保護中: 瞑想の方法 実践編
瞑想の本質は、方法ではなく、状態であるとお伝えしました。
であるなら、瞑想のやり方はさほど重要ではないという事が分かると思います。
世の中に広まる瞑想法の中には祈りや音、香り、複雑な呼吸方、手で組む印などを組み合わせたようなものもたくさんあります。
瞑想においても、心の清めや愛が重要ですから、もし呼吸法や手印、道具やマントラなどを頼り過ぎたり依存するなら、かって瞑想状態から遠ざかってしまう場合も多いです。
こういったスキルや道具を使うやり方は、仮に正しいやり方であったとしても「技術」であり、あるがままの瞑想ではないからです。
瞑想に本当に必要なものは 「こころの清め」「愛」「内なる熱意」「忍耐」心や動機の部分です♪
ですから瞑想の本質は至って簡単、目をつむってこころを鎮めるただそれだけです♪
そして目指すべき瞑想状態とはこれまでにお話したとおりです。
まず最初に目指したいのは、ぼーっとこころが空っぽになっているような状態です♪
瞑想の方法 基本編
瞑想はやり方よりも「心」や「動機」が重要です。
「心の清めと愛」を大前提としたならスタイルは自由で構わないです。
もし、それでもやり方が解らない、やり方を迷うといった場合は、簡単なガイドラインをまとめておきますのでそれに従って瞑想を試してみてください。
心の準備と身体の準備が出来ているかを顧みる
心の準備とは、正しい動機で瞑想に取り組もうちしているか?
「心を清めて愛を持って生きる」という事を原則としているか?
瞑想によるいかなる結果も受け入れられる「覚悟」を持っているか?
身体を健康に清潔に保つために日々取り組んでいるか?
瞑想の時に必ず顧みるようにしましょう。
座るか横になるか、自分が楽でリラックス出来る姿勢をとりましょう。
深い瞑想を目指すなら光も音も無い静寂の空間が望ましいですが、瞑想に慣れるまでは環境音楽を聴いたりアロマを利用するなど、自分の居心地の良い環境で行う感じでも大丈夫です。
内省に進むか瞑想に進むかを判断する
もし1~2番のプロセスで、日々の雑事への捕らわれごとや、誰かに対しての否定心などが見つけられたら瞑想には進まずに、まずは内省を行いましょう。
瞑想導入へのひとつの取り決め
そして出来れば一つ決めておきたいことがあります。
「今から瞑想に入る」という切り替えを心と体に習慣化するためのひとつの行動です。
例えば私の場合は、かならず決まった3回祈ってから瞑想に入るようにしています。
なじみ深い祈りの言葉を唱える事でも良いですし、2回手を叩く、でも良いですが、いずれにしても心と体を切り替えるために一つの行動です。
とくにこれまで決めているものもなく、自分なりの祈りや行動も思いつかない人は、このように祈ると良いでしょう。
聖なる創造主なる神よ
私たちを癒やし清め護り導き愛をあたえたまえ。
すべては御心のままに。
瞑想
目を瞑り心を静めます。
瞑想における変化を観じながら訪れる変化や事象を受け入れます。
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内観から瞑想初期に訪れる変化
目指すのは「無我の境地」とか「明鏡止水」などと呼ばれている状態です。
これは前に説明したように、空を眺めてぼーっとしてるような意識や時の感じです。意識や思考の停止したようなこの状態は、高次の認識を持たない場合は寝てる感じにも近いです。
自分でその状態に至るのは想像以上に大変だということが瞑想をしてみて頂けたらすぐに解ると思います♪
座って目をつむって瞑想状態を目指しこころを鎮めようとすると、多くの場合、頭は仕事の事や人間関係、最近見た映画や本のことだったり、日常的な様々な事を考え始めます。
実際に瞑想を行った事のある人はお分かりだと思いますが、こころを鎮めるというのは実際、なかなかに難しいものです。
これから始める人は、きっと自分の心がこんなにも思い通りにならないのかと驚きも多いと思います(笑)
最初、瞑想の浅い段階、この時はまだ顕在意識が自分の意識を支配してるので
「大好きなあの人の事」「嫌いなあいつ」「やりのこした課題」まあ次から次へと色んな事を思い浮かべてくれます。
こういった様々な想いにとらわれないようにまずは顕在意識を押し騙させないとなりません。
このさまざまに何かが想いが浮かぶ状態は「目をつむって考え事をしてる」といった状態ですから、とても瞑想状態と言えるものではありません。
この浮かび上がっては消える感情や考え事の波を鎮めた時、はじめて「黙想」という段階に入ります。
この状態は、瞑想状態への出入り口と言えます。
そして、この状態に至っても油断するとすぐに思考や感情の螺旋に逆戻りしてしまいます。
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本当は、瞑想の深淵にたどり着くためにはあらゆる「音」も「光」も妨げになる可能性があるのですが、それはきっと上級者となってからの話しです。
感情や考えごとなどで、なかなか黙想状態に至れない人にとって、有用なのが、「香り」「音楽」「祈り」「内省」「内観」「呼吸」など、自分がリラクゼーションできるあらゆるものです♪
繰り返しになりますが、世の中に広まるあらゆる「瞑想法」は、単に「瞑想状態」に近づくためのリラクゼーションやサポート的なものであって「瞑想」そのものでは無いと言うことです。
最近は「アセンションする瞑想」「○○式瞑想法」とか様々な「瞑想法」があって、広めてる人はそれが神に至る唯一の「瞑想法」であるかのごとく言っているような場合もあります。
瞑想の方法にこだわっているうちは、まだ深い瞑想ではないのだと私は思います。
私の知る限りで言えば瞑想とはもっとシンプルなものです♪
もっと言えば、シンプルになるほど瞑想は深まりをまします。
もし、瞑想に没しきれない時には、内省や内観に戻り、心を沈めましょう。
それが出来ないようであれば、瞑想を無理に先に進めない方が無難かもしれません。
内省 内観 内在する神と出会う準備
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瞑想時の身体の反応
心を沈めて、否定心、世俗ごとや捕らわれごとから心が解放されると、第1チャクラより穏やかにエネルギーの上昇がはじまり、それが、第二チャクラ、第三チャクラ、第四チャクラまで巡るころには徐々に身体にエネルギーや穏やかな熱感が満ちてきます。この段階では、心の安息と肉体的な癒やしを感じ始めます。
身体を上昇し、満ちるエネルギーの状態によって、身体には様々な反応が現れます。
健康状態が良くないときには、座ってられない、起き上がってられないほど身体がだるくなったり、何処かが痛み出したりする事もあります。
首や肩が石のように堅くなったり、頭が後ろに引っ張られたり、ビクン! ってのけぞったり、体が前後左右、あるいは円運動を始めたり、瞼の裏に薄い光やオーラも見え始めます、エネルギーが体内の経路を駆けめぐる際まだ未開発なチャクラに打ち当たると意識のヒューズが飛んだような そんな感覚を体感したりするのもこの段階です。
これらはエネルギーがどこかの詰まりに打ち当たったときなどによく起きる現象です。
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瞑想時に見える光と霊聴
身体にエネルギーが満ちる感覚が強まっていくにつれて、今度は目を瞑った状態にも関わらず、視界が少し明るくなりはじめます。
そして瞼の裏に強いオーラを見るようになり、時には幻覚を見たり幻聴を聞いたりもします。
丹光・アストラルライト
アストラルライトとか丹光と言われる光が見え始めるのもこの段階です。
ポツンと小さな光が見えたり消えたり揺らいでいるときもありますし、流れ星のように何かが横切っていく事もあります。
自分の身体の中を巡るエネルギーの波が見えるときは、奥から光がぽわんと現れて、手前に向かって広がりながら薄まっていくを繰り返すような光の波が見えると思います。
ぽわん... ぽわん... ぽわん...
この光は人それぞれの状態や霊的な段階によって様々な見え方をします。
霊聴
霊の声や不思議な存在の声を聞くのもこの段階です。
声の主が様々ですが、多くの場合は、幽界(アストラル界)の霊的な存在からのアプローチです。
自分を助けてくれる存在も居れば、好奇心で干渉してくる存在も居ます。
いずれにしても、瞑想を開始し、エネルギーに満たされることで霊的な輝きを持ち始めた人間が珍しかったりするようです。
霊的存在の干渉
こういった実際に体験として起きる霊的な変化は、私たちの好奇心を刺激するものですが、瞑想の本質はもっと先にあります。
この領域に好奇心や心が捕らわれると、天使の声が聞こえる、とか、○○とコンタクトしているチャネラーとか、アストラル領域の存在相手に一生を捧げかねないので、幽界(アストラル界)レベルの領域の事象は一端横に置いておき、瞑想のさらなる深みを目指しましょう。
もし、「心を清めて愛を持つ」事を大前提に神を求めたなら、たくさんの霊的な変化や、美しい体験をえられるかもしれません♪
あらゆる美しいビジョンも体験もオマケに過ぎません。瞑想の果てにあるものは限りない静寂と神の光です。
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明鏡止水と無我の境地
私がトヨタさんに瞑想を教わったとき、静かに黙して座った後に目指すべき理想的な状態は水が波たつこと無く静まり、ぴーんと張った、まるで鏡のような心と教えられました。
「明鏡止水」という言葉がありますが、まさにそれだと思いました♪
無我の境地なんて言葉もありますが、自分を失うほどに心を静めたならこの状態に至る事が出来ます。
その為に大切なのは、清めです。
日々の生活や仕事、煩いや心配、不安、あらゆる我執を振り切れないうちは自発的にこの状態に至るのは難しいからです。
瞑想というのは方法ではなく状態であるとこれまで書いてきましたが、瞑想が深まると体感できるレベルでこの「明鏡止水」という状態が訪れます。
この状態は、考え事を止めて、黙想状態を通り越して、そして見えたり聞こえたりするあらゆる霊的な現象の先に存在します。
この状態になった時、寝てるのか起きているのか分からない状態にもかかわらず、比較的ハッキリと意識を持っていて、本当に静かで何もかもが制止しているかのような感じを意識や体感として現れます。
青白い、あるいは真っ白い無限の空間にいるような感じでもありますし、その空間の中に大きな光を視たり感じたりすることもあります。
ただ、高次の認識を持っていない場合、体験を記憶したり、その状態で意識を保つ事が出来ないため、多くの場合は自分は瞑想中に寝てしまったと感じます。
これは私の場合ですが、第二体、つまりメンタル体以上の霊的な身体で体外離脱をするときはこの状態で意識を保っていることが大前提になります。
私がよく寝る前に瞑想する事をお勧めするのは、眠りに落ちる際に自然にこの意識状態を経験できる事があるからです。
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神に至るという瞑想の目的
人は神から生まれ、魂は神と同じ性質を持ち、やがて神へと至ります。
私は神へと歩み寄る 私と神 私=神
私たちが、あるがままで「愛」そのものとなる事が出来れば...
私たちは感情や想いではなく、「あるがままで神」という状態に至ることが出来ます。
もし言葉で「あるがままで神」と思ったなら、それは言葉や想念です。
存在によって「あるがままで神」とならねばなりません。
それが人間の、そして瞑想においても一つの到達点です。
あとは気づきに委ねます♪
ご相談に乗ることは出来るかと思いますが、瞑想の実践は危険性もはらむので自己責任にてお願い致します。
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