嫌いな人がいなくなるスピリチュアルな理由は?
嫌いな人がいなくなる…
日々のストレスに繋がるような人がいなくなったのであれば、きっと心も晴れ晴れでしょう♪
スピリチュアル的に言うならば、嫌いな人がいなくなるということは、課題が一つ終わったということです。
もしあなたのまわりから嫌いな人がいなくなったのであればまずは申し上げます。
卒業おめでとうございます♪
あなたはおそらく、いなくなった嫌いな人に関連する何かしらの感情を克服したり、カルマを解消したはずです。
あなたに必要なくなったから嫌いな人はあなたのもとからいなくなったのです。
【目次】
嫌いな人がいなくなるスピリチュアルな理由
嫌いな人をスピリチュアル的に言うと、あなたの成長ために必要な人です。
人間的な成長はもちろんですが、魂の成長にも必要な人です。
嫌いな人と接することで、あなたは反面教師から学び、感情や衝動をコントロールする術を学び、自分の中の想いを消化することを学び、忍耐を強く成長成長させるからです。
忍耐とは、「人間の成長を無限の時を経て見守る神の愛」とおなじ性質の力です。
忍耐とはすなわち愛なのですから。
そしてもう一つ、嫌いな人の存在はあなたのカルマにも関わっているかもしれません。
カルマの法則とは、原因と結果の法則とも呼ばれ、簡単に説明すると「盗んだ人は盗まれる」「殺した人は殺される」「与えた人間は与えられる」といった、自分の行いが自分に報いとなってかえってくるという神と宇宙の法則です。
カルマの法則は人間が生まれ変わっても持ち越されます。
なぜならば、カルマとは人の霊体や魂に紐付いているからです。
嫌いな人の存在をカルマの法則になぞらえて言うなら、過去生で誰かにさせた嫌な思いが、今自分に還ってきてるということです。
人間は生まれ変わるときに前世の記憶を無くしてしまうので、記憶に無いけど嫌いな人からイヤなことをされているという感じにはなりますが…
事実は自分がかつてしたイヤなことを今度は自分が身に受けているということです。
嫌いな人がいる、嫌いな人があなたに積極的に関わってくる、嫌いな人から離れることが出来ないという状況は、あなたの成長のために必要不可欠な存在であり、カルマ解消の為に必要な存在であるということです。
ですから、嫌いな人がいなくなるということは、あなたはその人を通じて必要なことを学び、カルマを解消し終えたということです。
カルマの法則についてはこちらの記事に詳しく書きましたので参考にしてみてください♪
嫌いな人がいなくなるおなじないは逆効果
インターネットにはさまざまな情報が溢れていて、恋愛成就や成功祈願、新月の祈りや満月の祈りなど、さまざまな願望成就のおまじないを目にします。
最近目にしたのは、「嫌いな人がいなくなるおまじない」嫌いな人がいなくなる言霊なんて話しもありました。
祈りには確かに力がありますし、たしかに新月や満月には人の精神や霊的なエネルギーを強める力があります。
おまじないもどうようで、ただしく行えば状況を変える大きな力となり得ます。
ただし…
「嫌いな人がいなくなるおまじない」というのは祈りやまじないとしたら有効ではなく、むしろ有害になりえます。
「嫌いな人がいなくなりおまじない」というのはスピリチュアルな本質からは大きく外れています。
なぜなら、おまじないをすることで嫌いな人がいなくなってしまったら… スピリチュアル的に言えば「成長機会を失う」ということであり、カルマの法則で言えば未解消のカルマはいずれふたたび自分に巡ってくるからです。
つまりおまじないが上手くいっても問題の先送りにしかならないということです。
そして、カルマの法則は行動だけでなく心にも作用すます。
人を殺したいと思う心自体にもカルマの法則は作用するのです。
人を支配したいという思いは想念となって相手を束縛し、悪意は目に見えずとも呪いとなり相手を傷付けます。
「嫌い」という感情や思いを消化するために、カルマの法則は嫌うものを引き寄せます。
つまり、嫌いな相手をおまじないで遠ざけようとする想いを解消する為に、カルマの法則により嫌いな人をより強く引きつける作用をします。
言霊についても同様です。
何か目に見えない力を頼り、嫌いな人を自分から引き離そうという動機自体にカルマの法則は作用するので問題を先送りに出来たとしても、次に巡ってくるときにはさらに大きな課題となっている可能性があるのです。
世の中に広まる、ただ自分に都合の良いだけのスピリチュアル、言霊、おまじない、法則、その背後にある誘惑と勧誘。刮目してください。
そんなに容易くいつわれるものではありませんよ、神もこの宇宙の法則も。
嫌いな人がいなくなる方法
ここまで読んで頂き、きっとあなたはうすうす気づき始めているか、あるいはハッキリと結論にたどりついているのではないかとおもいます。
嫌いな人がいなくなる方法はただひとつ…
学ぶべきことを学び、カルマを解消したときです。
嫌な人を物理的に遠ざける方法は色々ありかもしれませんが、それらは問題を先送りしてるに過ぎません。
本当の意味で、来世まで含めて嫌いな人に未来永劫立ち去っていただくには本質的な課題をクリアするより他に選択肢はありません。
嫌いな人にイヤなことをされたとき、否定するほどに、相手に感情や想いをぶつけ返すほどに状況は長引きますし悪化します。
最悪の場合、新たなカルマを生み出し、来世生まれ変わってもなお関わり続けるような因縁の関係になってしまうでしょう。
ですから、嫌な人と縁を切るためにできる最善の方法は、受け流し、消化し、許すことです。
自分にとって嫌な人ですから、たいていは関わりたくないと思うでしょうし、場合によっては相手に対して消えて欲しいとか、事故にでもあえば良いのにみたいに否定心を持ってしまうこともあるかと思います。
やられたらやり返すとか、やたれたら呪い返すみたいな状態になると事態は泥沼化し、カルマは強まり、ますます深みにはまってしまいます。
嫌いな相手にやられっぱなしになるのはシャクかもしれませんが、寛容さを旨に対処しましょう。
そして許せなくとも、許すのです。
因果を断ち切って自分を解放するためには相手を許すことが必要です。
自分が相手を許すことで、自分が相手に絡めた糸を断ち切り、相手の理不尽に対し忍耐を持って接することで相手が絡めてきた糸がやがてひもとけるのです。
いつまで忍耐を持って接するべきか?
殴り合いのさなか、自分が殴るのをやめ、忍耐を持って殴られ続けたら….? いつまで殴られ続ければ良いのか?
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」と聖書に書いてありますが、いつまで打たれ続ければ良いのか…?
どこまで愛と忍耐で自分を差し出すか、スピリチュアリストにとって、もっと言えば正しく生きる人間にとって、永遠の命題ともとれる話でもあります。
私がやり返さないで耐え忍ぶようにとお話をするとよく聞き返される内容でもあります。いつまで我慢すれば良いか?
我慢するのではなく許すのです。
魂が永遠の存在で、人間が輪廻をし続けるのであれば極論、やり返さずにやられ続けて命を落としたとしても、物質世界では命の終わりですが霊的な世界では愛と真理に近づいたと言えるでしょう。
ですが、話しはそんなに単純ではありません。
無抵抗にやられ続けることで相手を調子に乗らせ、相手のカルマを大きくしてしまうこともあるからです。
さて、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という言葉についてですが、忍耐を持って受け続けるというのがこの言葉の真意ではありません。
殆どの人が右利きの中で、右の頬から殴られるということはどういった状況なのか?
手の甲で殴られている状態です。
手の平で殴るのは手が汚れると考え、卑しい身分(奴隷)の人間を殴るのとき、手の甲でなぐるのが風習でした。
つまり左の頬を差し出すと、相手は右の手の平で打たなければならない、つまり自らは暴力を振るうことなく相手に対等であることを主張することになる。
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という言葉が秘める本質は、平和的に戦う意思です。
行為より動機で測られるカルマの法則
カルマの法則は行為より動機で測られます。
つまり、うっかり相手を汚させた場合と、憎しみを持って相手に怪我をさせた場合、後者の方がカルマの法則はより強く作用するのです。
心の中で人を傷付けたなら、それはスピリチュアル的に言えば実際に傷付けたのと変わりはないのです。
平和的に戦う意志とはつまり、相手を傷付けることなく戦う、傷付ける意志なく戦うということです。
どうすれば伝わるのか?どうすれば気づいてもらえるのか?
確実な方法などありません。ただ一つ言えるのは…
相手を許すだけでなく、相手を愛し、正しい出口に導くことができたなら課題は解決します。
嫌いな人が居なくなる祈り、言霊
もし祈る動機が、ただ単に嫌いな人間を遠ざけたい、関わりたくないという動機であれば、いっとき退けてもカルマは再び相手を引き寄せるでしょう。
同じ相手かも知れませんし、同じような性質をもつ別の相手かも知れません。
言霊を用いるときも同じです。
カルマの法則で言えば、否定したものを強く引き寄せますから、否定心から祈ったり言霊を駆使しても無意味です。
ですが…
相手に変わってほしい、気づいて欲しいと心から願うのであれば、その動機が愛であるなら、祈りは強い力を発揮することでしょう。
それは相手の気づきを促したり、問題を解決に向かわせることでしょう。
ではどのように祈ったら良いのか? どのように言霊を行使したら良いのか?自分と相手が共に平和を得られるように心から祈りましょう。
私からの提案は、相手を許すために自分と相手を見つめなおす。そのために内省を行うことです。
そして自分と相手のために正しく祈りましょう。
内省や祈りについてはのちほど詳しく説明した記事へのリンクを用意しておいtなおでそちらからご覧ください。
嫌いな人がいなくなるとき、それは学ぶべきことを学び、カルマを解消したときです。
問題を解決するちからとは何か?忍耐、寛容、許し、つまり愛です。
すべての人が望まぬ人間関係から卒業できるとこをお祈り致します。
もし最近、嫌いな人があなたの身の回りから去ったなら、あらためて卒業おめでとうございます♪
こんにちは。
人間関係は本当に不思議ですよね。私も年齢を重ねて色々な人と働いてきた経験があるのですが幾つになっても苦手な人が現れます。今までも苦手な人が現れても最後は上手くいくようになり最終的に離れていくというパターンを私も繰り返しています。それでも同じ性格の人ではなく違う性格の人が現れるのです。
つまり私は色々な学びが必要なんでしょうね。
というか私という人間の中にも色々な性格を持っていて嫌いな自分を相手に投影しているのではないかと思うこともあります。なのでまずは受け止めそして流していく事は必要かもしれませんね。
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」
そのような背景があるのですね。感動しました。
やっと腑に落ちた感じです!
私の周りを見渡すと…はい。
あー…私、前世では沢山の人に助けられていたのに、幸せだったのに、気がつかなくて、感謝が足りなくて、人々に嫌われていたと思います。
私が今の場所に居る意味。
生まれる時神さまが「人から愛される人生ですよ」と、仰ったのだと。
やっと。その言葉の意味がわかりました。
ありがとう。気づけて良かったです。
毎日を周りと仲良く過ごせるように「祈ります。」
先日すごく理不尽な対応をされモヤモヤしていたのでとてもタイムリーな記事でした。いつもありがとうございます!
はじめてコメントします!
苦手な人が現れる度に、「私にもこの人みたいなところあるよなぁ」って思います。
相手って自分の鏡ですよね。
自分を大切にして、相手を愛する・・・そんな生き方がしたいです。
こんにちは。
夫に不倫されました。
これもカルマなのでしょうね…
なぜか激しい怒りはありませんが、夫を愛していただけに、人生最大の辛さを味わいました。
この出来事をどう理解し、愛を持って乗り越えなければいけないことはわかっていますが、自分の中でもいまいち落とし所がわかりません…
内省が必要なのでしょうね…
ウリエルさん いつも貴重な導きをありがとうございます。
今回の嫌いな人からの卒業について、非常にタイムリーでした。
60年間妹に対しては我慢と絶望と諦めの繰り返しで、特に1週間前は怒りの極致でしたから(苦笑)
今は亡き父のDVを受け継いだ妹も弟も、また依存の母との繋がりもカルマであり、必要な学びなのでしょう。
ただ 考えてみると、明らかに恵まれて守られていることにも気が付きます。
なぜなら、天空の庭先にも導かれているし 生きてる限りは成長のチャンスと共にあるはず。
長い道のりの中、やっと仕事でちょっと嬉しいことがあったりして…
絶望を嬉しさに変換できそうな勇気が湧いてきました。😊
頭上からの紫色の光の粒が滝のように降り注ぐような優しいエネルギーを頂いたことを思いながら
神や天使や無限のエネルギーを思いながら
ウリエルさんや皆さまの健康と幸福を祈ります。
今年ならず今の時代
無意識に愛に飢え…愛を求める
そんな方が多い気がします。
欲望は一時的には満たされますが
やはり根本的ではありませんね。
私も渦に抗いながら、流されて
振り払い、掴まれて、日々葛藤をしています。
未熟ゆえに、迷うのだと思います。
ソロモンの知恵に必要な決意に欠け
それは、愛を見失う事にも繋がります。
今年の木星の力をお借りしたいところですが
加護や希望があっても
自分の意思で知る必要があると言う事ですね。
その先に、歴代の聖者やキリストの様な
神聖な言霊が存在するのかな。
嫌でも、苦手でも、怖くても、
切り開ける道はあります。
今までがそうだったように…
今に至るまでの積み重ねがあります。
右の頬、左の頬だけではなく
正しければ愛も祈りも。
人生で多くを学べることが
1番の贅沢だと思いました。
それを知りえた方はきっと幸いですね。
真を持ってる人は六芒星が輝く…
私はその王冠、輪を探しています。
それは身近にあって
皆んな持ってるモノなのかもしれませんね。
☆ウリエル☆さん
また1つ向き合える事ができました。
私達の未来が愛と平和であります様にと。
いつもありがとうございます!
近々台風が来るそうです。
寒くなる季節です。
☆ウリエル☆さん、皆さん
どうか温かくして、
色鮮やかにお過ごし下さい♪
こんにちは!
コメントくださる方々の、愛に溢れた、「☆ウリエル☆さまはじめ私たち仲間への祈りの御言葉に光を見出し、お力を沢山頂きます。
そうそうなされる事ではない、素晴らしい事です。
感謝です。
私からも「皆様のご多幸をお祈り申し上げます。」
それぞれ身の回りへの課題は違いますが、ともに乗り切り越えて参りましょうね。
こんにちは
とてもタイムリーな記事でした。
瞑想、内観、を続けるうちにだんだんと見えてきました。
理不尽な行いをする人こそ傷ついているんだと。
頭の理解ではなく自分も味わっているかのような感覚とし
て伝わってきました。
相手から意図的に理不尽を受けた時に自分が傷ついた感覚
で一杯で相手のエネルギー(行いの原因となるもの)には
気付きませんでした。
その気付きから良い方向にむかう希望が持てました。
ただ、カルマという
考え方には少し注意が必要かと思います。
人によっては自分を責める人が出てくると思うので。
カルマという概念が良い悪いという話ではなく、
その考えが人を責めたり自分を責めたり
するエネルギーにならないよう気をつけたいです。
そんな気付きを得たのもウリエルさんの記事のお陰です。
私は記事を全部鵜呑みにはできない性格なので、
ホントかな?っていう記事から腑に落ちた!という事柄も
ありますが、自分の人生のなかでの経験や学びに従って少し
づつ理解を深めていきたいです。
毎回新しい記事を楽しみにしています。