スピリチュアルを批判
オーラが見えたり、ヒーリングや浄霊ができたり、体外離脱ができたり、いわゆる霊能力を持っている管理人が、たまにはスピリチュアルを批判してみようと思います♪
なんて言うと、「え?」って思う人は結構いるかもしれません(笑)
一般的に「批判」という言葉は「否定」とか「非難」とか「反対意見」のようなニュアンスで使われる事が多いのですが…
「批判」という言葉は、良いところと悪いところを仕分けするとか、評価や判定するというのが本来の意味です。
ですから、スピリチュアルの良い部分、悪い部分、しっかり考えて、私なりの評価や判定としてお伝えしたいと思います。
【目次】
スピリチュアルを批判
日本のスピリチュアルな分野というか業界? 日本のスピリチュアルは変だ! ダメだ!と…
批判と言いながらも、否定的な事を言う人、否定的な事を書く人、とてもたくさん居ます。
批判 = 否定 って思ってるんですかね?
スピリチュアルは毒にも薬にもなりますが、毒を薬だと言って売りつけるような霊感商法や、宗教、スピリチュアルビジネスが沢山在ります。
心無い人達のために「宗教」も「スピリチュアル」も胡散臭いものと思われがちで、実際に一部は本当に胡散臭くもあり、バラエティー番組で広まったスピリチュアルは、嘘のメッキがはげるにつれ、ますますスピリチュアルは一般の人達にとって信用ならないものとして認知されていきました。
面白いことに、批判と言いながら否定をしている人達の多くは一般の方々ではなく、スピリチュアルカウンセラーや、スピリチュアルなサイトの運営者、宗教に携わる人、スピリチュアルヒーラー、スピリチュアルなライターなどなど、スピリチュアルな分野に関わる人達ばかりというのがなんとも滑稽な話なのです。
自分は正しくて、他の人は間違えている、そんなふうに主張したい人はスピリチュアルな世界にはとても沢山いるように思います。
宗教違いから相手を認められない人、相手を否定してしまう人もいますし、思想の違いも同じです。
宗教、スピリチュアルカウンセラー、ヒーラーなどスピリチュアルに携わる人達の同業者への否定心などが面白いほどに透けて見えています。正直言うと「どんぐりの背比べ」です。
そしてきっと、この記事を書く私の心もみなさんに透けて見えているかもしれません。私の内にある日本のスピリチュアルな業界?に対する失望感とか(笑)
なので、今日は私も思いっきり批判をしてみることにしました。
スピリチュアル批判という言葉が指す意味というか、ニュアンスはおもに2つあると思います。
- スピリチュアル自体の事、霊的という意味
- スピリチュアル業界とユーザー
冒頭でも触れましたが、批判は否定や非難とは違います。 スピリチュアルの良い事も悪いこともしっかり評価判定をして、私なりの結論をだし、最後はそれを提案に変えていきたいと思います。
スピリチュアルの良いところ
目に見えない霊的な存在を受け入れることで現実の視野が広まる
神、カルマの法則、運命と宿命、霊的なエネルギー、霊的な存在、そういった目に見えない存在に気づき、感じられるようになった事で、世の中で原因不明と言われているようなさまざまな事にも自分なりに仮説を立てたり、場合によっては検証したりすることで「原因」を見いだすことができました。原因が分かるとそれに対しての「対策」も立てられるのでさまざまな問題を改善する事ができます。
スピリチュアルはとても広い視野を与えてくれます。
自制心と良心が強まる。
神や聖なる存在達、亡くなった人達、自分を関わる、自分を見守る目には見えない存在達が存在するという事が、悪への誘惑に駆られたときに自制心を強めてくれます。
誰も見てないからいいや! とは思わなくなります。 タバコやゴミのポイ捨て、困った人を見捨てる態度など、すべて見られています。
見られてるからちゃんとやる、というのも少し違うと思いますが、それでも自分を正しく律するための一つのキッカケになってくれます。
自分の身に起きるできごとを前向きに受け止められる
カルマの法則を背景に人間の人生に関わる運命と宿命について理解すると、自分の人生に起きるあらゆる事に意味や必要性がある事がわかります。
すると良くない事でも前向きに受けとめたり、いかに改善するかを自然と考えられるようになりました。
スピリチュアルはとても寛容な心と忍耐を与えてくれます。
カルマの法則を受け入れる事で、人間への深い洞察力が身につく。
カルマの法則を知ってから、自分に関わる人間の目の前にある「今」だけでなく、そうなる原因となった過程となる過去や、もっと言えばカルマや過去世、霊的なエネルギーなど目に見えない「原因」を考えるようになりました。今見えているものだけに囚われない、人間観察力や洞察力が養われます。
スピリチュアル(業界)の良いところ
神や目に見えない存在について、たくさんの人達に知ってもらう機会が増える事は良いことだと思います。
スピリチュアルカウンセリングや、ヒーリングについても同じで、それが有料だとしても間口があること自体は良いことだと思います。
もし、一般の人々に知られる機会が無く、間口も無ければ、スピリチュアルな情報と出会うこと無く一生を過ぎていく人もいるかもしれません。
人間の精神性が高度に発達した現代であれば、スピリチュアルな情報が良かれ悪かれ世の中に広まったり蔓延するのも、なるべくしてなった一つの形だと思います。
詐欺まがいなものや、価格分の価値を提供できていないカウンセリングやサービスも沢山ありますが、消費者が自分で考えて情報を判断したり、精査する機会を得るというもの、一つの学びの機会であるとも思います。
世の中に広く広まっているスピリチュアルの多くは幼稚園児の空想のようなもので、その幼稚園児レベルの人達に教えている人達も、幼稚園の年長組レベルぐらいな感じです。
それでも、自主性や主体性を持って取り組んでいる人達や、その機会があること自体には大変価値があると思っています。
中には中学生や高校生、ちゃんとした先生といったレベルの人達もいますので、そういった方々と出会えた人はハッピーだと思います♪
ちなみに天空の庭先については私自身は「本」と同じだと思っています。
私自身はここにいて記事を更新していますが、今は自分で手を出して人に関わる事をしていないからです。
ですから、自分の身体や手を使って人に関わる活動をしている人達を尊敬していますし、尊重もいたします。
いずれ私も、今すべきことが終わったら自分の手と身体をつかって関わり合うことができたらと思っています。
スピリチュアルの悪いところ
自分を特別視したり、独善的な状態に陥りやすい
どうしても目に見えない事柄だけに、人と議論を交わしたとしても正しい結論に至りにくいです。
霊的な意識を持ったり、霊的な知識を持つことで、自分が一般の人達よりも一歩進んだ状態であると錯覚しやすいです。
あるいは、一歩進んだ状態というのは実際にそうであれば正しい認識かも知れませんが、その代わりに、霊的な意識や知識を持たない人達を見下したり、それを押しつけるような態度にでてしまう人達がいます。霊的な能力を持つとその傾向はますます強くなります。私が「スピリチュアルなハシカ」とよぶやつです。
どちらが正しいか?みたいなことは二元的な世界での議論です。
神やカルマの法則は「動機」につよく作用しますし、「霊的な意識や知識」が魂のレベルを決めるわけではありません。それをいかに活用したか?どれだけ愛にかえられたか?ではないでしょうか?
何でも他人やスピリチュアルに原因があると思い込む
例えば自分に攻撃的な態度を取る人間に対して、「あの人は霊に取り付かれているのでは無いか?」とか、体調が悪くなると、「誰かの呪いかな?」「霊に取り憑かれたかも知れない」みたいな事です。
この状態に陥ることで起きる一番悪いことは、「自分には原因が無い」と想いこんで、何でも他人やスピリチュアルのせいにしてしまう事です。
あと、逆の極端な例もたまにあります。「全部自分のせい」こっちはあるいみ誤った自尊心であるとおもいます。
地震が起きたのは地球の怒りだとか、蜂が居なくなったのはアセンションの前触れとか、まあ、目に見えない事柄や、検証が難しい事柄だけに、何でもかんでもスピリチュアルに起因しているみたいにしてしまう事です。いや、実際には何でもかんでもスピリチュアル(霊的)なことに起因はしてるのですが、それを自分の都合の良い方向に解釈してしまうというところでしょうか?
目に見えない霊的な存在を受け入れることで起きるトラブルがある
人間の想いが実現する仕組みについて、天空の庭先には書かれていますが、目に見えない存在を受け入れる事でその想いが実現することがトラブりになることがままあります。
一番良くあるのは、「霊媒体質を形成する」とか、それが理由で「霊に憑依される」などです。
スピリチュアルへの取り組み方にもよりますが、見えない存在が関わる霊的なトラブルに巻き込まれる可能性は高まります。
スピリチュアル(業界)の悪いところ。
スピリチュアルの悪いところとして書いた3つの合わせ技ですかね。
簡単に言えば、スピリチュアルな事を正しく理解していない人達がたくさんいて、未熟な人達ほどさまざまな問題に繋がる行動をします。
自分を特別視しすぎて独善的になったり、嘘を本当のことのように言い広めたり、それで商売をしている人達さえいる。
目に見えない事なので効果の検証もしずらいです。
スピリチュアルな分野でお仕事をされている人達に考えてみて欲しいことは、価格以上のサービスや価値を提供できているか?
といった事です。
スピリチュアルカウンセラー、スピリチュアルビジネスに思うこと
嘘とスピリチュアル
アセンションの嘘と偽り – アセンション 第7話
ヒーリング 無料(奉仕)と有料(仕事)について
このあたりの記事が参考になると思います。
スピリチュアル批判 まとめ
この世界は二元的な世界なので、良い事も悪いこともあります。
私なりにスピリチュアルを批判した結論を3タイプの人に分けてまとめてみました。
スピリチュアルなビジネスをする側
スピリチュアルでビジネスをする人は、プロ意識を持って自分の行っている活動をかえりみてください。
例えば飲食店ではお店に入ってから出るまでの接客態度やサービスの品質、料理の味など、満足度でサービス全体を評価されます。
自分が提供しているサービスが、本当に価値のあるものかを顧みてほしいです。
何度も言っていることですが、国家資格や国が定める基準、品質表示みたいなものがあると良いなぁと思ってます。
今はハッキリとした品質基準が無い以上、各人のモラルに依存する部分は大きいです。
真実によって測られる、それが真理です。来世をどのように迎えるか?それは今世の行動にかかっています。
無料でスピリチュアルを広めたり活動している方達
奉仕の精神にもとづく活動をしている人達は素晴らしいと思います。
だからこその話なのですが、カルマの法則は「動機」につよく作用します。神とこの宇宙の法則は、真実によって報いを与える、それが真理です。
私がよく、勿体ないなと思うのは、活動自体が素晴らしくても、他者へ対しての否定心を持つと、そこではマイナスを生み出してしまいます。
自分だけが正しい、みたいな考えにもとづくき他者を否定すれば、それは「愛」から離れる行為です。
せっかくの奉仕の活動なので、愛と忍耐を持って人間によりそってあげてください。
スピリチュアルな分野に個人で関わる人達
色々な人が居ると思います。個人で霊的な探求をしている人も居れば、なにか改善させたいことや悩みがあってスピリチュアルな分野で情報を探している人も居ると思います。
現在の日本のスピリチュアルな分野にある問題や、日本のスピリチュアルビジネスが変なのも、その理由は提供する側だけど無く、マスコミや個人のユーザーにも大きく起因します。
日本では、霊能者の名前が世の中に大きく広まる切っ掛けは、実績よりも、テレビのようなメディアに取り上げられたり、あるいはメディアによって作られる事が多いです。
その為、当たる占い師とか、霊的な力を持つ類いの人達は芸能人などと同じで「特別な人」みたいなイメージがつきやすいです。
そして、霊的な特別な力を頼りたい人は「困ってる人」「藁にも縋りたい人」たちなので、ここで力関係が逆転してしまうのです。
つまり、サービスを提供する側のほう強く、サービスを受けたい側が弱いという図式です。
霊的な力を持つ人や持つと自称している人達をつけあがらせているのは、マスコミ、霊的な力を持つ人を頼りたい人、そして盲目的に言われることを鵜呑みにする一般の人達なのです。
なので、私からのオススメは、態度がでかい霊能者や法外なお金をとる霊能者はいったん全員と関わらない事です。
可能なら、最初から関わらないとか、今後一切関わらないとかでも良いかも知れません。
誰にも相手にされなくなったらさすがに彼らも気づくでしょう。自分達のしている事の本当の価値に。
この天空の庭先でなぜか一番読まれることが少ないシリーズですが、とても大切なヒントをたくさん書きました。
スピリチュアルライフ
全部で7話ぐらいのシリーズですが、スピリチュアルな分野に関わる人には一番読んで欲しい記事です。
スピリチュアルな分野も、関わる人達の心の清めが進み愛が大きくなれば、自然により良い思想やサービスが広まり、豊かになる人間が増えていくと思います♪
ウリエルさん、こんにちは♪
お具合、大丈夫でしょうか??
日々忙しい中の記事の更新、ほんとうにありがとうございます。
どうかお体良く休められていますように。。⭐︎
私もこの秋3度も風邪をひきましたよ。笑 ひどすぎでしょ。
そして具合の悪い間、支えてくれる家族のあることがありがたく感じますよね。
いつもは私が食事を作る係ですけど、そんな時は夫が慣れない手つきで料理してくれますが、
誰かに作ってもらった料理ってどんなでも美味しい〜幸せ〜♡って思います。笑
私が見えない世界について知ったことで何よりも私を救ってくれたのは、神なる存在のあること、です。
人は死んだらお終いじゃないんだ。 また大好きだった人たちきっと会えるんだ。
いつも見守ってくれる存在があるんだ。 私、一人じゃないんだ!ってことです。 その時に心の平安が訪れました。
そして、人が輪廻をしていることを知ったからにはこのまま邪心におぼれていちゃぁまずいよね。見られてるし。って思いました。笑
神の存在のあること、そのことがより良く生きていこうと思うよすがとなっています。
スピリチュアル、、。諸刃の刃ですよね。
それを活かすも殺すもやっぱり心次第な気がしてます。
仏教には自灯明の教えがありますよね。
自灯明のできない時に人は何かに頼り、時として依存していくのだと思います。
私にとってのスピリチュアルはまだまだ理解の及ばないことに溢れてますが、それを知って高慢になってないか?
知ることは必要なことなんだろうか? それを知って私はどうしたいんだろう?
そんな風に自分に問いながら拝見しています。
ウリエルさんも様々な思いを持ちながらいつも記事を更新してくださっていること。
そのことがとてもとても励ましをくれます。
ウリエルさん、いつもありがとうございます♪
おだやかな週末をおすごしですように、、⭐︎
のんたんさんこんにちわ♪
頂いたコメントを返信している今は、体調はほぼ回復しています。
ですが、やはり年齢を感じますね。
オーラのバリア機能が年々弱まるのを感じています。
スピリチュアル(霊的)は諸刃の剣、本当にそうだと思います。
正しく生かせるか、毒として飲み込んでしまうかはそれぞれに委ねられていると思います。
私が書く気時は、いつも結論は一つしかありません。
何故いつも結論が一つなのか? 根源が一つだからです♪
こちらこそいつもありがとうございます♪