別れのスピリチュアルな意味とは?つぎの出会いは別れ方しだい。
私たちは人生でさまざまな別れを経験します。
知人・友人との別れ、家族や恋人など、大切な人との別れ… 別れには解っていて訪れる別れと、意図せず突然訪れる別れがあります。
よく、「出会いの数だけ別れがある」なんて言われたりもしますが、人間が出会う理由、別れる意味、それぞれには背後にスピリチュアルな法則が存在します。
スピリチュアル的な本質を言うなら、人生で人と人を結びつける最も大きな要因は、「カルマの法則」であり、「魂のプラン」であり、出会いは新たな課題のはじまりです。
そして別れは課題の中断や終わりを意味します。
いかなる理由で別れの因果が巡ってくるのか?別れとスピリチュアルについて書いてみたいと思います。
【目次】
別れのスピリチュアルな意味
わたしたちは人生でさまざまな別れを経験します。
進学や引越など、環境の変化によっておきる別れであれば、別れはいっときのもので再会もたやすいかもしれませんが、死別のように今の別れもあります。
別れを説明するためには、まずは出会いについてのスピリチュアルな意味を説明しなければなりません。
出会いがあってこその別れだからです。
出会いと別れのスピリチュアルな意味
スピリチュアル的に言うのであれば、人間の魂は死してもまたこの地上に肉体を得て生まれ変わって来ます。
これは霊魂再来説とか輪廻転生なんてことばでも知られていて、過去の聖人聖者たちがこの世界や宇宙の法則のひとつとして伝えてきました。
私たちには前世があり、今世(今生きている人生)があり、来世があり、長い輪廻の中で出会いと別れを繰り返しています。
そして人間が輪廻転生を繰り返す理由はおもに2つあります。
- 魂の成長
- カルマの解消
私たち人間の魂は、自らを成長させるために生まれ変わりを繰り返しています。
それは私たち人間が「人生」を通してさまざまな知識や能力を得ながら心や精神を成長させるのに似ています。
魂はさらに大きなスケールで悠久のときの中で、ざまざまな出会いと別れをくりかえしながら成長し続けています。
そして私たちには「原罪」があり、過去生での人とのかかわりの中で生み出した「カルマ」を解消させるというもう一つのもくてきがあります。
魂の成長とはつまり愛の成長、そしてカルマの解消とはつまり、心の清めなのです。
私たち人間の魂が肉体を得てこの地上に生まれてくるとき、「魂を成長させ、カルマを解消する為の計画」を立てて生まれて来ます。
それは「魂のプラン」と呼ばれるもので、私たちの運命の分岐やさけがたい宿命も「魂のプラン」にもとづいています。
つまり…
私たちがこの地上で経験するあらゆる出会いも別れも、生まれる前に自分の魂が決めた計画に基づいているということです。
出会いと別れは
出会いの本質は、新たな課題のはじまりです。
出会いとは自分の魂がより深い愛を学び、カルマを解消させるためのあらたな人間との関係性や、環境のはじまりです。
そして別れは課題の中断、あるいは終了を意味します。
それは自分と同僚など、1対1など小さなレベルでも繰り返し起こりますし、進学や就職、チームの発足など時期や複数の人間と同時に新しい環境を構築しつつ起きる場合もあります。
新たに出会いが起きる際にはその背後に存在する「課題」に目を向けてみると自分と相手の関係性や、グループでの自分の役割も見えてくるでしょう。
そして別れの際も同じで、自分が課題をどれだけクリアに出来たか?
別れはあるいみ「課題」への取り組みが「評価・判定」されるひとつの区切りのタイミングなのです。
あらたな争いの火種を残したか?良好な関係で終わることが出来たか?それによって次の出会いが変わることさえあります。
出会いについてはこちらの記事に詳しく書きましたので参考にしてみてください♪
別れはあるいみ「課題」への取り組みが「評価・判定」されるひとつの区切りのタイミングであるならば、同時に新たな「課題」が始まるタイミングとも言えます。
例えば進学や就職であれば今までの仲間といったん別れて、あらたな仲間との生活がはじまります。
恋人同士にも同じことが言えます。
進学や就職のようにタイミングが決まっているわけではありませんが、恋人と別れるということは、自分がフリーになったり、それまで恋人と共有していた時間が空くのでそこには何かしらあたらしい要素が差し込まれる余地が生まれます。
それは新たな資格習得に使う勉強の時間かもしれませんし、失恋による痛手に傷つき自分を振り返る時間かもしれません、新たな出会いや新しい恋人との関係や時間かも知れません。
いずれにしても別れによっていったん保留ないし終了した「課題」のかわりに、あらたな「課題」がおとづれるタイミングと言えるのです。
別れる前兆とスピリチュアルな本質
家族、友人、恋人など、別れが進学や就職であればそれは春に訪れるでしょう。
ではなく、今身の回りに居る人たちの中からいずれ別れが訪れる人たちとのあいだになにか前兆のようなものはあるのでしょうか?
別れを「課題」の停止や終了と考えたなら、別れの前兆はおもに課題への進捗を考察することで読み解くことが出来るかもしれません。
私たちがすべての出会いにおいて共通で持っている本質的な課題はたった2つです。
- 魂の成長のために愛を育むこと
- カルマの解消
別れは「課題」が実行不可能になった場合か、達成した場合に起きます。
であるならば、「相手を愛せなくなった」「相手に愛されなくなった」「互いに愛し合えなくなった」こういったケースにおいておもに課題は中断されます。
もっとハッキリ言うと、「見限った」ときに別れは訪れるのです。
であるなら、別れる前兆は最初はおもに自分の心の内と相手の心の内の双方にあらわれます。
相手を批判する感情や思い、相手の愛を素直に受け入れられない感情や思い、怒ったり否定していても根底に「愛」があるなら関係性も「課題」も続行は可能です。
人間は根底にある愛を失ったときにだけ人生に失敗するのです。
富を得ても愛を失えば魂の目的は達せられません。
そして、カルマの解消のために引き合わされた人間は、カルマ解消するための活動が困難になったり、時間的なリミットをむかえると別れが訪れます。
たとえば憎しみ会った者同士がその憎しみを解消する為にパートナーとして結ばれたり引き合わされた場合、ミッションが継続不可能な状態になるとカルマの解消はいったん保留されることがあります。
逆に、カルマ解消のミッションが成功した場合も別れは訪れるかも知れません。
これも課題にもとづくので、相手との関係性や感情や思いが煮詰まってくるとか、逆に相手への否定心や感情や思いの囚われがなくなるなどが「課題」の保留や終了の前兆と言えるでしょう。
よく見かけるケースとしてはカルマを解消した者同士は別れるケースももちろんありますが、その後の人生をともに理解者としてあらそいなく共に過ごすケースも多いです。
突然の別れをスピリチュアル的に説明すると
突然訪れる別れとはつまり、突然終了する「課題」と言えます。
通常であれば、別れは「課題」の保留や終了を意味することが多いのですが、突然の別れに関してはすこし違っていて、「新たなる課題」に紐付く場合がとても多いです。
私たち人間にとっては突然の別れと感じられることでも、魂にとってはもともと自分が組み立てたプランであるため、突然と感じているのはあくまでもこの地上に生きている私たち人間の心においてです。
私たち人間の心・感情・思いを主体に考えてみると、突然の別れが及ぼす影響は別れた後の方がより大きいと言えます。
たとえば親友の突然の引越、尊敬する上司の突然の退職、愛するペットの突然の死、愛する人との突然の死別、突然おきるような別れは多くのケースにおいて心の準備が出来ておらずより大きな記憶や痛みを自分にあたえるものです。
その記憶や痛みは時間と共に忘れて終わりではなく、後の人生を変えるようなキッカケになったり、残りの人生をかけて取り組むような課題と紐付いていることも少なくありません。
よく聞く話としては、大切な人の死をキッカケに何かの活動に身を投じたり、スピリチュアルな世界に関心をもつなどです。
大切な人との別れ
大切であればあるほど、別れはより大きな影響と意味を持つようになります。
あなたにとって大切な人とは、「家族」「伴侶」「師」などが該当するとおもいます。それ以外でも自分の人生にとってより価値の大きな人間であれば、その人と別れることの意味もより大きなものでしょう。
大切な人との別れもある意味では突然の別れと似ていて、別れた後にこそより大きな影響があります。
別れによって生まれる変化や、あらたな「課題」にも目を向けてみてください。
きっと後の人生の大きな変化や目的と繋がっているはずなので。
恋人との別れ
恋はカルマの法則によって導き出された運命や宿命に人間を従わせる力の一つです。
同じように人間を動かす力として、衝動などがあります。
カルマの法則的に言えば、恋は結ばれる宿命を持った者同士を結びつける力です。
運命の赤い糸と似ていますがちょっと違うのは、その出会いが必ずしも結ばれた後に幸せになれる訳ではないということです。
むしろカルマの法則の側面を考えると、問題の解消のために最適な人間二人が引き合わされるわけなおで、学び舎成長と言った忍耐を必要とすることのほうが多いはずです。
恋人との別れは、私たちが人生で経験するとてもシンプルな心の痛みの一つであり、ほぼだれもが経験するようなことでもあります。
にもかかわらず、多くの人が人生の中でもとくに大きな痛みや経験として記憶するようなことでもあります。
恋人との別れも、「突然の別れ」とか「大切な人との別れ」と同じく、後の自分の人生に大きな影響をあたえるような別れの一つだと思います。
恋愛や結婚についてはこちらの記事が参考になります。
日本のスピリチュアルな界隈では、ツインソウルとか、ツインレイとか、「魂が決めた運命の人」みたいなニュアンスで伝えられている事があります。
ですが「恋」の本質はたいていの場合、そんなにロマンチックでも、そんなに生やさしいモノでもなく、私たちが成長するための機会と経験であるわけです。
ソウルメイトやツインソウルなど、深い魂の結びつきについてはこちらの記事が参考になります。
別れは必然
別れは必然
出会いがあれば別れもあります。
よく「別れは必然」なんて言葉がありますが、ある意味正しいです。
私たち人間がいつか死ぬのと同じように、この物質世界ではあらゆる人間関係にいつか別れが訪れます。
なぜならば私たち人間は、いつか必ず死ぬからです。
私たちに必要な経験をしたり、解消すべき課題を解消すると、別れは訪れます。
私たち人間の人生そのものが、「学び」のようなものなので、「学ぶ」べきことがなくなればおのずと環境が変化します。
別れるべき人と別れて、あたらに出会いべき人と出会うのです。
別れが続く
例えば恋愛でも、短いスパンで別れが続くみたいな人がたまに居ます。
ひとつの側面としては、課題と解決のサイクルが早いのかもしれません。
ただ、もう一つの可能性としては、「人と関係が短いスパンで終わる」という事が問題で、課題解決の為には一人の人間と長い時間向き合う事が必要、という場合もあります。
あまりにも別れが頻繁に続く時には「課題」がどこにあるのかを見定めてみてください。
死による別れ
人間として人生を生きていれば必ず訪れる別れです。
特に、「愛する人との死別」「家族との死別」「愛するペットとの死別」などは誰にとっても悲しいできごとです。
事故で突然の死、病気による死、自殺、突然訪れる死別、私たち人間にとっては永遠とも思えるような残酷な別れ。
死による別れは、死んでいなくなる側はこの世での学びを終えて霊的な世界に帰り、来世に備えるのですが、この世界に残された側は、相手を死で失った体験を心に背負い生きていくわけですから、このされた側により大きな影響があります。
死別については一本長い記事がありますのでこちらをさんこうにしてみたください。
別れのまとめ
人生で人と人を結びつける最も大きな要因は、「カルマの法則」であり、「魂のプラン」です。
私たち人間が人生で出会う人間とは、私たち自身の成長の為に必要な体験と合わせて生まれてくる前から概ね決まっています。
自分の両親、兄弟、親戚、親しい友人達、学校の先生、会社の上司、恋人、結婚相手、人生にはいくつもの分岐点がある為に、分岐によって出会う人間は多少は異なりますが、そういったifも含めて概ね決まっています。そして別れも同じで、多くの場合はプランで決まっています。
私たちが出会う人間達とは、「魂のプラン」や「カルマの法則」によって選ばれた、「私たちの人生に必要な経験を与えてくれる人達」なのです。
私たちに必要な経験をしたり、解消すべき課題をクリアすると、別れは訪れます。
別れはあるいみ「課題」への取り組みが「評価・判定」されるひとつの区切りのタイミングなのです。
別れるべき人と別れて、あたらに出会いべき人と出会うのです。
つまり別れは新たな「課題」のはじまりとも言えます。
もし出会いの品質を向上させたいと思ったなら、私たちは自分の中の「問題」「課題」を解決させていくことが必要になります。
私たちが自分の人生に向き合い、真摯に取り組んでいく事で、私たちの人生も、出会いも、より良いものへと変わっていきます。
私たちの別れの品質が、新たな出会いの品質を変えます。
- 魂の成長のために愛を育むこと
- カルマの解消
私たちが人間として人生を生きるこの2つの目的をまっとうするために…
心を清めて愛を持って生きましょう♪
初めまして!
昨年末頃から、メルマガの読者になりました。
色々な記事を読ませていただいています。
ウリエルさんのサイトに巡り会えて
生き方の指標を知ることができました。
本当にありがとうございます。
感謝をお伝えしたくて、メールさせていただきました。
私は、ウリエルさんの書いて下さった記事を
ゆっくりと何度も読み返しています。
ですので、
体調が優れないときは
メルマガはお休み下さいね💕
まみぃさんこんにちわ♪
メルマガのご登録ありがとうございます♪
この天空の庭先がまみぃさんの何かの参考になったなら幸いです♪
私自身が、プロのライターという訳ではないので、読みにくい文章もたくさんあると思いますが、ご容赦くださいませ。
それと、お気遣いありがとうございます♪
今後ともよろしくお願いします♪
いつもありがとうございます(*^^*)
5年前に夫が海で亡くなりました。子供たちはすぐそばにいて夫が沈んでいくところを鮮明に覚えているようです。そのことを思うと心臓がバクバクします。そして長男が2年前から学校に行けなくなりました。これもカルマとして受け止める愛をもって接するの他に母親の私が出来ることはありますか?10代の今ずっと外の世界を経験出来ないのはもったいない気がします。質問ばかりで申し訳ありませんm(__)m
youさんこんにちわ♪
youさんのお話、本当に胸が痛みます。
>これもカルマとして受け止める愛をもって接するの他に母親の私が出来ることはありますか?
自分ならどうするだろう?と考えてみました。
きっと私なら、いかに子供を構う時間が増やせるか、その為にはどのような仕事をすべきか、そこを中心に考えると思います。
細かい状況は解りませんが、私なら、自分の心や想いを選択するとき、右か左かでは無く、愛があるか無いかを考えて、より愛がある選択をします。
この世界は二元的で善悪や失敗と成功がありますが、愛は一元的で愛があれば失敗も成功だと言えます。
自分自身が愛を原則に動けた、だから例え失敗してもその失敗の本質は成功だ、と自分で心から思えるかということでしょう。
youさんと息子さんの健康と幸福がありますように、お祈りいたします。
お忙しいのにお返事頂きましてありがとうございましたm(__)m
ウリエルさんのお言葉が心に染みました。
自分に置き換えて親身に考えてくださったことに感謝でいっぱいです。
今私は会社務めで帰るのが6時です。
なんとか子供と向き合える時間を作れるよう他の仕事も考えます。
ウリエルさんにはいつも生きる活力をいただいてばかりでm(__)mありがとうございます(*^^*)
youさんこんにちわ♪
私も平日はほとんど子供と接することができませんが、幸い妻が居てくれるのでなんとかなってます…ですが、もしその状態を環境ごと変えようと思ったらそれは決して楽なことでは無いのもわかるので、状況が良くなることを心からお祈りしますね。
いつもありがとうございます。
天空の庭先にたどり着いたのも、何かのご縁なのだな
と思いました。
こちらで、いろんな方のコメントを読ませて頂いて
いろんな事を教えて頂きました。
前世でお会いした方もいらっしゃるかもしれません^ ^
塞翁が馬、ということわざの本当の意味は、
結局自分が良くなることしか起こらない、という意味だと、私が仙人だと思っている方から教えて頂きました。
それが、宇宙の法則なんだよ、とも別の方から教えて頂きました。
私は、このことわざで希望が持てました。
この事をご存知の方もいらっしゃると思いますが、必要な方に届いたらいいなぁ、と思います。
苦しい事がずっと続かない代わりにその逆も然り、が宇宙の法則だから、今しか味わえない事を楽しみたいです。
また天空の庭先に伺わせてもらいます。
それでは下界に戻ります^ ^
ありがとうございました!
こんにちは。
☆愛を持てなくなったら人生は失敗☆
興味深い視点です。ありがとうございます。
私は周りの、「様々な理由で未来の希望の持てない人たち、愛の泉が枯れてしまった人たち」に「慕われて」います。
私に親切にする事で癒されている人たちもいます。
例え辛くても自分の中で何か乗り越えた時はまるで「光の粒を貰って食べて、身体から光が発光しているような」なんとも言えない気分を頂けています。
そんな時私を慕ってくれた人に私自身が感謝できた時、赦すことが出来た時は、心が温かくなります。
本当の意味で神さまの愛の意味を理解できた時それが可能になります。