断捨離ってなに?言葉ぐらいは聞いたことあるみたいな人たちにとっては、「断捨離」=「物を捨てる」といった印象が強いようです。断捨離は、「断つ」「捨てる」「離れる」という言葉の頭文字を組み合わせてつくられた言葉で、簡単に言うと、「物を増やすことを断つ」「不要なものを捨てる」「執着から離れる」という3つの意味を組み合わせた言葉です。執着を手放すというスピリチュアルな本質とも繋がっています。この記事では断捨離の考え方、行い方、スピリチュアルな本質との関わりについてお話したいと思います。
断捨離ってなに?言葉ぐらいは聞いたことあるみたいな人たちにとっては、「断捨離」=「物を捨てる」といった印象が強いようです。断捨離は、「断つ」「捨てる」「離れる」という言葉の頭文字を組み合わせてつくられた言葉で、簡単に言うと、「物を増やすことを断つ」「不要なものを捨てる」「執着から離れる」という3つの意味を組み合わせた言葉です。執着を手放すというスピリチュアルな本質とも繋がっています。この記事では断捨離の考え方、行い方、スピリチュアルな本質との関わりについてお話したいと思います。
【目次】
断捨離をしたいという気持ちの背後にある心は、キャパオーバーで持ちきれないという心のSOSでしょう。家の収納に許容量があるのとおなじで、私たち人間の心にも許容量があるのです。物を管理するコスト、物の背後に紐付く自分の執着や人間関係につかわれる心のエネルギーにも。
まずは断捨離という言葉の定義から確認しましょう。
断捨離(だんしゃり)とは、
- 沖正弘が提唱したヨーガの思想[1]。1976年の著書『ヨガの考え方と修業法 上巻』[2]において「断捨離」という語が使用されている。
- 作家のやましたひでこが提唱し、商標登録する、不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想。本項では主にこちらについて解説する。
断捨離 – Wikipedia
「不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想」それが世の中に広まる断捨離という言葉の意味合いです。
ただ、その思想のもとはヨガの考え方や修行法にあるため、「物の片付け」「整理」「物の処分法」とは異なり、その本質は「思想」にあります。
ヨガの、断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)それぞれの頭文字をとって「断捨離」という言葉になり、その意味はそれぞえ下記のような内容になっています。
断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
捨:家にずっとある不要な物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
断捨離 – Wikipedia
つまり断捨離とは、不要な物を断つことで物を増やさず、不要なものを捨てることで物を減らし、物そのものへの執着を捨てる。ということです。
断捨離で大切なのは自分自身の物質欲のコントロールこそが断捨離の本質です。ですから、「断」「捨」「離」の思想の優先順位は下記のようになります。
物への執着から離れることで、不要なものを断つことが出来、物が増えなくなる状態が出来ると、捨てたぶんだけ身の回りがシンプルになります。
いくらものを捨てても、新たにものが増えたのではいつまでたっても物は減りません。ですから、まずは物への執着から離れることが最優先となります。
どうすれば物への執着から離れられるかのか?これからお話しますが、スピリチュアル的に言うならその本質は「心の浄化」です。
断捨離のもとはヨガの思想というお話をしましたが、内容をよく理解するとそれが人間の心のありかたとして「当たり前の考え方」であることにすぐに気がつくと思います。欲望に従って無駄なものを増やすのではなく、必要な物を大切に使い不要なものは必要な人に譲る。正しく生きようと思うのであればほんとうに「当たり前の心の在り方」だと思います。
断捨離をしようと思い立った人は、きっと自分の部屋とか身の回りの環境、生き方に課題をみつけそれを改善しようと考えた人だと思います。
断捨離をしたくなるとき、多くの人は断捨離という言葉に「捨てる」のイメージを強く持っています。「断」と「離」はあるいみ心構えといえるので、すぐに行動に移せるのが「捨てる」という行動だからでしょう。
では、身の回りを整理したり物を捨てたくなる理由とは何でしょう?
物を捨てるという行為はスピリチュアル的に言えば「想いも一緒に手放す」ということです。部屋や手元にのこっているものそれぞれに理由があります。たとえば親から貰ったもの、恋人からもらったもの、思い出の品、もったいないから、捨てるのがめんどうくさいから、などなど、物と人間を結びつけている感情や想いがそこには存在するのです。
物を捨てたくなるのは、自分の感情や想いを手放したい、そこに囚われていたエネルギーを解放したいという欲求が働きはじめているからです。
物を捨てたくなるときについては詳しく書いた記事がありますので参考にしてみてください。
いくら物を捨てたり整理しても、それ以上に増え続けるならいつまでたっても断捨離は終わりません。
必要以上に物を欲する心の奥底にあるのは「不安」「恐怖」「欲望」「執着」といった私たちの心を縛ったり狂わせる感情や想いです。
人間は、他人との優越のために物を欲したり、未来への心配や不安のためにお金や物をため込みます。中には不正を行ったり他人を蹴落としてまで、欲しいものを得ようとする人もいます。
断捨離に大切なのは物質欲のコントロールと申しあげましたが、断捨離をスピリチュアル的に言うならばその本質は「欲望や執着の浄化」つまり、「心の浄化」です。
我慢して断つ、ではなく、心の浄化に伴い「欲さない」とか「必要なくなる」というのが理想的な状態です。
そして執着を捨てることは、スピリチュアルな本質の一つでもあります。
聖人聖者たちから学ぶのであれば、彼らは神へと至るために不要なものを捨て、心を清めてより大きな愛に目覚めてきたからです。
人間の執着に関しては詳しく書いた記事がありますので参考にしてみてください。
実際に断捨離の仕方をお話したいと思います。
断捨離をする上での思想の優先順位は先ほどお話ししたとおり、
物への執着から離れることで、不要なものを断つことが出来、物が増えなくなる状態が出来ると、捨てたぶんだけ身の回りがシンプルになります。
ですが、「離」物への執着を断つことこそが最も難易度が高く、「断」は執着を捨てることが組み合わせになるため、断捨離をする上で実際に取り組む順番は取り組みやすい「捨」からになると思います。
つまり、断捨離に取り組むべき実際の順番は多くの人は上記のようになります。ではいかの捨てるのか?
最初にすべきことは物を捨てることですが、まずは基準をもつようにしましょう。
捨てる物の簡単な目安は「1年以上使っていないもの」です。それを必ず捨てるというわけではなく、まずは捨てる事を検討する基準として持っておきましょう。1年以上使っていない衣類、家電、物置に置きっぱなしなっている物、結構あるとおもいます。
時代で色あせないような性質の物、たとえば子供のオモチャでいうと、シルバニアファミリーとかプラレールなんかは1年使ってなくても孫の代までとっておいても良いかと思います。
不要な物を捨てる上で何にどこから手を付けるべきか?これはおもに2つ軸がありますが、人によって優先すべき軸が変わるのでわいとケースバイケースになるかもしれません。
一つ目の軸は、「小さなスペースから」そしてもう一つの軸は「不要な物の多い場所から」です。
小さなスペースは、不要な物を仕分ける物の量が少ないため手早く整理をすることが出来ます。そして不要な物の多い場所は、仕分ける対象が明確なので整理がしやすいです。
小さくて不要なものが多い場所を具体的に言うと、「財布」とか「ポーチの中身」とか「通勤用の鞄」などが該当しやすいです。
たとえば財布ならレシート、割引券、使わなくなった会員カードなどなど。ポーチや鞄にも使わなくなったままに入れっぱなしになってるものが結構貯まりがちです。
大きくて不要なものが多い場所は、「物置」とか「収納」などです。壊れた家電、使わなくなった器具、子供用品など、そういった捨てるのが勿体ないものを置く場所って各家庭にひとつやふたつはあるかと思います。まずはそういった場所から整理しましょう。
衣替えのときに移動がない衣類、よほどしっかりクローゼットの中を整理してない限りは結構あると思います。物置みたいにとりあえず使わない物を入れてそのまま放置されてるみたいなこともありがちなので、衣替えで移動しないものこそ確認をしましょう。
1年以上着ていない服は捨てる候補として考えましょう。ただし例外がいくつかあり、冠婚葬祭用の服とか、スーツ類、お気に入り、思い出の服などは着ていない期間が長くてもそれぞれ検討しましょう。
1年以上読んでいない本に関しては捨てる候補として検討しますが、本と他の物と決定的に違う点が2つあります。ひとつは、本は洋服や家電などと異なり圧倒的にスペースコストが低いという点、そして本はそれそのものが情報であるという点です。
ですから、本を捨てる際に留意したいのは、今後読み返す予定があるか?という点と、料理のレシピやノウハウ系など本のテーマや性質によっては情報の資産として持っておく必要があるか無いか?といった点です。
断捨離がうまくできないという人も世の中にはいると思います。そういった人たちが陥りやすい状態がいくつかあります。それぞれの課題を解決することが出来れば、少なくとも断捨離の「捨」に関してはスムーズに行えると思います。
物を捨てる目安として1年という時間がありますが、イレギュラーはあると思いますが出来るだけ最小限にしていったんルールを守るという点です。その為には自分が物を捨てるときの基準を守る気持ちを強く持たなければなりません。浅慮になってはいけませんが、思い切りよく捨てるということです。
幼い頃に、親や学校の先生、目上の人から「物を大切にしなさい」と言われたと思います。断捨離をするとき、物を捨てることに後ろめたさを感じる人は多いと思います。とくにまだ使えるものであればなおさらで、その後ろめたさが物を「捨てる」ことをためらわせ、断捨離をおこなう妨げになることがあります。
もちろん、それはとても正しい感覚ですし、良いことだとも思います。
そういった人は「捨てる」のではなく、「譲る」とか「リサイクル」をすると良いでしょう。一手間増えることもあるかと思いますが、捨てずに人に譲ったり、リサイクルショップなどを利用することで使える物を「捨てる」という後ろめたさは避けられます。
ただ、無理に売ろうと思うと断捨離が進みにくくなるので、売れない物はゆずる、処分する、そこも執着せずにサクサク判断できると良いです。
捨てるのは本当に勿体ないのでしょうか?まだ使えるものを捨てるのは勿体ないです。ですが、もう使えないものであれば処分しても致し方ないかと思います。修理すれば使えるような物に関しては、本当に修理できるか?修理したあとに使うのか?物の価値と修理にかかる手間や費用と差し引きで考えると良いでしょう。
私たちは物を買うときにコストを払いますが、実はものを持ち続けることにもコストを払っています。
維持費がかかるものもありますし、物置にしまっていてもスペースコストがかかります。スピリチュアル的に言うのであれば、管理に意識をさくのもエネルギーコストが掛かっていると言えます。
物を捨てると、捨てた物を失いますが、物によっては代わりに得るものもあるということです。
一番勿体ないのは「捨てる」ことではなく、不要なものを必要と思って手に入れることです。そういった意味で言うと、最も有効なもったいない対策は「不要な物を手に入れないこと」でしょう。
断捨離の「断」が重要ということですね♪
断捨離をするとたくさんの効果、メリットがあります。
全部まとめて簡単に言うと、「自分や周辺のリソースが空いた分、他に使えるリソースが増える」ということです。お金もエネルギーですから物を所有するために使っていた時間やお金が浮いて自分への負荷も減るということです。
これらは解りやすい実質的なメリットですが、スピリチュアル的に言うのであれば断捨離の最大のメリットは「心の浄化と開放です」
執着を捨てることはスピリチュアルの本質の一つだと申しあげました。物に執着しないためには、自分自身の心を律しなければなりません。仏陀は執着の無い心「空」を説きました。それはこの世界で変化する事象をありのまま受け入れることでもあります。
そしてイエス・キリストは「あなた方は神と富に仕えることはできない」と説きました。ここで言う富とは人間の欲望と執着であり、神とは「無私の愛」です。
断捨離は「整理整頓術」ではなく「」思想です。その思想を物質でないものにも当てはめて考えてみましょう。不要な物を捨てるためにすべきことは自分の心の中にある物との紐付きを断ち切ることです。であるなら、断捨離が上手くいけば自ずと心の中の欲望は断ち切られ、思考は生理されてゆくということです。
私たち人間がすべてを捨て去ったら何が残るのか?死して肉体さえも捨て去ったなら最後に残るのは己の魂です。
断捨離の行き着く先は、「魂」つまり、「本来の自分」なのです。
魂に蓄積する富が残すべきもの、それ以外のものは借り物でいずえは手放すものです。
物だけでなく自分の内にある必要なものと不要なものを仕分けして、要らないものは捨ててしまいましょう。
そのためには内省・内観が役立ちます。
断捨離をすること自体で運気が上がるわけではありませんが、断捨離をする副産物として運気は確かに上昇します。
片付け、整理整頓、掃除、断捨離、身の回りが綺麗になると上記のような理由で運は良くなったと感じられることは増えると思います。逆に、断捨離をして運気が下がったみたいな人がいたとしたら、それはカルマ的に次の課題が巡ってきたなど、節目や環境の変化によるところが大きいかと思います。
いずれにしても、断捨離が正しく行われているなら自分自身や環境のエネルギーは向上するので、良いことは起きやすいです。
不要なものを捨て物質の断捨離がすすむとかならず浮上する課題、それが人間関係の断捨離です。なぜ物を整理すると人間関係の整理に紐付くのか? それは物と人間の間で紐付けが強い物が多数存在するからです。
たとえば1年以上使っていないサーフボード、スノーボード、テニスラケット、こういった物は一緒にスポーツやレジャーを楽しんでいた仲間が存在する場合も多いので物を整理すると人間関係も整理されるみたいな図式が少なからずあります。
遺産相続とかも解りやすい例かもしれません。
たとえば親の遺産となる物やお金や権利を兄弟3人で相続するような場合、親という人間に紐付いていたモノがあらたな所有者に紐付くわけですし、遺産相続を破棄した場合、親や兄弟との繋がりも薄れたり切れたりします。
ちなみに私の母方の実家では祖父の莫大な遺産をめぐって醜い遺産争いがありましたが、私の母は巻き込まれるのが嫌で相続を破棄して一族から縁を切りました。
モノやお金、権利など、さまざまなものが人間に「所有」というかたちで紐付いていて、それを手放すことで「所有物」といっしょに背後の人間関係も断ち切れます。
断捨離は物自体や執着を増やさないだけでなく、不要な人間関係をつくらずに済んだり、不要な人間関係を断ち切ることにも役立ちます。
いただいた贈り物、手紙、色紙、記念品など、記憶や思い出が紐付く品々にも、人間と紐付く物が多数存在します。すごく変わりやすいたとえをすると、別れた恋人との思い出の品々を捨てられずに持っているようなケースは、それが勿体ないからとか自分で利用しているようなケースを除いては「未練」とか「心の繋がり」を残したいことが理由だと思います。
逆に、未練が無ければ人に譲るなり捨てるなり、元彼に送りつけるなりするでしょう。
自分が所有するものは、自分本当の心や、自分と人の繋がりを知るひとつのバロメーターになります。
いずれ詳しい話しは別途記事にしたいと思うので、ここでは簡単に概要と結論をお話します。
不要なものを断捨離し続けていくと、物の背後にある人間関係も自ずと整理されてゆきます。逆に、自分と大きく価値観の違う人たちや先々の人生に関わらないであろう人たちなど、人間関係を断捨離すると、おのずと手元の物は減ってゆきます。
関わる人間も、自分自身の心と愛の成長によっておのずと精査されてシンプルになってゆきます。ひとつ勘違いしてはいけないことは、「不要な人間関係」というものは確かに存在しますが、「不要な人間」は存在しません。
カルマが解消されて、人との繋がりが断ち切れ、断捨離が進み、人間関係はシンプルになったとしても、「愛」をもって人と関わり続けましょう。スピリチュアル的にいうなら大切なことは「執着」を手放すであり、人間そのものを手放すことではありません。
「執着」ではなく「愛」によって人と繋がることが大切なのです。
断捨離は「不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想」それが世の中に広まる断捨離という言葉の意味合いです。その思想のもとはヨガの考え方や修行法にあるため、断捨離は「物の片付け」「整理」「物の処分法」とは異なり、その本質は「思想」にあります。
多くの人は断捨離という言葉に「捨てる」のイメージを強く持っています。身の回りを整理したり物を捨てたくなる理由とは何でしょう?
物を捨てるという行為はスピリチュアル的に言えば「手放す」ことです。物を捨てたくなるのは、自分の感情や想いを手放したい、そこに囚われていたエネルギーを解放したいという欲求が働きはじめているからです。
断捨離に大切なのは物質欲のコントロールと申しあげましたが、断捨離をスピリチュアル的に言うならばその本質は「欲望や執着の浄化」つまり、「心の浄化」です。
そして執着を捨てることは、スピリチュアルな本質の一つでもあります。
私たち人間がすべてを捨て去ったら何が残るのか?死して肉体さえも捨て去ったなら最後に残るのは己の魂です。断捨離の行き着く先は、「魂」つまり、「本来の自分」なのです。
魂に蓄積する富が残すべきもの、それ以外のものは借り物でいずえは手放すものです。
心を清めて愛を持って生きることで、物や関わる人間もおのずと精査されてシンプルになってゆきます。
まさに今、断捨離していました。
フリマアプリですと、送料や手数料が入るので大きなものはなかなか難しかったのですが
数日前に 直接受け渡しできるコミュニティに登録しました。 おかげで、無料や、数百円などでお譲りすることができたり。大きなものも、車で取りに来てくれたりするのでスムーズにお譲りができたり。これをフリマアプリで梱包して、発送して、となると大変ですからね、
そのまま手渡し。かなり助かります。そして皆さん喜んでくれるのが嬉しいです。私に必要無いものでも、誰かが喜んで使ってくれる。
ただ、これが断捨離になっているのか、というと、
「新しいものを手に入れる」私は、ちょっとなってないですね^ ^s
子供の必要無くなったものや、生活雑貨を譲ったり売っていたら、少しお小遣いができたので、
子供が喜びそうな、新しい知育おもちゃを買いました^ ^s
私の場合、そうやって使うものを、更新していってるだけではありますが、でも物があふれるのは苦手なので、何か新しく手に入れたい時は 古い方を無くします。
本当に一瞬の会話ですが、「来てくれてありがとう」と「譲ってくれてありがとう」の会話がとても嬉しく、楽しく感じます。そんなやりとりがしたくて、ついつい何か無いかな?と探してしまうことも!笑
最近この世の中にも天国がある事を思い知った出来事は、
私が困っている時、相手が困っている時、お互いのメリットを分け合った時の、お互いの感謝の言葉(愛)、です。
一人で富を全部所有しなくても、奪い合いしなくても自然と感謝の気持ちと共に天から降って来るのですね。
みんなで富を分け合えば管理の負担は半々、物もリサイクルで使い切れますね。
自分の定めた「清め月間」で気づいたこと、この「リサイクル」は、浄めの気持ちから循環し始めると感じています。
忙しい中能率を上げるために集中しすぎると、怪我したり、トラブルが起きます。
そんな時、タスク管理をそのままにして瞑想してみると心が空っぽ?真っ白になり冷静になれます。
そして無事で穏やかな忙しい1日の始まりです。