火垂るの墓は怖い物語?ラストシーンから考察できるスピリチュアルメッセージ

火垂るの墓

火垂るの墓を観ました。
火垂るの墓ってじつは怖い話しかもしれない…
子供の頃にみた印象と、大人になってから観た印象ではだいぶかわりますね。
火垂るの墓はスピリチュアル的な側面から観ても、色々と興味深い演出がとてもたくさんあります。
そして作品のラストシーンとそこに込められたメッセージに、高い霊的な洞察力と、強烈なメッセージを感じました。
今日は火垂るの墓について、いろいろと気づいたことや、ここを訪れたひとに伝えたいメッセージもまとめました。


 

火垂るの墓とは?

1988年4月16日に劇場で上映されたアニメ映画で、高畑勲監督の長編アニメーションとしては6作目の作品になります。
当時劇場ではとなりのトトロと同時上映だったらしいです。
となりのトトロ、火垂るの墓という順番で上映されたとのことなので、当時劇場で見た人たちがどのような面持ちで映画館を後にしたのか、なんとなく想像が出来ます。

ここからのお話はネタバレを含むので、もしまだ「火垂るの墓」を見たことがなく、今後見る予定のある方は、ぜひこの記事ではなく作品を先に見るようにしていただけたらと思います。

作品の内容としては、1945年、終戦前後の神戸市近郊が舞台で、神戸の大空襲で14歳の兄と4歳の妹が母親を失い、戦後の混乱の中で生きていくというお話です。

火垂るの墓は観るたびに感想が変わる

私は当時、映画館ではなくテレビ放送されたときに見ました。最初に観たのは中高生ぐらいのときだったと思います。
当時の私が好きだった映画は「風の谷のナウシカ」とか「天空の城ラピュタ」など、まあ王道ですね(笑)
兄の影響で松本零士の映画作品をよく見ていたため、映画というものは面白くて最後には感動して、スカッとした気持ちで終わるもの、という先入観を持っていました。

ですから、はじめて火垂るの墓の映画を見たときには正直に言うと映画に込められたメッセージもわからず、ただただ悲惨で悲しい気持ちになり、なんてつまらない映画なんだ… そう思いました。まあ当時の私の脳みそは年齢以下の子供そのものだったので(笑)

自分の中で火垂るの墓という映画の評価が一変したのは私が社会に出た後ぐらいにテレビ放送を見たときでした。
生き生きと描かれるひとつひとつの人間の仕草や動き、心の変化、まるで自分の人生化のように考えされるたくさんの「なぜ?」がありました。
見終わったあとも、一週間ぐらい考えていましたね… 「なぜ?」って。どうすれば清太と節子が生きて幸せになる道にたどり着けたのかと。

そして今回、おそらく20年ぶりぐらいに観たんじゃないですかね???
9歳の息子に見せてみようと思って火垂るの墓のDVDをレンタルしてきました。
普段は午後8時半には消灯して午後21時には息子を寝室に行かせるのですが、夏休みということで特別に夜更かしを許可し、21時から私と妻と息子の3人で火垂るの墓を観ました。

私は今回で3回目なのですが、1、2回目に見たときは、とてもたくさんのことを見落としながら観ていたのだなぁと思いました。

火垂るの墓はじつは怖い作品かも?

火垂るの墓は怖い作品かも…? この「怖い」の意味は、文字通りの怖いと、もうひとつ、高畑勲という監督の精神性の深さと私的には2つの意味があります。

清太と節子は真っ赤なシーンで現れる時は幽霊として存在しているときの描写されているときです。
冒頭の真っ赤な清太が現れるシーン、1945年に)三ノ宮駅構内で衰弱死したときのシーンに切り替わるときに真っ赤なカラーから普通のカラーに変化するのですがその時に若干背景も変化します。現代的な筒型の灰皿がすっと消えていくのです。

冒頭の真っ赤な清太のシーンから、現代になっても成仏出来ずに自縛化された霊となって三ノ宮駅構内に囚われていることがわかります。

物語が上映された1988年、清太がまだ成仏出来ておらず、そんな清太が今もって囚われている人生の最も辛かった時期、最も辛かった出来事を数十年にわたり回想し続けているということです。

清太が持っていたサクマ式ドロップのカンを駅員が投げ、カンの中から節子のお骨が転げ出て、ホタルと赤いトーンで描かれた節子が現れる。
霊となった清太と節子が電車に乗るシーンはなんとなく銀河鉄道を彷彿させるシーンで、神戸の空襲のシーンを電車の中からながめながら、物語は1945年の神戸からの時系列で進み始めます。

火垂るの墓はあらゆる場面がすべて印象的なのですが、そのなかでも特に印象深いシーンは、空襲によって大やけどを負い母親が亡くなってしまうシーン、その後お世話になった叔母さんの家を2人で飛び出して防空壕で新しく生活を始めるシーン、清太が生きるため、節子を守るために盗みや悪事に手を染めていくシーン、そして節子が亡くなるシーンです。

節子は物語が進むにつれ弱いってゆき、最後は誰が見ても衰弱しきっている様子がわかり、節子の死を予感したと思います。

亡くなった節子の遺体を抱き添い寝する清太の姿は悲しみや涙を誘う反面、その後にわずかに描写されるきれいに食べたおかゆやスイカは、清太が置かれている状況や心情の複雑さと壊れつつある清太の心を感じさせるシーンでもありました。

そして今回衝撃だったのがラストシーンでした。


火垂るの墓とラストシーンに込められたメッセージ

火垂るの墓のラストシーンに出てくる高層ビル群……

このシーンを見たとき、私が一瞬、「???」ってなりました。
自分が忘れているのか?正直このシーンにまったく見覚えがなかったからです。

火垂るの墓を前回見たのもずいぶん前なので忘れてしまってるのか?それともDVDに後から追加されたシーンなのか???

火垂るの墓を見終わった後にすこし調べたら、最後のビル群のシーンはどうやらテレビ放送の時には放送時間の兼ね合いでたびたびカットされているシーンなのだとか…
どうりで初めて見ました。

私はこのシーンを見たときに、この物語はとても残酷な物語で強いメッセージを秘めてる、そう思いました。

何十年も成仏できない。
死後にこの世に未練や悲しみ、憎しみなど強い感情や想いを残した人間に実際に起きえる現象で、スピリチュアル的に言うのであれば、清太は幽界(アストラル界)に囚われて自縛化している状態です。

清太と節子は戦争がもたらした残酷な出来事や受けた傷にとらわれ、今もって成仏できずにこの地上に囚われているのです。

そしてこのシーンは火垂るの墓が上映された1988年(当時の現在)だけでなく、この作品が残り続ける限り、未来へ残り続けるメッセージだと思いました。

現代は物質的には豊かですが、精神的にはひどく貧しいです。

これほどの豊かさの中で生きている、そして甘えている現代の人間を見たときに清太や節子が何を思うのか…?
戦争が亡くなれば清太や節子は成仏できるのか…?
清太や節子がくりかえす、悲惨な回想と苦しみのループはいつ終わりが来るのか?

見る人間によってさまざまに感じ、自分が感じたことが「メッセージとなる」火垂るの墓は作品を見た人間の精神性を広げてくれる、そんな作品だと思います。

そして作品から感じたもう一つのメッセージ。

それは戦時中の混乱の時代と現代の類似点から見える、現代人の貧しさです。

清太と節子が叔母さんの家にやっかいになるシーンですが、叔母さんは清太が持ち込んだ食料や母親の着物など、家族に多く与えたりお金に換えたり、自分がいいように扱います。
これはあるいみ当然のことだと思うのですが高畑勲監督はそういうえがきかたをしません。

自分の世界や殻に閉じこもっていく清太の姿は、現代の若者に多くみられる問題点と共通しています。

やがて清太は節子をつれて叔母さんの家を出て行くのですが、叔母さんはそれを止めません。
その後、清太と関わった農家の人や、親切な警官さんも、口で言うだけで無理に手を引いたり、清太と叔母さんを引き合わせたり間を取り持ったりはしません。

戦時中の世の中、問題を抱えていたのは清太だけでなく、貧困、怪我人や病人も含めて世の中にはあふれるほどいたでしょう。
だれもが自分や家族のことだけで精一杯、人に世話を焼くことが出来る人間なんて本当にわずか、そんな時代だったのだと思います。

終戦間際の混乱した時代をあえて現代と繋げることで、同じ問題が、それも物質ではなく現代人の心にあると伝えているように思いました。

戦争中のゆとり無い人間の心と、これだけ物質に恵まれながらも同じようにゆとりのない現代人の心。

現代でも、この日本でも、この世界でも、清太や節子(幸福でない子供たち)はまだまだたくさんいます。
そして私たちはそんな子供たちをむげに死なせてはならない、そのためには出来ることがあるはずです。

私が生きているあいだに。何年後かはわかりませんが、きっともう一度ぐらいは火垂るの墓をみる機会があるでしょう。
その時は自分が、この世界にいる清太や節子(幸福でない子供たち)に不親切で無かったか?顧みたいとおもいます。


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天空の庭先 管理人の☆ウリエル☆です♪瞑想歴30年、オーラ見える歴28年、ヒーリング歴29年、浄霊歴26年、オーラ視、浄霊、ヒーリング、などなど、いわゆる霊能力と呼ばれる力を持っていて、占星術など占いの分野やオカルトなど、スピリチュアルな分野に精通しています。 これまでの人生でのスピリチュアル体験から得たことを記事にしています♪ 関わる人全てに豊かになって欲しい。それが私の願いです。 <strong>霊能力が身についたキッカケ</strong> 霊能力と呼ばれる力を手に入れるキッカケは、21歳の時に霊的な師と出会い、ヒーリングを受けた事でした。 私をヒーリングしてくれたその方は、世界を旅しながら無料で奉仕やヒーリングをして生きている方で、日々何十人、何百人と癒していました。その方との出会いをキッカケに、私自身にもヒーリング能力が身についたり、オーラが見えはじめたり、体外離脱を体験したり、成仏出来ない霊を救う能力が発現したり、様々な霊的な体験をしました。それら体験は、この天空の庭先にまとめられています。 <a href="https://arcangel.jp/experience/">体験談</a> <strong>天空の庭先オープン</strong> 2004年に楽天ブログで天空の庭先がスタートしました。 本業はデザイナーで、ふつうに社会で働きながら、平日の夜や週末の休みを利用して、霊的な疑問や相談にお答えする活動をしてきました。 今日までの天空の庭先の歩みはアーカイブのページにまとめられています。 <a href="https://arcangel.jp/archive/">ブログアーカイブ</a> 「☆ウリエル☆」というハンドルネームは、宇宙の運行や浄化を司る天使の名前を借りました。横の2つの☆は当時の楽天ブログでウリエルというハンドルネームがすでに取得されていたために、仕方なく横にくっつけたのですが、この☆のおかげで姓名判断や数秘術でとてもよいハンドルネームになりました♪ 「天空の庭さき」というブログとサイトのタイトルは、天の国のかたすみ、みたいなニュアンスで命名されました。 私は本当の「天国」や「楽園」は、それを求める人の心の中にあるものだと思います。ここを訪れる人たちが豊かで美しい人生を歩むヒントをみつけてくれたらそれは私にとって幸いです。  

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  1. ユキウサギ

    私も丁度、子どもの視点に立ったドラマ見たりして考えさせられていました笑。寄り添ってあげられるしか出来ませんが、実質的には子供達のために、いくつかの団体に毎月の寄付させていただいたり、スピリチュアルでは事件のあった小学校に芸術系の特技でヒーリングの「ボランティアで訪問」などしてみたり。
    自分も若くて何も知らない時、様々な人に応援して貰いました。今から思えば「希望」のひとかけらになってくださっていました。
    そんな蜜蜂の巣の中のような助け合いが普通になると良いですね。

  2. ユキウサギ

    追伸させてください!
    「四季」で有名なヴィヴァルディは、華やかなヴェネチアにて「赤ちゃんポスト」のある教会で司祭を務め、孤児(捨て子)の女の子達に、上手くなった子には超絶技巧のヴァイオリンを教えたりして自立の道を開きましたので、私は大好きです。ちゃんとプライバシーかな、ストーカー防止かな、顔を見えない配慮もしてあげてました。
    教会では(勿論ヴィヴァルディではないでしょうが)孤児の男の子には勿論違う、特殊技能を教えてあげたようです。

  3. ぽぽぽ

    すみません。
    こちらの記事と関係ないですが、感謝をお伝えしたくて。

    こちらの天空の庭先で感じたことや思ったこと、コメントで読ませて頂いたことを
    今すごく活用させて頂いています。

    昨日まで、自分の中のダークな部分と対面したり、それを相手の中に見たり。
    この時は、もう無我夢中で自分を落ち着かせようとするのですが、
    そもそもエゴ?が全面に出ているときに心を沈めようとかしてました。

    やっぱり瞑想大切ですね!
    以前からたまに行っていましたが、意識的に増やしていこうと思います。
    こう思えたのも、天空の庭先のおかげです。

    いろんな方が方法をかかれていますが、結局は自分に落としこんで、自分でコツを掴むのが
    いいのだろうと、思います。
    参考書的に使わせて頂くような。

    忖度?なく、思ったことをかいたので、嫌な思いをされたらすみません。

    しんどいときは見えなくても、後になるとやっぱり意味のある経験だったと、感謝です。
    (これがえらそうに言えるのは、今はしんどくないからなのですが。。。)

  4. あんじゅ

    こんにちは。

    戦時中でなければ叔母さんも優しかったかもしれません。余裕がない時こそ人間の本質が表れると思うと、自分の心の中に果たして本物の愛があるのか。家族以外にも同じように愛せるのか試される気がします。

    清太や節子がずっと成仏出来ないのも悲しいですが、叔母さんもあの世では後悔の涙を流すのではないでしょうか。そう思うと自分がいかに感謝をもって今世を生きていくかが大事だなあと思います。

    大きな事は出来ませんが身近なところから誰かの為になる事が出来たら良いですね。

  5. ももこ

    ジブリ作品大好きです。私でもスピリチュアルな感性を作品から感じます!でも火垂るの墓は、(学生時代までに5回以上見ましたが)ある時からあまりに悲しさが強くて見ることができなくなっていました。戦争の悲しさ惨さ、戦争はないのに心が貧しい世界。地球で今日も起こっている目を覆いたくなるような悲しい出来事をどう受け止めればいいのか知りたいです。今度、大人になった自分で「火垂るの墓」改めて見てみようと思います。

  6. haine

    現代における精神的貧しさは、物質に囚われていることや競争や比較を常に行い皆が踊っていること。
    または、生活基盤が安定していないことなのか。であると考えますが。
    自然とともに生き、くだらない経済活動に惑わされない生き方になれば、改善されるのか。
    または、個々がより向上を追求し内観や気づきが無かればならないのか。
    正直私には、わかりません。ただ、どの時代であれやはり精神的貧しさはあります。ただ、江戸時代の印象は今よりかはよいようにも思うところです。
    これから先、良い時代になると思っています。

  7. ソフィア

    新聞に、教員を長くされている方が「幸福感乏しい日本の子供」というタイトルで投稿されている記事を読んだ。

    先進、新興国38ヵ国中で日本の子供の「精神的な幸福度」が37位であったことを「その通りだ」と現場に携わり思ったということ…残された教員生活で何ができるか?豊かな学びとは何か?再度考えたい。というような内容だった。

    そして私は、その記事とこの記事を繋ぎ合わせてより深く考える。
    自身に何か起きた時、言われた時、された時、感情は(心)すぐに反応する。
    次に家族、親、友人…近い関係性ほど親身になれる。
    でも、自分から離れた関係性や事柄になるほどにフォーカスする気にならない限り、自分の感情はピクリともしないことも、ある意味させないことすら可能であるのが人間だと思っている。
    人はどこまでも自分の都合のいいように物事を解釈し、思い込み、操作、実行できてしまう。
    自身の身に受けた辛さ、苦しさ、痛さ、寂しさ、その全てを「なぜ自分が?」「なぜ自分ばかりが?」心のどこかで「この想いを分かってほしい」と…
    「自分は自力で弱音も吐かず越えたんだ、越えられないなんて努力が足りないんだ」と…
    そんな負の、否定的、攻撃的な感情(エネルギー)を乗り越えて、手放し、今を生きる全ての人と、これから生まれくる未来の子供達が「幸福」をたくさん感じられますように☆清太、節子のように誰ひとりなりませんように…