神の存在 天界と地獄
原初…
神によって創造された天使と神々の存在がありました。
宇宙が創造されたときにすでに数多くの天使たちと、神より力を分かたれた神の子たち、(光の兄弟)たちが存在しました。
原初の宇宙においては神から生まれし者たちと世界の法則を支配、運営する天使たちしかいませんでした。
そう、この世界のはじまりは、神々と天使によって運営されていたのです。
神々が創造し天使が法則もちいて運営する。そうして世界は可能性の限り広がって行きました。
宇宙も銀河もそれを創造した神にが存在しますから、今でもさまざまな銀河とそれぞれを創造した神の関係性は一部保たれています。
つまりこれを簡単に言うと、この広大な世界や宇宙には、原初の世界の創造に関わった古の神々の一部は今持って存在し続けているということです。
【目次】
原初に存在した神々
創造の物語に初めに登場する神は、第一要因となった絶対的存在である神です。
次に登場するのは、第一原因より生み出された第二原因となる神で、二者であるこの神がこの世界の礎となる法則を司る四大天使を創造しました。
二者でる神は、第一者がそうしたように、自らを砕き、私たち人間の魂のルーツとなる原初の神々を創造しました。
神々と天使たちは、その性質や役割の違いはありましたが、神から創造された兄弟です。
この原初の神からはじまる創造の物語の中で、天使が持つ「性質と法則を司る力」と、人間の魂のルーツである神々が与えられた「創造の力と自由意志」の両方の能力をもつ存在は第一者である絶対的な神のほかにただひとりでした。第二者である神です。
天界と光の混沌
第一原因からはじまった創造は光の混沌から世界を形作っていきました。
原初の世界はこの天空の庭先で説明している神界や霊界の領域、神話などでは天界と呼ばれる神々の世界です。
光の混沌から形作られる霊的な世界とその創造… その過程でおきたわずかなノイズ… やがて渦巻く重たいエネルギーの蓄積は光によって生み出された影のようなもので、それは闇の混沌となりエネルギーの流出の過程で次なる世界の領域をつくりだします。それはこの天空の庭先で説明しているアストラル界の領域です。
それがまるで結晶化したかのように形作られていったもの… 物質のはじまりでした。
物質は世界の創造という光によって現れた影のようなもの…
そして自由意志を持つ光の兄弟たちは、混沌の世界を散策し、深い闇の混沌の渦を突き抜けた先、物質化した世界にたどり着きます。
創造の力が流出した、物質として結晶化するその世界で、神々の表現は形となり、あまたの法則が織り成されやがて神々が創造せずとも世界が自ら創造する世界へと変わってゆきました。
神々は意図せず創造されていくその世界に、星々に魅了され、ついに物質の世界に降り立ちます。
長い年月、神々は世界の、宇宙の、星々の変化を見守りました。
その年月の間に神々もまた、分魂を繰り返し、数多の系譜にわかれながら数を増やし、宇宙のさまざまな場所存在していました。
このころすでに、神々の系譜の末端にいちするような光の兄弟たちは、今の私たち人間の魂や霊体に近い存在でした。
物質世界において…
神々が美しい花の一輪に魅入られ、それを手折った…
それが自由意志による神との最初の分離の始まりでした。
たった一輪の花への執着が、手折った者を神をこの物質世界に縛り付けたのです。
楽園と地獄
性別もなく肉体ももたない純粋な魂、純粋な霊体を保っていた当時の神々はこんにちの人間が言い伝える天使によく似た存在でした。
神々はその力の大きさ(魂の大きさ)も様々でしたが、創造の力によって自らを分魂して系譜にあらたな兄弟を創造するちからを持っていました。
さまざまな形に結晶化しながらもしなやかに生きる動植物や世界の無限の彩り…
神々はやがて、世界が自ら創造するその世界の中で、星々に生きるものたちへ、つまりは生物へと関心を向けます。
そうした創造の力によって、物質世界でも創造の力によって物質を結晶化させてあらたな物質や生物をうみだしたり、生物を変形させたり、憑依するような者さえ現れ始めました。
物質的肉体やそれが持つ快楽に溺れた者たちがとても多く存在しました。それは動物に取り憑いて性行為や争いなどの物質的事柄を楽しみ、物質から抜け出せなくなったという状態です。
神々の物質世界への執着や生物たちへの執着は、やがて多くの神々を地上世界へと縛り付けました。
原罪… そして私たちの最初のカルマです…
カルマによって物質や肉体にとらわれ、神へと回帰できなくなった者たちは地へと獄されました。
肉体を失ってもなお、分離した状態からもとには戻れなかったのです。
神々と天使
聖書や世界各国の様々な神話や伝承の中で、天使や神々のことが伝えられています。
しかしながら、天使と人間を区別する概念を持たなかった人たちによって、天使たちが神々として伝えられたり、神々が天使として伝えられてきたために多くの神話は天使や神々を抽象的に、そして混同して伝えてきました。故に、未熟な神秘家たちの間では大きな誤解と混乱を生み出しました。
この原初の神からはじまる創造の物語の中で、天使が持つ「性質と法則を司る力」と、人間の魂のルーツである神々が与えられた「創造のちからと自由意志」の両方のちからをもつ存在は第一者である絶対的な神のほかにただひとりでした。第二者である神です。
さて、ここで有名ないくつかの天使や神々の話をしましょう。
ルシフェル(ルシファー)
神によって最初に創造された天使であり、神に次ぐ権力を持ち、その翼は12枚あったとも言われています。
暁の子、明けの明星、輝ける者、光をもたらす者、もともとは天使たちの長でありながら、神へと反逆を起こして地獄に落とされ堕天使たちの長となった天使です。
神によって最初に創造されたという話が本当なら?神から人間に傅くようにと言われたことを拒み、天使の三分の一を率いて神に反逆の戦いを挑んだと言われるこのルシフェル(ルシファー)こそが第二者ということになりますがどうでしょう?
実のところ神話や伝承というものは象徴的に語られたり、伝言ゲームのように付け足されたり、変わっていたりするので言葉通り、文字通りの意味が真実ではありません。
さて、ルシフェル(ルシファー)はいつ反逆を起こしたのでしょう?
それが本当に反逆と呼べるかはわかりませんが、絶対者である神がそうしたように、自らの自由意志と創造の力によって天使たちや神々を創造したときでしょう。
ではいつ堕天使となったのか?
地上に降りた神々が物質世界に囚われそこから抜け出せなくなったとき、ルシフェル(ルシファー)は救済のために地獄(物質世界である地上)に落ちたのです。
聖書や黙示録には、ルシフェル(ルシファー)が終わりの時に再び地獄に落とされると読み解けるような内容があります。
なぜそのようなことが起きるのか?それは再臨であり人類救済のためです。
メタトロンとミスラ神
大天使メタトロンはユダヤ教において、神そのものとも神に次ぐ絶大な力をもつと言われている天使で、民間伝承やカバラ、タルムードなどで知られます。
メタトロンは、「契約の天使」「神の代理人」「小YHWH(人になった神)」「玉座に侍る者」など、さまざまな異名を持っています。
神そのものとも、神に次ぐ絶大な力を持っているとも言われるのであれば、ユダヤ教においてはメタトロンが二者なる神なのでしょうか?
メタトロンは、インドやイランに伝わる古代神であるミトラ神とも同一視され、ゾロアスター教では最高神であるアフラ・マズダーに匹敵する神であり、この2神は表裏一体の存在として知られています。ミスラは仏教の弥勒菩薩(マイトレーヤ)とも同一視され、弥勒菩薩は未来に現れ人々を救い悟りを促す救世主的な存在とされていました。
今は多くは語りませんが、世界中の神話に存在する創造神と二者の関係と、聖書に隠された霊的な真実を読み解けたなら浮かび上がる一つの真実があります。
神の聖なる計画
さて、本題に入る前に少しだけ例え話をさせてください。
私はずっとデザインやクリエイティブな仕事に携わってきました。
クライアントからデザインの依頼を受けると、2~3案ほどデザイン案を作成し提出します。
デザインの1案目を完成させると、そのファイルをコピーしてもう一案の制作をはじめます。
コピーしたファイルにはオリジナルのファイルがもつ全ての情報や要素が存在しますから、それをもとに方向性の異なる、あるいはより完成度の高い2案目の完成を目指します。
完成した1案目のファイルがあるから、2案目は大胆に、あるいは大幅に変更したり新たなデザインを実験することが出来ます。
誰かが伝えてきた訳でもなければ誰かが言ったわけでもありませんが、私は普通にこう思いました。
神は最初に、完成された状態のオリジナルとしての自分をマスタとして残し、複製した第二者を元に新しい何かを創造しようとした、あるいは新しい何かになろうとしたのだと。
より高い完全性を求めたのかも知れませんし、もしかしたら創造や世界と言う霊的なスケールをもちながらも分裂して増えるそういう生き物なのかもしれません。
いずれにしても私たちは神の細胞の一つのようなもの…
この世界の創造は第二者の存在なくしてはありえなかったことでしょう。
私たちは原罪によって分離を経験し、個体性を認識するにいたったのです。
すべては神の意志、神の創造性の表れ、無限の可能性の表れ、そして神の聖なる計画のでした。
ここまでお話をしてきた創造の物語には、ひとつの大きな前提があります。
それは、私たちが生きるこの物質世界のモノサシで考えたのであれば、物語は時系に進んでゆきます。
ですが、高次世界や神の領域では、この創造の物語はまた異なる様相をもっていることでしょう。
それは残念ながら今この瞬間、物質界に生きている私たちには知る余地もありません。
そしてこの創造の物語は、人間の創造のものがたりへと続いてゆくのです。
ウリエルさん、お久しぶりです。
以前 猫の供養についてお話ししたルカです。
今回、ルシフェルについてのお話がとても興味深く思ってコメントさせて頂きました。
ルシフェル・ルキフェルと、ルカは 語源は共に〝光をもたらす者〟
そして以前 我が守護天使を名前で呼びたくて問いかけたところ〝ルキフェル〟と聞こえました。
ルキフェルという存在に、特別な何かを感じています。
これが、12枚の翼を持ったルシファーかどうかはわかりませんが、私のハイヤーセルフの先に存在するのは〝ルキフェル〟という天使だと信じて毎日のお祈りを続けています。
私の〝感じ取った〟のは、ルシフェルは悪魔なのではなく 地に舞い降りた天使が、再び翼を取り戻すのために 小さな光を灯し始めた姿でした。
今回のウリエルさんの記事を読み、ルシフェルが地に舞い降りたのは 救済のためなのだと解釈し、安心しています。
今後また、ルシフェルについてのお話があれば、その時を楽しみにしております。
失礼しました。
ルカ
ウリエルさん、いつも更新ありがとうございます!
特に『神と人間と宇宙の法則』は次の更新が待ち遠しくて、メルマガの更新を知らせる通知が来るのをまだかまだかと心待ちにしておりました!
しかし今回の内容も、もうほんと、目から鱗です。
と言うのも、ルシファーさんはてっきり光の兄弟の物質降下した魂たちを纏めてそう呼んでいるんだろうなと勝手に思っていましたので。
ウリエルさんによる他の記事の神の系譜を鑑みると、確かに大天使たちの上に位置するとなると、第二原因って事になりますね!
ヒントがあったのに気付けなかったです↓↓
いやはやしかし、そうなるとつまり、実はキリストさんがって事になり——
しかし改めてこの宇宙を考えてみると、この創造の世界はまだまだ誕生して間もない、創造主の計画は始まった段階と言うことになりますよね。
因みにカルマの法則があり、明らかに自身の光を強めるために創造された物質世界の存在と誘惑。そしてどう人類が転んでいても、黙示録発動で救済。
しかもバックアップまである!
……私達の創造主は、かなりのやり手だ。
こうなれば、私なんかは思うのです。
今の素晴らしきオタク文化を生んだのは、私たち人類であり、それはつまり創造主でもあると。
またこのオタク文化を次の宇宙に引き継ぐためにも、更にアニメのような世界を物質世界に創造するためにも、清らかに愛に生き、光への回帰までには個性として認められ、そんな世界を実現可能な物とする法則として『ダンジョン』あたりを任せられる存在になっておかないといけないと。
因みに光を強めた後の創造主は次なる計画を発動するのでしょうけど、もし創造主が自身と対等の存在を、光の一族を作り上げる事を望むのであれば、いつかは対等な立場となりたいものです。
その暁には、綺麗な草花に包まれた平原にパラソルを立てその下にテーブルと椅子を並べ、穏やかにそよ風に吹かれながら一緒になって空に輝く星々を見上げ、紅茶なんて飲んで語らってみたいものですデス。
(^^)
お久しぶりです。
大変興味深く、読むたびに、違うものが見えるというか、考察できて、すごく深い物語が隠されているのだなあと感じます。
わたしたちは、自由意志があるとされていながらも、本当に大きい愛に溢れた意志には、逆らうことができないような気がします。
私は、愛のある存在にはかないません。なぜなんでしょう。
天使🪽がこの世にいて、なんで弥勒菩薩様が未来を見通せるのか、愛のある存在の計画や愛の意志には、誰も逆らえないからだと思います。つまり、本当に重要なところは私達の心の起源である、愛によって決められている気がするからです。
では自由意志はなぜあるのか。きっとこの世の一元性と多元性に
基づいていると思います。一つの完全な存在でありながら、個の性質を帯びている。この世の光と影はきっと良い悪いではなく、
それぞれの働きをしている気がするのです。
私の持論ですが、自由意志はもちろん悪魔には売ってはいけませんが、何があろうとも天にも売ってはならないと思います。なぜなら愛のある光が、間違えることもあるかもしれないからです。
正確には、重要な選択を愛でした場合、必ずこの世の性質上、負の側面が出てきます、たぶん憶測ですが。
ルシファーは自由意志はなかったと思います。
しかしながら、他の天使と同様、知性を宿していたはずです。
それと同様に自由意志は、みんなの自由意志が集まれば、愛のある光が間違ったことをしそうになっても、必ず止めるか、少しマシにすることができるはずです。
たぶん。まばゆい光が持つ影の部分を和らげ均衡を保つ。
それこそルシファーや私たちが持つ自由意志が持つ役割だと思っています。
私はルシファーには自由意志がないが度々、自由意志の持つ影の部分の象徴になってると思います。
全部決まっているような気がします。
ただ、理屈より心、愛を大切にと、私のお父さんの霊体やウリエルさんの言ってた心を清めて愛を持って生きることが
結果、心を大切にすることは、
理屈を通らずとも、愛に辿りつく方法だと。
理屈もまた、人に自慢するためではなく、愛にたどり着くための
一つの手段であること。
最後は愛や法則が全てを決めること。
愛を持って生きれるように日々精進します