迷う時、スピリチュアルな意味とただひとつの答え
長い長い人生を生きていると迷うことなんて一度や二度してありません。
小さな悩みで言えば毎日何十個もあるいはそれ以上迷うようなことがありますし、人生の大きな選択でも迷うこともたくさんあります。
スピリチュアル的に言えば、この世界は二元的なので善悪が存在し、右に行くか左に行くかなど、つねに選択をしながら生きていかねばなりません。
進学の進路もそうですし、将来どのような職業に就くか? どんな会社に就職するか? 今の会社でずっと働いていていいのだろうか? この人とお付き合いしてもいいのかな? a さんと b さんのどちらの言うことを信じたらいいのだろうか? この人と結婚していいのか? 結婚式はいつどこで挙げて誰を招待しよう? 家を買うかマンションを買うか? 親が病気で倒れたけれども兄弟の誰が面倒見るのか?言い出したらきりはありませんね… 人生に迷いごとはつきません。
【目次】
迷うとき、スピリチュアルな心構え
迷った時に何をどのように決断するかによって先々の人生や運命が大きく変わる瞬間はあります。みんなそれがわかっているからこそ、そして戻れない決断があるからこそ、迷い悩み苦しみます。
迷う時とは、つまり考えなければいけないときであり、決断しなければならないときでもあります。ですから迷うときとは人間が成長するための機会でありその機会には常に変化が伴っているということがいえます。
迷ったときにはそれが変化と成長の機会であるとまずは受け止めましょう。
苦しい選択をしいられるような迷いであったとするならば、その苦しい選択の中にこそ未来への活路があります。
ビジネスを世界ではよくピンチはチャンスチャンスはピンチと言った言葉が使われます。
スピリチュアル的に言うならば、この二元的な世界では物事には常に二つの極が在り、善悪や裏表があります。
ピンチの時にそれを乗り越えれば新たな力を得ることができるでしょうし、チャンスの時におごり高ぶってチャンスを逃さそれはすぐさまピンチに変わってしまいます。
ですから迷ったときに本当に最善の道に進みたいのであれば… 何かつかみとりたいものがあるのならば… 正しいことに全力で取り込むということをしましょう。
油断は足元をすくわれ、真摯さや謙虚さは確かなものを積み上げます。
迷いを人に相談するときのスピリチュアルな心構え
迷ったとき、自分一人で決められないときには、友人や家族や上司など誰かに相談するということは普通にあると思います。
人に相談するときに大切なことが一つあります。
自分が当事者であるということを忘れないことです。
他の天空の庭先で繰り返しお伝えしてることがあります「自分で感じて考え、最後は自分で決める」ということです。
なぜ自分で考えなければならないのかなぜ自分で決めなければならないのか?それはあなたの人生はあなたのものだからです。
ですから何人に相談しようと、何十人に相談しようと、あるいは賢者が答えを教えてくれたとしても、それを聞いたあなたが何をどうするかを自分で決めましょう。
そうすることであらゆることを自分ゴトとして捉え、その決断に自分で責任を持ち、その想いと行動があなたの成長に確実に繋がるからです。
自分の人生を人に委ねきってはなりません。
迷ってどちらも選べないときのスピリチュアルな心構え
選択肢が在り、迷ったとき、どうしてもどちらも選べないというときでも、「今は選択をしない」という選択をしましょう。
選べないときでも、選べないままではなく、「選ばない」と自分の意志で決めることが大切です。
あわわどうしよう…ではなく、 A という道に進んだ場合はどのような未来が待っているのか? B という道に進んだ場合はどのような未来が待っているのか? それぞれのメリットとデメリットをどちらかではなく両方を考え想像しそして対策を練るということが大切です。
そして「どちらも選ばない」という選択をしたときに、選択をいつまで保留するのか?どういった条件になれば再び選択を検討するのか?など、条件をしっかりと決めておきましょう。
そうすることで、どちらも選ばないということが状況に流された結果ではなく、あなたの判断によって行われたと言えるようになります。
ここまでの話の中でそれでもまだ自分の悩みに答えが出せないという人はまだいるかと思います。
迷いに対して導き出されるべき答えとして一つの真理があります。
もしあなたが自分の迷いに対してどうしても答えを出せない時には私がこれからお話しすることをよく考えてそして自分で感じて考え自分で決断してみてください。
迷った時に選ぶもの
私は迷っている人に、「どうすれば良いか?」を聞かれます。
質問をくださる方は具体的な答えや手助けを求めている事が多いのです。
アドバイスはするものの、私の答えはいつも同じで、
「愛が一番大切で、どうすれば良いかは自分自身で考えて決めなければならない」
というようなことや、その思想に従った道をお答えしています。
人が迷い苦しむのはこの世界が二元的であるためです。
たとえば善悪、幸運と不運、健康と不健康、豊かさと貧しさ、なにごとにも相対する力が働きます。
そのために人は何かを比べたり、何かと比べたり、2つ以上の選択の中から迷ったり思い煩い、苦しんだりもします。
この世界は二元的ですが、神は一元的です。
この世界は二元的ですが、もし人が神のように一元的なれたなら、一元的に生きることができたなら迷うこともないでしょう。
例えばですが、もしあなたが今突然、どこかのスラムの中に無一文でほおりだされたらどうでしょう?
あらゆる不安や迷い、恐れや混乱が生じるとおもいませんか?
しかし世の中には進んでそのような環境に身を置くことができる人もいます。マザーテレサが良い例だと思います。
つまり、右か左かの選択は二元的です。今が貧しいか豊かかを考えることも二元的です。
右に進むか左に進むか、今、自分が物質的にとか環境的にどうこうよりも、
「愛や理想を持って今を生きているのか?」
のほうが重要ですし、愛や理想を持って生きている人はどのような状況や環境においても一番大切なことを、
つまり「愛」に対して一元的なので迷うことはありません。
迷った時には、「愛」を原則に考えてみてください。
自分が物質や欲望と引き替えに「愛」を失っていないか?
自己の中の神(愛)の声を聴かずに人の言葉や世の中の情報に惑わされていないか?
神や愛に心を置かずに、恐れや不安に心を置いていないか?
自分が愛を体現するためにどうするのが一番良いのか?
愛 愛 愛……
あなたの周りで起きるさまざまなできごと、中には不思議なできごともありかもしれません。
あなたが愛と理想を持っていなければそれは混乱かもしれませんが、あなたが愛と理想を持っているならばそれは賜です。
あなたが愛と理想を持たずに事に当たればそれは混乱を産むかもしれませんが、あなたが愛と理想を持って事に当たればそれは賜にかわります。
立ち止まろうとも、右に進もうとも、左に進もうとも、失敗する人はどっちに進んでも失敗しますし、後悔する人はどっちに進んでも後悔します。
愛を原則とする人は、愛を持てなかった時だけ失敗と後悔を感じますがそれも学びと知っているので最終的には失敗も後悔もしません。
愛は一元的で、愛は失敗せず、愛は傷つかず、愛は神に繋がる無限のエネルギーです。
迷ったときには私たちの原点でもある神に、つまり愛に立ち戻ってみてください♪
選ぶのは右か左か? 選ぶべきは愛です。
ありがとうございます!
読んでいてなんだか涙が出てきました。
迷って迷ってさまよってたような感じが続いてましたが、
なんだか今日のお話を読んで、腹が座ったような気がします。
迷った時、不安で仕方ない時、自分の心の中にある愛に従って見ようと思います!
こんばんは!
とても共感させて頂いたのは↓こちら↓
☆油断は足元をすくわれ、真摯さや謙虚さは確かなものを積み上げます☆
自分が真摯で謙虚であるか、どうも私の場合
「肌艶が良い」「仕事に遅刻しない」
を振り返って考えております。
こんな時、毎日の瞑想や祈りは、良い方向に進んでいないようです。
毎日の「愛」も見当違いだったりしております。反省ですね。
改めてこちらの文章拝見したら、ベートーベンの交響曲みたいな感じです。
(勿論音楽理論的な根拠もございます笑。)
クリムトの絵画「ベートーベンフリーズ」も素敵。
そう考えると「迷いながらも希望を持って歩く」
美しいです。