死別とは? 本当の意味と霊的な真実
人間として人生を生きていれば必ず訪れる、愛する人、愛する存在との別れです。
この天空の庭先を通して、よく頂く質問の中に「愛する人との死別」「家族との死別」「愛するペットとの死別」などがあります。
事故で突然の死、病気による死、自殺、突然訪れる死別、私たち人間にとっては永遠とも思えるような残酷な別れ。
亡くなった人の想いや、残される人間の想い、自分の言葉や心、態度や行動は最善であったか? 人間が生きて死ぬ意味、あるいは苦悩。
考えずにはいられないと思います。
死んだら何処に行くのか? 今何処にいるのか? いつか再開する事ができるのか? どうすれば会えるのか?
よくいただく質問なので、死と別れについて、お話しできたらと思います。
【目次】
死別とは
言葉の意味は死に別れる事です。
家族や友人、親しい人、ペットなど、人間誰でも、そこそこ生きていれば必ず経験します。
特に親の死は、順番通りにいけば必ず先に訪れます。
この天空の庭先を訪れる方々は、スピリチュアルな事に関心や知識を持っている方も多いと思いますし、死後の世界の実在を信じている人もいらっしゃると思います。
ですが、魂が本当にあるのか? 死後に人間がどうなるのか? 現代の科学や医学をでもあの世の実在は証明できませんし、死者を生き返らせる事もできません。
つまり一般的に「死」は「永遠の別れ」を意味します。
死別の意味
ここで言う死別の意味とは、言葉の意味ではなく、私たちの人生にとっての意味です。
私たちは、普通に、順当に生きていけば年齢の高い家族の死をいずれは経験します。
多くの人にとって、「死別」は人生の中で遅かれ早かれ、ほぼ必ずと言っていいほど経験します。
つまり、「死別」とは、誰もが人生の中で必ず通る学びである事がわかります。
私たちは、「死」をキッカケに、自分自身の心を顧みて、人間の生と死の意味を考え、霊魂の実在について、この世界の背後にある真実に目を向ける機会を得ます。
そして「死」によって愛に気づき、「死」によって愛を学びます。
つまり死別の本質は、人間の人生の中で必ず訪れる学びの機会なのです。
死は永遠の別れではない
先ほど、一般的に「死」は「永遠の別れ」を意味する。と申し上げました。
ですが、死後の世界の実在を信じている人も居ます。
死後の世界を信じる人、人間の魂の永続性を信じる人、人間の輪廻転生を信じる人にとっては、死は永遠の別れではありません。
ですが、死後の世界や魂の存在、輪廻転生を万人が納得する形で証明する事は難しい事なので、真実は闇の向こうです。
さて、死後の世界の実在についてですが、真実は闇の向こうと申し上げましたが、それでも結論から言えば「死後の世界」は実在します。
魂は永遠不滅のものですし、人の魂は完全に成長を終えるまでの間、何度でも現世へと生まれ変わって来ます。
説明すると長くなってしまうのでここでは割愛しますが、何故? と理由を知りたい方は私が「体外離脱」という能力で散策した物質世界以外の世界の話や、私自身の前世の記憶の話など、この天空の庭先には私なりに死後の世界や高次元の世界の体験や実在について書いた記事がありますので、参考にしてみてください。
前世とは? 輪廻転生について – スピリチュアルとは 第23話
亡くなった人が悲しい思いや辛い思いをしていないか?
よく聞かれる質問です。
事故や病気で死んで、辛い思いをしていないか? 寂しい想い、悲しい思いをしていないか?
死後に時間が経つにつれて、本当の自分を取り戻します。
それは例えば、眠っている時にみていた長い夢から覚めるような時に似ています。
死後、本当の自分は物質世界を生きた数十年の自分ではなく、何千年、何万年と存在してきた魂である事に気づきます。
私たちの魂からしてみれば、今生きている僅か数十年の人生など、遊園地のアトラクションのように数分で終わる体験のようなものです。
その視野に戻れば、苦しみも悲しみもなく、本当の世界と自分をただただ理解します。
あまりにも強い感情を持ちすぎれば、死後に幽界(アストラル界)と呼ばれる世界にとどまってしまうこともあります。
でもそれは決して多くはないケースです。
またいずれ何処かでしっかり書こうとは想っていますが、そういった感情的なエネルギーを脱ぎ捨てて、死者の霊は霊界へと旅立っていきます。
つまり、この世に強い未練があったとしても、多くの場合は死後に時間をかけながら自分の状況を理解し、霊界へと旅だってゆきます。
仮に幽界(アストラル界)にとどまるケースがあっても、第七チャクラを覚醒させた人達がこの世界には一定の割合でいますので、彼らの持つ神の光を道しるべに、救われない霊もいずれは悲しみは取り除かれ光に従い還るべき場所へ還る事ができます。
詳しく知りたい人は、死後の世界や高次世界ついて書いた特集シリーズがあるので、そちらをご覧ください。
愛する人は死後どこに?
死んでしまった直後、肉体の活動は停止しますがそれ以外の「幽体(アストラル体)」と「霊体(メンタル体)」などの霊的身体は生前と同様に活動を続けています。
つまり、見えずとも愛する人や家族の傍らに存在します。
49日と呼ばれるような期間に、霊的な世界での活動に移行していきます。
人間の霊は、霊界の上層まで戻り、来世に生まれ変わる準備をします。中にはすぐにでも生まれ変わってしまう人もいます。
人の霊は天から生まれたので天へ、動物の霊は地から生まれたので地へと還ります。
動物の霊について、もうすこし詳しく言うと地球の聖霊のエネルギーへと取り込まれてゆきます。
つまり、同じ霊界の中でも動物達のゆく場所があるのです。
そして生前愛していた人達の事は、死後も愛しています。
より広い視野、より本当の愛で、生きている人達の事を見守っています。
いつか再会する事ができるか?
もちろんできます。
私たち人間は今生きているこの物質世界がほぼ全てだと思っている人は沢山居ます。
この世界は学びの世界です。
私たち人間が認識できない高次世界の広大な領域は無限に広がり、実際は物質世界の領域はこの世界全体からしたら2割にも満たないでしょう。
私たちが死後に行く世界には「距離」とか「空間」の概念がありません。
つまり、想った場所へ、想った人の傍らに存在します。
これはある意味現実世界での心の距離と同じです。
寝る前にでも、想像してみてください。自分にとって大切な人や、心の距離の近い人の事。
すると現実世界の物質的な距離や会うことのできなかった時間などには関わらない事に気づくでしょう。
私たちの心や霊的な領域では想いや心の結びつきが互いの距離なのです。
ですから、いつか自分がこの世を去った時に、人間でも、あるいは動物でも、ひとつも迷う事なく愛する人と再開する事ができます。
だから安心してください。死に別れた愛する人に、必ず会えますから♪
死別した愛する存在と会う方法
よく聞かれます。
死後の世界と、私たちが生きているこの物質世界は理由があって隔てられています。
ですが、逆に理由が有れば亡くなった死者の魂と会うこともできると思います。
私が死別した人で会ったのは「曾ばあちゃん」「父」「祖母」「むかし飼って世話した猫」「むかし飼って世話したハト」
あとは、浄霊した見ず知らずの霊が数え切れないほど…(笑)
これは私のケースですが、たいていの場合は「瞑想」している時、そして「睡眠」している時に体験は起きます。
瞑想と睡眠と臨死体験と体外離脱は、私にとってはあまり大きな差は無いのです。
つまり、今この記事を見ているあなたが、何かの理由で意識を無くしている時(主に睡眠だと思いますが)にはさまざまな体験をしていて、朝目を覚ました時には普通は全て忘れてしまうのですが、憶えていられた時に記憶が残っている感じです。
私の感覚だと、死別は親しい人が遠くの街に引っ越すような感じです。
会えなくなるのは寂しいし悲しいですが、同じ世界の遠くの空の下に確かに存在していて、私が住む街よりも穏やかで平和な街でその方がかつて愛した多くの人達と共に暮らしています。一応、電話などで連絡をする事はできるのですが、電波状況が悪く滅多につながらない。そんな感じでしょうかね?(笑)
そして自分もいずれその街に引っ越すのです。
愛する存在の死をキッカケにスピリチュアルな事に関心を持ち、動機としては多少不純かもしれませんが愛する存在と会いたいが為に瞑想を始める人も結構います。
私は知っているのですが、そういった人達の多くは再会を果たして悲しみが癒えるのではなく、魂の永続性と愛を理解して悲しみから解放されます。
愛する存在はいつでも傍らに
あえて言いますが、生前同様に会って話をする事はできなくても、傍らに存在を感じる事ならいつでもできます。
私のここまでのお話がもし正しく理解していただけているなら、死者と生者の違いは肉体を持ち現世に生きているか、肉体を失って霊界に生きているかの違いだけです。
つまり私たちの霊的なパーソナリティーや、これまでの関係性にはなんら変わりは無いのです。
高次世界には「距離」や「空間」の概念が無いのですから、それはつまり。
愛する存在を想うとき、愛する存在はすでに傍らに在るのです。
目を瞑り愛する存在を想えば、きっと傍らのその温かさを感じられると想います。
ですから、いずれ愛する存在と再会するときに胸をはって笑顔でいられるように、今できる事をしっかりとやって、過去にとらわれず「今」を生きましょう♪
ウリエルさま
私は父方の祖母と父親を亡くしています。
祖母や父の人生を思うとありがとうとごめんねの気持ちで胸がいっぱいになります。
過ぎてしまった後に気づくことも多くあり、精一杯生きることの大切さを教えてくれたのだなと思っています。
私は親不孝な娘でしたが、先日、お盆が近いせいもあるのか祖母の夢を見ました。今でも涙が出てきます。
今、離れて暮らす家族が病を患い、一緒に暮らしてあげられないことがとても悲しいです。
ですが、出来ることをやっていこうと思います。
祖母はそのことを夢に出てきて私に教えてくれたのかなとと思います。
不思議ですが、祖母とは亡くなった後からも結び付きが強くなったように感じていました。
今日の記事を読み、きっと祖母は私たちからそう遠くないところにいるのかもしれないなと思いました。
なんだか無性にコメントしたくなりまして、長文を書き込んでしまいましたが、いつも学びをありがとうございます。
お仕事や家族との大切な時間の中で、膨大な知識と私たちが在るべき姿を教えてくださること、本当に感謝します。
私は色々とまだまだ未熟なひよっこですが、打算もなく裁きもせずに真心を込めて生きていけるようになりたいと思います。
今夏は災害レベルの暑さだそうなので、ウリエルさんもご家族のみなさまもご自愛下さいませ。
夏海さんこんにちわ♪
親しい人の死、そして今世でもう会えないと思ったとき、様々な想いが胸の奥底からわき起こりますね。
私も、父が死んだときには色々な事を沢山考えましたし、自分の態度など顧みました。
>今、離れて暮らす家族が病を患い、一緒に暮らしてあげられないことがとても悲しいです。
「想えばいつも傍らに」です。 病の家族の為に是非、時間があるときは祈ってあげてください。
>お仕事や家族との大切な時間の中で、膨大な知識と私たちが在るべき姿を教えてくださること、本当に感謝します。
いえいえ、やりたくてやっている事なので(笑)
幸い家族も理解してくれてますし。
夏海さんも、どうかご自愛くださいませ♪
☆ウリエル☆さん
こんにちわ!
いつも、いつも
ありがとうございます!
私達は、覚えてないだけで
本当は知ってるんですね。。
心が、何かがそう感じています。
みんな、頑張ろう
みんな、幸せになってほしい
スピリチュアルな事柄を
知らなくても
目的はバラバラでも
まだまだ未熟ですが
行き着く先はみんな同じですね☆
ありがとうございます!
☆★Cham☆★さんこんにちわ♪
はい、特に眠りは毎日訪れる死のようなものです。
実は色々な体験をしているのですが、高次世界での体験は私たち三次元の脳みそには収まりきれずに、「夢」として僅かに記憶されてたりします。
>みんな、幸せになってほしい
その気持ち、とてもよく分かります♪ いつも想ってますから♪
こちらこそ、いつもありがとうございます♪
この記事をみてかなり興味を持ちました。
アニメを見て色々、特殊能力だったり、霊界、目に見えないものがどんなものかに目を向けることが多くなり、気付きが多くなってきました!
この記事を見たのも気付きがあったからここにたどり着きました^_^
気付きが大切だとわかり、その上で人を助けたいという気持ちもあり、脚本家として色々な知識をつけて物語を作り色んな人に気付きを与えていきたいなと強く思いました!
また、色々教えて欲しいです!!24歳の男でした!
1111さんこんにちわ♪
書き込みありがとうございます♪
この世界には目に見えないもの、たくさんありますね。
霊的な存在や事象もですが、人間の愛も目には見えません。ですが目に見えなくても感じる事は出来ます♪
人に気づきを与えられる脚本家…すばらしいですね♪
この庭先が何かの参考になれば幸いです。
応援しています♪
ウリエル様、こんにちは。
私は三年ほど前に婚約者と突然の死別を経験しました。
あまり考えないようにしていますが、この世で結婚を経験することは多分ですけどないんだろーなーと漠然と思っています。
月1か2ヶ月に一回くらい婚約者の夢を見ます。
彼も私に会いにきていたりするのでしょうか?
先に死なれて腹も立つので悪いことを思い出したりもしますが、日頃は意図してあまり考えないようにしているのでフラットな気持ちでいます。
しかしどこか、諦観の念はいつもあるかんじです。
取り止めがなくて申し訳ありません。
もねさんこんにちわ♪
天空の庭先をやっていて、もねさんのように死別を経験した人からよくメールを頂きました。
>月1か2ヶ月に一回くらい婚約者の夢を見ます。彼も私に会いにきていたりするのでしょうか?
仮に相手がもうこの世に居ない人だとしても、高次の世界では互いの存在の結びつきが互いの距離です。
ですから、夢に現れるという事は、傍らにいらっしゃる時があるのでしょう。
>しかしどこか、諦観の念はいつもあるかんじです。
死が終わりでは無いので、いずれ私たちもこの世を去り、全てを思い出して愛する人たちの魂との再会を果たします。
ですから、正しい動機であれば、もねさん自身が望む人生を歩めたならそれで良いかと思います。
自分が亡くなったあと、また祖母や両親、兄弟たちと一緒に暮らしたいです。
☆ウリエル☆さん、こんばんは。
今この文を読む前に神の記事を読みました。
全ては想いなんだなって思いました。
いつも祈りを有難うございます。
ウリエル様。
こんばんは。
まさにおっしゃる通り、愛する人を亡くしスピリチュアルにすがりました。
いつもそばにいてくれるんだと、理解しつつも、まだまだ、悲しみに暮れる日々です。そばにいるから大丈夫。でも寂しい、会いたいの繰り返しです。
少しずつ、1人の時間にも慣れてきたと同時に、彼の温もりを手のひらに感じる事ができるようになってきました。
これからも、理解を深めていきたいと思っています。