自分を大切にする心、分かち合う心を幸福の王子とスピリチュアルで学ぶ

幸福の王子の分かち合う心

「自分を大切にしましょう」スピリチュアルな探求の道において、何度も耳にする言葉かもしれません。しかし、その本当の意味を深く理解している人は、案外少ないのではないでしょうか。
「なぜ自分を大切にする必要があるの?」「自分を優先するのは、わがままなのでは?」「自分を大切にすると、具体的に何が変わるの?」
この記事では、こうした根源的な問いに答えながら、「自分を大切にする」ことの本当のスピリチュアルな意味をお話していきます。そして、オスカー・ワイルドの名作童話『幸福の王子』を題材に、自己愛と他者への愛、そして真の豊かさについてお伝えしていきます。


 

なぜ「自分を大切にする」ことがスピリチュアル的に重要なのか?

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☆ウリエル☆

自分を大切にすることは、ゴールではありません。それは、あなたの内なる愛の泉を満たし、その愛を世界へと溢れさせていくための、すべての始まりなのです。この記事が、あなたの泉を豊かに満たす一助となれば幸いです。

まず、なぜこれほどまでに「自分を大切にすること」が重要なのでしょうか。それは、自分自身をどう扱うかが、あなたの放つエネルギー、すなわち「波動」を決定し、あなたの現実そのものを創造していくからです。

  • 人生の流れが好転する: 自分を大切にし、心地良い状態でいることを自分に許可すると、あなたの波動は自然と高まります。波動の法則により、その高い波動に共鳴する、より良い出来事やチャンスが引き寄せられてきます。
  • 人間関係が劇的に改善する: 自分を大切にできるようになると、他者からの不当な扱いや、自分を犠牲にするような関係性を手放す勇気が湧いてきます。その結果、あなたを本当に尊重し、大切にしてくれる人々が周りに集まるようになります。
  • 心からの幸福感に満たされる: 他人からの評価や外的な条件に依存することなく、自分自身の内側から湧き上がる穏やかで満たされた感覚、すなわち本当の幸せを感じられるようになります。

「自分を大切にする」と「わがまま」のスピリチュアルな違い

多くの人が「自分を大切にすること」に躊躇する理由の一つに、「それは自己中心的、わがままなことではないか?」という罪悪感があります。しかし、スピリチュアルな視点では、この二つは全く異なります。

  • わがまま・自己中心: 他者のエネルギーや時間を奪ってでも、自分の欲求を満たそうとすることです。これは「愛の不足」からくる渇望であり、周囲との間に不和を生み出します。つまり、利己的な心であると言えます。
  • 自分を大切にする: まず自分自身の内なる愛の器を、自分で満たしてあげることです。自分が愛で満たされて初めて、その溢れた愛を自然な形で他者へと分かち合うことができます。これは、自他共に豊かになる、愛の循環の始まりです。

自分を犠牲にして他者に尽くすことはたしかに美しいです。ですが、まだまだ心に未熟さを残す多くの人類にとっては、エネルギーの枯渇や、見返りを求める心を生み出しかねません。まず自分を満たすこと。それが、本当の意味で他者を愛するための第一歩なのです。


自分を大切にする心と豊かさ

豊かさや幸せとはなんでしょう?それを物質や富であると考える人は世の中にとても多いです。そのかたわらで、愛や信仰のために命さえも投げ出せると考える人もいます。
イエス・キリストは神と富に同時には仕えられないと言いましたが、豊かさと愛は両立でいないのか?

私からの提案は…

自分自身の幸せと +αの豊かさ
そしてそれを人と分かち合える心です♪

私はお金や富は豊かさを手に入れる手段でしかないと考えています。

私たちに必要なのはお金や物質ではなく 「豊かさ」そのものです♪

お金で買える豊かさもありますが、愛情のようにお金では 買えない豊かさも世の中にはたくさんあります。
特に愛情に関しては、「愛」が十分に得られないからその心の隙間(すきま)を 埋めるために人はあらゆる物質や依存のできる何かに人は心を捕らわれるのだと思います。


幸福の王子に学ぶ「奉仕と自己犠牲」の本当の意味

今回のテーマである「自分を大切にし、分かち合う心」について、オスカー・ワイルドの童話『幸福の王子』を例に説明してみたいと思います。

簡単に要約した内容をここにも載せておきますね。

「幸福の王子」物語の要約
町の高い柱の上から、幸福なはずの王子の像は、人々の悲惨な暮らしを見て涙を流していました。そこに、越冬のために南へ渡る途中のツバメが立ち寄り、王子の深い優しさに心をうたれます。

王子は、病気の子供や貧しい若者、飢えた少女を救うため、自らの剣のルビー、両目のサファイア、そして体を覆う純金のすべてを、ツバメに託して人々に届けさせます。

すべてを捧げた王子の像はみすぼらしくなり、市の人々に見捨てられ、溶かされてしまいます。そして、盲目になった王子を心から愛し、最後まで寄り添ったツバメもまた、冬の寒さで力尽きてしまいます。

しかし、神の使いは、ごみために捨てられた「鉛の心臓」と「死んだツバメ」こそが、その町で最も貴いものであると、神様のもとへ運びました。

幸福の王子
Copyright (C) 2000 Hiroshi Yuki (結城 浩)


上記のリンクで全ての物語を読むことができます。

幸福の王子を救うには何が必要だったのか?

幸福の王子の物語を読んだ人はきっとこう思うはずです。王子とツバメが死んでしまうことがとても悲しいと… しかし魂の視点で見れば、

王子とツバメは奉仕に命を 失ったかわりに永遠の命と幸せを得ました。

これは真理を秘めた物語と言えます。

しかし、もし自分がこの王子やツバメの家族であったとしたら、 友人であったとしたらどうでしょう?心の美しい王子とツバメの死を心から悲しんだと思います。では王子とツバメを救うためには何かできたでしょうか?

心の美しい王子はきっと生きている限り貧しい人を探し続け たでしょうし、王子とツバメを救おうともう一匹心の清い ツバメが来たとしてもそのツバメもきっと一緒に命を落として しまうに違いありません。

もし自分が貧しければ、王子とツバメを助けるどころか、 ある日ツバメが王子の純金を持って来てしまうかもしれません。

たとえ今の自分が貧しくても、感謝の心で今ある幸せを感じられ、 笑顔で「私は大丈夫です♪」と王子とツバメに心から言えたなら幸いです。そして王子とツバメを救うためには、幸福な自分と +αの豊かさ それを人と分かち合える心持つたくさんの協力者が 必要なのです。

王子とツバメを無傷で救うには、町に不幸な貧しい人が一人でもいたら だめなのです。

貧しくとも幸せと思える自分なりの幸せや、普通並の豊かさを持つことで 王子とツバメの負担を減らすことができ、+αの豊かさを 持つことで 王子とツバメを支援することができます。

なにより…

自分を愛してくれる人のために、自分自身が幸福であることは とても大切です。


自分を大切にする具体的な方法|清貧と豊かさの真実

「自分を大切にする」とは、自分自身も幸福であることです。ですが、富や権力、物質や欲望など、自分を縛り付け、魂の完成を阻むものから自由であってください。

清い心と愛を持った人ならば、どれほどのばく大な富を与えられても 必ずより良い理想のためにそれを活用できることでしょう♪

神のために富を捨てる必要はない

「人は二人の主人をもつことはできない。富と神に同時に仕えることはできない。」そう教えたのはイエス・キリストです。
では、神を重んじれば豊かさは失われるのでしょうか?

今ある財産をどこかに寄付して、奉仕に人生を捧げるべきでしょうか?もし、自分自身に愛も覚悟も足りなかった場合、それはとても大変なことになります。

私たちは身の丈に合った洋服を着る訳ですが、私たちの人生というのも 普通は身の丈に合うプランに組まれているものです。

身の丈、つまり自分の愛のスケールに合わない奉仕は身を滅ぼします。

自分の愛の大きさに合わせて無理なく奉仕の幅を広げていくような やり方を私はお勧めします♪

清貧と豊かさの本当の意味

清貧とは私欲をすてて正しい行いのために貧しく生活が質素であること。宮沢賢治の雨にも負けずのデクノボーのようでもあります。

しかし、その動機が愛以外のものであった場合、例えば「清貧に生きれば天国に行ける」というようなものであったなら、誰も幸福にはなれません。

成功して沢山の富を得ているような人でも、私欲をすてて正しい行いのために貧しい人と分かち合い、 自らも質素な生活であるならば、それは清貧であると言えます。

愛と分かち合う心があれば、清貧のために豊かさを否定する必要はまったくないのです。

無理に理想に従い貧しくふるまうのではなく、自己の愛や魂が成長し、心の浄化にともない、不要な物が身の周りから消えていき、 結果として自然と清貧とよばれるような生き方になるのが望ましいのです♪


まとめ|本当の幸せは、分かち合う愛の中にある

「本当の幸せ」を手に入れるために必要なことは、愛と分かち合う心です。
そして「本当の幸せ」を実現させるためにもうひとつ大切なっこと、それは自分を大切にする心です。

私からの提案は、「自分自身の幸せと+αの豊かさ、そしてそれを人と分かち合える心」をもつことです。
まずは自分自身を大切にし、愛で満たしてください。そして、その溢れた+αの豊かさを、家族や身近な人たちへと分かち合ってみてください。
それができたなら、私たちはまるで光が光をふりまくように、この世界を照らしながら生きていけるでしょう♪

この世界で私たちを縛るものから自由になり、本当の幸福を手に入れて、分かちあってください♪

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天空の庭先 管理人の☆ウリエル☆です♪瞑想歴30年、オーラ見える歴28年、ヒーリング歴29年、浄霊歴26年、オーラ視、浄霊、ヒーリング、などなど、いわゆる霊能力と呼ばれる力を持っていて、占星術など占いの分野やオカルトなど、スピリチュアルな分野に精通しています。 これまでの人生でのスピリチュアル体験から得たことを記事にしています♪ 関わる人全てに豊かになって欲しい。それが私の願いです。 <strong>霊能力が身についたキッカケ</strong> 霊能力と呼ばれる力を手に入れるキッカケは、21歳の時に霊的な師と出会い、ヒーリングを受けた事でした。 私をヒーリングしてくれたその方は、世界を旅しながら無料で奉仕やヒーリングをして生きている方で、日々何十人、何百人と癒していました。その方との出会いをキッカケに、私自身にもヒーリング能力が身についたり、オーラが見えはじめたり、体外離脱を体験したり、成仏出来ない霊を救う能力が発現したり、様々な霊的な体験をしました。それら体験は、この天空の庭先にまとめられています。 <a href="https://arcangel.jp/experience/">体験談</a> <strong>天空の庭先オープン</strong> 2004年に楽天ブログで天空の庭先がスタートしました。 本業はデザイナーで、ふつうに社会で働きながら、平日の夜や週末の休みを利用して、霊的な疑問や相談にお答えする活動をしてきました。 今日までの天空の庭先の歩みはアーカイブのページにまとめられています。 <a href="https://arcangel.jp/archive/">ブログアーカイブ</a> 「☆ウリエル☆」というハンドルネームは、宇宙の運行や浄化を司る天使の名前を借りました。横の2つの☆は当時の楽天ブログでウリエルというハンドルネームがすでに取得されていたために、仕方なく横にくっつけたのですが、この☆のおかげで姓名判断や数秘術でとてもよいハンドルネームになりました♪ 「天空の庭さき」というブログとサイトのタイトルは、天の国のかたすみ、みたいなニュアンスで命名されました。 私は本当の「天国」や「楽園」は、それを求める人の心の中にあるものだと思います。ここを訪れる人たちが豊かで美しい人生を歩むヒントをみつけてくれたらそれは私にとって幸いです。  

プロフィール



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  1. てつ

    はじめまして。
    最近このブログを拝読させていただくようになり、毎回人生、魂の成長、人という生き物について考えさせられてます。

    小さい頃からこの世界に何か得体のしれない違和感があり、大切な事を忘れているような感覚を持っていたのですが、天空の庭先に出会い、少しずつその忘れていた何かを思い出してきたような気がしてます。

    本当に感謝の気持ちしかありません。ありがとうございます。

    最近寝る前に瞑想を始めてみたんですが、たまに動悸や不安感でいっぱいになることがあるので、心の浄化がまだまだなのだなと感じてます。汗

    結構自分勝手に生きてきた自覚があるので、地道に霊徳を積んでいきたいと思います。

    今は1人暮らしをしていて、経済面や健康面で家族に心配をかけてしまっているのですが、最近は週末に帰ってなるべく親孝行するように心がけていました。今回の記事を読んで「家族と同じくらい自分も大切にしなくてはならないな」と思いました。

    これからも心が温かくなる記事で、未熟な自分を導いていただければ幸いです。

    ☆ウリエル☆さんに幸多きありますように。

  2. いつも素敵な記事をありがとうございます。

    このブログに出会わせて頂き、「愛」について意識するようになりました。
    それまでは、「浄化」ばかり意識していたため、
    馴染みのない「愛」が何だか照れくさくて?、戸惑いつつも惹かれている心境です
    自分の愛を出し惜しみしてしまうというか、ツンデレ属性というか。
    そもそもウリエルさんが伝えようとしてくれている愛を理解できていないまま、
    そこに至りたいと迷走しながら体現しようとしているのかもしれません。(暗中模索)

    ひとまず、私は動物が好きなのもあり、ヴィーガン生活をすることで愛を表現しようとしています。
    好きなスピリチュアルメルマガの 星のしずく さんでのお言葉による影響も大きかったです。
    下記、読むたびに涙が出そうになり心改めさせていただく内容をshareさせて頂きます。
    (そして、そこまで心に響いていて大切にしたい存在だと思っているのにお肉をたまに軽い気持ちで食べて
    殺生に加担してしまう自分のルーズさ?怠慢さ?に日々びっくりです。)
    ━━━━━━━━━
    ☆孫将人(そんまさと)コラム延長線上
    「和食と平和について」
    ━━━━━━━━━

    世界の紛争は

    遠い異国の出来事。

    日本には紛争もなく

    平和であると多くの人が感じています。

    しかし、実際は

    日本でも

    身近なところで
    暴力が行われています。

    家畜の動物たちは

    人工授精により生まれ

    生まれながらにし、オリに閉じ込め

    家族とは一生会うこともできず

    グルメのために屠殺される。

    動物の住処(すみか)は大自然です。

    家族や群れの動物らしい生き方があります。

    決して、オリに住まわせる

    「家畜」ではありませんし

    どれほど科学が発達しようとも

    その科学を動物の尊厳を

    踏みにじるために

    使うことは許されていません。

    近年、ますます食肉需要が増え

    動物たちへの暴力は拡大しています。

    それによって

    わたしたち人類の霊的なポイント

    この惑星全体の霊的なポイントは

    危険水域にまで減少し

    惑星全体の守りを

    弱くしてしまっています。

    今日も平和を求めて

    世界中でデモが行われています。

    しかし

    動物たちを食の楽しみのために死に追いやりながらも

    戦争に反対し、平和を望むのは矛盾しています。

    科学は、平和のためにあります。

    現代の科学では、動物を食べなくとも

    栄養は十分に取れることを実証しています。

    もし、争いを止めたいのであれば

    平和を希求するのであれば

    家畜も含めたすべての動物たちへの

    一方的な暴力をストップする必要があります。

    牛や豚、鳥を犠牲にせずに

    食生活を伝統的な和食に戻すこと。

    それは、霊的な守りを高めます。

    地球の環境汚染をストップさせます。

    動物たちを殺生しないという

    人道と道徳を守ることができます。

    もちろん

    健康によい変化をもたらします。

    なによりすべての人が

    本来の人間らしい平和な人生をとり戻します。

    イキナリ完全な和食への切り替えが難しいなら

    週に3日程度からスタートしてもよいでしょう。

    この地上で一人でも多くの人が

    食生活を和食=菜食にもどすなら

    より早く地球に

    永続的な平和がやってきます。

    こうして

    一人ひとりの選択が

    地球を救うことになります。

  3. あまね

    生まれて死ぬまでを山登りと例えるのか、
    川下りと例えるのかは、人それぞれだと思いますが、どちらも目的地までのルートは違えど、向かっている方向は同じだと思います。

    昨日から「老子の教え」という本を読んでいます。その中に “足るを知れ。”という言葉が出てきます。

    私は、よくこの言葉を忘れます。
    音楽を聴いたり、お茶を飲んでホッとした時に、あっ、と思い出す時があります。

    以前どこかで読んだ、
    コップに半分入った水を、もう半分しかない、ととるか、まだ半分もある、ととるかと似ているなぁ、と。

    どちらの半分ある、という考えも自分で選択して良いと思います。
    もちろん、選んだのは自分ですから自己責任です^ ^

    私、今までのルートがなかなかなハードモードでした、、、なので、そろそろイージーにシフトしようと思いまして、ぽぽぽから名前を変更しました!

    まずは自分、本当にそうだと思います。

    気持ちがしんどい時はまず、いろんな事を横に置いといて、リラックスを心がけてます。
    これを自然と出来る様に、と練習中です^ ^

  4. ソフィア

    この天空の庭先にたどり着けたことに改めて感謝しています。
    そして、今日はこの記事を読もう!と思って読んでいる自分自身にも、また少しの成長を感じられて嬉しく思います。
    そして、思うだけでなくコメントしていることにも…
    そして、自分にうんざりしてしまうくらいの真面目さと正義感がやっと少しだけ可愛い?ような気になれています。
    上手に失敗しないようにやりたい!やらなきゃ!!

    今までどれ程の失敗と後悔?で自分自身にダメだしをしてきたのかと…
    でも、人生で経験する全てと、自分の心の変化と成長を照らし合わせたら、そんな今までの全部全部がやっぱり私に必要なことで、この先の全ても私の成長に必要で、きっとそれは私の中の愛をもっと大きくすることに繋がる!!
    大きくしたい!しなくちゃいけない!!のではない。
    自分の心とからだを大切にして大切にして生きていくことを繰り返して続けいくと、他の人やモノや全てが心から大切になる。
    本当にそう思えた時が一番幸せだと感じます☆
    人の心は目に見えないから、自分で自分を否定した時はそれを肯定するような事象ばかりを引き寄せてしまいますね。
    自分の中にある「良心」に従い続けバランスもとる。
    その大切さにも改めて気づかせていただきありがとうございます☆

  5. よしよし

    今日も素敵な言葉をいただきありがとうございます。
    身の丈を越えてやってるかもしれません。
    だけど、できればそうあって欲しいという希望と願いが私を動かしています。
    愛と感謝を毎日関わる皆さまと分かち合えるように
    努めてまいります。

    美しい言葉は心洗われます。
    ありがとうございます。

  6. ユキウサギ

    授かった生命力を精一杯生かして幸せになる
    →人々と「幸せを分け合う」
    →犠牲もあるけど互いに学び合い支え合える仲間も増える、自分が困った時は力を得た仲間が助けてくれる
    →「感謝」を学び、幸せになり、生命が輝く
    この繰り返ししながらより大きく脱皮していける

    「幸せになる事」は与えられた「力」だと思います。

    この循環がうまく働かない場合、何か「澱」のようなものが阻んでいるのかもしれません。浄化が必要なんだと思います。