子供とのスピリチュアルな繋がり、親子の絆の本質
スピリチュアル的に言えば、生まれてくる子供たちはカルマを解消し魂を成長させる最高の環境を選び生まれて来ます。
それは「最高に幸せになれる環境」ではなく、「必要な課題や試練とサポートを得られる環境」といえるでしょう。そして子供たちは受け入れる親にとっても、カルマの解消と魂の成長に必要な課題と機会を与えてくれます。この世に生まれてきた子供たちの多くは幼少期に純粋な心と輝くオーラを持ち、私たち大人にとってもたくさんの気づきや学びを与えてくれる存在です。
【目次】
子供とのスピリチュアルな関係性
子供は親を選んで生まれてくる
スピリチュアルな界隈ではよく、「子供は親を選んで生まれてくる」みたいに言われることがありますが、これは半分本当の話ですが、この言葉だけだと大事なことがいくつか抜け落ちています。
本質としては、子供が親を選んでいるのではなく、子供として生まれてくる「魂」が、親となる人はもちろん、環境を含めて選んでいるというのが正確なところです「赤ちゃんがママを選ぶ」ではなく、「魂が関わる魂と環境を選ぶ」ということです。子供が親を選ぶというのは、あくまでも親のほうの主観的な感じ方です。この本質の捉え方がこの後の話でもとても重要になります。
魂と魂、つまり親子関係の本質は、互いに対等なのです。
下記の記事が参考になるので、お時間がある人は読んでみてください、私も大好きな記事のひとつです。
幼い子供は汚れなき存在
多くの赤ちゃんは生まれた時はまるで純白のように汚れないです。5歳ぐらいまでのまだ社会の常識や偏見に染まっていない純粋な子供たちの多くはキラキラと輝くオーラを発しています。そして子供たちはありのままの自分自身を愛し、受け入れることができ、周りの人々に無条件の愛を与えてくれます。
ある意味5歳ぐらいまでは見習い期間のようなもので聖霊によって守られています。ただしこれには個体差があって、地上の罪を犯したタイミングやカルマの発動によって聖霊の加護は徐々に失われます。ではそれがいつ頃なのか?というと、物心がつきはじめる5歳ぐらいです。
本来純粋で聖霊に守られているはずの5歳以下の子供が病を負うケースもありますが、それはカルマの作用によるものです。たとえば何かしらの病や障害をもって生まれてくる赤ちゃんとか子供たちはいますし、なかには5歳までに命を落としてしまうケースもあります。
子供自身のカルマである場合はそのまま病や障害を背負って成長していきます。子供が5歳までに命を落とす場合は、子供自身のカルマではなく、親となった人のカルマ解消や魂の成長のため、「親が子供を失う機会を創出する」にために生まれて来るケースが多いです。そういった子供たちに宿っているのは犠牲的な魂と言えます。
犠牲的な魂は聖霊によって守られているので、死を迎えるまでも私たち大人ほどには苦痛は感じないです。これは神の慈悲の法則によるものです。
言葉を超えた共感やテレパシー能力
赤ちゃんはお腹のなかで、ヘソの緒によって繋がっていて、生まれてくるときにそれは切除されますが、実は霊的なエネルギーにおいては繋がりを維持しています。これは親子間で結ばれているエーテルコードです。ある意味、このエーテルコード(互いを結ぶエネルギー的な絆)が今世での親子関係をいっそう強めてると言えるかもしれません。
子供たちは、言葉を超えたテレパシーや共感能力を持っています。私たち大人の言葉や態度を敏感に感じ取り共感することができます。とくに親の感情、もっと言えばエネルギーの変化にとても敏感です。ですから、私たち大人が言葉で表現できない深い思いや感情をも理解することができるのです。
子供とのスピリチュアルな繋がりは、言葉では言い表せないほど深い絆と強い愛情で結ばれています。この絆は、どんな困難にも耐え得る強さと温かさを持っていて、互いが辛いときに支えとなでしょう。
エーテルコードに関してはこちらの記事が参考になります。
子供を通して感じる、スピリチュアルなメッセージ
子供となる魂は、親となる魂と環境を選んで生まれて来ます。その目的は人間がこの地上に生まれてくる目的そのもので、カルマの解消と魂の成長のためです。
子供が生まれるときはその喜びの大きさや、親子が持つ主従関係のようなもの、先々の見通しに目がいきがちで見落とすことが多いのですが、子供が生まれてくるのには理由があります。
解消させたいカルマ、成長させたい要素、「その人生の課題やテーマ」があり、それに基づいて「親と環境」を選びます。
それはある意味、子供が生まれるという出来事の背後にあるスピリチュアルなメッセージのようなもので、「子供のカルマの解消と魂の成長のサポート」といった観点を持って育児ができると、親となる側も、自らのカルマの解消と魂の成長も大きく前進できると想います。
子供の不思議な言動と不思議な力
子供たちは、私たち大人の理解を超える不思議な言動をすることがあったり、不思議な力を持つことがあります。子供ゆえの純粋さによって得られる霊的な視野、発育段階のアンバランスさが生み出す一時的な霊能力やそれにより蘇る前世の記憶、小さな子供はそういった霊的な力によって目に見えない存在と交流したりすることもあります。
多くの場合は一時的なものとして現れいずれ消えて安定しますが、親子間での想念の力によって霊能力が具現化され、そのまま固定される場合もあります。これは簡単に言うなら、親の想念によって子供が誘導されて、霊能力が具現化、実現するケースです。
陰陽師などは幼いころから霊的な修業をするため、発現した霊能力が失われずに成長するみたいな側面はあります。
子供とスピリチュアルな学び
親が子供を育てる、そんなのは当たり前のことですが、スピリチュアルな視野でいえば、親子関係も「魂と魂」言わば対等です。ですから、親となる人は、親(この世界の先輩)として、教えるべきことはしっかりと教えて、子供が自立するまではしっかりと育てなければなりませんが、そのうえで、いずれ子供が対等の人間となって自分のもとを離れていくことを想定した接し方をしなければなりません。
子供に上下関係を押し付けない、支配しない、依存しない、といったことです。親子の絆は愛であるべきなのです。
それと、親となる側に真摯に学ぶ姿勢があれば、子供は多くの学びを与えてくれます。つまり自分は、子育てを通して先生にも生徒にもなれるわけです。
子供から学ぶ、無条件の愛
子供たちは、私たちに無条件の愛と信頼を教えてくれます。彼らは、ありのままの自分自身を愛し、受け入れることができ、周りの人々に同じように接することができます。私たち大人が難しいと思っているような愛にあふれた立ち振る舞いを、子供はなんなくすることができます。キリストは「子供のようにならなければ天の国に行くことはできない」と教えましたが、私たちも小さな子供たちから愛を学びましょう。
子供の純粋な心と想像力から学ぶ
子供たちは、純粋な心と豊かな想像力を持っています。彼らは固定観念にとらわれず、自由な発想で物事を考えることができます。できればそんな子供たちの想像力にふたをすることは避けたいですね。
そして私たち大人は、いつのまにか自分の力や可能性を信じられなくなり、「今の自分はこんなもの」「自分の人生はこんなもの」と枠組みを決めてしまいます。
子供たちの純粋な心と想像力を学ぶことができれば、私たちの「想念の具現化」はより多くの制約を打ち砕き、自由に好ましい現実を生み出すことができます。
子供を通して、自分自身を深く理解する
子供はやはり自分とよく似た面を持っていますし、もっと言えば子供であるがゆえに率直です。
子供との関わりを通して私たちは自分自身を深く理解することができます。子供の無邪気な言葉や行動に、自分自身の心の奥底にある思いや課題が映し出されることがあります。
子供との関わりを通して、スピリチュアルな成長を促す
子供は自分に似てると思わされる半面、逆に子供はやはり、自分とは異なる存在なのだと思わされることもよくあります。子供が少しずつ成長するにしたがい、接する親の側が受け取る感情も少しずつ変化します。
自分が学生時代の時に経験したような他人との関わりであったり、職場に存在しているような人間関係ともよく似ています。それはある意味、家庭の中にも学びとなる小さな人間関係が生まれるみたいな感じです。
子供との関わりを通して、子供に映し出された自己の課題を理解したり、子供との関係性において他人との関わりで得られるような学びをえる。いずれにしても子供から学べることは多いです。
子供をの関係で愛と忍耐を学ぶ
子供はかわいらしいばかりではなく、ときには憎らしい態度をとってきたり、思うように言うことをきいてくれなかったり、様々な責任が重くのしかかってきたりもします。育児はとても忍耐を必要とします。
私たち人間は、カルマの解消と魂の成長のためにこの世界で生まれ変わりを繰り返し学びを得るのですが、そんな私たち人間を、神は無限の愛によって無限の時間、見守り、待ち続けています。
育児も同じです。私たちは無限の愛によって子供を育て、見守りましょう。忍耐とは無限の愛なのです。
親子関係によくあるスピリチュアルな課題
ここでは子供との関係性でよくいただく質問についてお答えしたいと思います。
子供の言動や行動にイライラする
怒鳴ったり手をあげてしまう人もいるみたいですよね。私の父親も手をあげるタイプでした。よく、親が暴力をふるう家庭で育つと、その人は家庭を持つと同じように子供に暴力をふるう、みたいなことが言われますが、私自身はそうはならなかったので、傾向はあれどきっと最後は本人次第なのだと思います。
幼児や子供に寛容になる秘訣ですが、大前提としてですが一見意味のないことや無駄なことに見えても、子供たちは理由があっていろいろとやってます。この理由というのは子供自身に説明できるたぐいのものではなく、成長のためとか、将来のためのあるいみ試行錯誤です。
よくあるのは幼児が食べ物をこねくり回したり投げたとか、物をひっくり返してこぼすなのです。親を怒らせてしまうようなさまざまな行為ですが、この世界の法則を学ぶためであったり、親の反応など、あらゆる刺激をインプットしたくてやってます。やられるとイライラしますし怒りたくもなりますが、「知育」とか「脳の発育のため」と思って前向きに接しましょう。
あと、小さい子の夜泣きとか、食べ物の好き嫌いとか、友達とよくトラブルを起こすとか、これらはカルマ的な要因が強いです。子供とは言っても人間なので前世からさまざまなカルマを持ち越し、それによって生まれる様々な傾向を持ってます。
カルマの解消と魂の成長のサポートをしてあげましょう。
子供が勉強をしない
私も勉強はまったくといっていいほどしませんでしたが、授業中も絵ばかり描いていた結果、デザイナーになって、今は上場企業でそこそこの役職についています。まあ結果論といえばそれまでなのですが、人間の人生としていくつも選択肢はあってもよいかなって思っています。
スピリチュアル的にいうのであれば、自分が心からやりたい!って思うことは、それが過ぎた娯楽や依存でない限りはその子が前世から持ち越した衝動や才能だと思うので、その能力を伸ばしてその道に進むサポートをするのはありだと思います。
ただ、私がおすすめするのは、右か左か?ではなく、どちらの道も可能性も子供に与ええてあげることです。つまり、好きなことをやらせるかわりに、勉強もちゃんとやらせる。2つの将来を見据えるといったことです。
ちなみに、子供にやらせたいことは、親も一緒にやると進みが良くなることはよくあります。たとえば子供に勉強をさせたい時は、自分も近くで勉強したり、読書をするなどです。
子供が大人びている
個人差あると想いますが、親がしっかりしてないと子供が子供らしくなくなる、ってのはあると思います。私もそうだったので(笑) 親が共働きで下に兄弟が居るとか、子供の自立心が育つような環境ではよくある話しかと思います。それはそれで良いことだと思いますし、留意すべきは、「愛情が足りているか?」ってことです。大人びてても構わない、でも愛情が不足しているようなら、愛を与えてください。
スキンシップとか、一緒に居たり話しをする時間を増やしたり、なんでも構いません。大切なのは愛そのものです。
子供の非行
子供の非行は、私が言うまでも無く、子供からの救急サインです。親との時間の不足や愛情の不足を補うために、何かしら別の依存先を探したり、親に向かって悪態をついたり怒られるようなことをして関心を非行としているわけですが、そこをはき違えて子供を一方的に叱ったり失望してみせるなどのコミュニケーションを取ると互いに傷つくような結果に陥ったり、悪循環に陥ります。
①子供が愛情が足りなくて非行に走る
②子供が悪さしたから親が叱って突き放す
③子供はよりいっそうの愛情の不足に陥り、より深刻な非行に走る
こんな悪循環です。悪循環が進むと、子供の反発が強くなり親の愛情を受け付けなくなります。親が1度失った信頼を取り戻すのは結構なエネルギーが必要なので、早い段階から対処しましょう。
この記事ではちょこちょこ私自身の話しが出てきて恐縮なのですが、私も6歳ぐらいから14歳までグレてました。悪友と夜遅くまでゲームセンターに入り浸ったり、いろいろ悪さをして母親にはこっぴどく叱られました。グレていても母親との関係は良好だったのは、仕事で忙しくて帰りが遅くても、家に居るときには私のことを構い、ちゃんと愛情を向けていてくれたことが解ってたからです。仕事で重たい荷物を運ぶときなどは、私も手伝ったりしたものです。
具体的に私が非行ではなくなったキッカケは、共働きだった母親が、仕事を辞めて家に居るようになったことです。当時の私の非行をなくすためにそうしたと大人になってから聞かされました。
愛情の質と量を担保するのは大変です。じつはこれは経済的なことも関わる根深い問題で、母主家庭のように子供のそばに居たくても出来ないようなケースも多いので、国は勿論ですが、社会全体で協力して支援できるような仕組みが必要なのだと思います。
不妊治療や体外受精でこどもを授かった
これと近しい話で、無痛分娩で子供を産んだとか、なにか自然の摂理に反してるみたいな負い目を感じる人がいるみたいです。人それぞれにさまざまなカルマを持ち、それを解消する為の環境や課題も人それぞれです。
スピリチュアル的に言うなら、この世界でそもそも出来ないことは、何そしても「絶対に出来ない」です。なので、不妊治療でも体外受精でも、それが可能であったなら、そうすべき必要性が何かしらあって、そうなったのだと思います。
「どのように生まれようとも命」そして大切なのは「愛」です。子供が生まれてきてくれたなら、精一杯愛して育てましょう。周りの人に出来るのも理解や寛容など、愛をもって接することです。
養子縁組とスピリチュアルな繋がり
カルマ的な背景あってのことだと想います。親子とか血につながりって、強い絆を持っているように想えますが、人間と人間である以上は本質は「魂と魂の絆」です。
親子とか、血が繋がってる繋がってないとか、何年一緒に居るとか、極論で言えば関係なく、「魂と魂の絆」が強い人たちが何より強いです。
子供が障害をもっている
これもカルマ的な要因が強いです。このカルマ的な要因っておもに3つあります。
- 障害を持つカルマが子供側にある
- 障害を持つ子供を持つカルマが親側にある
- 親と子供の双方にカルマがある
実際にはカルマを持たないサポート的な魂が介在しているケース以外はほぼ全て3番の「子供と親の双方にカルマがある」のケースに該当します。おおよそ8割ですね。
カルマ的に関わっているのか?サポート的に関わっているのか?地上の私たちには普通それを知る術はないので、自分のカルマだと思っておいた方が良いでしょう。もしそのように当事者意識を持つことが出来たなら…
「産んだ親が悪い」とか「生まれてこなければ良かった」などと言わずにすむでしょうから。(まあ、感情的にそう言ってるだけで本心ではないことのほうが多いでしょうが)
過去生のことで記憶がなかったとしても、全部自分です。ですから、スピリチュアル的に言うならば、状況を受け入れて、最善を尽くし、相手をサポートし、自分のカルマを解消させたり、正しい行いを積み重ねましょう。
カルマとは、返済してしまえばその後負うことはありません。ごく稀にですが、関わる人々の正しい行いが奇跡的な回復という結果をを引き寄せることがあります。
子供が居ないのが悩み
結婚出来ないとか、子供が出来ないとか、そういった悩みの背後にあるのはやっぱりカルマの法則です。なぜそのようなカルマの働きがあるのか?ここでは細かいことは割愛しますが、過去生の私たち人間は、今では考えられないぐらいに残酷なことを人に行えた時代や環境がありました。自分はどうして?とかカルマ的な理由を知る術はないので、状況を受け入れて、あとは天に任せて、自分自身は正しい行いを積み重ねるのが良いでしょう。プラスのカルマでマイナスのカルマをある程度は相殺できますから。
それと、一定の割合で「他に成すべきことがあるから」といった理由で結婚とか子供から遠ざかる人生を歩む人も居ます。聖書にもこんな言葉がありましたね、「神のために一生結婚をしない人間も居る、受け入れられる人は受け入れなさい」
人間には自由意志があるので、いろいろとあがいてみるのも良いと思います。ただし、その動機と行いが愛であることが大前提です。
子供とのコミュニケーションを深める
まあ難しいことは何もないです(笑) 時間とエネルギーを割いてたくさん愛しましょう。本当にそれだけです(笑) ですが、一応言語化して書いておきますね♪
子供とのコミュニケーションで絆を深める
- 子供の話をよく聞き、共感的に接する
- 子供の気持ちを受け止め、理解する
- 子供の意見を尊重し、一緒に考える
- 子供と一緒に楽しい時間を過ごす
- 子供に愛情を伝え、スキンシップを取る
多くの子供たちは、成長するにつれ愛の不足を感じ始めます。0~5歳ぐらいまで、親から無制限かと思われるほどに与えられていた愛情が徐々に減ってゆき、何でだろう?って感じています。親の視点で言うなら、実際はただ単純に「子供が手間が掛からなくなった」という理由なのですが、子供が愛情の不足を感じるこの傾向はおそらく14歳ぐらいまでは潜在的に持ち続けています。子供は多少大きくなっても求めています、愛情やスキンシップを。ただ、自分から言い出さない、言い出せないことは多いみたいですね。
オススメは、良いコトしたときは頭を撫でてあげることです。照れくさくなければハグしてあげてください♪
子供の才能と可能性を育む
- 子供の興味と関心を尊重し、伸ばしていく
- 子供の才能と可能性を信じる
- 子供の挑戦を応援し、励ます
- 子供の自主性を尊重する
- 子供に夢と目標を持つように促す
子供がずっとやり続けるようなことにこそ、子供が過去生から持ち越してきた才能があります。ずっと体を動かしてる、音楽を聞くと踊り続ける、ずっとラクガキ帳に絵を描いてる、ずっと勉強してるなどなど。
疑うことを知らない子供の想念は、子供のうちは弱くても、信じて積み重ねたものにはとても大きな力を持ちます。ですから、親もそれを信じて一緒に育みましょう。
よくあるのが、親が子供に対して、「おまえそんなの成れるわけないよ」とか「普通はそんなの無理だから」とか「よほど才能が無いと」などといった言葉で、子供の想念と可能性に蓋をしてしまうことです。
現実は現実として教えつつ、可能性に蓋をしてしまわないように気をつけ、状況が許すならサポートしたり一緒に取り組みましょう。
子供の才能と可能性を育む
- 子供の夢と目標を真剣に受け止める
- 子供の夢と目標を応援し、励ます
- 子供の夢と目標のために、協力とサポートする
- 子供の夢と目標が叶うように、祈りを捧げる
これも才能と可能性の話しに通じますが、親が出来ることって実はたくさんあります。まず前提として、相手は自分と対等の魂なので、その存在のポテンシャルは自分(大人)と変わらないです。ですから、知識や技術などは与えるほどに吸収します。
上記のような前提があると、会話の性質が変わってきます。
例えばですが、最近私の13歳の息子が「YouTuberになりたい」と言ってきたので、息子と会話になるときは、どんな人たちに見てもらいたいのか?(ターゲットの選定)どれぐらいのチャンネル登録と再生数があれば収益化できるのか?
そのために、自分が使う時間をいかに短くして質の高いコンテンツを作るのか?とか、お父さんの会社では新しい仕事をするときに1人30個のアイディアを出すけどやってみるか?みたいな会話になります。そしてスプレットシートの使い方を教えてそこでやりとりしたり、たまに作戦会議をします。
あと、話し方とかは結構重要です。プレッシャーを感じて及び腰にならないように、楽しさを感じられるように、あと、好きなことを仕事に出来たときに得られる喜びとか。
そして成功を願う、祈るですね♪
子供にスピリチュアルなことは教える?
私は一切してないです。スピリチュアルは毒にも薬にもなります。普通、劇薬を子供の手が届くところに置いたりしないですよね?
たまに幼い子供に霊能力開発みたいなことをしたり、親が持つスピリチュアルな世界観を共有する人がいますが、それは良し悪しですし、リスクはあります。
まあ、そういった環境を選んで生まれてくる子供側のカルマとか人生設計もあるのでしょうから、「悪い」ということではなく、あくまでも「リスク」はあるといった話です。
どのようなリスクか?霊的な中枢を刺激し、霊的にアンバランスになることです。制御不能な霊能力が発現したり、それによってチャクラや心を壊してしまうリスクです。
もし子供たちにスピリチュアルな情報とか価値観が必要なのであれば、彼らが成長した際に自分で出会い取り入れていくでしょう。
子供たちにとって今大切なことは、「オーラ」とか「チャクラ」とか「霊能力」などではなく、「思いやりのある正しい心」とか「愛」を育むことです。
まとめ
子供は、自分のカルマの解消と魂の成長にもっとも適した環境を選んで生まれてきます。そして、親子関係の本質は、「魂と魂」つまり対等です。
親にとっても、子供はカルマの解消や魂の成長のために必要なパートナーです。
子育てや子供との関係性を通して学べることはたくさんあります。そして様々な問題やトラブルがおきることもあるでしょう。ですが、子供と接するときに大切なのは、「愛の質と量」です。
自分が子供に与える愛の量は、接する時間などで増やすことができます。ですが、愛の質を高めるためには、自分自身の愛の品質を磨かなければなりません。ですから、心を清めて愛をもって生きましょう。
それができたなら、より多くの課題解決や、魂の成長を実現できますから。
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