妬まれやすい人をスピリチュアル的に説明すると?ただ一つの理由!
妬まれやすい人っていますよね?
態度が悪くて妬まれる人も居れば、きわめて普通な性格でも妬まれてしまう人もいます。
スピリチュアル的に言うならば、妬まれる本質的な理由はただひとつです。
いつもだと結論からお話してしまうのですが、今回のお話は結論を後にしたほうが面白そうなのでここではヒントだけ。
愚かな王様にその富と権力は相応しいか?みたいな話しです♪
【目次】
妬まれやすい人のスピリチュアルな特徴
妬みとは、自分と誰か他人を比べて相手の優れた部分を憎んだり、劣等感を感じることです。
妬まれやすい人ってしますが、良いタイプと悪いタイプ、両方存在します。
妬みって、相手の能力であったり、財力であったり、運であったり、さまざまな要素で「自分が持っていない」と感じているものを「相手が持っている」とか「相手が得た」と思ったときにいだく感情だと思います。
人間のどのような要素が妬みの対象になるのでしょう?
容姿が優れた人
美人だとかイケメンだとか、羨望の眼差しをうけるような容姿。
容姿がいいと複数の異性から好意を寄せられることもあるので、同性から妬まれることもしばしあります。
容姿が良いというのは妬みの対象になりやすい一つの要素だということがわかります。
あれ?でもなぜでしょう?
妬まれる美人と、妬まれない美人が世の中にはいのは?
豊かさやお金
生まれの良さ、育ちの良さ、そして生まれながら持つ豊かさ、社会に出てからの収入、ひと言で言えば物質的な豊かさ、これらはこの人間社会において最も妬みの対象になる要素ではないでしょうか?
とくに収入に関してはなにかにつけて社会人としてランクを計られる指標になるのでお金はとくに妬みを呼びやすいです。
あれ?でもなぜでしょう?
妬まれる金持ちと、妬まれない金持ちが世の中にはいのは?
人から愛される人
人から可愛がられる人とそうでない人がいます。
そこには容姿のさもあるかもしれませんが、容姿に関係なく人から好まれる素養というものがあります。
ただ、可愛がられない人から見たら「不公平」とか「えこひいき」って思えることもあると思います。
人間関係が円滑にいってる人は、人間関係でつまずいている人から見たら妬みの対象になりやすいです。
あれ?でもなぜでしょう?
人から愛されて妬まれる人と、妬まれずに誰からも愛されてる人が世の中にはいのは?
地位と権力
地位や権力を持っている人は妬まれやすいです。
地位や権力を持っている人はたいていの場合、お金もたくさん持っていますし、何らかの実績がその地位と権力に繋がっている場合が多いのですが、その「実績」を認めたがらない人たちからは妬みの感情をもたれやすいです。
例えば、自分の研究の方が上とか、自己ベストでは自分の方が上、あいつは生まれが良かっただけなんだ、とか、運が良かっただけなんだ、みたいな。
あれ?でもなぜでしょう?
地位と権力を持っていても、妬まれる人と妬まれない人が世の中にはいのは?
幸せそうな人、幸せな人
幸せそうにしてる人、幸せな人は周りから見たら満たされて見えるのでその幸せの理由となっているものが妬みの対象になります。
容姿、豊かさ、愛される性質、地位や権力、なんであれ、「幸せである」とう見えること自体を妬む人がいます。
あれ?でもなぜでしょう?
幸せな人すべてが妬まれているわけではない、妬まれずにみんなから祝福されている人もちゃんといます。
妬まれる人の特徴はただひとつ
どのような状態にあろうとも、妬まれる人は妬まれますし、妬まれない人は妬まれません。
むしろ多くの人から祝福をされる人も居ます。
妬まれる人の特徴はただ一つ
それを持つのに相応しくないと思われること
それがただひとつの理由です。
事実がそうでなくとも、自分ほうが相応しいとか、相手がそれを持つのに相応しくない、そう思ったときに妬みは生まれます。
波動が高い人は妬まれる?
世の中には、「波動が高い人が妬まれる」といった話しをさあれている方もいますが、確かに持っている人間が持っていない人間に妬まれるという図式からすればそういった傾向も少しは存在していて、当てはまる人もいます。
これはイエス・キリストなんかが良い例ではないかな?って思います。
イエス・キリストにはそれまでだれも持ち得なかった英知と、預言者としてのちからと、正しさを求めるすべての人の心に響く言葉と、病を癒やし死者を蘇らせる奇跡の力がありました。
当時の律法学者や権威持つ人々はみな、自分たちの地位や権威がイエス・キリストによって脅かされ、崩されるのでは無いかと不安になり、イエス・キリストがもつすべても妬み、亡き者にしようと謀りました。
波動が高い人が妬まれるといった最もわかりやすい例です。
さて、今の時代ではどうでしょう?
本物は表に出ないということもありますが、際だって波動の高い人がそもそも見当たりませんね。
そして、私たち一般人の中で波動が高い人って、私からすればどんぐりの背比べなので、多少ひとより秀でたぐらいでは特別に妬まれる理由にはならないように思います。
ちなみに私は自分で言うのもなんですが、波動がとても高いです。
瞑想歴が二十数年、その期間、人間や世界のために日々祈ってきました。エネルギーで人を癒やす力を持ち、救われない霊を浄霊することができます。
ですが、人に妬まれたことはさほど無いと思います。
会社の部下や部署の若い子たちを食事に連れて行ったり、年齢や立場にかかわらず一貫して温厚なコミュニケーションをとり続け、相手にとっての利益となることを心がけているからです。
妬みという感情を人から受けるのは、波動が高いのが理由ではありません。
それを持つのに相応しくないと思われることが一番の理由です。
それで言うとイエス・キリストのケースは、妬んだ人たちのレベルがあまりにも低かったのでしょう。
彼らは目の前でおきる奇跡よりも、自分たちが今持っている地位を選び、イエス・キリストが相応しくないと想いこんだのですから。
妬まれるのは波動が低い人
妬まれると言った点では実は真逆で、波動の低い人の方が妬まれやすいです。
なぜか?それは簡単で、先ほどお伝えしたとおり
それを持つのに相応しくないと思われることが一番の理由
であるからです。
例えば、波動が高くて収入も多く、豊かさを持っている人がいたとします。
彼が人々の相談に乗ったり人助けをしたり、自分がもつ豊かさの一部を分け与えていたとします。
彼は妬まれるでしょうか?
もちろん妬まれると思いますが、妬む人は実際に関わらなかった人たちを中心におそらく小数で、このケースでは妬まれる側よりも妬む側により大きな課題があると言えます。
例えば波動が低いけど、収入は多く、豊かさを持っている人がいたとします。
彼は傲慢で、人々の声に耳を傾けず、助けを求める人に応じず、自分が持つ豊かさを自分だけのものとしていました。
彼は妬まれるでしょうか?
確実に妬まれると思います。
おそらくみんな思うでしょう… なぜ神はこんな人間に力や富を与えたのかと…
波動が低いから妬まれるのではなく、波動が低い人がとりがちな行動によって、周りから相応しくないと思われ、妬まれるのです。
ですから…
波動が高かろうと低かろうと、人に妬まれないためには地位でも権力でもお金でも、それを持つのに相応しいと思われる人物になりましょう。
妬まれる人は成功する?
成功している人間で人格が伴わない人は妬まれます。
妬まれる人=成功する という方程式は成り立たない
私はそう思います。
これまでお話した通り、妬まれる人は「それを持つのに相応しくない」そう思われています。
もちろんすべての人がそう思っているわけではないでしょう。
たとえばここで言う、「妬まれる人」が関わる半数の人間から妬まれていたとします。
そしたら、半数の人間はただ妬むだけでなく、相手の不利益になる行動をとる可能性があると言えます。
もっと言えば、行動を取らなくても「否定的な強い想い」を持つ人もいるでしょう。
スピリチュアルな観点から言えば、「想い」は物質に影響を与えるエネルギーです。
こういった足を引っ張るようなエネルギーに反して成功を収めるのは並大抵のことではありません。
ですから私は、「妬まれる人」よりは「応援される人」のほうが成功を収めると思います。
プロとして活躍している多くの人が、親から手厚い応援を受け、周りからも応援されながら今を生きています。
この天空の庭先でみなさんが私の声に耳を傾けてくれるのは私にとってはとても大きな成功です。
それは応援してくれた方々のおかげだと心から思っています。
とても感謝しています。
妬まれるのもカルマの因子が関係している
ここまでの話しから、いくつか疑問が残るのではないでしょうか?
なぜ世の中には、人間性が伴わない、むしろ悪人とよべるような人が、「容姿」「富」「愛」「地位・権力」「幸福」を手に入れているのか。そしてなぜ?大勢の人間から妬まれても、「容姿」「富」「愛」「地位・権力」「幸福」を持ち続けている人がいるのか?
答えはとてもシンプルで、「カルマの法則」によるものです。
カルマの法則とは、自分の行いが自分の身に報いとなってかえってくるという法則です。
人から盗めば自分も盗まれ、人を殺せば自分もいつか殺される、それがカルマの法則です。
相応しくなくても、人から妬まれ続けても、それを持ち続けられるのは「カルマの法則」によって生み出された状況設定の一つに他なりません。
例えを簡単に一つお話しすると、
大きな富をえた地方領主が高い税金で人々を苦しめたとします。
その人は来世で貧しい家庭に生まれ、今度は家族共々高い税金に苦しめられ貧しい生活を強いられます。
じつはここでカルマは返済されたわけではないのです。
カルマの本質は学びだからです。
その人は生まれ変わって再び領主となります。
過去生の記憶は失っていますか、経験は魂の記憶として残っています。
もしその人が、高い税金に苦しめられている人々と見て今度は助けることが出来たなら、カルマは解消されます。
つまり…
この世に悪が栄えても、それも関わる人たちの学びであるということです。
この人生は1回ぽっきりですが、魂は永遠です。
本当に価値のあるものを選択しましょう。
妬まれないためには?
妬まれない方法と妬まれないことの素晴らしさを100年も前の日本人が最高の答えを与えてくれています。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」です。
でくのぼーという高い精神性を持った人間像
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
私は
なりたい
上は詩の中から一文を引用したものです。
なぜ 「でくのぼー」なのでしょうか?
優れた人間になりたがらず、なぜ「でくのぼー」のなりたいのでしょうか?
才能 地位 富 名誉 人の欲望の行き着く先、あらゆるものが他人からの嫉妬(しっと)やねたみなどの否定心を受けるからです。
この誌の根幹には、そういったあらゆる欲さえ捨て去りたいという、心の浄化への願いが込められています。
自分が否定心を持たないだけでなく、人に否定心をもたれないような人間像が、この「でくのぼー」という言葉に映し出されています。
雨にも負けずを書いた宮沢賢治自身は、でくのぼーなどではなく、高い知性と霊的な洞察力を兼ね備えた人物でした。
無意識な「でくのぼー」ではなく、自由意志の選択による「でくのぼー」 と言えるかもしれません。
雨にも負けずの「でくのぼー」は奉仕の心にあふれた優しい「でくのぼー」です。
心を清めて愛を持って生きる
欲望が清められれば私たちがこの手に持つ物はとてもシンプルになり、自然に清貧と呼ばれるような生活に向かってゆきます。
いっしょに読みたい記事
悪口や妬みの感情は自分のためになりません。
妬みを受けないために、分かち合う心をもってください。
人生を正しく変化させたいならこちらの記事が参考になります。
妬みについてですが、己を知っていれば妬んだりする事は無いと思います。深く自分を見つめ、いわゆる内観し自分を理解すれば、妬みはなくなると考えています。
妬まれるのは妬む人の次元の低さ故だと思います。
知己は基ですよ・・。
こんにちは。
お忙しいなかハイペースに有意義な記事を載せていただき有り難うございます。
さて今回のテーマの妬みですが私は高校時代に妬まれたことがあります。内気で仲の良い友達グループ以外とはあまり話さないタイプだったのに何故?とその時は思いました。そして匿名だったので見えない悪意に傷つきました。私の何が悪かったのかと。しかし母から黙っていたらお高くとまって見えると言われたので、それからは自分からざっくばらんな面も出すようにしました。
そしてそれから目立って妬まれる事はなくなりました。
やはり本当の自分を見せていく努力も必要だと思います。そして仕事場では自分から挨拶をして誰とでも分け隔てなく接していくことは大事です。
それとともに自分が相手を妬みたくないですね。嫉妬は誰もが持つ感情ですが妬みはある意味、執着なので自分の心がより苦しくなるだけですから。自分の心が満たされないのは自分の外側ではなく内側にこそ原因があるのだと最近考えています。どんなに恵まれているように見えても幸せと感じない人も多いです。自分の持っているわずかなものにも感謝していく方が幸せな気がします。
でくのぼー…心に残りますねー。
尊重する心があるからこそ他の方にお節介焼きすぎず。自由意志に介入してこない人って「妬む」必要ないのかも。
「本当の愛、優しさ」は忍耐で孤独ですね。