オーブをスピリチュアル的に説明すると?霊的存在やエネルギーの顕現
オーブと言えば英語で球、宝珠、宝玉などを意味言葉です。
スピリチュアルな分野でオーブと言えば、その意味は大きく変わり、光の玉、霊的なエネルギーの玉、それを人間の霊や魂だと言う人もいます。
世の中やスピリチュアルな分野にオーブという言葉が広まったのは、心霊写真に目には見えなかった光の玉が映り込み、それを霊だとテレビのメディアやそれに出演する一部の霊能者が言い広めたのがキッカケでした。
私には霊的なものを見る視力があるのですが、オーブを霊的な光の玉と定義したなら、じつはいろいろな種類があります。
今日は少しだけオーブのことをお話出来たらと思います。
【目次】
オーブをスピリチュアル的に説明すると?
オーブを霊的な光の玉と定義した場合、私自身が実際に見たことがあるものをざっとリストにすると
- 霊とか霊に関連するエネルギー
- オーラの一種
- 高次の存在
大きく分けて3種類ありました。
私の場合、瞑想や魔術的な訓練で身につけた霊的な視力があるので、これらはテレビや本で見たことではなく、実際に私が体験したことです。
テレビで言われているような、霊が写真やVTRにオーブとして写るようなことはたしかにありますし、霊そのものでなくとも、生き霊とか想念など、霊的なエネルギーが球形のぼんやり発光するエネルギーとして見えたりします。
オーブと呼ばれるものとまったく等しいわけではありませんが、私たち人間の想いやオーラも光るの玉やもっと細かい輝く光として見えることがあります。
そして、高次の存在、これは天使や菩薩といった類いのものですが、高次の存在はエネルギーそのものであり、本質は無形であるため、光の玉として見えたり、現れたりします。
それぞれのオーブの光の意味を私の体験をまじえて順を追って説明していきたいとおもいます。
オーブは霊が可視化したもの?
冒頭でもお話した通り、オーブという言葉はテレビのメディアを通じて心霊写真にうつる光の玉が霊であるという話しで世に広まりました。
ですが、写真にオーブが写る現象は、空気中の水蒸気やホコリがフラッシュに反射して起きることも解っており、写真に光の玉が写ったとしてもそれが霊だという確証はないと思います。
オーブが霊魂であるという説について、wikiで面白い内容を見つけたので軽くご紹介します。
元フジテレビのプロデューサーであり、日本神霊科学協会・サイ科学会の理事である小林信正は、オーブ自然現象説の説明を受け入れた上で「その内部に意識体が入っている」と述べている。日本神霊科学協会における研究では、電磁波測定器や低周波測定器を用いてオーブを撮影することを試みており「ガス状の電離したプラズマの気体で、内部には核の構造を持つものもある」としている。結論としては「その正体はいまだ不明である」としながらも「電磁気的エネルギーを持った意識体の可能性がある」と記述している。
玉響現象- wiki
上記の説を裏付けるようなことを言いたいわけではありませんが、幽界(アストラル界)の領域に存在する霊はこの世界に具現化(干渉)するときに湿気っぽかったり、気圧が変化することは解っています。
それが電磁気的エネルギーなのかはわかりませんが、確かに物質世界に具現化(干渉)する際には、なんらかの霊的エネルギーが発生します。
さて、写真に写っているオーブの中には、霊が写ったものもあるのでしょうか?私の経験から言えば、霊的な存在がオーブとして映ることはたしかにあると思います。
これも実証に足る内容ではありませんが、私が写真のオーブの中には霊的存在が写ってるケースがあると想うのには2つ理由があります。
ひとつめは、オーブが映った心霊写真を手に取った時に、写真をソウルアドレス(媒介)として霊に取り憑かれたことがあったのと、もう一つは、実際に霊的な視力で意志の宿る光の玉を見たことが複数回あるからです。
心霊写真の体験に関しては、オーブの写真を媒介としたというだけなので、実際にはオーブ=霊かという部分に確証は得られません。
オーブはどんな時にみえる?
オーブは霊的な光で、オーブを見るとき、多くの場合は霊的な視力で視ているのですが、おそらくオーブが普通の人にも見えるぐらいに具現化(視覚化)されている場合もあります。
私の経験から言うと、神社や教会のように見えない力に対して人間の意識はフォーカスしやすい場所、水辺や湿度の高い場所、磁場や気圧など、見えやすくなる条件があります。
霊的な光とは言え、それは鈍い光なので太陽の下肉眼で見えることはあまりないかもしれません。
薄暗い場所でぼんやり光ってるのを視るケースがほとんどです。
ただし、ごく稀に日中でもオーブを視ることはあります。
オーブは霊視力を持たない人でも肉眼でみえることがありますが、私の場合、霊的な視力で見るケースにおいては浄霊するとき、瞑想するとき、寝起きなどが多かったです。
上の画像は私がよくたオーブを再現したものです。
とくに瞑想時に見るオーブは、瞑想で見る光と自分の意識の間に浮かんでいるものなので、実際に霊は光の玉として見えるという確証に近い体験です。
写真はアストラルレベルで見る霊のオーブです。輝く光といった感じでは無く、薄暗く鈍く光るオーブです。
私の結論としては、心霊写真のオーブが霊が写ったものかは確証をえる方法はありませんが、自分の体験として、霊はオーブ(光の玉)として見えることがあるということは言えます。
そしてオーブは本来は肉眼で見えないものなので、自分の意識によって多少の情報の置き換えがあるかもしれません。
というのは、過去の経験から言うとほんらい、霊や霊体自体に色は有りませんが、オーブを色つきでみることがあったからです。
赤いオーブはや赤い光は危険な存在
オーブ自体は霊的なエネルギーなので本来は無色だと思いますが、たまに真っ赤なオーブや赤い光を見ることがあります。
この真っ赤なオーブは、悪意ある霊や悪霊など、自分に害意のあるものや危険なものであるい場合が殆どです。
赤い光についても同様ですが、瞑想時などに見る赤い光は、危険信号として自分の潜在意識が見せている場合もあります。
おそらく霊自体が赤く発光しているのではなく、それを見た自分の霊体が顕在意識に危険なものと認識させるために、赤いシグナルと組み合わせて視覚化していることは多いと思います。
この赤いオーブや赤い光は、私は人から呪いを受けているときや、浄霊をしているときによく見ました。
オーブはオーラの一種
私の感覚だと、オーブは霊的な存在ですし、霊的なエネルギーでもあります。
以前こんな体験をしました。
オーラ視をしているときに、人間から人間へ、光の玉が移動していくのを視ました。
オーラ視をしてないときでももちろん事象は起きています。
それはオーラの塊とかエネルギーの塊といえるかもしれません。
どんな時にそれを受け取るかについては、だれかのなにかしらの想念が強く自分に向けられた時によくかんじました。
ピンク・ホワイトローズのオーブ
オーラが光の玉となって自分に向けられる体験で一番わかりやすかったのは、異性からの好意でした。胸のあたりに実際にエネルギーがぶつかるのがわかるレベルです。
恋すると胸が苦しくなったりするというのは、ハートチャクラに相手の想いがぶつかってくるからかもしれませんね。
この画像は恋愛中のカップルのオーラの状態を説明する為にいぜん合成してつくったものです。
緑(グリーン)のオーブ
オーブがどれぐらいいの粒度まで該当するかにもよりますが、ヒーリング時にも光の粒子や緑の光の玉を視ることがあります。
緑のオーブに関しては、私自身がみることよりは、私がヒーリングした人からのちに話しとして聞くことのほうが多かったかもしれません。
この画像はヒーリング時にみる光を再現したものです。
私がはじめて、師のような人からヒーリングを受けたときに見たのもこんなあざやかな緑の光でした。
そして私がヒーリングを行った人の中にも同じような光をみたひとが何人かいました。
霊的なエネルギーを視る能力にかんしては個体差が大きいので、誰にでも等しくみえるという性質の光ではありません。
ちなみに自分で自分をセルフヒーリングする際にも、そこそこ長い時間真面目に行うときにはこの光を見ます。
私が師のような人からはじめてヒーリングを受けたときの話しが体験談にあります♪ ヒーリングについて詳しく書いたシリーズもあるので、お時間のある人は是非♪
青(ブルー)のオーブ
この画像は私が瞑想時によく視る青い光の玉と、客体となって自分を見たときの光景を思い出しながらつくったものです。
霊的な光は青い光として見えることが多いです。
幽界(アストラル界)レベルにおいては、霊は黒やグレー、赤として見えることが多いのですが、霊界における霊の光は青いです。
より高次の世界の霊的なエネルギーは青く、さらに高次の世界ではエネルギーは色を伴わない光そのものとして見えるようになります。
すでに成仏したご先祖様の霊にあうようなときは、青い光として視たり感じたりするとおもいます。
白い光のオーブ
第三階層に属する霊的なエネルギーの中でもちょり高次にちかいオーブは光の玉そのものとして見えます。
そもそも、第二階層と比べると第三階層の光は覚醒した意識で見ることも困難なので、この画像のように目の前に高次の存在が現れたとしても、まばゆい光をみることは稀でしょう。
ですが、もしこの画像の女の子にエネルギーを感じるちからや、気感があったなら、包まれるような暖かさや湧き上がる活力におどろくことでしょう。
第三階層に属するオーブは、瞑想や神秘体験で稀にみることがあります。
誰かの祈りを受け取ったときも近い感覚をえると想います。
高次の存在
高次の存在とは?
簡単に言えば天使や菩薩など、霊的に上位の存在たちです。カルマの返済を終えて人間を卒業した魂たちも、高次の存在と言えます。
そういった、高い霊性と力をもった存在が身近に現れるとき、肉眼で見ることは出来ませんが、霊的な視力で見たり、稀にコンタクトをとることが出来る場合もあります。
ずいぶん前の話ですが、私の母のもとを上の画像のような金色の光の玉たちがおとづれ、話しかけてきたことがありました。
その後私の母は、金色の玉に憑依され、憑依されている気感は霊的にとても強い力を持っていました。
ちなみに、私も同じような体験をしたことがあります。
胸に光の玉が入ってくる、その期間はやはり霊的な力が増していました。
実は同じような話しが日本や世界各地の古い文献にみられます。
この現象はウォークインなんて言葉でも知られています。
母のもと高次の存在が訪れたときの話しが体験談にありますので参考にしてみてください♪ ウィークインについてはこちらの記事ですこしだけ詳しくかいたので気になる人はこちらの記事も是非♪オーブのまとめ
オーブを霊的な光の玉と定義した場合、大きく3種類あります。
- 霊とか霊に関連するエネルギー
- オーラの一種
- 高次の存在
実際に霊がオーブとして見えている場合もありますし、霊でなくとも、人間の感情や想い、オーラに関わるような場合もあります。
オーブは普通は肉眼で見えませんが、稀に霊的な視力を持たない人でも目撃するケースはあります。
よくTVなどで、心霊写真やVTRにオーブが写っていて、それが霊だと言われたりもしますが、それが本当に霊だと実証するのは難しいですが、実際に霊であるケースはあると思います。
オーラに関係するエネルギーもオーブのように見えることもありますが、こちらは色々な大きさや粒度があります。
天使や菩薩など、高次の存在がオーブとして見える場合があります。
多くは無いでしょうが、実際に声を聞いたり会話をするケースもあります。
いずれにしても、霊的な視力で見えるオーブは霊的なエネルギーであることは間違いないです。
どのようなオーブを見るか、接触するか?それは自分の霊的な資質やレベルに関係していると思います。
私自身思うのは、悪意のある霊などには出来れば関わりたく在りませんし、どうせ関わるなら高次の存在が良いと想います。
身の回りの隣人もそうですが、関わる体的な存在に関しても引き寄せるのは自分自身です。
心を清めて愛を持って生き、自分を手助けしてくれる良き存在と関われたならそれが幸いです♪
“海に溶けている塩っていうの” めっちゃ素敵な例えだなって思いました
あの塩辛い水
は 海を強烈に感じさせられる
けれど、
スーパーで買った塩を
水に溶かしても、
海だー🏖 と
なるわけではない😅
海は
様々なミネラル要素が溶けていて
(多分)
塩は塩という形で取り出せるけれど
も、
なかには 取り出せないから
あるかどうかも確認できない要素が
あるかもしれない(知らないです😅)
そういう ふうに 地道に分析を重ねるのは
科学も、スピリチュアルも、レストランも
同じなんだなぁと。
ほんとうは みんなが この世界の一部で、
なんにもしていない、なにも考えていない状態が、ある意味一番正確なのかもしれないけれども、
自分の手元に、塩と水を持ってくれば、
あとお魚さんも
ざっくり小さい海🏖は
できるのかもしれない。
そのざっくりを、それだけ本物に近づけるか….
そう思うと、完璧に到達することって、
それに向けて頑張ることを
永遠♾に続けることなんだなあと。😅
こんばんは。
最近、白い銀みたいに光る小さい球が出てきます。
2秒位で消えます。動くので、飛んでいる軌道も光っています。ティンカーベルみたいに可愛いです。
周りに人が居てもそうなのですが、この前対面で話かけられた瞬間に2球現れ、球がまるでビックリしたように動いたので何の光なんだろうと思っています。
普段は一瞬で消える球が複数散らばっているのですが、
それとは違う光です。
私がこれがオーブなのかなと思う球は透明がかって虹色のような物です。息子が私の頭や肩辺をたまに叩くのですが、風船飛んでるって遊びます。
瞑想っぽい事をした時に、自分が青い光に包まれて青い光の線が私の周りを三角に囲いました。この時まで私は私をみていて今度は自分自身になって黄金色のピラミッドみたいな場所が見えたので行きました。洋服ではない古い布一枚を頭から羽織り細身で顔がわからない外見が質素な人が現れました。でも外見とは正反対で少しピリっと怖い、凛とした感じのその人が光を手から出して魂を灯せって言いました。光が一気に視界全部に広がり暖かいんですけど目を閉じても光の強さに耐えられなくて起きました。魂を灯すってなんだろう。
色んな光があるみたいなので、気になります。
でも今の私には周りの人に感謝する気持ちを持ち、地に足をつけて歩む事の方が大事です。
未熟な文章ですみません
読んで頂き有難うございました☆