恩着せがましい人をスピリチュアル的に言うと
恩着せがましい人いますよね?
恩着せがましい人をスピリチュアル的に言うと、ずばり!「天国に行くのが難しい人」です。
恩を着せるという行為の裏側にある本質は「見返りを求める心」です。
「自分が」「あなたのために」「やった」だいたいこのあたりの言葉の組み合わせが多いと思いますが、相手から無理矢理見返りを引き出そうとするこのコミュニケーションは、親切や奉仕でさえも、迷惑行為に変えてしまう可能性があるからです。
【目次】
恩着せがましいの意味
恩着せがましいとは、相手に感謝を促すような態度ってことですね。相手ために自分がしてやった… みたいな?
スピリチュアル的に言うと、恩着せがましい心や態度によって失う物はかなり大きいです。
恩着せがましさをスピリチュアル的に説明する前に、まずは恩着せがましいってどんな意味かをまずは確認しましょう♪
おんきせ‐がまし・い【恩着せがましい】 の解説
[形]いかにも恩に着せるように厚かましい。「―・い態度」
[派生]おんきせがましさ[名]
恩着せがましい(おんきせがましい)の意味 – goo国語辞書
ドラマなどでよく、親が子供に「誰のおかげでここまで大きくなれたと思ってるのか」みたいなことを言ってるシーンがありますが、親が子供を育てるなんてあたりまえのコトなので、まあ恩着せがましいですよね(笑)
これって、第三者が言う分にはべつに普通のコトですし、むしろ正しいことだと思うのですが、やはり自分で言い出すのが「厚かましい」から、「恩着せがましい」と思われてしまうのかもしれませんね。
恩着せがましい人をスピリチュアル的に説明すると
恩着せがましい人をスピリチュアル的に言うと、その本質は「見返りを求める心」です。
「これは自分の手柄だ」みたいな主張ですよね、見返りは相手の感謝や肯定感など、精神的なものである場合も多いです。
相手に「○○さんありがとうございます!」とか「○○さん凄いですね!」とか言ってもらいたい。
面倒見の良い自分を信頼して欲しいとか、自分を肯定して欲しいなど…
恩着せがましい人は、自分が使った労力にたいして、何かしらの見返りを求めています。
遠回しに「物」を求めている場合もありますし、いつか何か自分にお返しをして欲しいという気持ちが表に現れている場合もあります。
「恩着せがましい人」この件の本質を突くような素晴らしい話が聖書にあります。
6:1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
聖書箇所 マタイ6:1~4
恩着せがましい人は、たいていの場合は恩を売った相手からの見返りを求めているので、きっとその先やことの本質までは想いが行き届いていないと思います。
ここでイエス・キリストが言っていることをシンプルに説明すると。
見返りを求める人間は、その時点ですでに見返りを受け取っている。
それがどのような善行であったとしても、見返りを求めた時点で、「徳」として積み重なることはない。
ということです。
もっと言うと、右手のしていることを左手に知られてはならないというのは、
「意識的な奉仕ではなく、無意識の奉仕でであるように」
そう言っています。
無意識の奉仕、それは見返りを求めない無私の愛です。
恩着せがましい夫、彼氏
恩着せがましいという言葉と組み合わせでよくGoogleで検索されるのが、「夫」「彼氏」です。
世の中には恩着せがましい夫や彼氏が多いのでしょうかね???
おそらく、「妻」ではなく、「夫」が多い一番の理由は、「自分が稼いでる」とか「自分の方がきつい仕事してる」とか「養ってる」みたいな気持ちからだと思います。「自分が稼いだ金で」みたいな。
夫が家庭を支えるなんて、親が子供を育てるぐらいに当たり前のことなのですが、共働きも多い今の時代だとなかなかバランス良く夫婦円満みたいなのが難しいのかもしれませんね。
恩着せがましい夫
私の個人的な見解やアドバイスとしては、夫側の人は自分が大黒柱で、自分1人でもで家庭を支える気持ちをもつことです。
時代が変わっても、女性が子供を産んで育てる以上、男性は自分が支えてあたりまえという意識を持つべきでしょう。
その気持ちが、仕事の成果、立場や給料を上げる原動力にもなるからです。
そして逆に女性側に関しては、相手を傲慢にさせないように気をつけながら、感謝の気持ちを表に出すのが良いです。
一番良くないのは、家庭の小さな役割やお金をせめぎ合うようなコミュニケーションでケンカをすることです。
スピリチュアル的になにが良くないかというと、「視座が低くなる」といった部分と、家庭におけるエネルギーの総量が低下するといった部分です。
人間の想いはエネルギーであり、「想いは実現する」これはもはやスピリチュアルの常識です。
例えば、互いに思いやりを持ち、互いの成功を願う夫婦と、互いにいかに家の用事を押しつけあいいつもケンカしている夫婦、どんな差があると思いますか?
互いに思いやりをもつ夫婦のエネルギーは、一人が+10だとしたら2人で+20です。
スピリチュアルなパワーは単純に足し算ではないで+20以上って感じですね。
実現されるのはお互いの幸福です。
いつもケンカしている夫婦はどうでしょう?視野は狭まり、否定心が一人が-10だとしたら、2人で-20です。
こちらも相乗効果でさらなるマイナスを生み出すかもしれません。
実現されるのは、家の用事を押しつけ合う日常でしょう。
あなたはどちらになりたいですか?
恩着せがましい彼氏
恩着せがましい彼氏、こちらも夫と同じ感じかも知れませんが、決定的に違うのは、婚姻関係ではないということです。
どうして恩着せがましい彼氏と、恩着せがましくない彼氏がいるのか?
生まれつきの性格、と言ってしまったらそれまでなのですが…(笑)
これはきっと、世の中には、やせ我慢している彼氏が結構いるからだと思います。
今って私が若かった頃と比べると男女の給料差は少なくなり、デート費用は割り勘があたりまえみたいな価値観に変わってきています。
私が若い頃は、デート費用なんて男がもつで当たり前でしたが…(笑)
格好付けたくて無理すると、どこかでその帳尻を合わせたくなります。
その結果として心に浮かぶのが「見返りを求める感情」というわけです。
社会における男性の優位性(もともと無かったのかもしれませんが)が薄まっていくなかで、以前よりも目立つ問題となったのかもしれません。
想いがどのように人生に影響するかはこちらの記事が参考になります。
スピリチュアルな界隈には恩着せがましい人が多い?
スピリチュアルな界隈には恩着せがましい人が多いと思っている人がスピリチュアルな界隈の中に多数いるようです。
それって実際にGoogleの数字的なデータでも見て取れますし、私自身の過去の経験から言っても多いように思います。
特に多いのが、スピリチュアルリーダー、スピリチュアルカウンセラー、レイキマスター、ヒーラーなど、立場があったり力があるように振る舞っている人たちです。
なぜ私がそのように思うかについてですが、この天空の庭先の活動において、私に寄せられる相談の種類が呪いや霊などよりも、対人のトラブルの方が遙かに多かったからです。
無償で活動しているような人でも「師事されたい」「特別な存在として認められたい」そういった我執が存在しますから、自分を誇示したり恩着せがましく言ってくる人がいます。
スピリチュアルな事柄は、目に見えないようなコトも多く、ゆえに効果や実績が測りにくいです。
ですから、スピリチュアルリーダー、スピリチュアルカウンセラー、レイキマスター、ヒーラー、今の時代だと占い師などもですかね?
とくに商業的に関わっている人たちの中に、何か少し良い方向に転んだだけでも何かが大きく変わったとか、自分が関わったから変化したと、自分の能力を誇示するような人や、恩着せがましく言ってくる人が多いように思います。
恩着せがましいどころかスピリチュアルな界隈には、表向きはニコニコしてても実質は詐欺まがいな人もたくさんいるので。それを感じさせないのが現代的な霊感商法の恐ろしいところですが…
身近に恩着せがましい人がいる
そして身近な人で、「恩着せがましい態度」をとって来る人がいたら、その人は「損得勘定」を持ってる人なので逆に教えてあげると良いかも知れません。
逆に損してるよって(笑) 言ったらキレられますかね?(笑)
もひとつは、物やお金にかかわらないことなら、つまり精神的に求められてることで与えることが出来るものなら。
やってもらったことにしっかり感謝するのが良いと思います。
忍耐と愛を持って相手に覚らせるのも大切です。
恩着せがましい人のスピリチュアル的なまとめ
恩着せがましいとは、相手に感謝を促すような態度ってことですね。相手ために自分がしてやった… みたいな?
スピリチュアル的に言うと、恩着せがましい心や態度によって失う物はかなり大きいです。
恩着せがましい態度をとる人の内にあるのは「見返りを求める心」です。
見返りをもとめる心を持つのが悪いことなのか?と言えば、答えはケースバイケースです。
前提の話しやコトの流れによっても変わりますが、結果的に
「見返りを求められるなら最初から関わらないで欲しかった」というような状態になるなら、その見返りを求める気持ちは相手に負担となるから良くなかったと言えるのではないかと思います。
恩着せがましい人は、せっかくなにか相手のためになることをしているのに、「恩を着せてる」と相手に思われた時点でせっかくの行為が台無しになり、行動したにもかかわらず相手の中でマイナス評価になってしまいます。
まさにこの画像のようになってしまいます。
そして見返りを求める心は、「無私の愛」「無償の愛」とは言えませんから、スピリチュアル的に言うのであれば、私たちの霊性の成長の妨げになります。
それがどのような親切であっても、見返りを求めた時点で、本当の親切ではなくなるということです。
私たちが本当に自分の心と魂の成長を望むなら、恩着せがましい態度はせずに、見返りを求めず、思いやりと愛を持って人に関わり人を助けましょう。
心を清めて愛を持っていきれば、おのずと正しい態度で生きていけるようになると思います。
いっしょに読みたい記事
「真の寛大さは忘恩をも受け入れること。(ココシャネル)」さすがです!これこそ強い輝きです。
ウリエルさん、ご無沙汰しております。
今まさに、ある人から「感謝を形で現せ!」と怒りをあらわにぶつけられて、どうしたらよいのか困っています
。
どうすればよいかは自分で考えろ、と何も要求されないのが一番困るのです。
勿論私も反省すべき点はあるのですが、頭ごなしに恩知らず礼儀知らずな人間と決めつけて激怒されると、何をどう埋め合わせようと永久に誤解が解けることはない、と思ってしまいます。
宇宙のような無償の愛に対してしか心から感謝出来ない私も、狭量なのかもしれませんね。
実は私も、恩着せがましい人は論外!と、頭ごなしに相手を否定的に見ているからモヤモヤするのかもしれません。
いつも気持ちが救われるブログをありがとうございます!