スピリチュアルなビズネスやスピリチュアルカウンセラーに思うこと
スピリチュアルビジネスの分野は微増ですが拡大傾向にあります。
この分野にも悪い人も居れば良い人も居ますが、どうしても目に見えない事柄であるだけに危険性やトラブルも多いです。
スピリチュアルカウンセラーにしても、オーラ鑑定にしても、霊能力者による浄霊や霊視に関しても、これがビジネスになると効果が曖昧な健康食品のような胡散臭さがあります。
健康食品よりタチが悪いのは、薬事法のような法律が無いために、「カルマを消却する!」とか「癌が治る!」とか、もっと言えば「神界から遣わされた!」とか? ちょっとそれどうかな? と思うような事を言ったりやったりしてる人、結構居て本気で心配になります。
【目次】
スピリチュアルビジネスへの懸念
スピリチュアルビジネスには正直に言えば懸念の方が大きいです。8割かな。
ですが、残り2割の気持ちは、真面目にやっている人達への僅かな希望です。
スピリチュアルとは? その本質が何であるかと聞かれたらきっと私はいつもの結論を口にするでしょう。
「心を清めて愛を持って生きる」っということです。
スピリチュルとは? の記事を大幅に加筆したのでまたアナウンスです。
お時間がある人はぜひのぞいてみてください♪
拡大するスピリチュアルマーケット
少しだけリライトした記事の補足ですが、スピリチュアルな分野は年々微増ですがもう何年も拡大傾向にあります。
つまり、スピリチュアルな事に関心を持つ人の割合が年々増えてるって事です。
そういったデータに目を付けてか、スピリチュアルなメディアを運用するサイトが増えましたし、スピリチュアルビジネスも拡大傾向にあります。そして、霊感商法まがいな手口でお金をだまし取られた、みたいな人達の割合も比例してって感じです。
ただ、霊感商法は、今も昔も変わらず難しいのは、最初は本人が納得してお金を払っているという点です。
何でこんな話をしているのかと言うと、恐らく今後も微増でも徐々に拡大していくこの傾向は変わらないと思っていて、私の感覚だと、この人は大丈夫って思っていたような人でも変なスピリチュアルカウンセラーや霊能者に引っかかってたりするのでまた少しだけ注意喚起です。
ヒーリングの特集の時にこんな事書いたのですが、
もし私がどこかのヒーリングサロンに行ってヒーリングを受けようと思ったとしたら、医療、マッサージ、ヨガ、鍼灸など、ヒーリング以外にもなにか専門的な知識やスキルを持っている方を選ぶと思います。社会に根ざしているというのは、グラウンディングの視点から見てもとても大切なことです。目に見えないエネルギーを扱う仕事であるからこそ、現実感を持っている事はとても大切です。
最近はこういった専門的な知識、資格を持ちつつ「オーラが見えます」みたいにうそぶいてスピリチュアルな商売してる人も増えてきたのでますます注意が必要です。
下記はヒーラーの選び方の記事ですが、少しは参考になるかもです。
騙されるのはこんな時
心の隙間
寂しいとき、心が弱っているときはやはり縋る事ができる何かに縋ってしまうのが人間だと思います。
原因不明なできごと、原因不明な病気、何故が不運がずっと続くとか、物理的に対処できない事、そういった問題を改善させるのに「専門家」を頼りたくなる気持ちは分かります。
ここで言う専門家とは、「霊的な事に精通している」と思われるような人達です。
ただ、これは私の考えですが、原因不明な事でも必ず原因はあります。
そしてその原因とは私に言わせればたいていの場合は行き着く答えは一つです。
過去の自分のカルマであり、カルマの法則によって、過去の自分自身のカルマと出会っているのです。
もし自分自身のカルマと、自分自身で向き合う気持ちを持てたなら、辛く大変な時期は続くでしょうがいつか終わりが来ます。
信頼していた、友達だと思っていた
これは人の良かった私の父の話ですが、私の父は年がら年中人に利用されて騙されてお金や物を撮られたりしていました。
友達だと思い信頼してしまうと、疑うと言うことをしなくなってしまうのが人間です。
(常に疑いを捨てられないよりはよっぽど良いかもしれませんが)
これはスピリチュアルビジネスに限らず、世の中のあらゆる悪意にあてはまります。
相手は3ヶ月~半年、じっくり時間をとって距離を詰めてくる場合もあります。
友達にすすめられた、知人の紹介で
これはABCと呼ばれる有名な方法とかもあって、宗教の勧誘や、ネズミ講などでよく遣われてきた方法です。
ビジネスの現場でも遣われる事のある手法です。
友人なので、すでに信頼しているという前提があり、その上、2対1になるような状況で二人がかりに説明や勧誘を受けるのでどうしても相手の誘導にながされてしまいます。
まとめ
私自身の考えとしては、「自分で感じて考えて自分で決める」つまりは、それが例え目に見えないような事柄であっても、安易に他人を頼らずに、まずは自分自身で問題に当たってみるという事も必要かと思っています。
その上で、専門家に頼まないと無理と判断した場合、スピリチュアルなビジネス、スピリチュアルな団体、霊能力者や、レイキやそれに類似するエネルギーワークなど、スピリチュアルな分野で人間と関わるときには用心深くあってください。
トラブルでスピリチュアルカウンセラーや霊能者を頼って、良心的で力のある人にあたる確率はとても低いと思っておいたほうが良いでしょう。人生相談ぐらいな感じの人がほとんどだと思います。
最近私はよく思うのですが、どうすれば良心的に、そして愛を持って取り組んでいる人間を確実に見分ける事ができるのか?
いくつか方法は思いついているのですが、実行に移すのは難しそうです。
目に見えないこの分野で確かな品質に出会うのは難しいです。頼らないで済めばそれが一番です。
こんちは^ ^
昔、宗教にのめり込んだ者として私は、自己分析を今だに続けています。 悪意をもって騙す方はさて置き、騙された私は何がいけなかったのか、今では必然的に起きたことで、気づかなければおそらく、死んでからも信仰していたと思います。
結局のところ、自身の良心の声を無視したわけです。
単純に考えて宗教界もスピリチュアル業界も制限を設けているわけです。お金がある者とない者を・・・
神と世間がいうものを実に馬鹿にしているわけです。騙す方も騙される方も・・・
私自身が神というものを馬鹿にしていたとは、当時夢想だにしていなかったのですが、良心の声があったことは、はっきりと認めます。
よく抜け出せたなぁって思いますが、私の場合、私が愛する人たちによって正気に戻れました。
私が愛する障がい者たちは、幸か不幸かそんな業界に払うお金を持ちません。当然、売名に利用されるか無視されているわけです。
神の使いと言われる人たちがです。
当時卑しいとされていた徴税人、ライ病患者、貧しい人たちに分け隔てなく光をあてたイエスとは、正反対です。
『タダで天から与えられたのだから、ダダであげなさい』聖句そのままです。
momochan 2000さんこんにちわ♪
学びとして受け入れることが出来たのであれば、それは大きな幸いであると思います。
宗教やスピリチュアルな分野にはいつの時代にも同じような問題があったと思います。
私の経験から、宗教やスピリチュアルの落とし穴から抜け出す糸口は、身近な人達の愛です。
不治と言われるような病気が治る場合も同じです。
見返りを求めない純粋な愛が人を導く強い力を持っているのだと思います。