心が満たされないスピリチュアルな理由は?
心が澪足されないときってありますよね?
なんだかものたりなかったり、なんだか手持ち無沙汰だったり、足りないとか、欠けてるとか、そんなふうに感じてしまう心の状態です。
結論から言うならば、スピリチュアル的に言うならば理由はただ一つ、愛の不足です。
人間が真に絶望を感じるときとは、全財産を失った時ではなく、愛を失ったとき、愛を得られないときです。
愛に満たされない限り心が満たされることはありません。
【目次】
心が満たされないのはどんなとき?
愛が不足しはじめると感じはじめるのは「退屈」です。
そしてさらに愛が不足すると「寂しさ」を感じ、やがて「孤独」になり、愛が枯渇すると果てには「絶望」します。
心が澪足されないという状態とはつまり、愛が不足している状態、これをもう少し掘り下げてみましょう。
人が心が満たされないと感じる時とはどのようなときか?冒頭でもお伝えしましたが欠けてるとか不足していると感じるときです。
この感情ってじつはとても繊細で曖昧な要素を持っていて、心が満たされない状態が軽微なときには、何かしらの代替行為で紛らわせることが意外と出来てしまったりします。
たとえばテレビを見る、動画を見る、漫画を読む、ゲームをする、部屋の掃除をしたり、自分の用事をするなど、軽い不足のときには意外と紛らわせてしまえるものです。ただ、実際には不足を紛らわせているだけなので、手を止めてしまったらまた元通り、心が満たされない状態が続きます。
心が満たされず何かに依存する
心が満たされないとき、愛に不足したときに代替行為としてよく行われる依存がいくつかあります。
自分の行動がもしこれから書くいくつかのことに当てはまったならすこし注意が必要かも知れません。
- ついつい物を買ってしまう
- ゲーム、漫画、アニメなど娯楽に時間を費やしてしまう
- ストレス?最近よく食べてしまう
- 自分を責めたり追い込んでしまう
ちなみに、芸能人やスポーツ選手、ミュージシャンのファンになり依存してしまう、みたいなことも多くの人にみられますが、相手が人間である分度合いによってはメリットもあるかと想います。
度合いというのは、相手の迷惑にならないことが前提で、相手を純粋に応援する気持ちを持つといった感じなら良いかと思います。
全財産なげうってとか、相手の部屋にまで押しかけるとか行きすぎなければってことですよね。
愛の不足を満たせるのは愛を持つ者
自分ひとりで紛らわせても不足は不足のままですが、これが例えば、家族や友人に電話するなど、相手がいる場合は相手次第ではありますが、紛らわすだけでなく不足を補うことが出来る場合は多いです。相手が自分に留意するほど、相手の愛が感じられるほどに不足は補われ満たされていきます。
仲の良い友人や恋人との電話ほど、より多く満たされるのは多くの人間が経験していることだと思います。
さて、心が満たされない、不足している、欠けているといった状態が続き感情がふくらむと、「退屈」を感じるようになります。
この「退屈」という感情は小さな子供によく見受けられる感情でもあります。
とくに現代では、共働きで親が忙しく、テレビ、動画、ゲームなどをあてがわれて多くの子供達が代替行為で愛の不足を紛らわせています。
やがてそれにも飽きると退屈を感じ、我慢できなくなるとだだをこねはじめます。
子供が退屈そうにしているとき、それは愛が足りないときであり、誰かの気を引き愛を得るためにやがて感情を爆発させます。
これって子供だけでなく大人も同じですよね?
愛する恋人がかまってくれないと、逆に突き放したり怒って気を引こうとしたり(笑)
すべては愛を得たいがための行動なのです。
退屈を通り越すといよいよ寂しさや孤独を感じ始めます。
誰も自分を相手にしてくれない、自分なんていなくても誰も困らないし悲しまない、自分なんていてもいなくても同じなのだと…
寂しいという気持ち、特に孤独という感情は人間が最も苦しく耐えがたい感情であると言われています。
なぜならば、私たち人間は神から生まれたからもともと一つで、今は別れてひとつの欠片(魂)です。
孤独とは神(愛)から最も離れた状態だからです。
寂しさについてはこちらの記事が参考になります♪
心が満たされないとやがて絶望する
人から愛されない自分を、自分自身でも愛することが出来なくなったとき、愛が枯渇したときに絶望という感情が湧き上がってきます。
そして思い起こしてみてください、あなたが絶望したときに何があなたを立ち直らせたのか?きっと愛だったと思いますよ。
私たちはあらゆる依存によって寂しさを紛らわすことが出来ますが、満たされない心を本質的に改善させるためには紛らわすのではなく愛の不足を補う必要があります。つまりは人に愛される人間になる必要があるということです。
満たされない心の理由は愛の不足であるなら、愛が得られたなら心は満たされます。
であるなら、どうすれば愛が得られるのか?答えは簡単で、まずは自分が相手を愛することです。
心を愛で満たす
心が満たされない状態、愛が足りない状態から愛に満たされる状態へとかえていくためには、まず最初にすべきことは自分を愛することです。
なぜなら、自分で自分を愛する事が出来なければ、他人が自分を愛してくれたとしても、信じられはしないでしょうし、自信も持てないと思います。
自分を愛せない、愛し方がわからないという人はこちらの記事を読んでみてください。
自分から愛を与えましょう
そして愛されたければ誰かが自分を愛してくれるのを待つのではなく、まずは自分が誰かに愛を与えましょう。
こんな経験はありませんか?
仲の良い友達とケンカして、しばらくどっちも意地を張って話しかけることもしなかったのに、どちらかが謝ったら相手も過ってまた仲良くなったみたいなことです♪
似たような内容にはなりますが、日頃の感謝の気持ちを込めて「ありがとう」って言葉にしたら、相手も「ありがとう」って言ってくるとか。
夫婦間でもありますよね?「愛してる」って言葉にしたら「愛してる」って言葉をかえされるとき。ありませんか?(笑)
私たち人間は、誰しもが愛されたいと願っていて、誰しもがそれを潜在的に理解しています。
例外もあるでしょうが、基本的には…
人間には受けた愛を、愛でかえす本能があるのです。
ですから、愛を得たいのであればまずは愛を与えましょう。
打算でするのではなく、素直に誰かのためを想って行動してみてください♪
愛についてはこちらの記事が参考になります。
心が満たされないとき まとめ
心が満たされないのは愛が不足しているから。
愛が不足すると物足りなさを感じたり、不足を感じ始めます。
愛の不足はさまざまな依存によって紛らわせることができますが、補うことはできません。
それはやがて、「退屈」「孤独」「絶望」と、不足の度合いによって否定的な感情を強めてゆきます。
愛の不足を補えるのは、人間の愛だけです。
自分が人から愛される存在になるためには、まずは自分が人を愛しましょう。
人間は愛すれば愛をかえしてくれます。
心を清めて愛を持って生きることで、より大きな愛を与え、そして受け取ることが出来るようになるでしょう♪
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