人生を賭けた神への問いかけ – スピリチュアル体験 第二部 第65話
僕は毎日祈りました。祈りは神へ問いかける事だから….
神はこの世界の全ての法則に宿る知性です。僕に言葉で語りかけたりはしませんし、手紙を送ってくる事もありません。そんな事は解ってたから、僕は自分の生活や身近なところに現れる変化やサインに注意していました。
聖書にはこう書かれています。
「あなたの神を試みてはならない」と
試そうと思った訳じゃない。知りたいと思った。ただ知りたかったんです。僕は自分という人間や、自分自身の人生について。僕は自分に起きたいくつかのできごとや変化の末、一つの想いを巡らせます。
【目次】
情けは人の為ならず
2004年、この頃の僕は自分が人生のどん底に居る、そんな風に思っていました。恋人の為に大阪に引っ越してきて、一年もたたずに別れ、仕事も無く、お金も無い…。
「幸せになりたい…」 毎日そう思っていました。
気持ちを切り替えたくて始めたブログでは、霊的な相談が寄せられるようになり…また浄霊の日々。僕自身の気持ちが沈んでいた事もあり、霊媒は強まっていました。
つまり、たまに買い物に外出に出るとマイナスのエネルギーを受けたり、霊を連れ帰ったり。
そんな日々の中で僕は気づきます。情けは人の為ならず。人助けは自分助けでもある。そう気づけたのは僕より深い傷を負ったネットのお友達のおかげでした。
人助けは自分助け
スピリチュアルブログ、天空の庭先での人助けのはじまりは奈々恵さんでした。
うつ病の彼氏と別れ、別れた後も責められて自分もうつ病のようになってしまい、仕事を辞めて引きこもって毎日死にたいと思いながら日々を過ごしている。
そんな奈々恵さんからは、今も毎日何千文字という長さのメールが送られてきます。
奈々恵さんと僕には共通点がありました。失恋で深い傷を負っている時期に仕事を失い収入が無い。
奈々恵さんが抱えている悲しみや苦しみは、自身が抱えている悲しみや苦しいとよく似ていて、抱えている問題にも共通する部分がありました。僕は奈々恵さんのメールに毎日返信して、彼女を励ましながら、自分に考えられる最善と思えるアドバイスをしました。
不思議と奈々恵さんを励ますために書いた自分の言葉に自分が励まされ、奈々恵さんの問題を取り除くために言葉にしたアドバイスが、自分自身の問題を解決するための答えへと変わっていきました。
奈々恵さんはきっと、僕よりも深い傷を負っていて、今も苦しんでいる。僕には全てを失ったとしても、「祈りと瞑想」は残る。 僕には神という存在があるから、最後は自分が立ち直れることを知っている。
僕はきっと大丈夫だ。
情けは人の為ならず なんて言葉がありますが、奈々恵さんを助けたい気持ちが結果的に自分を助けていた事に気がつきました。
貧しくとも分かち合う心
8月も終わるころ。お盆休みもあり、仕事探しもなかなか巧くいかないまま夏も終わりに向かっていました。手元にはあと1ヶ月半分ぐらいの生活費がありました。
自分の置かれている状況をしっかり理解しながら、今月も仕事をしている時と同じように母親に仕送りをしました。そして東京で身体の悪い祖母の面倒をみている兄にも、お金を送りました。
そんな時、ネットでずっと欲しかった石(パワーストーン)を偶然見つけます。お金も無いし、こんなもの買っている場合ではないよなぁ…って思いながらも迷うこと無く購入。同じモノを母と兄に送りました。
仕事もお金も無いのに、正気の沙汰じゃないなぁ… でもこれで良いんだ。そう思いました。
神への問いかけ
通勤圏内にデザインの求人が無い。
求人の募集を探して、多少距離が遠くても履歴書を送ったり、そんな事をしながら毎日僕にメールを送ってくる奈々恵さんを励まし続けました。毎日祈り、瞑想をして、衝動の赴くままに天空の庭先のコンテンツを1日1ページ増やしていきました。そして相談に答えたり時には浄霊したり。
奈々恵さんに変化がありました。
勇気を出して行動に移したり、過去のできごとを少しずつ整理しはじめていました。少なくとも、メールで「死にたい」みたいに言うことも無くなってきました。
この頃の僕の状況は、あと一ヶ月以内に仕事を見つけないと生活が破綻。僕の中には2つの気持ちが入り乱れていました。「自分は失恋して仕事もお金も無くて人生どん底だな」という気持ちと、「自分ならきっと何をしていても大丈夫」という気持ち。
魔境の終わり頃、霊的な奉仕に全てを捧げた時期がありました。貫き通せばキリストやマザーテレサのように道は開ける、そう信じて無償で浄霊やヒーリングをやり続けた日々。
結果人生を壊し、それと引き換えに、僕は自分の活動が「神に見返りを求めていた」と悟りました。
今の自分に見返りを求める気持ちは無い。
この天空の庭先を通じて、僕を頼ってくる人間を助け続けたら僕の人生はどうなるのだろう?仕事が見つからず無一文になって路上に投げ出されるのだろうか?
聖書にはこう書かれています。
「あなたの神を試みてはならない」と
試そうと思った訳じゃない。知りたいと思った。ただ知りたかったんです。僕は自分という人間や、自分自身の人生について。
それはつまり、人生を賭けた、神への問いかけでした。神は僕をどうしたいのか?
自分が思うことを思うままに続けたら、その先に何が起きるのかを?
それはとても強い祈りのような気持ちでもありました。
|2018年9月追記
当時のテキストを見ながら、考えていたことや気持ちを思い出しながら今こうして振り返ると気づくことがあります。
きっと当時の私の頭の中身やとった行動は、音楽や芸術に人生を賭けるような事と似ていたかもしれません(笑)
聖書には「天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。それができる者はそれを受け入れなさい。」キリストのこんな言葉があります。
私はトヨタさんと出会った後に、トヨタさんがなりたいといったキリストを知るため聖書を読みました。
この言葉を見た時にまっさきにトヨタさんを思い出しました。
トヨタさんに、「結婚はしないんですか?」 と訪ねた質問に…
「僕は忙しすぎて結婚はできないんだよ(微笑)」 微笑んでそう答えたトヨタさんの事を。
体験談の頃に私が考えて決めた行動は、家族を持った今の私では到底できない事でしょう。
この問いかけが、後に私の知りたかった沢山の答えを与えてくれます。
ウリエル 様
こんばんは。
いつも記事を楽しみにしています。
神は、お便りもお返事もしてはくれませんし、そのような神に語りかけたり、弱音を吐いたり
悪い部分を出したりもして、優等生ではない私です^^;
全てお見通しでいられるので、隠しようのないことだと観念しております。
ウリエルさんやトヨタさんのように、人のために活動できることは素晴らしいことと思います。
貴重な体験記をありがとうございます。
BELLさんこんにちわ♪
「あなたの神を試みてはならない」は聖書に書いてあった言葉です。
思えば無茶なことも結構やったなぁって振り返ると思います♪
見えなくても、信じられるのが信仰です♪
見えなくても、神から与えられるヒントや答えをたくさんちらばっています♪