自己犠牲と愛
こんにちわ♪
最近の日記はメールで頂く質問にお答えするような書き方が多いのですが、今日もそんな感じです♪
今日のテーマは「自己犠牲」です。
自分の命を捨てても他人の命を救う。
一見素晴らしい事のようにも思いますが、実はこの自己犠牲にもいくつか落とし穴があります。
自己犠牲の間違えた認識
例えばそれを行う動機が
・自分を犠牲にして人助けをすれば天国に行ける
・自分を犠牲にして人助けをすると自分自身の存在意義を強く感じられる
・自分なんていつ死んでも構わないからこの命いつでも投げ出せる
こんな動機だったとすれば、あまり尊敬できるたぐいのものではないと思います。
動機が愛か否か
結局いつもの結論ですが、「動機が愛であるか否か」です。
自己犠牲という名の下に盲目的に奉仕を続けている人も世の中にはたくさんいます。
でも、本当に重要なのは、それが「愛」によるものであるかどうかです。
それと、自己犠牲の動機が純粋な「愛」であったとしても、
「自分のごとく人を愛する」=「人のごとく自分を愛する」
つまりは、簡単に投げ出して良いものではありません。
自分の事、自分の命も大切にしなければならないのです。
例えばあなたが自己犠牲で命を失えば、親しい人や家族も悲しみます。
あともう一つ。
愛と愛情は方便の違いかなと思います。
愛は概念ですが、愛情は生き物の本能や感情に基づく方便かなと。
愛は永遠不滅、普遍のものです。
愛情は爆発すれば怒りに、腐れば憎しみになりえる感情です。
これは私の解釈ですが♪
いつもありがとうございます♪
初めまして。昨日、偶然このブログとサイトを発見しまして、興味深く色々と読ませて頂いています。
僕自身がクリスチャンであり、またスピリチュアルに感心があって探求してきたこともあったので、共感することや、目からウロコ、または、謎が解けた!という記事が沢山あり、とても面白いです。
キリスト教的信仰とスピリチュアルの狭間でどうにも分からない疑問や矛盾にずっと悩んでいたのですが、ここで光が与えられたようです。感謝しています。
またこれから過去の記事等を遡って勉強させて頂きますね。
本当にありがとうございます♪
守護天使はラファエルさんこんにちわ♪
私の母が、カトリックの孤児院で育ち、色々と矛盾を抱えていたと言っていました。
私自身は21歳の頃から聖書を読みはじめました。
イエス・キリストの言葉が謎かけのような内容も多く、最初は分からない事も多かったです。
ですが、読めば読むほどに、キリストの教えや行動は愛に対して一元的だと思いました。
この庭先の文章が何かの参考になったなら幸いです♪
こちらこそありがとうございます♪