人生に飽きたら、スピリチュアルな危険サイン!人生を生きる意味を確認

生きることは日々、死へと近づいていくことです。どうせ全てを失うのに、生きる意味があるのか?
「毎日が同じことの繰り返しで、人生に飽きてしまった」「何を見ても、何をしても心が動かない」…そんな虚無感や倦怠感に、心を覆われてはいませんか?その苦しい感覚は、決してあなただけが抱えるものではありません。世の中の多くのスピリチュアルな情報では、こうした感情を「人生の転換期」や「魂の成長のサイン」といった、耳障りの良い言葉で説明することがあります。しかし、もしそれが、魂が発する、もっと切実で危険なサインだとしたら、あなたはどうしますか?安易な癒やしの言葉では終わらせません。「人生に飽きた」という感情の裏に潜む、スピリチュアルな本質的と危険性、そこから抜け出し、再び魂の輝きを取り戻すための真の道筋を、お話したいと思います。
【目次】
「人生に飽きた」あなたへ

もし、あなたが今、ご自身の人生に彩りを感じられなくなっているとしたら…。それは、あなたの内なる声が「本当にこのままで良いのですか?」と、静かに、しかし力強く問いかけているのかもしれませんね。
巷で言われる「人生に飽きた」時のスピリチュアルな意味
「人生に飽きた」という感情をインターネットで検索すると、多くのスピリチュアルな解説が見つかります。それらの多くは、「人生に飽きた人」の感情を優しく受け入れ、ポジティブな側面を説明しています。例えば、一般的には以下のような内容が多いです。
魂のステージが変わる「人生の転換期」の前兆
これまで親しんできた物事や人間関係に興味が持てなくなるのは、あなたの魂が次のステージへ移行する準備を始めたサインだと考えられています。古い価値観やエネルギーを手放し、新しい自分へと生まれ変わるための、いわば「さなぎ」の期間なのだ、と。
これまでの経験から学ぶべきことを終えたサイン
一つの学びのサイクルが完了すると、次の課題へと進むために、今いる場所からの卒業を望みます。仕事や趣味、人間関係に対して「もうやりきった」「飽きてしまった」と感じるのは、その分野での学びを十分に吸収し終えた証拠なのだ、という解釈です。
ハイヤーセルフからの「一度立ち止まって」というメッセージ
がむしゃらに走り続けてきたあなたに対して、高次の自己(ハイヤーセルフ)が「少し休みましょう」「内面を見つめなさい」と、休息を促しているという考え方です。この停滞感は、自分自身の心と深く対話するための、貴重な時間を与えられているのだと解釈されます。
これらの解釈は、どれも間違いではありません。確かに、人生の倦怠感にはそういった側面も含まれていることでしょう。しかし、私の経験と考えから申し上げますと、これらは物語の半分でしかありません。もし、この優しい解釈だけで満足してしまったなら、私たちは魂が発する最も重要な警告を見過ごしてしまう危険があるのです。

それが本質でしょうか?魂が告げる本当の危険信号
スピリチュアルな本質は「愛の逆は、無関心」
私が、そしてこのブログ「天空の庭先」が、何よりも大切にしているのは「心を清めて愛を持って生きる」ということです。愛とは、他者へ、世界へ、そして自分自身の人生へと向けられる、積極的で創造的なエネルギーです。
では、その「愛」の対極にあるものは何だと思いますか?
憎しみや怒りではありません。それらは、形は歪んでいても、まだ相手に強いエネルギーを向けている状態です。失敗にも成長があります。
本当の愛の逆、それは「無関心」です。
「人生に飽きた」という感情の根底にあるのは、まさにこの「無関心」です。何事にも心が動かず、情熱を失い、自分の人生という物語の傍観者になってしまう。これこそが、魂にとって最も避けたい「停滞」という危険な状態なのです。
魂の目的は「成長」にあります。喜びからも、そして苦しみや悲しみからでさえも学びを得て、魂の輝きを増していくことが、私たちの存在理由です。しかし、「無関心」はその成長のサイクルを完全に止めてしまいます。水が流れを止めると淀んでしまうように、私たちの霊的な本質も、エネルギーの流れが止まると、その輝きを失ってしまうのです。
ですから、「人生に飽きた」というサインは、「転換期で良かったね」と安易に喜ぶべきものではなく、「このままでは魂の成長が停滞してしまいますよ」という、緊急警告として、真摯に受け止める必要があるのです。
人生の目的と生きる意味を再確認する
では、停滞という危機から抜け出し、再び人生の舵を力強く握るためには、どうすれば良いのでしょうか。それは、私たち人間が、なぜこの世界に生まれてきたのか、その根源的な目的に立ち返ることに他なりません。
私たちはなぜ、生まれ変わりを繰り返すのか
生きることは日々、死へと近づいていくことです。
いずれ死して肉体は無に帰すのになぜ人間は痛みや苦しみを感じながら、ときには絶望しながらも生きていかなければならないのでしょう?
その理由は簡単です。人間にとって死は終わりではなく、肉体は死しても魂は不滅だからです。人間の魂は輪廻転生を経て来世へと生まれ変わります。
人生の目的、そして生きる意味とは過去世から持ち越してきたカルマを解消させて魂を成長させることです。
人間の魂が人間として肉体に宿り生まれてくるのには理由があります。
人間が輪廻転生によって生まれ変わりを繰り返すのには2つの理由があります。
- 過去世の罪を解消する為
- 魂を成長させるため
カルマの法則をご存じでしょうか?
原因と結果の法則とも呼ばれていて自分の行いが自分自身に報いとなってかえってくるという法則です。たとえば、人を助けたらいつか自分も助けてもらえるとか、人を殺したらいつか自分も殺される。人間には原罪があり、過去世の自分自身の行いを解消する為に生まれ変わってくるのです。
そして魂を成長させるために必要なことは、自分の内により大きな愛を育むことです。ここで言う愛は、人間的な愛情ではなく、利他的な愛、無私の愛です。
わたしたち人間が、過去世の罪を解消して魂を成長させるためには、心を清めて愛を持っていきることが必要です。


人生の目的を見失った時の、ただ一つの答え
たまに人生の目的が無い、人生の目的がわからないという人がいます。そして人生の目的を見失ってしまう人も。
今世を無気力に生きたとしても、来世は再び巡ってきます、来世を無気力に生きても再来世が、結局のところ、自分で立ち上がり、歩き出すしかないのです。
この記事をよむあなたにとって、人生の目的とは何でしょう?人生の目的や生きる理由はひとそれぞれにあると思います。
もしあなたが、自分を生んでくれた親のために正しく1人前の人間として生きることが目的であったなら、それはとても素晴らしいことです。
もしあなたが、結婚したパートナーのため、生まれてきた子供のために家族の一員として平和な家庭を営むことが目的であったならそれは素晴らしいことです。
もしあなたが、社会やこの地球のために正しいことを目的として生きているのならそれはとても素晴らしいことです。
自分以外の誰かのために、この世界のために自分の人生に目的を持って生きられたなら、本当にそれは素晴らしいことです。
もしあなたが、自分には人生の目的が無い、人生の目的がわからない、人生の目的を見失ってしまったというのであれば、私がすべての人に共通する、人生を生きるもっとも大切な目的をお教えします。それは…
生きることです
生きていれば良いことも悪いことも巡ってきます。この世界の創造主は幸いなことに私たちの人生に苦しみや悲しみだけでなく、楽しいことや喜び、たくさんの生き甲斐も用意してくださいました。
生きていさえすれば、たとえ苦しくても、つらくても、あなたは成長し続け、いつかゴールを迎える日が来ます。
あなたの一番大切な人生の目的、生きる意味は「生きる」ということそのものです。
そして今あなたはこの世界に生きていますしそのこと自体が目標へと進んでいることを意味します。

人生に「天使」を見るのか、それとも「悪魔」を見るのか
「生きること」そのものが目的だと理解したとしても、日々の生活の中で無関心や虚無感に襲われることはあるでしょう。その時に重要になるのが、あなたの「視点」です。あなたの目の前で起きる出来事の中に、あなたは何を見出しますか?
人生に日々訪れる天使と悪魔
天使も悪魔も普通は目には見えない存在です。
天使や悪魔が私たちの元を訪れても気づくことはなかなかないと思いますが、良いことや悪いことなら毎日自分の身におきます。
例え話です。
目の前に天使と悪魔がやって来ました。
ある人には天使だけが見えました。
ある人には悪魔だけが見えました。
天使を見た人は幸福な気持ちになりました。
悪魔を見た人は恐怖で恐ろしくなりました。
このとても単純なたとえ話を私たちの毎日の暮らしに当てはめたならそこにはたくさんの学びが存在します。
例えば、勤めている会社にあたらしい人が入ってきた時、私たちはまずその人を最初の印象を受けたときから観察します。容姿、人間性、仕事のでき、人によってさまざまな部分を見て自分の経験や基準から判断しはじめます。美か醜か、善か悪か、優か劣か、白か黒か、天使か悪魔か。
もしその人の内に未熟さや粗、悪い部分だけを見たのであれば、その人に仕事上迷惑を掛けられたとき、あなたの目にまるで悪魔のような存在にうつるかもしれません。
その時もしかしたら良心は、自分の心の醜い部分をも発見するかもしれません。
もし人の中の天使性、神性を見るように心がけたのであればそこにはたくさんの幸福があります。
人の中に天使性や神性を見るとき、自分の内にも天使性や神性を発見するはずです。
そしてこれは人だけに限定した事ではなく、仕事や環境、自分の人生のなかで自分に訪れるあらゆるできごとに同じことが言えます。
例えば、人生に何をみるのか?今つらく苦しいできごとの中に何を見るか?喜びに満ちたできごとの中になにを見るのか?
天使か悪魔か。
天使が苦しみの果てに道を示すのか?
悪魔が破滅に導くのか?
どちらを見るかは自分が決めることです。これを読むあなたは、自分の人生にどちらを見るのでしょう?さて、このたとえ話にはまだ続きがあります。
なにも見ない、見えないことの恐ろしさ
ある人には天使と悪魔の両方が見えませんでした。見ようとしませんでした。その人はなんの機会も得ませんでした。
あるがままを受け入れることで見えてくる「真理」
ある人には天使と悪魔の両方が見えました。その人は真理を知りました。
なぜでしょう?
あるがままを受け入れるとはつまりそういうことなのです。
魂の視点で言えばもがき苦しみ回り道をした人生こそが本当は近道なのです。なぜなら…
真理は光と闇それぞれの中にひとしくするからです。
だからこそ、大きな苦しみの内に沢山の闇を見た人が後に見る光はとても大きな輝きを持っているのです。
「人生に飽きた」という無関心の闇。その中にでさえ、あなたは「このままではいけない」という光の種を見出すことができます。天使や悪魔だけでなく、今自分の目の前にあるものを真摯に見つめ受け入れること。それが、停滞から抜け出すための第一歩となるのです。
魂の停滞から抜け出すためのスピリチュアルな方法
魂の危機を認識し、人生の目的を再確認したなら、次に行動を起こしましょう。ここでは、あなたの淀んだエネルギーを動かし、再び生命の流れを取り戻すための具体的な方法をいくつかご紹介します。
意図的に「五感」を使い、世界と関わる
無関心とは、世界との接続が切れている状態です。まずは意識的に五感を使い、世界との関わりを取り戻しましょう。
- 見る:美しい夕焼けや、道端に咲く小さな花を、ただじっと見つめてみてください。
- 聞く:好きな音楽に没頭したり、川のせせらぎや鳥の声に耳を澄ませてみてください。
- 味わう:一口一口を丁寧に、感謝して食事を味わってみてください。
- 香る:アロマを焚いたり、雨上がりの土の匂いを感じてみてください。
- 触れる:ふかふかの毛布にくるまったり、木の幹にそっと触れてみてください。
小さなことで構いません。世界が「そこにある」ことを、あなたの五感で再認識することが大切です。
内省を通じて、心の淀みを言葉にする
「人生に飽きた」という漠然とした感情を、具体的に掘り下げてみましょう。ノートとペンを用意し、誰に見せるでもなく、ただ心に浮かぶことを書き出してみてください。
- 何に「飽きて」いるのか?
- いつからそう感じるようになったのか?
- 本当はどうしたいのか? どうありたいのか?
- 今、感謝できることは何か?
言葉にすることで、心の中の混沌が整理され、問題の本質や、本当に望んでいることが見えてくることがあります。
小さな「与える」を実践する
無関心は、エネルギーが内側で停滞している状態です。この流れを変える最も効果的な方法は、「与える」ことです。
大それたことでなくても構いません。
道端のゴミを一つ拾う。誰かに笑顔で挨拶をする。植物に水をやる。家族のために簡単な料理を作る。
ほんの少しでも、自分のエネルギーを外側に向けて使うことで、新しいエネルギーが流れ込む循環が生まれます。愛とは、与えることによって、より豊かになるものなのです。
エネルギーを生み出す
これは、卵が先かニワトリが先か?みたいな話にもなってしまうのですが、私たち人間は、目的をもち、それに向かう意志をもったときに、体の中に在る7つの霊的な中枢、とくに第一チャクラからエネルギーが湧き上がります。
人間の意志力は喉にある第五チャクラか司っています。
つまり、人間の意志は声に強く宿るのです。目標を決めて声に出しましょう。それも可能であれば、大きな声で!!!それが停滞から抜け出すための最初の呼び水となるエネルギーを与えてくれますから。
スピリチュアルとの健全な向き合い方
「人生に飽きた」という苦しみから逃れたい一心で、スピリチュアルな情報に過度に依存してしまうことには注意が必要です。残念ながら、スピリチュアルな世界には、人々の不安を煽り、高額な商品やサービスへと誘導しようとする人々も存在します。
本当のスピリチュアルな成長は、誰かから与えられるものではなく、あなた自身の内側から生まれるものです。他人の言葉や占いの結果は、あくまでヒントやきっかけに過ぎません。最終的に信じるべきは、あなた自身の心の声、直感です。
もし、ある教えや人物に対して少しでも違和感や恐怖を感じるのであれば、静かにそこから離れる勇気を持ってください。
虚無感の先にある、新しい段階へ
「人生に飽きた」という感情は、魂があなたに送る重要なメッセージです。
それは、人生への無関心という危険な「停滞」のサインであると同時に、これまでの生き方を見つめ直し、より深く、より本質的な人生の目的に目覚めるための、またとないチャンスでもあります。
どうか、その虚無感を恐れないでください。人間はその闇の中から「本当に大切なもの」を見つけ出す力を持っています。
生きることそのものを目的とし、日々のできごとの中に光を見出す努力を続けること。そして、心を清め、愛を持って生きましょう。
その地道な一歩一歩が、魂の停滞を打ち破り、人生という素晴らしい旅への再び情熱の火をつけてくれるはずです。
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ウリエルさん、皆さま、こんにちは。
日本は、台風など災害続きと聴いていますが、ウリエルさんや皆さんのところの被害が
最小限で済んでいますように。。実は、私の住んでいる国でも、ちょっとした自然災害があったのですが
幸い私や家族は、ありがたいことにそれほど困るようなことにはならなかったのですが、こう言う時は
当たり前のことが当たり前ではなく、ありがたいことなのだと気づくきっかけになりますね。
いつも素晴らしい記事ありがとうございます。
生きていること自体が生きてる目的である。本当にその通りですね。
この国には、難民もいて、とんでもない状況下から逃れてきた。という友人がいるのですが
彼女は、今生きているだけで儲けものと言います。家族が生きていることが奇跡だと言います。
彼女は、有名人ではありませんし、もちろん、お金持ちでもありませんし、何かすごいことを成し遂げたわけでもありません。敢えて言えば生き延びたことが、すごいことを成し遂げた、、のではあるのですが。。
ちっぽけなことに心から感謝し、感動する彼女、人を本当に大切にする彼女を見ていると
どれだけ自分が欲深く、恵まれてきたのかが身にしみます。
私も、この人生精一杯、魂を磨いて、願わくは、関わりを持ってくださった人たちの魂を磨くお手伝いを精一杯して、また生まれ変わる、その日まで懸命に生きたいと思います。
悪魔と天使の両方を観て真理を知るというのも、なんとなくわかります。
全て自分の心次第で、この世界が闇にも光にも変わるということでしょうか。
物質的な観点から観た闇の中に光を見いだすことは、非常に難しいことではありますが。。
光を見出せるように人生という修行を続けていきたいものです。
いつも長文で申し訳ありません。
✰ウリエルさま☆
magunoliaです。
本日も素晴らしい内容の記事を読ませていただき、本当にウリエルさんのおっしゃるとおりだなぁと思いました。
この肉体を持たないと体験出来ない様々なこと。
私の人生も振り返ってみますと、出来れば逃げ出したくなるような辛い悲しい出来事もたくさんありました。
ですが…
この辛くて悲しい体験があったからこそ、穏やかな日常生活がどれだけ貴重で恵まれており、そのありがたみに気づくことができました。
家族や友人やたくさんの方の愛にも気づくことが出来ました。
もちろんこの大自然の恵みにもです。
私の人生が平穏無事で、なんにもなかったら、この世の仕組みや宇宙の法則を知りたくて、たくさんの書物を読むこともありませんでした。
そう考えますと、この世で起こる様々な体験もすべてが自分にとって神さまからのギフト贈り物であったと思います。
そう突き詰めて考えますと
まさしく、ウリエルさんのおっしゃるように『心を清めて愛の思いで生きること』になると思います。
笑いながら、喜びながら、感謝の思いで生きれたら最高です(^^♪
いつも天使たちを見て、私は生きていきたいと思います。