恋をスピリチュアル的に説明すると?胸の苦しさ、叶わぬ恋の理由について
恋とは?ひと言で説明するのはなかなか難しいとおもいます。
「恋」は感情であり、「想い」でもあり、スピリチュアル的に言うのであれば定められた運命や宿命でもあります。
運命の赤い糸なんて言葉がありますが、恋する相手、結ばれる相手は生まれる前からきまっています。
ただし、その相手は一人ではありませんし、必ず幸せになれるわけでもない…
恋のスピリチュアル的な意味は、ロイマンチックなものからはほど遠く、むしろ試練であり、茨の道であることのほうが多いです。
【目次】
恋をスピリチュアル的に説明すると?
恋をスピリチュアル的に語る前に、まずは一般的な「恋」についての定義を明確にしたいと思います。
恋(こい)とは、特定の相手のことを好きだと感じ、大切に思ったり、一緒にいたいと思う感情。
恋 – Wikipedia
恋を人間の感情だけで語るならとてもシンプルですね♪
ですが実際の「恋」は感情のみならず「想い」でもあり、もっと言えば感情や想いを超えた、人間のあらがえない目に見えない強い引力や法則の作用もあります。
私は「恋」とは感情ではなく、人間の状態のひとつだと思っています。
- 恋しているから感情がゆさぶられる。
- 恋をしてるから想いが募る。
- 恋をしているから引きつけられてあらがえない。
恋は人に生きる希望や活力を与える反面、生きる希望や命を奪うことさえあります。
恋はたんなる人間の感情の一つと言うにはあまりにも人間の霊的な本質に深く大きく関わっているのです。
恋のスピリチュアルな意味と本質
では恋をスピリチュアル的に語ったなら、その本質とはいかなるものなのでしょう?
私はこの天空の庭先でなんどか「恋」についても触れていますが、「恋」という状態に人が陥る本質はおもに2つあります。
- 人間をカルマ解消するための環境や状態へ従わせるための引力
- 人間を運命や宿命へと導くための引力
そしてこの2つに共通するのは、この物質世界において人間を法則に導き従わせるための霊的な力であるということです。
恋は人間をカルマ解消するための環境や状態へ従わせるための引力
人間がこの地上に生まれてくる理由はおもに2つあります。
それは「魂の成長」と「カルマの解消」です。
カルマの法則とは原因と結果の法則とも呼ばれ、簡単に言うと「殺した人は殺される」「盗んだ人は盗まれる」「親切を行った人は親切をうける」といったように、自分が他人にした行いは輪廻転生を経てもすべて自分にもどってくるという法則です。
例えばですが、前世で憎み合った男女がいたとします。
その男女は互いの憎しみを解消する為に、今世であえて夫婦として生まれて来たりします。
もし、前世の記憶を持っていたなら憎んだ相手に近づきもしないでしょうが、私たち人間は前世の記憶を持っていません。
そして…
カルマの法則によって憎んだ相手とカルマ解消させるため、互いを引きつけ結ばせるための力が「恋」なのです。
このたとえ話は解りやすいように「憎み合った」という例えで説明していますが、たとえばあなたが「恋」という引力によって進学先を変えたり、就職先をかえたり、引き越したり転職したり、人生の選択肢や道筋を変えたことがあるならば、相手へのカルマではなく、今後カルマの解消のために必要な環境や状態に向かわせるための「恋」という「仕掛け」であったかもしれません。
故に… 「恋」にはときに理性や感情であらがえきれない強力な引力があるのです。
ちなみに私も恋に落ちたことが理由で住み慣れた土地から400キロ離れた場所に引っ越して転職したことがありました。
今振り返ると、私の成長やその後の人生のために必要な経験であり、自分は導かれたのだと理解しています。
恋は人間を運命や宿命へと導くための引力
これもある意味ではカルマの引力とよく似ています。
人間を運命や宿命へと導くための引力とはつまり、カルマの法則がもつ引力を含むからです。
ただ、人間にはカルマを解消する以外にも生まれて来て生きる目的があります。
それが「魂の成長」です。
魂を成長させるためにも、成長に必要な環境や状態が存在します。
そういった場合にも「恋」は引力として働きます。
解りやすい例で言うと、たとえばとても大きなハンディキャップをもった人に恋をするような場合、カルマで結ばれる場合もありますが、自分の成長の為に結ばれるケースや、相手の魂の成長の為に結ばれるケースもあります。
カルマの解消だけが、運命や宿命とは限らないのです。
私たち人間の魂は、生まれてくる時にカルマを解消し、魂を成長させるために最適なプランを立てて生まれて来ます。
恋はそのプランに導くための仕掛けとなっている場合もあるのです。
叶わない恋、そのスピリチュアルな理由は?
恋が人間を運命や宿命に導く力であるなら… なぜこの世には成就しない、叶わぬ恋があるのでしょう?
その理由は簡単で、「恋が叶わないこと」それ自体がカルマである場合も多いからです。
これはあくまでたとえ話ですが、例えば前世で自分に恋するだれかの気持ちを適当にあしらったり、傷付けたことがあったとします。
そこに多少なりの否定心や悪意があったなら、カルマの法則はその否定心や悪意を解消させるための学びの機会へと引き寄せるでしょう。
つまり、成就しない恋や、傷ついたり失恋を経験するための恋です。
カルマの発端がどのような出来事であったとしても、「叶わない恋」とか「失恋」そのものが自分が受け取るべきカルマである場合があるのです。
「恋」はカルマ解消だけでなく、誰かの人生を導く力となる場合があります。
つまり例えば、、あなたと結ばれる未来がなくとも、あなたに恋心をもつ人間が存在するということでもあります。
若さ故の無知や照れ隠しであったり、いずれにしても、自分に恋をし、好意を寄せてくれる人を無碍にしたり傷付けてしまうことはよくあるような話しだと思います。
これは恋に限らずですが、相手への配慮や思いやりをいつでも持つようにしてください。
今目の前にいる人は、ある意味では過去のあなたかもしれませんし、未来のあなたかもしれません。
あなた自身が無駄な悲しみや苦しみを受けることがないように、日頃から関わる人への想いと行動に気を配りましょう。
障害のある恋、そのスピリチュアルな理由
恋に障害がある、なんてのはある意味では当たり前と言えるかも知れません。
ここまで読んでくださった方々にはすでにお解りかと思いますが(笑)
恋がカルマ解消に向かわせる引力であるなら、その結果として起きる未来の出来事は障害ばかりでしょうし、「叶わぬ恋」と同様に、「障害のある恋」にかんしても、それ自体がカルマである場合も多いからです。
つまり私たち人間は、「恋」というニンジンをぶらさげられていくつもの自分自身や人生の課題に向き合わされているということです。
さて、「障害のある恋」についてもう一つの観点から説明すると、そもそも障害のない恋なんて、ほとんどの場合存在しないと思います。
もっと言えば、家族であれ、友人であれ、学業、部活、仕事… 私たちが人間として生まれて来て生きる中で障害なんてあってあたりまえのものです。
つまり「障害のある恋のスピリチュアルな理由」とは? 障害はどんな人生を歩んでいても魂の成長のためにほぼ必ず存在する。と言えると思います。
では逆に、「障害の無い」恋ってあるのでしょうか?
あくまでも結ばれるまでのプロセスでの話しですが、わたしが思い当たるケースではおもに2つあります。
- 恋愛成就後に、カルマの解消や取り組むべきプランがある
- カルマを解消した者同士がパートナーとなった場合
恋に落ち、恋愛感情を抱いてから告白して付き合うまで、あるいは結婚するまで、なんの障害も無く、ケンカもなくトントン拍子で進むような場合、恋人同士になった後や結婚生活などに取り組むべきメインの課題があるかもしれません。
その場合、プロセスにおいて別れてしまっては本末転倒なので、結ばれるまではわりとスムーズな場合も多いです。
そして、カルマの浄化が進み、霊的に高いレベルにいる者同士が互いの成長を支え合うためにパートナーとなった場合、このケースもこれといって障害となるようなことが無い場合もあります。
ちなみに私も、妻と出会ってもう15年たちますがケンカしたことは1度もありません。
たまに妻が拗ねたり、私が部屋にこもって瞑想するとかははありましたが(笑)
この1と2はどちらかってわけではなく、両方の性質を兼ね備えている場合もあります。
まあ、基本的には人生には障害はつきもので、恋愛にも障害はつきものです。
ただ、もしわざとらしいぐらいに妨害みたいなものが続くなら、それはカルマに起因していることでしょう。
カルマであれば避けてもいずれは巡ってきますから、今取り組んでしまうのが賢明です。
恋で胸が苦しくなるスピリチュアルな理由とは?
なぜ人は恋をすると胸が苦しくなるのでしょう?
片思いしても、恋人同士になっても、失恋しても、苦しんだり痛むのは胸です。
失恋で足が痛くなったなんてひとはすくなくとも私は聞いたことがありません(笑)
胸が苦しくなるのが、肉体的な理由と霊的な理由がそれぞれにあり、どちらも深く関わり合っています。
恋で胸が苦しくなる肉体的な理由
恋で胸が苦しくなる理由は、一般的には脳に理由があると言われています。
恋愛にかかわる脳の機能は、脳幹(中脳)と大脳基底核になりますが、それはつまり脳全体の中でも原始的な脳に該当するということです。
肉体的なことを基準に言うのであれば、実は「恋」という状態は感情ではなく動物的な欲求に紐付いているということが言えると思います。
さらに言うと、この脳の機能はドーパミンの分泌にも関係していて、欲求を満たす(恋をしている人を見たり接触するなどする)と、快感を得たり幸福感を得ることができるというわけです。
簡単に言うと….
恋は肉体的な欲求であり、それが満されると幸福感が得られる。ってことですね(笑)
そして逆に、恋によって活動がおさえられる脳もあります。
大脳新皮質(前頭葉、頭頂葉、側頭葉)は学習や道徳心など、人間の高度な部分に紐付く機能です。
これらの脳機能が抑圧されると、理性や思考的な判断基準が狂ったり、判断そのものが出来なくなったりします。
まさに思考停止状態ですね。
もっと言えば、扁桃体は人間の感情のおもにストレスや不安、攻撃性にもかかわるのでそれが抑圧されると相手に対して否定的になりにくくなります。
これがどういうことかというと…
恋に落ちると正しい判断が出来なくなり相手を否定しなくなる。
恋をすると盲目的になったり、相手の悪い部分が見えなくなり、良い部分ばかりにフォーカスされる。
幸福感を得るためにますます相手を求めるようになる。
まさに「恋」って感じですね(笑)
脳幹と大脳基底核は人間の食欲、呼吸、意識などを司るため、恋愛感情は呼吸とも密接に関連し、それが息が詰まったり、胸が詰まったり、動悸が高まることにも関係しています。
恋をすると胸が苦しくなる… その肉体的な理由です。
他のことが手に付かなくなったり、ストーカーのように人間の論理的な思考やモラルから外れた行為を行ってしまうことも、言ってしまえば「相手を手に入れろ」という脳の指令のようなものだということです。
ただし、人間は獣とは違うので、「恋」が原始的な脳機能によるものだとしても、私たち人間は理性と思考をもってコントロールすることが求められています。
恋で胸が苦しくなるスピリチュアルな理由
さて、ここまでは脳が肉体に及ぼす影響をお話してきましたが、ここからはスピリチュアルなお話をしたいと思います。
脳で言うところの原始的機能とは、私たちの本能とか獣性に紐付くとひとつ言えると思います。
それはからだのスピリチュアルな機能で言うと、第一チャクラ(衝動)、第二チャクラ(想念)、第三チャクラ(感情)に紐付きます。
そして人間の高等な部分を司る脳の機能をからだのスピリチュアルな機能で言うと、第五チャクラ(理性)、第六チャクラ(霊性)、第七チャクラ(神性)に紐付きます。
これらの脳の機能とスピリチュアルな機能はパッキリと別れているわけではありませんが、大きく二つにかけて考えることが出来ます。
そして脳の本能的な機能と、高等な機能のそれぞれに対応しているのが、第四チャクラ(ハートチャクラ)です。
愛は欲望や本能にまかせて奪う動悸にもなりえますし、無私の愛として与える動悸にも成るからです。
恋による胸の苦しさの一番の原因は、第四チャクラ(ハートチャクラ)の詰まりや不全によるところが大きいです。
スピリチュアルな分野では、下位のチャクラと物質に紐付く自我を、「ロウアーセルフ」と呼び、上位のチャクラと高級自我に紐付く自我を「ハイヤーセルフ」と呼びます。
中間に位置する私たち人間の顕在意識は「ミドルセルフ」と呼ばれ、人間は欲望と理性の狭間でゆれうごきながらも最後にはロウアーセルフ(下位の自我)とハイヤーセルフ(高級自我)を愛によって統合しなければなりません。
このハイヤーセルフとの統合については、「天地人」とも呼ばれ、世界各地の古い思想や伝承にも存在する話しです。
ハイヤーセルフとの統合については全8話のシリーズがありますので良かったら参考にしてみてください。第四チャクラ(ハートチャクラ)は愛のエネルギーのアウトプットと、インプットを行う霊的な中枢でもあるため、自分の愛の与え方や受け取り方に問題があるときは、胸に重さや圧迫感を感じたりします。
逆を言うと、本当に相手のことだけを優先し、感情や想い、行動において愛を原則にすることができたなら、胸の苦しさを感じることなく相手とコミュニケーションをとることができるでしょう。
このような清い愛は、失恋の別れ際にあふれ出る祈りのような気持ちや想いによくみられます。一緒に居られないならせめて幸せになって欲しい…と。
そして失恋後に感じる胸の苦しさや痛みは、おもにエーテルコードの切断によっておこります。
簡単に言うと霊体で交流していたエネルギーが断絶され、胸にぽっかり穴があいた感じになります。
エーテルコードとはなぞや? って人はこちらの記事が参考になります♪
それと、恋愛とオーラについての記事でも触れています。
失恋するスピリチュアルな理由
失恋する理由もスピリチュアル的に言うのであれば、叶わぬ恋などと同じで、カルマの法則や魂のプランに起因しています。
失恋が運命の選択肢による結果であったなら、あるいは道筋を間違えなければ成就できた恋であったかもしれません。
失恋が宿命によるものなら、抗うことが出来ずに必ず起きる出来事であったかもしれません。
運命か宿命か?今生きている私たちにそれを判断することは難しいです。
そしてスピリチュアルな本質で言えば、大切なことは「失恋しないこと」ではなく、なにかを学び、魂を成長させることです。
失恋によってたとえ今が苦しくとも、先々の人生のために必要な経験だったかも知れませんし、それはもっと言えばカルマの解消や魂の成長のために必要な出来事であったかもしれません。
恋は人間の判断力やモラルさえも狂わせますが、それでも私たちは選ばなければなりません。正しい行いと相手の幸福を。
失恋や叶わぬ恋に涙してる人たちへ
恋って若いときや経験が少ない時期ほど、うまくいかなかったときに深く大きなダメージを受けますよね。
そして「恋」の引力にも強さに違いがあり、たとえ恋愛経験が豊富でも、恋の引力が大きければ大きいほどやはり深く大きなダメージを受けます。
私の人生においても3回ありました、悲しみと無気力で眠り続けたくなるような大失恋が。
そんな状態の人がこの記事に訪れることも想定して、メッセージを送りたいと思います。
今この記事を書く私が元気に生活していることから解るように、人間の自然治癒能力は心にも働きます。
決して時間だけが解決しているわけではなく、心や魂の成長とともに喪失感や心の傷は癒えます。
そしてスピリチュアルな観点から言うならば、この世界は舞台のようなものであり、私たちは役を演じる役者のようなものです。
つまり、舞台が終わり、魂があの世に帰ったならそこにはあなたの愛する人や愛した人たちが存在することでしょう。
人間の愛は人生という短い時間の一時的なものですが、私たちがこの地上で心から愛した人たちの多くは、永遠の時間の中で男女を超えた魂の絆をもつ存在たちなのです。
失恋に深く傷ついたとしても、悲しまないで愛をもって祈りましょう。互いの本当の幸福と成長を。
恋をスピリチュアル意味 まとめ
恋は人間の感情のひとつと言われていますが、「恋」は感情のみならず「想い」でもあり、もっと言えば感情や想いを超えた、人間のあらがえない目に見えない強い引力や法則の作用もあります。「恋」とは感情ではなく、人間の状態のひとつだと言えます。
恋は人に生きる希望や活力を与える反面、生きる希望や命を奪うことさえあります。
恋はたんなる人間の感情の一つと言うにはあまりにも人間の霊的な本質に深く大きく関わっているのです。
人間が恋におちる理由はおもに2つあります。
- 人間をカルマ解消するための環境や状態へ従わせるための引力
- 人間を運命や宿命へと導くための引力
そしてこの2つに共通するのは、この物質世界において人間を法則に導き従わせるための霊的な力であるということです。
「恋」にはときに理性や感情であらがえきれない強力な引力があるのです。
私たち人間の魂は、生まれてくる時にカルマを解消し、魂を成長させるために最適なプランを立てて生まれて来ます。
恋はそのプランに導くための仕掛けとなっている場合もあるのです。
恋は逃れがたい引力を持ちますし、必ずしも幸せになれるわけでもありません。
むしろ恋という引力は、私たちを困難や試練へと向かわせるものです。
恋が持つ性質を理解し、自分自身や相手の魂の成長に最もよい未来を選択しましょう。
その方法がわからない人は、「心を清めて愛を持って生きる」ためにどうしたら良いかを基準に考えてみてください。
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ウリエルさんこんにちは。
忙しい中の更新ありがとうございます。
私の初恋は小学2年生の時でした。
その時を含めて何回か恋をしましたがどれも相手が転校していなくなっちゃいました(笑)。
恋ってそういうものなのかと何となく冷めてしまってしばらくして今のパートナーと出会いました。
今にして思うと恋と愛って全然違いますね(個人の感想です)。
今のパートナーはもちろん大好きで愛してますが恋とは違います。
言い方は悪いですが恋をしてる時って熱病にうなされてるような感じがありました。
それに対して愛は祈りに近いように思います。
ありがとうございます。
ものすごく悩んでました。
1回落ちてみないとわからない自分を発見しました。
立ち直るのに二年経ちました。
仕方なさを学びました。
そういうご縁だと感謝して、見送りたいと思います。
今まで経験したことのない自分をみつめました。
これを学ぶために現れた人だったと思います。
あなたでよかったよ、と嬉しく思います。