世界観と信念体系
【目次】
私たちは自分の持つ世界観というフィルターを通して見る。
日本という国には本当にさまざまな宗教が混在しています。その為か私達が「あの世」と呼ぶ死後の世界も仏教の世界観だったり、キリスト教の世界観だったり、本当にさまざまな「あの世」が存在します。臨死体験をした人の中には、あの世の入り口に行ったとか、三途の川を見たとか、死んだ母親に会ったとか体験の種類もさまざまです。
見えない世界を説明していくにあたって、私たちが持つ文化体系や宗教によって持つ異なる世界観が死後に体験する世界観や、体外離脱時に体験する高次世界の認識に与える影響についてまずは簡単に説明してみようと思います。
国や人間の思想や宗教観などが意識に与える影響
まずは例えばなしからですが、目に見えるものであれば違いは分かりやすいです。
例えば日本と欧米とアフリカの建築物とはあきらかにデザインが異なります。
聞こえるものも分かりやすい違いがあります。
日本人は豚の鳴き声が ブー ブー
アメリカでは オインク オインク
と聞こえます。
実在する建物や実際に聞こえる音にはこんな風に差があります。
ならば「あの世」みたいに目に見えない世界はどうでしょう?
欧米の人が臨死体験で死後の世界に行ったとき、天国のような場所や地獄のような場所の入り口のような風景を見たりします。逆に日本人の臨死体験に出てくる霊界は多くの場合三途の川です。
仏教の人は神仏の声を聞きカトリックの人は神や天使のお告げを聞く。
なぜこのような違いが出るのでしょう?
イメージが作りだすビジョン
例えば☆ウリエル☆というハンドルネームを持つ庭先の管理人の容姿を想像してください♪
ネットはその姿や声があるわけではありませんが、不思議とこれを見る方々の中には人間像が移り込み、文字を読むときには声のようなイメージが脳裏に浮かびます。
想念が人の心のうちに知らず知らずにイメージを固め、世界を作り出しているんです。
例えば仏教であればその宗教的背景のような世界観があり、信者はそれを共有してるわけです。
ですが信者が持つ世界観を個々で見ればまた微妙な差も存在するわけです。
これはほかの宗教でも同じ事ですし、UFO研究サークルとかも同じです。職場の中であの人は仕事ができてあいつは怠け者みたいなのも、これも最初は自分一人で思ってたとしても何人かの同意を得れば複数人数が共有する世界観となります。
ここからが本題です♪
変換されるビジョンや記憶
今の私たちは3次元世界に居るわけですが、「あの世」とか呼ばれる死後に私たちが行く場所とは、幽界とか霊感などという言葉で知られていたりします。それはこの世界と重なり合うように存在する高次元の世界です。
そこで何かを見て体験したとしましょう。
例えばで紫外線に3次元では見えない色があるのを発見した!高次世界の虹は13色だった!
でも高次世界で3次元では見れない色を見たとしても肉体に戻った3次元の意識ではそれを思い出す事はできないのです。なぜか?3次元では見えない色だからです。
でも印象は残ってるはずです、綺麗(きれい)だったとか輝いてたとか(笑)
つまり臨死体験など「あの世」よか死後の世界とか、物質世界より高次元の世界に行った場合、高次元に存在する情報をそのままこの3次元に持ち帰る事はできないのです、そのようなとき記憶や情報の『置き換え』が起こるのです。
フルカラーがモノクロになるような事に似ています。
変換されると元の色が解らなくなるります。
例えば臨死体験で、霊界の入り口を見たという人が居たとして、その人が意識を取り戻したとき、高次世界での体験はこの3次元世界で認識できる形の記憶に、つまりその人が持っている世界観に置き換えられます。
ですから人単位や宗教単位で違いが出たりするわけです。天国だったり三途の川だったり。
この仕組みは人が夢を見て記憶する場合も同じです。
人間だれしもが眠ってる間に感情や思考、想念といったより高次元の世界を体験しています。
3次元より高い次元での活動や経験の記憶が、朝目覚めたときに3次元ベースの情報に変換されます。そのため、夢の中には記憶や情報が崩れてしまって理解不能な情報も沢山あるわけです。
私がある日、瞑想中に見た光り輝く天使はもしかしたらほかのだれかには
神仏とか天女に見えたかもしれませんね♪
ここのところ、自分が思ったり、感じたり、考えたりした事をなるべく全部、ノートに書き出すようにしてます。
自分で書く、というのがポイントらしいですし、私もそう思います。
頭の中が整理整頓されるし、後で読み返すと自分の世界観や願望がなんとなーくこんな感じ、というのが見えてきます。
外側で起きる事は中立(ただ起きただけで、ジャッジも何もしてない)で、そこから受け取ったメッセージに私はどんな反応を示したか。←この時の自分の感情がヒント。
(外で起きた事を起こした人の感情、意図などは、表面の話で、ここでは置いといて)
最近私は陰陽で言う、これまで陽ばかりにスポットライトを当てていたと気づきました。
陰の部分はあるのは知っていたけど、きちんと向き合おうとしてなくて、その向き合うまでがホントにすごーくしんどくて、、、(エゴの私が一番見たくない部分だったから)
(コインの表裏と同じで、私にはどちらも必要不可欠なのですが。)
今思えば、浅ーい水たまりで必死に溺れていたのだなぁ、溺れていたかったのかなぁ、と思います。
世界観の意味を調べたら、「世界とはこういうものだ、その中で人はこう生きるものだという、世界・人生に対する見方。」とありました。
そして真理の意味「本当の事。間違いでない道理。正当な知識内容。」
私は真理を理解しつつ、(自分の世界観を作るのは自分なのだから)もっと自分が楽しいとかこうだといいなぁ、とかで作っていいと思ってます。
修行好きなら、ゲームのハードモードのような感じで良いと思います。
その逆も全然良いと思います。(個人的に私はこちらが好きです。^ ^)
それを決めるのは、自分です。外側は中立でただのヒントなのです。
能動的にも受動的にも生きていいです。それを選択するのは自分。
現在、私の世界観は、こんな感じです^ ^