ウィズコロナを考える… 得たものと失ったもの
今日は記事ではなく日記です。
コロナウィルスについて考える… 考えさせられるようなことがあったので。
コロナウィルスにより緊急事態宣言が発令してまもなく、ウィズコロナという言葉が広まり始め、いつ開発されるか解らないワクチン、いつまで続くか解らない状況のまま2020年もまもなく終わろうとしています。
コロナウィルスによる最初の混乱もすこし落ち着き、たしかに今の世の中は「コロナウィルスありき」で色々なことが進められています。
もし、コロナウィルスなんて「ちょっと変な風邪だよね」ぐらいな感覚でみんなで生きて行けたならそれはそれかもしれません。
なぜなら、この地球で生命が生きていくにあたってリスクがあるなんて当たり前だからです。
でも話しはそんなに簡単ではありません、なぜならこのウィルスは体の弱い者から命を奪うからです。
ウィズコロナになって得たもの、失ったものがありますね。
【目次】
ウィズコロナとは?
ウィズコロナは、「2019年新型コロナウイルスとの共存・共生」を意味する俗語・流行語である。
ウィキペディア
コロナウィルスがいつまで居座るか?いずれにしても今の世の中はコロナウィルスありきで物事を考えるより他はないようにも思います。
私自身、色んなことにすっかり慣れてしまいましたが、「そうだよなぁ、コロナだしなぁ」みたいに思うタイミングってあります。
買い物に出かけたときに何処に行ってもたいていは出入り口に消毒スプレーがあることとか、飲食店ではかならず検温をうけるようになったりとか、行きつけの飲食店のカウンターが透明なシートで区切られてるのを見たりとか、今なお少しずつ形を変えながら強化されていくコロナ対策をまのあたりにしたとき、ただなかにあると思い知らされます。
最近の飲食店では4人席のまんなかに透明な仕切り版が置かれているお店もあります。
4人グループの客さえも分断するおそるべしコロナ対策です。
私はこのコロナウィルスって最初、働きすぎの現代人に「もっと休めば?」「もっと効率良くやったら」ってな大きなメッセージのようにも感じましたが、かたや医療現場では崩壊しかけいたり、感染と隣り合わせの地獄絵図があり、出産を考えていた人や出産が控えているような人には普通より大きな不安があったり…
命を落とした方々もいるのでコロナは善し悪しで語れるほど単純な話しでもありません。
ビジネスの現場では会議や商談がWEB化したり、私などもリモートワークに切り替わったので通勤の労働拘束時間が減ったり、働き方にも大きな変化がありました。
個人的には通勤時間が減った分、結局仕事を余計にやってしまうので労働拘束時間はへらなかったのですがそれでも体はとても楽です。
私はエンパスとか霊媒的な体質なのでたまに都市部に出かけると外部からのエネルギーで皮膚がヒリヒリ痛いです(笑)
コロナで得たものと失ったもの
コロナで得たもの、失ったものを書き出したなら書き切れないほどあるでしょうね。
それほどまでに社会全体に大きな影響があったとおもいます。
大きな所を抽象的に言うなら、良くも悪くも「価値観」にはさまざまな影響があったとおもいます。
これまでの価値観のなかで急速に廃れていったものと、それに伴ってうまれた新しい「価値観」があります。
さまざまなサービスのWEB化が進んだり、リモートワークにより時間にゆとりが出来た人たちが趣味や副業などにたいしてあらたな取り組みを始めたり。
リモートワークの快適性は1度経験してしまうとほんとうに戻れない、戻りたくないと言う人も多いです。
反面、そのリモートワークによる弊害もあって、ひとによっては「コミュニケーションが不足している」「寂しい」といった意見も多く聞かれます。
たしかに、一人暮らしであればへたするとまる一週間、ろくに知り合いの顔も見ないで過ごすような人もいるでしょう。
当初、リモートワークで言われていた快適性やメリットと同等に、コミュニケーション上の問題は大きいようです。
日本人はさみしがり屋がおおいですからね…(笑)
最近ですが、私自身にもオンライン化の利便性と寂しさがいりまじったようなできごとがあったのですこしだけお話します。
ビデオ通話したら顔が見える?
このコロナ騒動で機械音痴の私の母にもちょっとした変化がありました。
ずっとガラケー使ってたのですがついにスマホに切り替えたのです。
私の母もだいぶ年取ったし、数年前に一回倒れたこともあり、都市部で働いている私がコロナ下の時世で訪ねるのにも不安もあり、せめて自分や子供の顔を見せられたらと思いビデオ通話ぐらい出来たらとおもい導入をすすめました。
はじめて緊急事態宣言のちょっとあとぐらい、はじめてビデオ通話したときはだいぶよろこんでくれていました。
もしコロナが無ければ機会下手な母のことですからスマホに切り替えるなんてきっとしなかったでしょう。
これも私からしたらコロナがもたらした変化のひとつつです。
そして一昨日の夜ぐらいに、久しぶりに私の家族と母でビデオ通話をしました。
母は丁度晩酌を終えて寝始めぐらいのタイミングであったため、すこしぼんやりと話しをしていましたがしばらくして私の息子の顔を見たいと言言い出すと突然泣き始めました。
母:「顔が見たい… 顔が見たいよ….(涙)」
私は息子に、「おばあちゃんにもっと顔をよく見せてあげて」そう言いました。でも内心はわかってました。
私の母は、私の息子の顔を見るほどに「顔が見たい…(涙)」声と涙のつぶが大きくなりました。
私たちは普段、ビデオ通話したら顔が見えてる、そんなふうに思いがちです。
ですががそれはスマホに映っている顔が見えているだけで、自分の目で顔を見る、それが本当に「顔を見る」ということだ。
痛感しました。
私の中では、コロナで得たものと失ったものを象徴するようなできごとでした。
地方にある私の嫁の実家にも今年は行けていないので、コロナでさまざまな利便性を得たのと引き換えに、私たちは身近な人の温もりを多く失ったのだと思いました。
コロナを理由におじいちゃんおばあちゃんと孫のふれあいがこの世界からどれほど失われたか、そんなことを思ってしまいました。
入院中の方々などはさぞかし寂しい想いをしているでしょうね。
想えばいつもかたわらに在る… スピリチュアル的に言うならそうですが、それでもやはり手で触れることでしか得られない温もりは確かにあります。
いまは積極的で気持ちを伝えることの大切さを感じています。
こんなコロナ時世だからこそ声に出して言わなければ。
愛している… と。
こんにちは。
ウイズコロナ。本当にそういう時代になりましたね。
マスクや検温や消毒が当たり前になりテレビでは毎日コロナの話題。正直慣れてきました。それでも地方に住む私の県でも感染者が増え続けています。旅行好きの友人は北海道行きをあきらめましたし持病で入院した母親の面会にも行けない友人もいます。
私自身は独身で両親も亡く1人で暮らしています。
アパレル業界で接客業なので忙しく寂しいと思う暇もありませんでした。友人にも恵まれていると思います。
それでも最近コロナ倒産で失業して毎日独りだけの時間を過ごしています。幸い失業手当てをしばらくはいただけるので本当に有り難いです。ただ以前のようには一部の友人を除いて気軽に会えなくなりました。もちろんメールや電話でコミュニケーションは取れますが会ってたわいのない会話をする事がどれほど幸せな事かと改めて感じます。ウリエルさんのお母様も会って顔を触りたいと思われてるのでしょうね。私も亡き母の事を思い出し涙が出ました。
ウイズコロナをどう生きるか今はそれを問われている気もします。私は今誰とも話さない日もあるので嫌でも自分と向きあわなければなりません。正直寂しい日もあります。それでもこれは自分にとって先に進む為に必要な時間だと思います。その時間を与えられた事に感謝し愛の中に生きて行きたいですね。
ウリエルさん いつも貴重なお話をありがとうございます。
コロナで得たものと失ったもの…確かに身に沁みて
ウリエルさん
途中でメールが切れてしまい申し訳ありません。
コロナで今気がついたことですが
自分の淋しさが何を現わしているのか?何に気づく必要があるのか?についてです。
私に足りなかったことは「愛されている」ことの気づきかもしれないと…。
人にも、自然にも、極端ですが空気や重力にも愛されている・守られている
そこに意識は行きたいのかな…そんな気がしました。
不安と孤独を横に置いて
愛している・愛されている…眼差しで(心で)声を掛けたいです。自分にも母にも職場の人にも。
医療現場で頑張っている方々や生活の先が見通せない方々、皆さまに癒しがありますように祈っております。
ウリエルさん気づきをありがとうございます。
今朝3時40分、防護服に身を包み、ストレッチャーを押す人がビジョンで見えて目覚めました。
何だか最近、私のコメントだらけになってしまって申し訳ないような?以前なら、ここに恥ずかしいような?気持ちも重なっていたかもしれません。
でも、「このままでは本当に間に合わない」のです。
医療崩壊、医療逼迫、自衛隊要請…
医療従事者の方々が日々、どんな思いで患者と向き合い、家族、家庭を後回しにしてまでも携わり続けてくれているのでしょうか…
お得だから、経済を回すために?、外食や旅行は、そもそも経済的に、物質的に、豊かであり、十分に余力と余裕が出来た時にすることが叶うもののはずではないのでしょうか?
実際にはお得になっても、ならなくても、外食や旅行など
滅多に行かれない人達も沢山いるのです。
コロナではなくても、看護師さんの不足や、教育、介護の現場は随分前から人手不足になっています。
飲食業界、旅行業界、一部の大いにそれを活用し楽しめる人達の世界…
世の中は、経済は、いつからそこを中心に回り始めたのでしょうか?
コロナが、そんな経済の回し方でこの先どうですか?
大丈夫ですか?と私達人間に教えてくれています。
本当に身に染みて経験するまで納得できない、身に染みて分かった時には既に肉体を持っていない、となってほしくないのです。
「破壊」と「再生」とは生易しいものではありません。
どちらも神の「愛」ですが、これだけ人類が進歩して手段も道具も揃っているのに最善策を選ばずに、一部の欲に引っ張られてはいけないのです。
自分が困っても、誰も助けてはくれない…
だから皆が必死に頑張って、手に入れたものだけが自分のもの…
そんな世の中ではなく、自分が困ったら誰かが、誰かが困ったら自分が、皆が困ったら国が、国が困ったら世界が、そんな風に助け合うことが当たり前の世界が良くないですか♪
このピンチをチャンスに!
人間の中にある、優しさ、思いやり、「愛」をより多くの人が最大限に発揮したら、叶うと思いませんか?☆
人間は、どうして命の危機が間近に迫っても尚、沢山のお金を使って通常通り、いつも通りに活動し続けようとするのでしょうか?
皆が日頃から、そんな予期せぬ事態はある。あり得るのだから、一人一人が、家族が、国が、常日頃からそんな事態に備えられていたら…
そして皆が心を合わせて、「せーの」で命を脅かす存在が消え、過ぎ去るまで、必要最低限で息を潜めるように出来たなら…
こんなに長引いたのか?
誰にも分からないし、証明もできませんが、行き着くところまで行かないと分からないのは悲しいことです。
失ったもの、得たもの、両方に学びと今後へのヒントが沢山詰まっていますね。上手に活用できますように☆
これを乗り越え皆が豊かになりますように☆
ウリエルさん、はじめまして
助けてください。
どうしたらいいでしょうか。
変な見えない集団(3~5)に、12月はじめから、15日くらい嫌がらせの攻撃をされています。
本当に、未来の宇宙人みたいで、平行世界とかあるんじゃないかと思う出来事を体験しています。
命がないだとか、殺すだとかを言われます。
私の心のほとんどを読まれています。
敵は、その(こちら)の波動を関知出来ないと言っています。
ウリエルさんへ
宇宙人のことで、投稿したモルダーです。
嫌がらせをしている彼ら正体がわかって来ました。
本当に酷かったです。
私のネットの情報を未来(120年先)に、別の星の地獄のような場所(地球よりもずっと快適だそうです)で見て、私を許せなくなったそうです。
私のことを許せなくなって、夢の次元で探しに来て、探し出したと言います。
毎日、酷い中傷で、苦しめらているんです。
そこには、人間性よりも、波動の世界だそうです。
自分が憎しみにまみれていたから、言えないような生活をしていたのがバカでした。
それで繋がったそうです。
相当、私を憎んでいます。
光あれ、愛あれ
本日小耳にはさんだ記事、雨宮処凛さんのお言葉は心に響きました。「自助と共助は限界。公助だけが足りていない」
先ずは自助、共助、
そして可能な環境の人は祈られると良いかと。祈り方は天空の庭先の記事を参考にさせて頂きます。
私の場合は「政治家の皆さま、研究者の皆さまに良いアイディアをお授けください。」と言った内容かと。
祈りこそ自由意志ですね。