物を捨てたくなる時をスピリチュアル的に説明
物を捨てたくなるスピリチュアル的な理由は「変化」と「エネルギーの転換」です。
部屋を片付けしたくなるとき、そして物を捨てたくなるような時は誰にでもあると思いますが、その本質的な理由は「変化」をもとめる心です。例えば進学や就職、転職など、人生の転機などであたらしい生活が始まるタイミングで部屋の物を整理したり、別れた恋人への想いを断ち切るためにの思い出の品を捨てたり、物を捨てるという行為はスピリチュアル的に言えば「手放す」ことです。
【目次】
物を捨てたくなる時
なにかを「手放す」という行為の背後にあるのはこの二元的な世界ではポジティブな理由とネガティブな理由の2つ、実にシンプルな話です。変化やエネルギーの転換をより良い状態で引き起こすためには前向きに手放すことが大切です。
そしてこのテーマは意外と深いなと感じています。
所持する理由、捨てられない理由
「所有」していたからこそ「物を捨てる」ことができます。
ではなぜ所有していたのでしょう? 誰かからもらった、自分で望んで手に入れた、元々あったから、自分の手元に物がある理由はさまざまですが、これまで処分されずに手元に残ってきたことには何かしら理由があると思います。
例えば、「親のものだから捨てられない」とか「思い出の品だから捨てられない」とか「もらい物だから捨てられない」とか自分自身が「執着していて捨てられない」など、物を所有するという行為には必ず理由があります。
つまり、物を捨てようと思ったときにその背後には必ず感情や想いの力が働いています。
例えば「思い出の品だから捨てられない」というようなケースなら、思い出が薄れたから物への執着が薄れたとか、そのものをくれた人間のことを嫌いになったから捨てたくなったなど、これまで持っていた執着が薄れたり断ち切りたくなるような理由があるということです。
人が物に執着する理由は主に4つあります。
- 物をくれた人への想い
- 物自体への執着
- 物に価値があるから
- 必要だから
それぞれの理由を簡単にご説明します。
1.物をくれた人への想い
人からもらったプレゼントや、贈り物など、物自体が持っている価値に、それをくれた人間の価値が上乗せされるケースがあります。
例えば、師匠から受け取った免許皆伝の証書とか、恋人からプロポーズと共に受け取った指輪、親友が引っ越す時に受け取った記念品などです。
会社の同僚がくれた旅行のお土産とかは、受取手の感情や想いはもう少し軽い物になると思いますし、食べ物なら食べたら記憶だけ残りものはなくなってしまいます。
例えば恋人からもらった指輪を捨てたり処分するときってどんな時でしょう?どんな想いを抱いてるときでしょう?
プレセントを贈ってくれた人との繋がりが薄れたり途絶えたとき、プレゼントを贈ってくれた人間への想いを断ち切りたいとき、つまり「絶える(絶やしたい)」時です。
2.物自体への執着
これは本当に色んな人がいて色んなケースがあるのですが、分かりやすい例で言うと、好きなアイドルのグッズを集めているとか、好きなミュージシャンのCDを揃えているとか、仲間との思い出を写真にして集めているとか、物に対する思い入れや執着です。
直接的な物ではありませんが、ゲームの世界で全てのアイテムを揃えたいとか、全部のポケモンあつめたいみたいなのも物自体への執着と言えるでしょう。
これも、その物自体への執着が薄れたり、お金が掛かる、時間を浪費するからなど、集めるのを辞めたい!と思って断ち切るなど、「絶える(絶やしたい)」と思うタイミングはいずれやってきます。
3.物に価値がある
わかりやすいのはお金とか宝石、貴金属、土地、骨董品などなどです。
これも物自体への執着と同じで、「価値」自体に執着する人がたくさんいます。
ただし、お金は生きる為に必要なものなので、執着ではなく「資産」とか「貯蓄」として持っていて、執着ではなく必要なだけあれば良いと思っているような人も中にはいます。
4.必要だから
もっともまっとうな理由であるように思います。
シンプルに、生きる為に必要だから。立場が高くなったり権力が大きくなると、会社を守る為とか、国を守る為まど、必要も大きくなります。
そして、「必要」という理由から、権力を欲するとか権力を守るなど、「執着」に変わることもあります。
4つの理由に共通すること
4つ全てに共通するのは、物を大切にする気持ちが愛に基づくのであれば、それは正しい感情や想いです。
逆に物に執着する気持ちが依存や欲望であるなら、それはマイナスの感情であると言えるかもしれません。
自然と物への執着が薄れて捨てたくなる場合もありますし、意を決して捨てることで想いや感情を変化させようとしている場合もあります。
いずれにしてもそこに共通して言えることは「変化」であり、「エネルギーの転換」ということです。
物を捨てる背後にあるスピリチュアルな作用
物を捨てる背後にあるのは、繰り返しになりますが「変化」「エネルギーの転換」です。
物を捨てるとその背後でスピリチュアル的に何が起きているのか、簡単に説明したいとおもいます。
執着は分離を意味する
例えばですが、私たちはこの世界のさまざまな美しい自然を見て楽しむことができます。
それは元々この世界に存在するものだからです。
「世界は誰のものでもない、あるいはみんなのもの」とは思いませんか?
もし、その美しい自然に魅了されて島を1つ自分の物だと主張した人がいたならどうでしょう?
執着や利己心によって理想が神との一体を離れたなら、その人は世界の所有者から、「ただひとつの島の所有者」となります。
執着や利己欲は人を孤立させ貧しくさせます。
私たちは神と一体の愛を知れば、いつでもこの宇宙の全てと1つで全ての所有者であることができるのです。
物を捨てるということをもし正しく行えるのであれば、それは自分の中から一つ一つ我欲や物質世界に自分を縛るものから自由になり、神とその一体性へと近づけるということです。
物を捨てることで転換するスピリチュアルなエネルギー
物を捨てるということはその背後にある執着や想いのエネルギーを手放すということでもあります。
「元彼から貰った指輪を手放すことは、元彼への想いを手放すこと」ドラマや小説などでもありがちなシチュエーションですが、分かりやすい話だと思います。
「健康のために買ったミキサーが最初はよく使ったけど今は全く使われていないからリサイクルショップへ売る」みたいな話は、「健康への想い」が薄れているとか手放されてしまったのでしょう。
あるいはそれを使ったり管理するために必要なエネルギーと引き換えに考えられ、「不要」判断されてしまったか… いずれにしても背後の想いは無くなってしまっているということです。
それは人への執着や想いかも知れませんし、物への執着、利己心や我執であるかもしれません。
つまり、あなたの心や意識と共に、「感情エネルギー」や「想念エネルギー」が解き放たれて自由になるということを意味しています。
例えば元彼への未練や思い出に向けてきた「感情エネルギー」や「想念エネルギー」が自由になったなら、そのエネルギーを夢や新しい目標、新たな恋にそそぎ込むことが出来るかも知れません。
極論で言えば時間もエネルギーなので、一つの想いを手放すことで、新たな何かに転換できるエネルギーは意外と大きいです。
これは物も一緒で、購入して部屋に置いたら「管理」する時間や留意する意識など、さまざまなエネルギーが細かく使われます。
例えばぬいぐるみ、物が増えてくると邪魔になってきますし、汚れてくるとそれをクリーニングする方法を考えたり、探したり、あとペン立てとかは中にホコリがたまるとか、いつのまにか書けなくなっているペンがあったり、紛れていたり…(笑)
あなたの部屋にあるものは全て、あなたの想いによってそこに存在し、そして有るだけであなたの時間やエネルギーが使われているものなのです。
ゴミでさえそうですね(笑) ゴミ袋に集めて捨てなければなりませんから。
物を捨てると脳のリソースが解放され、部屋のスペースコストが解放され、ものに紐付いていた自分自身の感情や想いのエネルギーが解放され、その結果、自分が自由に出来るエネルギーが増えるということです。
あたなが所有する物、捨てるものがあなたを映し出している
「あなたの心のあるところにあなた自身もある。」
あなたの家にある物が、あなたの部屋にあるものが、あなた自身を映し出しています。
例えば私の心の師のような方ですが、鞄一つしか荷物がないのはとてもに衝撃的でした。彼の心は物質にはまったく向いていない流浪人でした。
さて、すでに仕事や家庭などの縛りがある私たち現代に生きる人間は、最低限必要な物だけそろえてもそれなりの量の物に囲まれて暮らしていることだと思います。しかし、多くの人は、最低限必要な物以外にもさまざまな物を所有していて、それをリストアップするなら実際は相当な量になることが予想できます。
中には完全にゴミのような物も含まれていると思います(笑)
私たちは自己を浄化するほど、エゴや欲望も制御され、結果、自分の所有する物は少なくなります。
つまり、本当にスピリチュアルに生きる人の生活は心の浄化に伴って物が捨てられて無理なく自然にシンプルになってゆくのです。
この傾向が、精神性を重んじ、高い霊性を持つ人を清貧と呼ばれる生き方へと向けます。
人生を一日に例えたらやっぱりシンプル
何冊もの本をバラバラに読むとどれも読み切れずに終わってしまうことのほうが多いでしょう。
その日何をするのか?
何の本を読むのか、あるいは外出をするのか、勉強をするのか、ゆっくり休むのか、遊ぶのか、目的をハッキリさせないと惰性で1日が過ぎ去ります。
人生も同じです。
目的や理想をハッキリ決め、それに従って道を決め、行動をすることはとても大切です。
- あなたの所有するものが、あなたた自身を映し出しています。
- あなたの部屋にあるものは、あなた自身の心なのです。
- そしてあなたが捨てる物はあなたが捨てた想いです。
将有するものを選び、そして不要な物は必要な人に与えるなどして手放しましょう。
これを見た人は、今まで自分がどのように生きてきたか、この先どのように生きていくかを一度考えてみても良いかもしれませんね♪
そうすれば人生の残った時間でも自分が理想とすることを成せるかもしれません。
物を無駄に捨てないために。
人間はなぜ後で捨てると分かっていても物を集めるのか?物に囲まれて暮らしたがるのか?結論から言うと、
心が愛に満たされていないからです。
心が満たされないと感じる事が誰にでもあると思います。寂しい、退屈、停滞感、なんだか満たされない感じです。
例えば同じことを食に当てはめて考えてみましょう♪
カップ麺やスナック菓子など、栄養価の低い食べ物はお腹はいっぱいになっても、それだけで満足感を得ることはできません。
いくら食べてもお腹が膨らむ割に満足感は得られずに、次に食べるものを求めてしまいます。
本の内容であったり映画やテレビの内容であったりさまざまですが同じようなことを思います。
中身の無い物からは満足が得られずいつまでたっても満たされることないから次々求めてしまう。そんな悪循環で人は中身のないものにものめり込んだりします。そして身の回りに物を集めるのです。
愛の不足が依存を生む
愛に満たされていれば、それ以外の余計な物に依存することもなくなります。
ではどうすれば愛に満たされる事が出来るのか?
まずは自分が人に与えることをしましょう。
心の栄養は愛です♪
愛は神から分離した3次元的感覚から我々の心満たしてくれます。
私たちがが瞑想の内に感じる光りと包まれた感覚はまさしく神の愛の賜です。
それと同じエネルギーを日常生活において感じるときがあります。
優しい言葉をかけられたとき。気にかけてもらった時、感謝された時。喜んだとき。笑ったとき。私たちの心が愛を原則としたならば、心は決して飢えることはありません。
「私の水を飲む者はかわく事がない」
イエス・キリストがそのように言ったのは「愛」の事です。
私たちが愛を溢れさせるのも、愛を受け取るのも私たちの心です。
心が清ければ、その心から溢れ出す愛は美しく、人からの愛を曇り無く受け取ります。
自分が物に依存したり執着しすぎないように、身近な人間が物に執着したり依存しすぎないように、人を愛し人に愛される環境をつくりましょう。
そうすれば無駄に物を集めることもなくなり、無駄に物をすてることもなくなります。
そもそも「愛」がなにか分からないという人はこちらの記事が参考になります。
✰ウリエルさま☆
素晴らしいメッセージありがとうございます。 magunoliaです。(^^♪
『物を捨てるということをもし正しく行えるのであれば、それは自分の中から一つ一つ我欲や物質世界に自分を縛るものから自由になり、神とその一体性へと近づけるということです』
物もですが、怒り憎しみや悲しみの感情もきれいさっぱり捨てたら、自由になり神さまの想いに近づけますね。
先日も書かせていただきましたが、物や愛の想いでない感情もすべて整理整頓して捨てたいと改めておもいました。
そのことが、自分自身も霊性を高めてゆくことにつながるんですね。
『自分自身の想いが部屋に映し出される』のは、ある意味すごく分かりやすいので、この週末に身の回りを清めたいと思います。
私も愛を人さま、動物、植物、すべてに与え続けていきたいと思います。
いつも心から感謝いたします。