわ♪
私の母と同じような話しですね(笑) 解りやすい現れ方の一つだと思います。
私は同じようなことが、よく人間関係で起きました。
人を傷つければ傷つけられるし、人を助ければ自分も助けられるという事なのでしょう。
お金は物質と仕組みで、それに対して人間の感情や想い、想念があり、私たち人間はお金に対していだいた自分自身の心とカルマの法則を通して向き合う。
私の中ではそんな感じです。
与えれば与えられるのも法則ですね♪
反省。自分の悪い想念が現実化して、びっくりした事、多々あります。
清らかなところと、見せられない汚い部分が一気に表面化したというか。
無知と、相談相手いないのと、極端な思い込み激しい性格など、愛という言葉に対して拒絶反応でたり、色々揃ってしまったのですね。
エネルギーは何だか残留するし、そんなつもりじゃなかったと、キャンセルしようにもどうすることもできず。
とにかく、心を清めなきゃと焦って浄化情報を集めたり諸々実験?取り組んでみたこともあります。
それにしても、話は飛んで
法を曲げてしまった信心団体に所属すると、結果も変なことが起きるのだなぁと思いました。
やはり、原因と結果は即繋がっているので、なんでもその根本が、愛や浄化なのか、見極めるのが大切ですね。
「心を清めて愛をもって生きる」ことに
瞑想は、繋がるツールの一つなのかと思っていました。
温かく柔らかく、謙虚さや誠実さを持って生活できる日もあれば
人を対して憎しみや嫌悪に近い思いを持ったり、傷つけたいと思ってしまうこともあります
「汚れて愛を持たずに生きている」ことが深層なのではないかと辛く払拭できないから、方法やスキルを探しているのですが
清い心と愛がなければ瞑想は危険であるのであれば
まずはどうすればよいのか
意志の力で及ばない理由は
心の使い方(?)の方法が間違っているか、方法を知らないかのどちらかなのではないでしょうか
一つずつ読み進めているので、後から咀嚼できてくるのかと思います
細々コメントしてしまいますが、すみません。
とりあえず、一旦、瞑想に取り組むのはやめておいた方が良いようです
霊能力も引き寄せの法則もできれば無関係でありたい…と、今まで瞑想はちょっと恐くて敬遠してたのですが。
傷付くようなことに遭っては何週間も怒りや否定心を引きずってしまうようになってきてしまい、瞑想で気持ちの切り替えや精神の安定が修得できるようになれるんだったら取り組んでみたいなぁ…と、ぐらぐら迷っています。
目的は否定心の抑制や、スッキリと時間を無駄にせずに健康的に意欲的に時間を使えるようになること…なのですが、今の怒りや否定心を何週間も引きずっちゃう私が、瞑想で間違った方向に覚醒(?)しちゃって腹立ち紛れの攻撃的な念が具現化しちゃって悪いカルマを詰んでしまったら本末転倒すぎて、、怒りが抑制できなくて困っている未熟者が取り組んで大丈夫なのかな…と。
まずは浄化の呼吸をこまめにしてみて、少しでも切り替えが旨くなってからのほうが安全かもですね。トホホです〜。