善意を疑うなら騙された方がまだマシ?
こんにちわ♪
今日は仕事の帰りに自宅の最寄り駅で東南アジア系の女の人に片言の日本語で声をかけられました。
東南アジア系の女性:募金をおねがいします。
さっと見せられた小さなノートには少女の写真がたくさん貼ってありました。
東南アジア系の女性:このこ がっこうにいかせるためにお金をあつめています。
私は反射的にその女性の「本質」を探ろうとしそうになるのですが、そういった自分の性質を抑えて立ち止まり、僅かですがお金を手渡しました。
東南アジア系の女性:ありがとう、あなたやさしいひと、あくしゅしてください。
何でもかんでも本質を探ろうとする自分の性質が時には煩わしく思える事もあります。
この場合の本質とはつまり、「嘘じゃ無いか?」って疑う事です。
実際、そういった用心深さは生きていく上でとても大切なのですが、この場合大切なのは、相手がどうこうではなく、自分が何を思ってどう動くかです。
何故なら、神と宇宙の法則は、人間を行為では無く動機で計るからです。
つまりは♪ 人の善意を疑うぐらいなら騙されたほうがまだ良いって事です♪
ただ、今回の話は女性自身が話す事情が善意に基づいていたという事と、募金なので金額もしれてました。
もしあなたの不幸につけ込んで50万円のお守りを買わせようという人間が居たら騙されないようにちゃんと疑ってくださいね(笑)
この世界で上手に生きるためには、愛と知恵の両方が必要です。
蛇のように賢く、ハトのように素直に生きましょう♪
行為より動機で計ると言う言葉にハッとしました。いくら良い行いをしても、有名になりたいとか、お金持ちになりたいとか自分本位な動機ではダメって事ですよね。私もウリエルさんと似たようなシチュエーションがありました。去年のクリスマスの数日前に買い物に行った時、女性がダンボールで作ったサインを持って道の端に立っていました。車を運転していて急いでいたのでちゃんと読めなかったけど、子どもがいてお金に困ってるようなことが書いてありました。アメリカでは悲しい事ですがよくある光景です。普段このような時お金を渡すことはないのですが(アルコールやドラッグに使う可能性があるため)、この人は家族と楽しく過ごすはずのホリデー中に寒い中見ず知らずの人たちにお金を乞う程の事情があるのだなと思ったらすごく悲しくなって、とっさに車の窓を開けてお金を渡しました。少しでも子ども達と楽しくクリスマスを過ごせますようにと思いを込めて。本当に困っていたかどうかは知る由もないですが、肝心なのはその時自分がどういう気持ちだったかですよね^^
momoさんこんにちわ♪ 私の日記よりmomoさんの書きこみの方が内容が分かりやすいですね♪ 仰るとおりです♪
肝心なのはその時の自分が何を思いどのように行動したかです♪
ですからmomoさんの行いは正しかったと思いますよ♪
二十歳の頃、知り合いの男性に「人を信じるな、必ず疑え」と言われました。それは、“俺を信じるな”という言葉に聞こえましたが、私は「人を信じられなくなるくらいなら、騙されてボロボロになった方がマシ」と笑って応えました。相手は、とても驚いた顔をしていたのを覚えています。“人を信じるな”こんなことを言われたのは初めてで、頭を殴られたような衝撃だったけれど、そんな寂しい人生は嫌だなと今も思います^^あの時の、この会話だけをはっきり覚えていて不思議でしたが、この記事を読んで、なぜかホッとしました。
今、保護動物や野良猫を通して“やさしい世界”とは、何だろうか、そんなことをよく考えます。どのような小さな出来事でも、何を思って行動したのか…そこが一番大切なんですよね。世界平和について考えることが大切、知識を深め、視野を広げ、より良い方へと考え方を変えていくことが大切、そんな風に思って過ごしていく意味を改めて感じました。