スピリチュアルペイン
スピリチュアルペインとは緩和ケアの分野でよく使われる言葉です。
緩和ケアとは、生命を脅かす疾患をもつ患者やその家族を痛みや心のさまざまな問題をサポートし、苦しみや痛みをやわらげるアプローチです。
人間の痛みは、病気や怪我などの肉体的な苦痛だけでは無く、トラウマのように心の領域にもさまざまな痛みが伴います。
もっと深いところで、生きる意味を見失ったり、罪の意識にさいなまれたり、不安に押しつぶされそうになったり、私たちの霊性や人生に関わるような痛みも存在します。
現代に生きる人間の精神が高度になるにつれ、スピリチュアルペインは中高年や、若い人達の間にも広まっています。
天空の庭先はスピリチュアルなサイトなので、緩和ケアで言われるスピリチュアルペインとは多少ニュアンスは異なりますが霊的な痛みについて説明したいと思います。
【目次】
スピリチュアルペインとトータルペイン
トータルペンとは、全人的な苦痛を言います。
全人的な苦痛って言葉も普段はあまり聞かない言葉だと思います。簡単に言えば、人間が人生の中で感じ得るさまざまな側面の痛みという感じです。
近代ホスピスの生みの親、デーム・シシリー・ソンダースというイギリスの意志が末期癌患者の方々が経験する痛みを「トータルペイン」と呼び、
患者の身体的・社会的・精神的・霊的(スピリチュアル)な苦痛。4つの側面があると説明しました。
人がどう生きるかも大切ですが、どのように死ぬかも大切です。
ちなみに、私の祖母も末期癌であることが分かって、最後は緩和ケアのある病院で人生の終わりの日を迎えました。
この4つの側面ですが、それぞれの種類の痛みが私たち人間の構造に分類することができます。
身体的苦痛
痛み、苦しみ、倦怠感などの苦痛
物質レベル:肉体
精神的苦痛
不安、いらだち、鬱、怒り、恐れ、孤独感など
アストラルレベル:感情
社会的苦痛
社会的苦痛、経済的な問題、人間、家族関係など
アストラルレベル:想念
スピリチュアル的な苦痛
生きる意味、死への恐怖、自責、価値観の変化など
アストラルレベル~メンタルレベル
これらの痛みは4階層の概念に当てはまります。
肉体的な苦痛は物質界に存在する私たちの肉体に起きる問題です。そして心や精神に湧き上がるさまざまな感情があり、仕事、家族、人間関係など自分をとりかこむさまざまな環境や人への想いがあります。
自分が死ぬことがわかり、死を見つめる事で自分を省みて、急激な価値観の変化に戸惑ったり、良心の呵責に苛まれる人達も沢山居ます。
魂は永遠不滅の存在で、痛みも苦しみも存在しないのでこの4つの側面の中には該当しません。
スピリチュアルペイン
スピリチュアルペインは霊的な苦痛です。
トータルペインの4つの側面の一つですが、人生の後悔、失望や絶望など、人間の生きる目的や気力に関わる深刻な痛みです。
人生の意味、苦しみの意味
人間は魂の成長の為に生まれ、前世での罪を償うために運命や宿命と呼ばれる力に導かれて、さまざまなことを経験します。
因果応報とかカルマの法則なんて言葉が有名ですが、私たち人間は、過去の自分の行い(原因)によって生み出された報い(結果)を受け取ります。もし苦しみだけの辛い人生であったとしても、その苦しみを身に受ける事に意味があります。
何故ならそれは報いだからです。 カルマは自分が身に受ければ、そして気づけば解消されなくなってゆきます。
カルマの法則については カルマの法則 解消 – カルマの法則(因果応報) 第1話 こちらの記事に詳しく書きました。
人生を生きる意味があるか? と聞かれたら、人生には生きる意味しかないと私はお答えします。
辛さ、苦しみ、痛み、それらは罪を拭い去るための浄化です。
そしてひとたび浄化が終われば、苦しみは去り、新しい人生が始まります。
人生の苦しみや、幸せを掴む方法は 人生の運命と宿命と自由意志 こちらの記事に書きました。
罪悪感と自責の念
罪悪感、良心の呵責、後悔、自責の念、これらもスピリチュアルペインです。
生きていると自分を顧みるさまざまなタイミングあり、私たちは「もし」あの時別の選択をしていたら…
考えたくなくても考えてしまうことはあります。
ほとんどの人間が、今日何かの誘惑に負けてしまったとしても、その弱さもひっくるめて自分自身であり、その弱さも含めて全力を出した結果としての今があります。
罪悪感や自責の念を持てるということは、正しく在ろう、正しく生きようという心を持っている事だと思います。
ですが、強すぎる罪悪感や自責の念は、誤った自尊心となる可能性があります。
ですから、後悔や反省をひとしきりしたならば、前を向いて歩き始めましょう。
そして「今」という時を大切にしてください。
何故なら、1年後にあの時こうしておけば! って思う瞬間が、「今」かもしれないからです。
死の恐怖と価値観の変化
自分が死ぬと解ると、一度に沢山の事が頭をよぎると思います。
今までの自分の行い、自分自身に残された時間、この世に残す家族や愛する人達の事。
そして死を直視すると急激な価値観の変化が起こります。
これまで、「死んだら終わり」「死んだら無になる」と言っていたような人達でも、「本当の死後の世界」について考えたり、「悪人」と呼ばれているような人達でも、普通の人と同じように自分を省みます。
死が不安で恐ろしい人も居れば、綺麗に死を迎えたいと準備を始める人も居ます。
中高年のスピリチュアルペイン
緩和ケアの分野で使われ始めたスピリチュアルペインは生命を脅かす疾患をもつ患者や死を待つ人達に使われる言葉でした。
ですが、この言葉の意味を紐解くと、実は病の人や死を待つ人だけの痛みでは無い事に気がつきます。
近年、スピリチュアルペインを感じながら生きる中高年者が増えています。
人生も折り返し地点を迎え、働くばかりの人生に、いずれ訪れるであろう死というゴールを見据えたとき、「自分の人生はなんだったのか?」とか「この先もずっと辛い思いをして仕事を続けてただ死ぬだけなのか?」など、生きる目的や意味を見失いかけている人が増えています。
当然、女性なら同じようなことを結婚生活や育児を通して感じる事があると思います。
「子育てをして年取って死ぬだけなのか?」などと。
こういった事は、精神的に健康な人間でも不意に感じることはあります。
若者のスピリチュアルペイン
そして若者にもスピリチュアルペインの影は忍び寄っています。
会社の若い子たちのオーラや、そとでたまに視る若い人達のオーラもですが、以前より大人びた傾向があります。それはつまり、若くして達観しているような人が増えていると言えるかもしれません。
オーラの構造も以前よりも複雑になっているので、生き方や悩みなども高度で複雑になっていると思います。
若い人達の間でも、社会に出て、生きるためにキツい思いをして仕事をして、「この先の長い人生を生き意味とはなんだろう?」そんな風に生きる目的や意味を見失っている人が増えています。
スピリチュアルペインの2つの側面
霊的な痛み全般を指す言葉はこれまでも有りそうで無かったので、スピリチュアルペインという言葉を今後は天空の庭先でも使っていこうかと思います。
緩和ケアの分野で使われ始めたスピリチュアルペインという言葉は、もはや生命を脅かす疾患をもつ患者や死を待つ人達だけのものではなくなっています。
スピリチュアルペインには、大きく分けて2つの側面があります。
外的な要因により多く起因し、スピリチュアル的な痛みを持っているケース。
内的な要因により多く起因し、スピリチュアル的な痛みを持っているケース。
前者は、自分が置かれている環境、愛する人の死、周りの人間関係など、問題が自分の外側にあるケースで、後者は、外的な要因がありながらも、自分自身がどう感じているか、どう思っているかという自分起因の問題で痛みを感じている人達です。
スピリチュアルペインを緩和したり、取り除くためにするべき事として、スピリチュアルケアという言葉があります。スピリチュアルケアも同じく緩和ケアなどの分野でよく使われる言葉です。
スピリチュアルペインをいかに取り除くか?
スピリチュアルケアの記事でご説明したいと思います。
つづく
もしあの時行かなければと何度も後悔しています
夫が事故で亡くなりました。愛をもって過ごしていたらあんなことは起きなかったのでしょうか?それとも避けられないカルマだったのでしょうか?今は子供三人と義理の母とすんでます。中二の男の子が不登校になって1年です。解決法教えて下さい。v
youさんこんにちわ♪
課程には様々なifがあったとしても起きた事は起きた事です。
そしてすべてが必要な事です。
この世界は二元的で、右か左か?然りか否か?
ですが愛は一元的で、結果では無く、愛があったかを神は見ておられます。
私からも、旦那様の冥福と、youさんの未来をお祈りいたします。
youさん、旦那さまの魂とyouさん、ご家族の
皆さまの心の傷が癒えるようお祈りいたします。
私にはスピリチュアルな能力は全くないです。
ご気分を害するような発言をしてしまったら大変申し訳ありません。
しかし、仕事で子どもたちの教育に携わっております。
その経験から、息子さんの不登校に関して、参考までにお話させていただきます。
息子さん、とても多感な時期ですよね。その時期にお父さんを亡くすという経験をしたことが、不登校に影響しているとは、十分考えられますが、、それだけが原因ではないかもしれないですね。
学校が充実した場であったら、むしろ学校に通うことで、心が癒されるはずですから。。
そもそも学校に通うことが、息子さんの未来や魂の成長にとって、最善のことかどうかは、わからないですね。
多くの子どもたちを観ていて思うのは、確実に、学校に向かない子ども達がいるということです。
とても敏感で、他人の影響を必要以上に受けてしまう子、大人しく座って先生の言うことを聴くのが非常に苦手な子。。全て個性です。でも、そのような子ども達にとって、学校は苦痛な場所以外の何物でもないのです。では、彼らが社会に向かないかというと、決してそうではありません。
むしろ学校には、適応できなかったような子どもたちが社会で大成功するケースは非常に多いです。
人間が社会に出て生きる年数は、学校で生活する年数を遥かに上回ります。
勉強なら今の時代、インターネットや書籍で、いくらでも、学べます。ただ一つ、学校でしか学べないことがあるとすれば、人間関係かもしれませんが、、家族との人間関係を通して学ぶこともたくさんありますし、引きこもっているわけでなければ、趣味や習い事、地域のコミュニティ等を通した人間関係を育んでもらうこともできます。
学校に行くことイコール息子さんの幸せ、必要不可欠なことではないということ、学校以外の道もある。ということ。なかなか大人には、受け入れにくいことかもしれませんが、。。
学校には、行っても行かなくても、どちらでもいい。あなたが自分の魂を輝かせて、少しでも悔いのない人生を歩んでくれるなら、、
私は、教育の現場にいますが、学校に来たくない、来れない子達には、そのような気持ちでサポートをしています。お読みいただきどうもありがとうございました。
全く解決法ではない上に差し出がましいコメント大変失礼いたしました。ご家族の心が癒えるようお祈りしております。
Polar bearさんこんにちわ♪
心のこもったお話をありがとうございました。
私もPolar bearさんのお話を参考にさせて頂きます。
私にも子供が二人居ますが、どうしても周りの子供や一般的なレールと比べてしまう視点がありますね。
これは今日まで日本で生きてきた間にすり込まれたものと認識しています。
すり込まれたものと認識していてなお、その視点が無くなることなく存在している。
ただ、どのような選択かより、愛があるか? が大切だと思います。
愛はその時に必ず相手に伝わるかと言われたら、必ずしもそうではありませんが、愛は永遠不滅のものなので、いつか必ず伝わる日が来ます♪