お金とスピリチュアル・お金の苦労やカルマの法則の話
スピリチュアルな分野で常に物議をかもすお金についてです♪
今の人間の文明や経済システムにおいてはエネルギーが変換された形として最も大きな影響力をもつ物の一つが「お金」だと思います。
お金はエネルギーだと言う人もいますし、スピリチュアルな分野では「無料=奉仕」で「有料=ビジネス」など、何かと議論にのぼることもおおいいです。
スピリチュアル的な法則でいうなら、愛の本質は与えること、与えるほどに得ることができる、それはお金も同じです。
お金の本質とは? お金に苦労する人や、お金を得る人など、スピリチュアル的な側面からお金について説明したいと思います。
【目次】
お金をスピリチュアル的に説明
まずはお金の実体を丸裸にしたいと思います。お金は主に3つの要素に分けて考える事ができます。
- お金は物質(硬貨と紙幣)
私たちのお財布に入っているお金は、硬貨と紙幣ですが、これは言うならば加工されたただの物質です。
スピリチュアル的に言うならばお金の物質的な部分はただの影ですが、物質的に言うなら手元に残る大切な実態です。 - お金はシステム(お金の仕組み)
お金にとって重要なのは仕組みの方です。
電子マネーの登場で、硬貨や紙幣など、物質的な紙幣や硬貨はお金の本質ではないことがよく分かるようになりました。
スピリチュアル的に言うなら、お金の仕組み自体は思考的でそこには善悪はありませんが、このシステムを悪用したりシステムの穴を突こうという人たちにはカルマ的な作用がいずれ起きるでしょう。 - お金の価値は人と信用が決める(お金に対する人間の感情と意識)
お金をお金たらしめているのはシステムに与えられている「信用」です。
スピリチュアル的に言うならば、人間の感情や想いが関わるこの要素がもっとも私たち人間のカルマに関わる部分です。
お金に関する3つの要素を順を追って説明したいと思います。
1.お金は物質(硬貨と紙幣)
私たちが手に持って使う硬貨や紙幣は言うまでもなく物質です。
例えばですが、居酒屋に行って手持ちにお金がない時に「ツケ」で呑んだとします。するとお金が無くてもお金を使うことができます。
お金は、「仕組み」と「信用」によって成り立っているので、それがなければ紙幣や硬貨はただの物質です。
電子マネーの登場でそれがよりいっそう顕著になりましたが、お金の価値を人間の「記憶」や「デジタル」の記録だけに依存するのには、消えてしまうなど多少のリスクがあります。
ですから「仕組み」と「信用」に物質的な実体を持たせるために、紙幣や硬貨はとても重要な役割を持っています。
電子マネーと物資的なお金についての違いをスピリチュアル的に言うならば、物質には強い念が籠もりますが、電子マネーにはそれが無いと言う点はあげられると想います。
戦後の貧しい日本では、お金の苦労は人生の苦労であり、お金は生き死にに関わるもので、自分の命のためにはだまし取ったり奪うことさえ致し方ないというものでした。
当然お金に込められる人間の感情や想いのエネルギーは強く、それがお金をもつ人間にも影響しました。
現代においては数字のスコアのように、毎月増減するものとなり、より思考的なものとなったかわりに、時代の豊かさと相まってお金の重みは薄れたように想います。
お金はシステム(お金の仕組み)
お金の仕組みがもつ機能は、交換の手段、価値の尺度、価値の保存の3つです。
お金は人間の能力や労力、もっと言えばエネルギーの対価であり、時間や物質の対価であり、もっと言えばお金というシステムを通すことであらゆるものを変換する事が可能です。
例えば私のもつ人生の時間は会社と雇用契約を結ぶことで会社の労働力となり、私の時間と労働のエネルギーが変換されたモノの対価となって支払われるのがお給料です。
そのお給料もまた、お金を利用することで電気やガスなどのエネルギーに変換することができます。
電気やガスを提供している人達も自分たちの時間を労働力に変えて私たちが支払うお金からお金を得ているわけです。
お金は交換の手段として使われ、お金は物や時間やエネルギーなどの価値を計るモノサシとして使われ、肉や魚や野菜のように腐ってしまうようなモノでもお金と交換する事でその価値を保存する事ができます。
みなさんの銀行口座に貯まっているお金は、みなさんの人生の時間と労働の対価が価値の尺度に寄って決められ、お金に交換されて、銀行に保存されているということになります。
それをスピリチュアル的に言うならば、あなたが労働で得たおかねは、あなたの時間や心身のエネルギーなどが労働というフィルターを通してお金に返還されたもの、つまりあなたのエネルギーです。
お金を奪う者は他人のエネルギーを奪い、お金を与える者は自分のエネルギーを与えているとも言えます。
お金の価値は人と信用が決める(お金に対する人間の感情と意識)
硬貨や紙幣、そして仕組みがあったとしても、お金をお金たらしめているのは実は「信用」です。
例えば私が、天空の庭先で使える電子マネーを考案したとします。
「10,000アイテール = 10,000円」です。 誰か換金してくれますか?(笑)
そもそも天空の庭先にはお金を使ってできることが何もありませんし、先々何かサービスを作るとしても今は何もないし、本当に私がサービスを作るかも解りませんから、10,000円を10,000アイテールに換金するのは非常にリスキーです。
でも、もし天空の庭先で10,000アイテールを使うと「霊視」と「リーディング」と「占い」をまとめてしてもらえるサービスがあったら、私個人を「信用」してくださる方で、そのサービスに10,000円の価値があると思う人が居たら、10,000円を10,000アイテールに換金して使ってくれるかも知れませんね(笑)
私たちが日常的に使っているお金には、硬貨と紙幣という物質的な実体と、お金のシステムと、もう一つ、国が担保している「信用」があってはじめて成り立っています。
もし国の信用が揺るげば、その国のお金の「信用」も揺らぐのです。
お金の信用についてスピリチュアル的に言うならば、あなたは自分の人生のエネルギーの結晶とも言えるお金の使い方については慎重に考えるべきでしょう。
特にスピリチュアルな界隈には価値のない商品がやまほどあります。
スピリチュアルな物販や講座、セミナーなどに結構お金を使ってる人に一度は読んで頂きたい記事です。
ちょっとしたお金のまとめ
お金の仕組み、何かと似ていると思いません?
人間の体と、感情と、思考の仕組みにとてもよく似ています。
硬化や紙幣という物質があって、システムは思考的なものですが、人間の感情(信用)で価値が変わります。
そしてお金のあらゆる要素にスピリチュアルな法則が関わっています。
スピリチュアル的にはお金はエネルギーである
この言葉は完全に正しいのですが、スピリチュアルなカウンセラーやビジネスの界隈の人が言う「お金はエネルギー」にはたいていの場合は意味が歪められたり、人をコントロールする為の意図が隠されています。そして「お金はエネルギー」という言葉には2種類の意味があります。
最小単位に還元すればお金はエネルギー
私たち人間の肉体(物質)も霊体も、想いのエネルギーも、この世界を構築する最小単位の素材に還元すればそれは神が創造したエネルギーです。
それをエーテルと呼ぶ人も居ますし、マインドと呼ぶ人も居ますが、いずれにしてもこの最小単位の素材は共有する意思と知性を持つ神のエネルギーそのものです。
この理屈で言うならば、人間も、植物も、動物も地球も、宇宙も、あらゆるものがエネルギーです。
お金はなんらかのエネルギーと引き換えに得られるからエネルギー
簡単な例え話で説明したいと思います。
例え時給1000円で働いている人が居たとしたら、1時間という時間と労働に使われたエネルギーで得られた1000円なので、エネルギーがお金に替わっている、つまりお金はエネルギーです。
仕事によって報酬が違うのは、まさに人間の感情によるものです。この仕事は難しいから、みんなやりたがらないから、習得にコストが掛かるから、さまざまな理由で1時間という時間と労働力への対価は決められています。つまり、お金はエネルギーですがその価値は人間の「感情」や「信用」やその時々の「状況」で変わるので、この二元的な世界の中では安定した価値や公平な価値にはなりにくいです。
スピリチュアルの有料と無料
このテーマは天空の庭先では何度も取り扱っているテーマなのでここでは簡単に書きますね♪
よくスピリチュアルな界隈で言われる「お金はエネルギーだからたくさん受け取って豊かになろう」的な話は間違って無いです。
「お金はエネルギーだから、人助けで対価を貰うのは正当」とか、「等価交換の法則で与えた分だけ受け取れる」みたいな話は、ビジネスとして対価を要求しながら自分の行いを奉仕と位置づけたい人達がよく使う論法である事は事実です。
重要なのは、こういった言葉の裏に持っている「動機」で、それが「愛」なのか、「マインドコントロール」の類いなのかで意味合いが変わってきます。
愛や奉仕なら無料でしょうし、対価を求めるならそれは完全なる奉仕とは言えません。
何故なら、愛の本質は与えることだからです。
私たちが報酬を得る相手は「神か人」いずれかです。
私たちが人に無料で与えたなら、かわりに報酬は神がくださります。
お金のカルマ
硬化や紙幣は物質で、お金のシステム自体には善悪がある訳ではないので、お金に関して一番重要なのは、「お金」という道具や仕組みを使う私たち人間の心です。
お金そのものに善悪はありません。
ですが、お金や経済の仕組みが完全なものでは無い以上、そこにはさまざまな人間の不満や思惑が生まれるのはある必然です。
ですから私たちが気をつけなければならないのは、お金に対しての自分自身の想いと、お金をあつかう時の動機です。
人を騙してでもお金を得ようと思ったのなら、その想いにはカルマの法則が働き始めますし、お金をごまかしたり人からだまし取ったならそれはカルマとなり、カルマの法則に基づき今世でも来世でも必ず自分の身に同じことが降りかかります。あなたが奪ったならいずれあなたが奪われますし、だまし取ったならだまし取られます。
神とカルマの法則の前では人間のいかなる言い訳も通用しないです。真実によって測られる、それが真理です。
ですから、お金を扱うとき、そこに欲望や悪い心が紛れ込まないように、まっすぐ道を正して生きましょう♪
カルマの法則についてはこちらの記事が参考になります。
お金の苦労をスピリチュアル的に言うと
お金に関わる苦労の多くは、自分自身の過去世のカルマに由来します。
お金に困るという状況が起きる背景には、主に二つの理由があると思います。
- 貧しい家庭に生まれ育った
- 心とお金の管理が出来ていない、そういった人と人生を共にしている
1.貧しい家庭に育った
そもそも自分が生まれた家庭が、お金に困っていた、貧しかった、そして貧しさの中で育った。
私自身もそうなのですが、生まれつきお金が無いとかは本当にどうしようもないですね(笑)
貧しい家庭に生まれ育つということをスピリチュアル的に言うならば…
14歳以下は親のカルマの影響を多大に受けます。
ただし、その環境を選んで生まれてきたのはあなた自身です。
集団のカルマとして親と一緒に過去のカルマを身に受けている場合もありますし、ソウルメイトである親のカルマの返済をサポートする為にこの環境をえらび生まれて来たケースもあります。
稀ですが、魂の成長のために、より過酷な環境を魂が選んで生まれて来た場合もあります。
ちなみに私が生まれ育った環境も貧しかったですし、なかなかに酷い環境でした。
しかしながら、まずしさが教えてくれることがたくさんあります。
謙虚さ、感謝、そして本当に大切なものが何か?ということです。
あと、貧しい環境に生まれ育った人たちに私から1つアドバイスがあります。
これは親からの影響もあるでしょうが、もし貧しさから身についた習慣が、「倹約」とか「清貧」ではなく、「ケチ」とか「利己心」などであったなら、先々の人生を豊かにする為に習慣を見直したほうが良いでしょう。
「お金は汚い」「お金は人を苦しめる」「貧しさは不幸だ」といった観念をもし持ってしまっていたら、未来の豊かさのために捨ててしまいましょう!
お金の本質はニュートラルで、人を苦しめているのは過去のカルマからの学びで、貧しさは人間の成長を促し本当の豊かさを教えてくれる。
2.心とお金の管理が出来ていない、そういった人と人生を共にしている
お金の苦労をしている人たちの中で、もっとも多いタイプが、心とお金の管理が出来ていないという人たちだと思います。
これを簡単な言葉で説明すると、欲しいものを我慢できずに買うってしまうひと、ギャンブルにのめり込んで足を洗えない人、ついつい人にいい顔をしてお金を振る舞ってしまう人、悪気は無いけどお金の計算がまったく出来ていない人、こういったタイプの人たちだと思います。
このタイプの人たちは、基本的には自分人の過去世のカルマを受けながら、今なおカルマの試の中でせめぎ合っている人たちです。
勝つか負けるか、乗り越えるか落ちるか、正に本人たち次第なわけですが、重度なカルマの場合は本人一人の力で乗り越えるのはなかなかに困難です。
そのため、ソウルメイトが伴侶や家族として生まれて来てサポートしてくれる場合も多いです。
ですから、自分自身が「心とお金の管理が出来ていない」場合は、自分の心と想いでいかに自分自身を支配できるかが鍵です。
そして家族に「心とお金の管理が出来ていない人」が居る場合は、他人ごととは想わずに、自分事としてとらえ、サポートすることで集団全体としての問題解決の後押しをすることができます。
お金がなくなるときをスピリチュアル的に言うと
お金はエネルギーですから、お金が無くなるというのは、お金という物資(価値)に結晶化されたエネルギーがなくなるということです。
心とお金がしっかり管理できていないとお金は徐々に減って無くなってしまうでしょう。
もし身内にお金を湯水のように使う人が居ても徐々に減って無くなってしまいます。
お金を得たり失ったりするのも、背後には主にカルマが関わっていますが、お金が無くなるシチュエーションからカルマの性質を考察することが出来ます。
お金が無くなる不安
もし十分にあるにも関わらず、無くなることに不安を持つのであれば、それはきっと過去世から持ち越したカルマでしょう。
私は全財産が鞄一つという人を知っていますが、何の不安も無くむしろ笑顔で満たされながら生きていました。
不安や恐怖は外からではなく自分の内側から来ます。
ですが、私たち人間が今暮らしているこの世界が幻影のようなもので、本当の自分は魂であると理解し、霊的なことに価値を置いて生きていくことは難しいです。
お金拾う、落とす、盗まれる
お金を拾うって、もしそれがそこそこの大金であった場合は神やカルマの法則によって「試みられている」かもしれませんね(笑)
つまりあなたが拾ったそのお金を誠実に扱えるかどうかです。ちなみに、私の経験から言うとカルマは動機とか、人間の想い、感情に作用するので金額の大きい小さいは関係なく作用します。
私が子供の頃、A君が公園で落とした1000円札を拾ったB君がネコババしたというできごとがありました。
そしてまたある日、C君が落とした1000円のお金をA君が拾うというできごとがありました。A君は1000円をC君に渡します。
B君はA君に「僕なら黙って持って帰ってあとで好きなもの買うけど」って言ったそうです。するとA君はB君に「以前お金を落としてなくしたことがC君が悲しいだろうなって思ったんだ」と答えました。
B君はA君に「拾ったお金をC君に渡さなければ、A君が落とした1000円を取り戻せたのに。」そう言いました。
B君のその言葉を聞いたとき、A君は以前自分がお金を落としたとき公園をいくら探しても出てこなかったのはB君が拾って持って帰ったのでは無いか? と思ったそうです。
後日B君は自分が1000円落とすという経験をしました。
子供にとっての1000円って、子供の価値観だと、大人の10000円以上の価値を持つ場合もありますよね。
カルマは小さな金額でも、子供にでも作用します。
ちなみに私は、A君、B君、C君、どの立場だったでしょう?(笑)
お金を盗む人は、いずれ盗まれますし、拾ってネコババした人は、いずれ自分が落としてネコババされるでしょう。
道をまっすぐ正しましょう。誰も見ていなくても自分が見ていますし、その眼を通して神が見ています。
お金を引き寄せる法則
さて、最後にお金を引き寄せる法則についてです♪
と言っても、神と宇宙の法則は、私たち人間を超えた力なので、ちまたにあるような法則を利用して楽して金が儲かるとかそういう話とはちょっと違います。
私たちは、与えれば与えるほどに得る事ができます。
実はお金も同様です。
もし全財産が今持っているパン一つという人が居て、その人が無一文の人にパンを半分分け与えたなら、その人は自分より貧しい人に全財産の半分を分け与えたことになります。
私たちは貧しいほどに人にたくさん与える事ができるのです。
子供がお小遣いの中から寄付する100円と、億万長者が寄付する100万では、子供が寄付する100円の価値が100万円の価値を凌駕することがあるのです。
私たちが愛によって与えれば与えるほどに、神はその報いを与えてくれます。
それが私たち人間を支配する神の法則の働きです。
この法則の難しさはまさしく「動機」の部分です。
見返りを得たいから「与えた」のであれば、それは純粋な愛や奉仕ではないです。
その場合、そこにある愛の量に応じて神は報いてくださるでしょう。
逆に、一点の曇りもない清らかな心を持つ人が、自分の存在と愛のありったけを人に与えることができたなら、神は無限の見返りを用意してくださるでしょう。
こういった矛盾はスピリチュアルな本質をめぐる話にはよくあることなのです。
つまり、神から無限の賜を得る人はすべてを捧げられる人、つまり本人は無一文で一番貧しいのです。
必要なモノはすべて加えて与えられます。
イエス・キリストやマザーテレサがそうであったように。
これが私の知る、お金の本質です。
結論はいつも変わらずですね♪ 心を清めて愛を持って生きましょう♪
私は一般家庭に育ち、青春時代を貧困気味に育ち、現在またごく一般的な家庭生活を営んでいます。
全てにおいて、周囲と比べ始めたらキリがないですね。
家、車、社会的立場などなど。
持っているものについて比べる心です。
散々、そのような闇の中をさまよいました。
まだ時々、そのような執着、我欲、嫉妬の入り口に立っている自分を見ることがあります。
そうして囚われかけた自分を見て、本当の人の価値はそうじゃないって何度自分を諌めたことか。
つい、自分の欲を満たす為にばかり使いがちなお金。
自分や自分の家族の為だけに終わるのではなく、人様のためにも快くその方の幸せを願ってお金を使うことができたなら。
人それぞれの欠けのあることを知り、お互いに助け合おうとできたなら。
苦しんでいる人には安らぎと幸せへの気づきを。満足している人には幸せを分かち合うことを。互いに助け合い、全てのひとが良い循環の輪となれたなら。
お金のあること、物質のあることに感謝でき、人への感謝も深まったなら。
どんなに良い世となるのだろう。
そんな風にお金を使いたいなって思います。
のんたんさんこんにちわ♪
比べるとたしかにキリが無いですよね。
もっと多くの日本人が、日本に生まれて生活していることがいかに豊かであるかに気づいてくれたらと思います。
他の先進国も同様ですね(笑
分かち合うほどに豊かになる、と分かっていてもなかなかそうできない難しさが今の時代にはあります。
諦めずに理想を求めて続けていくことが大切です♪
この話、スピリチュアル界隈の人に広まって欲しいです。
でも、「真理は蔓延しない」でしたっけ(泣)
子供の頃、父は稼いでいたようですけれど、私は、家は貧乏なんだ、と思っていました。
事実として、オモチャには学習教材が少し、遊びのオモチャは殆どなかったです。私は次男で着るものもいつもお下がり。学校から帰ってきても、母はいないことの方が多く、働いていたのかと。
ある程度の物は揃っていて、不自由を感じた事はありませんが、欲しいものがあっても、あれがほしい、これが欲しいなんて、言ってはいけないと我慢してました。
思うに、お金自体はひつようですが、それと同じか、それ以上に愛や安心感が必要なんだと思います。
心豊かに過ごせておれば、必要以上にあれこれ欲しがることはないのだと思います。
現状が苦しいが為に、夢見て上を見てお金や物、情報を
欲しがって、我先にとか先走ってしまうんでしょうね。
何にせよ、必要だと思うものが、足りない状態は、人を不安に駆り立てて、要らぬ狸の皮算用に陥りやすい心理状態にするようです。
メルマガ面白いですね。
清らかさや愛、という言葉を忘れてしまっている人も
多いんじゃないでしょうか?
求めて得られない、それは苦しいですよね。
だから、他人から何とか得ようとする人達が巷に溢れているのかなと。