タイミングが合う、タイミングが合わない、スピリチュアルな理由
人生に同じ一秒は存在しない。
一期一会の人生において、なぜ今?なぜこの時?そう思えるようなタイミングで起きる出来事ってありますよね。本当に思います.. なぜこのタイミングで??? って(笑)
このタイミングって、雨とか災害とか自然現象よりも、普段関わっている身近な人たちとの関係性の中で感じることが多いかと思います。
タイミング良く助けられたり、タイミング悪く出くわしてしまうなど… タイミングが合う人、タイミングが合わない人いますがそもそも何がタイミングを決めているのか???
この人生や日常でおきるタイミングの裏に隠されたスピリチュアルな法則についてお話したいと思います。
【目次】
タイミングをスピリチュアル的に言うと
タイミングを決めているのは因果律です。
原因によって結果が生じる… つまりあなたが困っているときにタイミング良く現れる人がいたなら、それも因果律によって引き寄せられているということです。
さて、この記事を書いている今日の日中にとてもタイミングの悪い出来事がありました。
部内の組閣について、役員陣にはまだ話せないような内容を議論する会議のとき、なんと隣の部屋では役員会議が行われていたという…
すぐに気付いたのでコソコソ話みたいに小さな声で会議は進められたのですが、私はこんなとき、つまりタイミングが悪いとき、いつもその背後にある理由は何かというところに着目します。
詳しい内容はお話出来ませんが、今日のケースで私が気付いたことは役員の方針に従わない方向で進んでいた部内での話しに待ったがかかるような?そう、水が差されたということです。
今日はもうひとつ、私が少年時代に体験した、ちょっとしたタイミングの話しをしたいと思います。
それは確か小学校3年生の夏休み、私は当時静岡県に住んでいて、夏休み中だけ東京の祖母の家に長期間泊まり込みで遊びに行っていました。
それこそ丸一ヶ月ぐらいです。
夏休みが終わる最終週、東京から靜岡まで高速バスで帰る予定だったのですが、バスのチケットを買う直前に、近くの売店で発売されたばかりの少年ジャンプを見つけました。当時の私は帰りのバスで退屈を味わいたくなかったのでジャンプを購入してバスに乗り込もうと思っていたのですがなんとタイミングの悪い… 売店のレジは長い行列でした。
それでも少年ジャンプを購入してなんとかバス乗り場にたどり着いたときには乗る予定だったバスはすでに出発してしまった後でした。
仕方なしに次のバスに乗ったのですが、東名高速を1時間ほど走った頃、社内にアナウンスが流れました。
一本前に発車したバスが事故に遭ったため怪我人を収容するために緊急停車すると…
そうです、私が少年ジャンプを買わなかったら乗っていたはずのバスです。
バスが緊急停止すると、近くには救急車とパトカーが止まっていて、停車したバスにはゾロゾロと人が乗ってきました。
中には血を流している人もいました。
過去の記憶でうろ覚えですが、30名ほど乗ったバスで、死者1名、怪我人10名といった内容の事故だったと思います。
たまた最新の少年ジャンプを見つけてしまう!タイミングが良いと思いきや、レジには行列でバスに乗り遅れてタイミング悪い!、と思いきや、事故を免れると言ったラッキー、これらは単なる偶然のようにも見えるかもしれませんが、すべては因果律によるものです。
私が事故に遭うようなカルマを持ち合わせていなかったのでしょう。
私たち人間の一生は、運命によるいくつもの分岐点を持っています。
その分岐点も、そこに至る過程も、まるで小さなパズルの組み合わせのように細かく積み重なっています。
私が少年ジャンプで事故を免れるように…(笑)
タイミングが合うとき
会いたい人にすんなり会えたり、欲しいものが手に入ったり?そんなふうにタイミングの良いときはスピリチュアル的に言うなら因果律に導かれているとき、そしてエネルギーの流れがスムーズなときです。
そんな時は私たちはある種のきめられた環境であったり、結果であったり、必要なものに導かれています。
こんなときは大抵のことはうまくいくケースが多いのですが、必要なものというのが失敗するような結果である場合もあるので必ずしも成功の予兆というわけではありません。
それでも、私の経験から言うと、色々とタイミングが合い、物事がうまくかみ合うときは良い結果に繋がっていることが圧倒的に多いです。
タイミングが合う人
私はよくこんな経験をします。
例えばですが、温かいタッチの絵を描けるイラストレータを探していたらたまたまタイミング良く出会ったり、たまたま売り込みのあった制作会社が、次の案件で必要な開発技術を持っているなど、欲しいなとか、必要だと思っているものが転がり込んでくる…
因果律とは原因にたしいて訪れる結果の法則です。
つまりそれは、世の中にカルマの法則として広まるものに等しいです。
因果律、原因と結果の法則であるカルマの法則は、行いによって結果となる事象が起きると言った単純なものではなく、私たちの想いそのものにも作用します。
これは聖書でイエス・キリストが言った言葉ですが、
みだらな思いで他人の妻を見る者は誰でも、既に心の中でその女を犯したのである。」(マタイ5:28)
スピリチュアルな法則に従って言うならば、想うことは行動することにひとしいのです。
つまり、タイミング良く転がり込んでくるものは偶然ではなく、自分自身の想いが引き寄せている場合も多いのです。
こういったシンクロニシティーは過去の聖人聖者や偉大な経営者によく起こりました。
タイミングが合わないとき
会いたい人になかなか会えない、大事な連絡がつかない、欲しいものが品切れで手に入らない…
そんなふうにタイミングの悪いときはスピリチュアル的に言うならこれも因果律です。
ただし、導かれているのではなく、阻まれているときです。
そんなときはやはり流れも悪く、物事が上手く進まない場合が多いです。
こんな時は、「物事が上手く運ばない」って思えるかも知れませんが、逆に、今進めるべきでは無いような事柄かも知れないのでいったん立ち止まって考えてみるのも良いかも知れません。
もしかしたら、立ち止まることで事故を免れる場合もあるかもしれないからです。
タイミングが悪いとか、タイミングが合わないとき、それはまだ運命の歯車がかみ合ってない可能性があるので背後にある理由が何であるかを考察してみてください。
タイミングの合わない人
これはタイミングの良い人と真逆ですよね。
立場上よくあるのは採用で、出来れば雇いたいようなとても良い人なのに、他の人に採用が決まったため縁が無かったみたいなケースです。
これはとても解りやすいケースで、運命の道筋においてとか、カルマ的に今世では、このタイミングでは、縁が無かったというようなケースです。
もし敵ではなく、友として出会っていたなら… なんて漫画みたいな台詞ですが(笑)
どんなふうに出会ってどんなふうに関わるのか、関わらないで過ぎ去ってゆくのか?それを決めている本質は、自分にとって必要な経験を得られるか否かです。すべては魂の成長の為に。
タイミングの合う合わないのまとめ
タイミングが合う場合も、タイミングが合わない場合も、言ってしまえばすべては因果律によるもの、カルマの法則に基づき、巡り巡ってくるものです。
ものごとのタイミングがうまくかみ合うときはエネルギーのながらもスムーズで、良い結果に導かれるケースが多いです。
逆にタイミングが悪い場合は注意が必要で、その背後にあるなんらかの理由に気づくことが出来ればその後の判断を誤る可能性は非常に低いです。
これはいつもの結論ですが、因果律によるものであれば、より良い想いと行動が、より良い報いを引き寄せます。
心を清めて愛を持って生きて、最良の人生を引き寄せましょう。
では事故にあった人は、事故に遭うようなカルマを持ち合わせていたということでしょうか?