神とは?スピリチュアルな視点で解き明かす神の正体と宇宙の法則

神とは?スピリチュアルな視点で解き明かす神の正体と宇宙の法則
「神とは一体なんでしょう?」「神様は本当にいるの?」
古来より、私たち人間は、自分たちを超えた大いなる存在について、そう問い続けてきました。様々な宗教や神話がそれぞれの形で「神」について語りますが、スピリチュアルな探求の道においては、そのさらに奥にある本質、神の正体に迫ろうとします。
天空の庭先では、神を「世界を創造した第一原因」として説明しています。世界と言うのはこの地球や宇宙にとどまらず、幽界、霊界、神界(天界)といった私たち人間には普段、認識が不可能な高次世界を含めたすべての創造主です。この全てを創造した「第一原因」は完全なる知性であると同時に、自らのエネルギーを素材として世界を作りました。
ゆえに、スピリチュアルな視点では、この世界の全てに神が宿っていると考えるのです。
この記事では、「神」と呼ばれる様々な存在、神と人間の関係、そして宇宙の法則としての神の正体について、スピリチュアルな視点から深く、そして分かりやすく解き明かしていきます。
【目次】
スピリチュアルな視点で捉える「神」とは?

「神」という言葉を聞くと、どこか遠い存在のように感じるかもしれませんね。でも、本当は私たちの一番身近にある、愛や光そのものなのです。この記事が、あなたの心の中にある神の存在に気づくきっかけとなれば幸いです。
神の語源は不明である。日本においては長らく神道における神を指す言葉であった。万葉仮名では、神(かみ)を「迦微」、「柯微」、「可未」とも記していた。近世以降にキリスト教や西洋思想が伝来すると、古代ギリシア語: Θεός テオスまたは古代ギリシア語: Ζεύς ゼウス、ラテン語: deus, Deus デウス、ドイツ語: Gott, 英語: god, Godなどにあたる外来語の訳語としても用いられるようになった。これらの意味と日本語における「神」は厳密には意味が異なるとされる。詳細は下記を参照。また、英語において、多神教の神々は”God”ではなく、頭文字を小文字にして”god”、複数形:gods、もしくは”deity”、複数形:deitiesと区別する。
まあ、ひと言で神と言っても、色々ってことですね(笑)
神とは、人間の存在を超えた存在で、畏れ敬われ、崇拝されている存在です。
特に日本という国は世界的に見ても珍しく、複数の宗教が争うことなく混在しています。それ故に、現代の日本においては「神」という言葉が指し示す「存在」も数多にあります。
私が冒頭でお話した創造主としての「神」はもちろん、神格を兼ね備え、方位やある種の概念を司る「神々」であったり、自然や万物に宿るとされている「神」であったり、死者や動物が信仰の対象となり崇められるようになった「神」など、本当にたくさんです。
何らかのハッキリとした信仰を持ち神を信じる人間は人類の半分以上と言われていて、それ以外の人間の中にも、ハッキリとした信仰をもたないだけでなんとなく神という存在を信じている人が多数存在しています。
宗教に属している人間であれば自分が信仰する宗教の「神」が自分の「神」でしょうが、宗教に属さずとくに決まった信仰を持たない人にとっての「神」は、煙のようにもやっとしているのではないでしょうか?
「神」という存在を正しく理解する為には、「神」と呼ばれる様々なものをもっと知る必要があるかもしれません。
多様な「神」の種類とそのスピリチュアルな意味
神と呼ばれる存在は実にさまざまです。それぞれの意味を知ることで、より根源的な神の姿が見えてきます。
全ての源である「創造主」
この天空の庭先で「第一原因」として説明されている神です。全ての創造の源であり、世界が創造された最初の原因でもあります。創造主、創造神、第一原因、第一要因、創造といった言葉で言い表されます。
万物に宿る神々「アニミズム(精霊信仰)」
生物、物質問わずに、この世界のあらゆるモノの中に霊や霊魂が宿っているという思想です。日本では古くから「精霊信仰」という言葉で存在し、ここで言う「精霊」という言葉にもまた「神」というニュアンスが含まれています。アニミズムはラテン語のアニマに由来し、気息・霊魂・生命といった意味です。余談になりますが、霊的な洞察力があれば、気息・霊魂・生命、これらの言葉だけでも万物と人間が元々1つで繋がっているということを根源に持つ思想だということが分かります。
法則や自然を司る神々
火の神、水の神、風の神、地の神や、東西南北の方位を司る守護神など、ある種の性質や法則、あるいは概念を司る神々です。仏教で言えば四方の守護神である、東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の毘沙門天などがこの種類の神に該当します。世界各地の神話に、山の神、海の神、川の神、夜の神、出産の神など、ほんとうにさまざな神が存在します。
そして神ではありませんが、同じように天使にも性質や法則を司る存在が数多にいます。これらの神は、守護や御利益が受けられると信じる人間たちによってそれぞれが信仰の対象にもなっています。
神話に登場する「神族」
神の一族です。日本神話、ギリシャ神話はよく知られている神話なので分かりやすいのではないでしょうか?
日本神話は、伊邪那美命(いざなみのみこと)と伊邪那岐命(いざなぎのみこと)によって数多の神が生み出されてゆきます。ギリシャ神話は大地の女神レイアと時の神クロノスの間に生まれた神が、結婚の女神ヘラ、神々の王ゼウス、穀物の女神デメテル、海洋の神ポセイドン、冥界の神ハデスになります。
人間が神となった「神格化された存在」
本来神ではないのに、のちに人間たちによって神として祭られ、神格化されたものたちです。
日本には昔から御霊信仰(ごりょうしんこう)というものがあり、死者の霊がたたる事を畏れた生者たちが特別な供養法や埋葬法によって祭られるという風習がありました。世界各地を見ても、偉人や英雄はその功績をたたえられたり、死後の祟りを畏れられるなど、さまざまな理由で神格化され祭られました。現代でも「経営の神様」「サッカーの神様」のように、特定の分野で優れた人物が神と賞賛されることもありますね。しかし、これらの多様な神々の概念を超えて、スピリチュアルな探求では、より根源的な神の正体に迫っていきます。それが「宇宙の法則」としての神なのです。
神の正体は「宇宙の法則」そのもの
いまだかつて、神を見た人がどれだけいたでしょう?
人々は神を信じるも神を知らず。そして神を知らない人々は、
「宇宙を動かす法則にやどる知性を擬人化し神と呼びました。」
神は宇宙の法則ですが、単なる法則ではなく、意識や知性をもち調和された法則です。
例えば小説などの物語であれば、それを想像して文字に書き起こした人間、つまり小説家の意識がその小説の世界の神のようなものですよね♪私たちのこの世界も同様で、神はこの世界の創造主です。ただこの小説の例えにあてはまらない事もあります。小説家は人間なので、不完全な存在ですが、この世界を創造した存在は、調和された完全な存在です。
スピリチュアルな視点から見た、宇宙の法則としての神の本質を言葉にしてみます。
- 神はこの世界の全ての創造の源です。
- 神はこの世界のあらゆるエネルギーや物質を構成する霊的な素材です。
- 神はこの世界の全てに満ちるエネルギーです。
- 神は私たち人間の魂の創り主でもあります。
- 神は私たちの肉体や心にも満ち、私たちの魂とは神の似姿です。
- 神は光のようなエネルギーで、時間と空間を超越しています。
- 神は私たち人間が純粋な「愛」と呼ぶ性質のエネルギーです
- 神は全てと一つです。
この世界には、私たちが科学で知る事ができるものだけでも、ものすごい沢山の法則があります。例えば数学的な法則であったり、重力や星の運行、たくさんあります。こういった法則と同様に、目に見えない世界にも「カルマの法則」や「引き寄せの法則」など、たくさんの霊的な法則が存在するのです。
例えば、法則に逆らって何かをしようと思った場合、たくさんの抵抗を受けます。それは坂道を上るような事や、川の流れに逆らって泳ごうとするような事にも似ています。
私たちは神を、つまりこの宇宙を動かす法則を深く知ることで、流れに逆らうことなく、たくさんのことを実現させられます。

神と人間の関係性|私たちは神の分け御霊
さまざまな宗教が、神と人間の関係について説いています。
どの宗教でも、あるいは神話でも、神はこの世界や人間の生みの親や、人間を超えた存在、人間を導くものとして伝えられています。なぜ個人にせよ宗教家にせよ、神への強い信仰を持つ人々が神を探究しそれに至る道を探し歩むのでしょうか?
その秘密もまた、世界のさまざまな宗教や神話の中に隠されているようです。ここでは、スピリチュアルな視点から見た神と人間の関係性について、できるだけ簡単に書いてみたいと思います。

魂の誕生と「最初の光」である神
まず、最初の光である神が、自分以外の存在(第2の光の神)を創り出した 瞬間こそが、創造のはじまりでした。その背景に在る意志とは何でしょう?「自らを知る為」 つまり神は成長を望んだのです。 本来、完全であるはずの神様がなぜ成長を望むのでしょう?
これは全能者のパラドクスに似てるかもしれませんが、神がもし現状を維持するだけの存在であったとしたらむしろそれこそが不完全です。神はすべてを内包した宇宙意識であるが故に、自らを砕いてまで より完全な存在へと変化する意志を働かせたのです。
宇宙、次元、この世界の全てが、神自身がより完全なものへと 変化する為に存在しています。神によって創られた第2の光である神により、この世界が創られ、その過程の中で私たち人間の魂も創造されました。
人間の魂は小さくとも、最初の光、第2の光とまったく同様の性質に創られています。私たちの魂とは、第2の光によって分け与えられた光の欠片であり、いわば「神の分け御霊」なのです。
魂の目的は成長し、光を増して神へ還ること
私たちはこの魂を分け与えられるまで、神のエネルギーの一部として 神の中に存在していました。これは海のなかの一滴の水のようなものです♪
私たちは神によって分け与えられた自分の魂をより光り輝くものへと 成長させるという目的を持っています。
私たちの魂はこの物質界へ降下する事で(肉体に生まれる事で)神から離れた状態を体験します。私達は二元化されたこの物質世界の闇の中から光を学びます。神によって創造されたすべての魂が光を増して神へと回帰するとき、 原初に存在したただ1つの光より、さらに輝きを増した存在となります。その時私たちは、原初の光の時のようにただ神の内で神の一部として 存在するのではなく、神と同じ性質と力を持つ1つの個性として神と共に在る事ができるのです。

魂の成長の舞台として創られたこの世界
現在の私たちの居るこの世界とは、神と私達の成長を願う神の願いが顕現したの世界です。インドの聖人たちはこの世はマーヤー(幻影)であると教えています。神も私たちの本質である魂も、この幻影を超越した所にあるからです。私たちの本質とも言える「魂」は神によって作られた神と同じ性質と力を持つ光の存在です。 私たちはこの物質世界で学び、本質である魂を磨き、より輝きます光の存在として成長をしていきます。多くの宗教で、人間が神に至るための必要なものを「浄化」 「徳」や「愛」といった言葉で説明しています。
その理由は神と一体と純粋な愛は 同じ意味を持っているからなのです。
なぜ私たちは神から離れたのか?「原罪」のスピリチュアルな真実
神はこの世界を自らの意思、そして光と音と幾何学(数)で作ったと言われています。世界の真実、心理を解き明かそうと、魔術、錬金術、占星術、ヨガ、さまざまな方法で研究されてきましたし今も研究され続けています。
この宇宙にはたくさんの法則があります。人間は学問や科学によってそのほんの一部に気がつくことができたり、それを科学や生活に応用したりしています。私たち人間の心、肉体は完全というにはほど遠いいのですが、神とこの宇宙の法則は驚くほど完成された調和の取れた構造を保っています。
そして私たち人間の魂も神によって創造されました。私たち人間の魂はまだ汚れなき原初の時、天使的な存在でした。神が似姿として創造した人間の魂には、神と同じ「創造の力」「自由意志」があるのです。
「自由意志」とカルマの始まりとしての原罪
神の似姿である私たちの魂は、ちいさなちいさな神の欠片です♪ 故に私たち人間の全ては、その根源に魂という神性を持ちます。かつて私たち人間はその性質故に、天使的な存在でした。
私たちもこの世界の調和の一部であったのです。そんな私たちがこの物質の世界に縛られる事になったのは
物質の織りなす美しさに魅せられて、たった一輪の花を手折った
そのような些細なできごとからです。
この「原罪」とは、キリスト教などで語られる概念ですが、スピリチュアル的に見れば、私たちの魂が最初に経験した「カルマ(業)」の始まりとも言えるでしょう。私たちは、日々の取るに足らないような小さなできごとももっと見つめなければなりません。多くの人間は、心の中で花を手折るよりも、もっと良くない事を考えたり、実際に行っているからです。
私たちの良心は、どんな小さな悪でも見逃さずに声をあげます。良心の声に耳を傾け、日々心清めて愛を育む事で私たちは光り輝く本来の姿を取り戻せるのです。
それはつまり、神と宇宙の法則の中に調和するという事です。

究極の答えは「愛」|神と一体になる方法
かつての聖人聖者は皆、神に至るための道が愛であることを知っていました。
「神」と「一体」と「愛」
私たちはかつて「神」と「一体」の存在でした。神によって分霊された私達は、その大きさこそ違えど、神と同質の存在ででした。人間の私達が魂と呼んでいるのは状態です。原罪を知らない魂であった頃の私達は、自分以外の魂を、自分と同じように「愛」する事ができました。魂は神と同じ性質を持ち、永遠不滅の存在です。 しかし、人間として生きている私達は、原罪によって物質世界に降下し、魂であったときの本当の自分を見失っています。
だから「魂」であった頃のように自分以外の人間を自分と同じように愛する事ができません。この事を一つ一つ説明したいと思います。
「神」=「一体」 つまり神は全てとひとつ
神とは、この世界のすべてを創造した原初の光、宇宙意識 すべての根本といったものです。0と言う数字がそれしかないように神とは、唯一ただ1つの根源的な 意識エネルギーであり、はじまりの瞬間もただ1つのものです。
はじまりのビジョンとは、第1の光である神が自らを分かち 第2の光を創造した瞬間であり、新たに輝きだした2つ目の光りが自らを分かちさらなる数多の光りを生み出した瞬間です。
今のこの世界と全ての物質は第2の光が創り出したものです。私たち人間も世界のすべても、もともと神から生まれました。さかのぼれば私たちすべては1つであったという事です。
つまりそれは「神」=「一体」という事になります。
「愛」=「一体」 つまり愛は全てを一つにする
私たちは、この物質の世界に居て、もともと自分にも等しいといえる自分以外の 存在達を、自分と同じように扱えなくなっています。人間の多くは魂の存在やその目的を忘れ、本来幻影と言えるこの物質の世界での生活をすべてのように思いこんでしまっています。そして捕らわれ、 思うように魂を成長させることができない状態に陥っています。利己的な心であったり差別であったり、自分と他人をへだてる 個別意識はますます強くなり、人間として生まれた魂の多くは 本質を見失い混乱しています。
どうすれば人間はこの物質世界で混乱することなく魂の成長という 魂本来の目的を果たせるのでしょう?
私たちは、自分自身と同様に、ほかの存在も自分自身と同じように大切にしなければ成りません。自分のごとく人を愛する。
自分と他人の存在を等しく考えるという事が「愛」でありそれはつまり
「愛」=「一体」 という事になります。
「神」=「一体」=「愛」
神は全てと一つで、愛は全てを一つにする。このことに気がついた人たちがいました、そしてこの事を人に教えて広めてきた人たちが居ます。過去の偉大な聖人達です。
愛が神に通じる道であるというように言われる本当の理由です。
私達の魂を成長させ神に至る道…
「神」=「一体」=「愛」 神とすべてを一つにするのは愛です♪
まとめ
いかがでしたでしょうか。
この記事では、「神とは何か?」という根源的な問いに対してお話してきました。
- 神には「創造主」や「アニミズムの神々」など様々な種類があること
- 神の根源的な正体は、意識と知性を持つ「宇宙の法則」そのものであること
- 私たち人間は神の「分け御霊」であり、魂を成長させることが目的であること
- 究極的に、神とは「愛」であり、神と一体になる道は愛を実践することにあること
「神」という存在は、遠い空の上にあるのではなく、私たち自身の内側、そして全ての存在の中に光り輝いています。
日々の生活の中で「心を清めて愛を持って生きる」こと、それこそが神の存在を感じ、その叡智と繋がる最も確かな方法なのです。
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✰ウリエルさま✰
いつも愛溢れるメッセージありがとうございます。(^^♪
magunoliaです。
いよいよ『令和』に年号が変わりますが、この大事な節目にこんな素晴らしいメッセージを読ませていただけて有り難いです。
【私たち人間も世界のすべても、もともと神から生まれました。さかのぼれば私たちすべては1つであったという事です】
【自分と他人の存在を等しく考えるという事が「愛」でありそれはつまり「愛」=「一体」 という事になります】
この世の人達が全てがこんな愛の思いで毎日を暮らせたら、この世から戦争も無くなり、飢えや恐怖に脅えなくてすむのに…。と思いました。
一人一人の思いが本当に大切だと思います。
私も日々の日常生活で、ついつい愛の思いとは正反対の『愚痴や不満』になる時がありますが、思いのベクトルを愛の方向に向け直していきたく思います。
ウリエルさんにいつも感謝しております。
magunoliaさんこんにちわ♪
愛と神と一体 なかなか説明が難しい事なのですが、伝わってうれしいです♪
日々、自分の中に愛を増やしていくというのは、筋トレとか、陣取りゲームに似ています。
ジワジワ増やしていくかんじです(笑)
自分の内と、この世界に、愛を増やしていけるようにお互い頑張りましょう♪
ウリエルさん、こんにちわ♪
いつもいつも、ありがとうございます♪
ウリエルさんに更なる神のご加護がありますように。お祈りしてます。
のんたんさんこんにちわ♪
こちらこそいつもありがとうございます♪
のんたんさんに健康と幸福がありますように♪
ウリエルさんはじめまして、初めてこちらの記事を拝見させていただきました0です。
こちらの記事の記載内容はウリエルさんが実際に前世で体験もしくは夢などで体験・拝見した内容でしょうか。それとも、どこかから言い伝えられてきたものでしょうか。
夢の中で体験した内容と酷似しており、もしその内容が本当ならずっと探してる方の手がかりになるのではと思いました。ご迷惑でなければ教えていただけると嬉しいです。
興味深く拝見しています。ありがとうございます。
『この世界には、「世界を創造した第一原因」意外にも「神」と呼ばれる存在がたくさんあります。』
この文の「意外」は「以外」の誤字でしょうか?
人は愛を知らねばならない…
神へと帰るため…
そのためにカルマが存在し、痛みが存在する…
ただ文章を見て知識として知るだけではいけない…
身をもって痛み喜びを体感し、なぜそれが良くてなぜそれが悪いのか、心に刻まなければならない。
そのためには生きていればいい。生きることで課題や学びが自ずとやってくる。
なんだか、この物理世界よりも、死んだ後の方が本番って感じがしてなんだかワクワクしてきました。(僕まだ23なんですけど笑)
ああ、死んでからが本番ってなかなかイケてる真理ですね…
しかしどうでしょう…
私は今人生の目標を見失い、さまよっています。確かに、魂を成長させたい!そのために生きてカルマを解消させるぞ!と思えればいいのですが、まだ知識として頭に入ってるだけで、カルマの法則や神の存在を実感したことはありません…故に心の底から目指せないんでしょう。
実感したことがないのにそれを信じるのは盲目です…神と真理を実感するには…この世の全てを理解するには…
もしかしたらそれが目標であり、ここが自由意志と想像の使い時かもしれませんね。僕は昔から神秘とかオカルトが好きでした。目指すべきものは、そういうものかもしれません。
「俺はこの世の全てを理解している。」そんな言霊も有効でしょうか?試してみる価値はあります。
しかしイメージは何にしよう…まあ、何とかやって見ます笑