嫌な人が頭から離れないスピリチュアルな理由は?
誰にでも嫌いな人はいるかと思います。
会いたくない、関わりたくない、顔も思い出したくない… 嫌いなのになぜか頭から離れないときがあります。
私たちの心の領域で起きることは、背景にスピリチュアルなことが起因している場合が多いです。
嫌いな人間があたまから離れない、ついついその人のことを思い出したり考えてしまう。
そんな状態に陥るいくつかの理由と解決方法をお話出来たらと思います。
【目次】
嫌な人が頭から離れないスピリチュアルな理由は?
そもそもなぜその人を嫌いになったのか?生理的に受け付けないみたいなケースって実際は多くはないと思うので、たいていの場合はなにかしら嫌いになるキッカケや理由があると思います。
いずれにしても、人間が人間を嫌いになる理由の本質は、「自分に害がある」ということに尽きるとおもいます。
生理的に嫌いというのも、「自分にとって害になりそう」とか「自分にとって害になるだろう」という予測や直感からくるものがほとんどです。
人が人を嫌いになるキッカケはいろいろとあるでしょうが、嫌(いや)なことを言われたり、嫌(いや)な態度をとられたり、忘れられないような嫌(いや)ことをされたり、いじめや差別であれば継続的に嫌(いや)な思いをさせられるからでしょう。
嫌(いや)な出来事も、嫌いな人間との関わりも日々の生活や人生の中で起きますが、スピリチュアル的に言うのであれば「嫌(いや)」という感情も、心にわき上がる想いもエネルギーであり、それは蓄積します。
上記の図は解りやすく、左が被害者、右が加害者という設定で分けています。
加害者側には「悪意」とか「否定心」などの感情や想いのエネルギーの蓄積が存在し、これが相手を攻撃するなど、相手が嫌がる行動を起こす原因となっています。
そして左の加害者は相手の感情や想いをぶつけられたり、実際に嫌なことをされるなどして、心にダメージを負い、「悲しい」「辛い」「憎い」などの感情や想いのエネルギーを蓄積させます。
これら感情や想いのエネルギーが、自分の行動の原因となる衝動のみなもとであり、私たちの「嫌な記憶」に感情や想い、感覚を再現させているエネルギーでもあります。
再現させられるから、何度でも嫌な体験は蘇り、否定的エネルギーは目の前に相手が居なくても膨らみ続けるケースも多いです。
上の図は、被害者と加害者を分けていますが、世の中には互いにいがみ合ったり憎みしみあっている人もいて、両方が互いに加害者であり被害者と言ったケースもあります。
いずれにしても、「嫌な記憶」が、たんに脳内の記録ではなく、人間のチャクラなどに蓄積したエネルギーそのものであるということをこれからお話しする内容の前提として憶えておいてください。
嫌な人が頭から離れない5つの理由と解決策
人間は一日に3万回以上の試行を繰り返します。
1日が何秒あるかをご存じですか? 86400秒です。
つまり人間の思考はごく短い思考の連続体として、2~3秒で切り替わっています。
例えばこの記事を書いている私の思考も、言葉や単語の組み合わせを2~3秒ごとに思考しながら1行書き終えるのに数十秒かけているわけです。
主婦の方なら一日の家事の段取りを考えながら、目の前の洗濯物を見て、干す場所や順番をつど思考しているといった感じでしょうか?
上記はいずれも自分の用事に手を動かしているときのことです。
どれぐらいの時間かにもよりますが、記憶の中にある特定の嫌な出来事や、嫌な人間のことを10分以上考え続けることがあったならまずは正常な状態ではないと認識した方が良いかも知れません。もし30分超えるようであればある意味異常事態です。
目の前にいない人間のことを30分以上も考え続けている状態って、もうほとんど「恋」ですよね。
好きな人のことを長時間考えてるとかあるいみ健全ですが、嫌な出来事や嫌いな人間のことが長時間あたまから離れないって繰り返しになりますが「異常な事態」です。
心にも体にも良いはずがありません。
嫌な人のことが頭から離れない、そんな状態に陥るのにはおもに5種類ほど理由があります。
- 相手から想念が向けられている
- 心が囚われている
- エーテルコードの接続
- 否定的な存在に起因する
- カルマ的な作用
相手から想念が向けられている
以心伝心なんて言葉がありますが、私たちの感情や想いは幽界(アストラル界)の領域に対応しているスピリチュアルなエネルギーです。
私たちがよく知るもので言えば「呪い」などは人間の感情や想いのルエネルギーですし、それは距離が離れていても相手に伝わり影響を与えます。
恋人のことを考えていたら恋人から電話が掛かってきたとか、欲しいと思っていた物をひとからプレゼントされるなど、食べたいと思っていたものが晩ご飯のメニューになったなどなど、日常生活でもわりかしあると思います。
こうしたいっけん偶然と思えるようなことの多くは、目には見えない霊的な領域、幽界(アストラル界)においてわたしたちの感情や想い(想念)が作用した結果起きています。
想念とは、「念のこもった想い」こんなふうに説明するとわかりやすいかも知れません。
嫌いな人のことが頭からはなれないとき、相手があなたのことを考えているようなケースは多いです。
簡単に言えば、相手のテレパシーを受け取って相手のことを考えるようになっている、みたいな状況です。
嫌いな人があたまから離れない… もしかしたら相手から想念が送られてきているかもしれない???
相手から想念が送られていたとしても、それを判断することは難しいです。霊的な感覚が強い人だと匂いや気配をみわけるみたいに想念の元となる人間を見分けられたりもしますが普通はまあ無理です。
嫌な相手から想念を送られないためには、相手と距離をおいたり関わりを立つことが重要です。相手にとって関心のない人間になれれば想念を送られることもなくなるでしょう。
すぐにそれが難しい場合は、このように唱えてみてください。
私が私で在りますように
シンプルなアファメーションですが、強い言霊を持った古いまじないです。
外部から干渉してくる意識的なエネルギーを遮断する助けとなってくれるでしょう。
嫌いな人に心が囚われている
想念が送られてくるという状態は、言うならばうしろからしつこく声をかけられ続けて振り向かされるようなことに似ていましたが、嫌いな人に心が囚われている状態は自分から相手に声をかけに行くような状態に等しいです。
嫌いな人に心が囚われている状態とは、相手に対して強い嫌悪感を感じたり、相手を憎んでいたり、それがたとえ否定心であったとしても自分から積極的に相手のことを考えてしまうような状態です。
一般的によくあるケースは、誰かに酷い目にあわされて、加害者にたいして否定心を向けるような状態です。
自分から相手のことを想ったり呪うようなものですから、以心伝心はますます強くなるでしょう。
この状態を解決しようとおもったならすべきことは一つしかありません。
自分の想いを自分で解消することです。
相手のことを考えないようにしたり相手と距離をおいたり、出来る事はいろいろあるとはおもいますが、それが相手にたいする否定心ならば、許し、相手を肯定することができれば自分の否定心を手放し、囚われごとから心を解放し、自由になることができます。
自分を否定する人間や、自分を傷つけた人間をゆるしたり肯定することは難しいかもしれませんが、これは自分の心を清めて愛を育むための課題でもあるので囚われごとはすべて捨て去ってしまいましょう。
相手を許し、その後は考えるのと関わるのをスッパリやめることです。
エーテルコードの接続
エーテルコードとは、自分と相手を繋ぐエネルギーのパイプのようなものとしてスピリチュアルな分野でよく聞く概念の一つです。
実際にコードで繋がったりはしないのですが、人間と人間の繋がりやエネルギーの交流を説明するときに便利なのでこの庭先でも使われている言葉です。
以心伝心のような状態が強まりたがいに想い合っていると、想い合っている者同士の間で意識の接続が起こり、エネルギーの交流が強く行われるようになります。
これは相思相愛のカップルや、結婚した夫婦のあいだにも起こりますが、憎みあったりいがみあった者同士のあいだにも起こります。
言うならばWi-FiがLANケーブルになるようなものなので、互いに受ける影響も大きくなります。
エーテルコードを切断するときにも先ほどご紹介したアファメーションが有効です。
私が私で在りますように
あたをあなたたらしめるために、きっと役立つでしょう。
否定的な存在に起因する
否定的な存在とは、つまり霊とか悪霊、悪魔のたぐいです。
それは相手に取り憑いてあなたを苦しめている場合もありますし、あなた自身の周囲であなたを煽り、あなたの否定心を膨らめているかもしれません。
一時的に干渉してくる霊的な存在であればいずれ居なくなるでしょうが、相手やあなたの過去生から因果関係のあるような霊に障りをされた場合、ことは複雑になりますし、解決も困難になります。
よからぬ霊との関わり方は簡単で、
意識しないこと、自分自身が否定心を捨てること。
時間はかかるでしょうが、心を清めて愛を持っていきていれば、いずれは否定的な霊や存在たちとの関わりは絶たれていきます。
カルマの法則による作用
嫌いな人が頭から離れない、嫌いな人に心を囚われる…
ここまで説明した1~4とも絡み合い、すべてに関わる本質的な理由が「カルマ的な作用」です。
カルマの法則とは、盗んだ人間は盗まれる、殺した人間は殺される、つまり「自分の行いはまならず自分にかえってくる」という法則です。
この世界に存在する貧富の差、人間の階層構造やあらゆる紛争がなくならないのもこのカルマの法則によるところが大きいです。
つまり人間は自分で気づき、学ばない限りはいつまでも加害者と被害者をいったり来たりしながら同じことを繰り返すということです。
(一部例外はありますが)
つまり、嫌いな人間が身近にいるのも、だれかが自分に嫌なことをしてくるのも、元を正せば自分自身の行いによるということです。
ただ、人間は生まれ変わるときに過去生の記憶を無くしてしまうので、「カルマの法則」やかつては自分が「加害者であった可能性」を簡単に受け入れられる人は少ないですが。
カルマの法則によって起きるこの螺旋から逃れるためには自分自身が加害者とならないことです。
この螺旋を逃れる難しさは、自分が被害者の時に全てを受け止め、加害者であるときに自分で気づかなければならない点です。
ここでもやはり、心を清めて愛をもって生きることが大切です。
この宇宙の法則から逃れる術はない以上、コツコツと取り組むよりほかないのですから。
職場にいる嫌いな人
人間関係の問題やストレスの多くは、学生なら学校、社会人なら職場がもっとも多いと言われています。
学生であれ社会人であれ、普段自分が関わる人やプライベートな時間に関わる友人はあるていど選ぶことが出来ますが、クラスや職場で接する人間は自分の意志にかかわらず決められ、授業や仕事の時間中は逃れることもできません。(もちろん例外もあるでしょうが)
14歳までは自分個人よりもは親のカルマの影響を強く受けますし、学生は事業中は勉強をしているとおもいます。
それに比べ、社会人は多くの場合、自らのカルマに自らが責任を負っていて、しかも仕事中は業務上連携が必要な人とは密にコミュニケーションをとる必要があります。
つまり、職場にいる嫌な人とは…
カルマ的な課題の対象であり、強い引力で引き合わされている
ということです。
先ほどもお伝えしたとおり、神と宇宙の法則に連なる「カルマの法則」より逃れる術はないので、課題には積極的に取り組みましょう。
早いか遅いかの違いなので。
そして、あえて相反することも言いますが、本当に辛かったら逃げ出しても大丈夫です。
1度ですべてを解決できない場合ももちろんありますし、その場合はあなたが取り組んで解消した分を差し引いた残りが次回の課題となりますから。
本当につらかったら、相手からもその場所からも逃げても大丈夫です。
世の中では、学校行って卒業し、社会に出て働くことがあたりまえかのように言われていますがその本質は無限にある生き方の種類の一つです。
みんながそうしている、ただそれだけのことです。
この世界に生まれてきた以上、優先すべきは生きて人生を全うすることです。
嫌いな人がいなくなるとき
嫌いな人をスピリチュアル的に言うと、あなたの成長ために必要な人です。
人間的な成長はもちろんですが、魂の成長にも必要な人です。
嫌いな人がいなくなるとき… それは取り組んでいた課題が終わったことを意味します。
カルマを解消したにせよ、必要なコトを学んだせよ、あなたの教材として存在していた「嫌いな人」は役割を終えて離れ去っていきます。
そして、あなたが再び同じ過ちを犯さない限り、その人(そのタイプの人)がふたたびあなたに嫌な思いをさせることはないでしょう。
嫌な人がいなくなるときに関しては、詳しい記事がありますのでそちらも参考にしてみてください。
嫌な人が頭から離れないスピリチュアルな理由 まとめ
嫌な人があたまかたら離れない… ある意味それはとても異常なことです。
相手からの想念が向けられていたり、意識の接続を受けていたり、理由はさまざまですが、スピリチュアルな世界でさまざまな交流が起きています。
それがあなたの心やエネルギーを消耗させてしまうでしょうからしかるべき対処が必要になります。
想いや心の領域での影響であればアファメーションでも解決することができる場合も多いです。
私が私で在りますように
そう唱えてみてください。
古いまじないの言葉ですが、「あなたがあなたである」ために、つまり他の何者かの影響を断ち切るのに役立ってくれるでしょう。
嫌な人からの影響も、本質的な理由を言うならば、カルマの法則に起因します。
最終的にカルマの影響を断ち切る方法はただひとつ、カルマを解消することですが、そのために日々できることは「心を清めて愛をもって生きる」ことです。
いつかあなたが「嫌いな人」をとおして学び、課題を終わらせたなら、嫌いな人はあなたの身の回りからも、心の中からもいなくなるでしょう。
いっしょに読みたい記事
いつも励まされる記事をありがとうございます。
今回のテーマは、私にとって非常にタイムリーなものでした。
もう3.4年も前になるのに未だに思い出して不安や恐怖に襲われることがしばしばあります。
そんな時は私が私で在りますように と唱えさせていただきます。
ウリエルさんも、御加護がありますように。
世界が平和でありますように。
今回も私にとってとてもタイムリーでした。
でも、家族やこちらのページ、友人との会話により、怒り、悲しみを手放すことができ、解放されました。
この1週間で嫌な事が続きましたが、向き合う事で自分とも向き合い、正しさを持ち続ける心の持ち方も学びました。
決して人を憎まず、それでも私は幸せと言い聞かせながらちょっとづつ前に進めるようになりました。
日々勉強ですね。
学べる喜びを感じております。
また素敵なページをお待ちしております。
ウリエルさん、ご家族の方、いつまでもお元気で今後もよろしくお願い致します。
嫌な人のことばかり考えて消耗する日が最近続いていて、何度も夢に出てとても疲弊していたところメルマガでこちらの記事が届きました。
その人のことばかり考えるから異常に疲れるとなんとなく分かっていたのですが、切り替え方がどうにもわからなくて困っていました。
私が私で在りますようにと言うようになってからはだいぶ楽になり、そして今までいかに人の顔色ばかり見て自分を見ていなかったと気づく事が出来ました。
もっと自分を大切にしようと思います。
ウリエルさんのブログにたくさんのことを学ばせていただいています。
本当にありがとうございます。
私も数ヶ月間、常に頭にいた人がいます。
30分以上は、と見て思わず笑ってしまいました。
その方は旦那さんのおばあちゃんです。
私にとって心落ち着く場所ではないので、少し距離を置いていましたが、親戚単位で絶対離してはくれず、私をよく思っていなくても絶対ほっといてくれません。
私は良くないですが、想っている人達は無自覚で、想う事に悪気は無いんだと思うし、見えない作用もあるんだと思います。
想われる事を許し、私も葛藤する自分の心を許す事を続けていたら落ち着きました!その内全部ひっくるめて愛したいと思っています。
私が私でありますように。ほっとする言葉ですね。
芸能人とかって本当に凄いなぁ、とか思ってしまいます。
こんにちは。
嫌いな人がいなくなるってありますね。私は派遣で仕事をしているので色々な職場で出会いと別れを繰り返していますが最初は苦手だと思っていても最後には気にならなくなります。そうするといつの間にか離れて行きます。ただ行く先行きで色々な性格の人と出会うのですが個性的な人たちなので毎回違う学びがあるように思います。接客業なのでお客様から学ぶ事も多いですね。
最近思うのですが私と出会う人たちとは何かしらの縁があるのだから私にとって必要な出会いなのだなと。私の魂の欠片をその人たちも持っているのではないかという気がするのです。不思議ですね。
いつもメルマガ配信をありがとうございます。
カルマからの脱却は、40年間考え続けていることで、配信を心待ちにしております。
今日は、少し違ってコロナワクチンと人口削減の陰謀論についてのお尋ねします。都市伝説なようなこの陰謀論に、信憑性はあるのでしょうか。ワクチン接種についてのウリエルさんのご見解を記事にしていただけないでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。