直感をスピリチュアル的に言うと
私たち人間に備わっている「直感」とは?
直感をスピリチュアル的に説明するなら、直感の出所やレベルも霊的なレベルとおなじ4つの領域に分けられます。
1.肉体的直感:これは動物的感とでも言いましょうか?
2.感情的直感:これは女の直感とか、私たちが日常にいろんなシーンでかんじる直感です♪
3.思考的直感:これは答えを導き出す能力とも言えるかもしれません。ある意味では心眼のようでもあります。
4.霊的な直感:これはいわゆる霊感です。 啓示のようでもあります。
私たちは普段、1と2の直感をおもに使っています。
3は自分自身の良心が与える直感、つまり潜在意識やハイヤーセルフの導きを感じるのはここからです。
そして愛に満ちあふれていれば、マザーテレサのように奇跡的な直感が働き、望む未来が引き寄せられてくるでしょう♪
意識を高めるという事は、直感が高まると言うことです。あるいはそれを霊感といっても良いでしょう。
【目次】
肉体的直感
これはある意味動物的な感と言っても良いかもしれません。
スピリチュアル的に言うなら身体の声です。
頭上から物が落ちてきたとき、背後から物が飛んできたとき、歩いていて尖ったものを踏み抜きそうになったとき、ほんの一瞬の直感で危機を避けられる時があります。
視界の外でわずかに動く影を捉えていたり、風邪を切るほんの僅かな音や気配など、いずれにしても微妙な感覚に基づく一瞬の判断です。
こういった肉体に紐付く感覚の延長として、より高度な肉体的な直感が存在します。
なんとなくこっちには行きたくない、早くこの場を去りたい、この人何かやばい、判断する材料もなくそれでも瞬間的に感じ取る能力。肉体的感覚に紐付く直感力です。
肉体的な直感には、過去の肉体的な体験が大きく関係しています。
例えば、過去に草むらでヘビに噛まれたことがある人は、草むらでヘビがヘビがたてる微妙な音や振動を感じ取りとっさに逃げたり避けたり出来るかも知れません。
肉体的な直感は、生命に関わることにたいしてより敏感に発動します。
身の危険や命の危険はもちろんですし、食べ物を探すとき、とくに空腹時には肉体的な直感が強まります。
逆に、怠惰な生活を送っていると、肉体は鈍り、感も鈍ります。
この肉体的直感はある意味で身体の声とも言えます。
この体の声を日常的に上手に聞き取るためには、日頃から不摂生をせずに、よく食べてよく動き、健康的に生きることが大切です。
感情的直感
肉体的な直感と合わせて、私たち人間にとって一般的に「直感」と呼ばれるものがこの「感情的な直感」です。
肉体的な直感が身体の感覚と紐付いていたように、感情的な直感は、私たち人間の感情やそれをうみだす心と密接に関係します。
この感情的な感でもっとも解りやすい例は「女の勘」です。
なぜか「彼氏」や「旦那」の不審な行動を見抜いたり、ときには初対面の人間でさえ、「この人は信用できる」とか「この人は信用できない」といったことを感じ取ります。
オーラが見える私に言わせると、その人間の心の変化がオーラに表れて、目には見えずともその些細な変化を感じ取っています。
オーラは両手を広げたぐらいの範囲まではテリトリーになっていますので、喫茶店やレストランで向かい合って座るぐらいだと、オーラはお互いのテリトリーにあり、互いに感を働かせることが出来ます。
スピリチュアル的に言うと、感情的な直感はアストラルレベルにあるお互いの感情エネルギーの探り合いといった感じでしょうか?
これに似た状態は、ボクシングとか柔道のような格闘技の試合によく見られます。
お互いの心や精神状態、出方を探り合いながら間合いを詰めていくさまです。
画像は、いっけん穏やかに話す2人の女の子ですが、左の子が会話の中でイラダチと否定心を言葉にして、右の子が少し引けた感じになりました。こんな光景はよくあります。
画像の中央、赤い棘みたいなのと黒い煙があります。
身に見えなくてもあれを感じ取って身をそらした感じです。
あとちょっとだけビジネスの話ですが、私は社内でも社外でも、商談や打ち合わせに無防備な状態で座ってくる人間はすぐに解ります。
まあ、オーラが見えますし、見なくても感じ取れるので当然と言ったら当然ですが。
そんな時にいつも思うのは、いくらでも自分に有利な条件で話がまとめられそうだな、とか、この人は落とし穴掘ったら簡単に落ちてしまうだろうな、みたいなことです。
もちろん、実際にそんなことはしませんが、ですが心や感情に鈍い人はサンドバッグのように無防備で、いつか人の悪意にさらされたときには逃れられないだろうなと思います。
ですが、私の経験では、そういった人ほどなぜか、上司には気に入られてたり人生がうまく守られていたりします。神の慈悲ですかね?
ちなみにオーラは自分の身の内に納めることが出来るので、ポーカーフェイスや、自分の心を相手に悟らせないように立ち回ることも出来ますし、そのようにして生きている人もたくさんいます。
ゆえに、感情的な感がいつも正しく「本質」を見抜けるわけではない感じです。
逆にオーラのコントロールは下手な人は、言ってしまえば感情のコントロールも下手で、感情はおろか思っていることまで手に取るように分かったりします。
感情的な直感も、肉体的な感と同様に人間の経験と大きく関係しています。
これも格闘技とかと一緒ですね(笑)
このような目に動きをしたとき、このような雰囲気を出してきたとき、今一瞬悪寒を感じた!など、相手の本心や意図のすべてを感じ取ることができなくても、「やばいな」とか「やな感じがする」など、大きな粒度で感じ取ったりはできます。
この人とはもう会うのはやめておこう… とか、この取引はやめておこう… など、自分の判断の後押しになります。
感はいっけん実体のないものみたいに思われがちですが、じつは目に見えない人間のオーラの動きや、過去の人間とのコミュニケーションなどから導き出されています。
ちなみに、肉体的な直感と感情的な直感は完全に別々のものという訳ではないです。
例えばですが、幼い頃に犬に噛まれたみたいな経験があったとして、それは痛みという肉体的な感覚と、恐怖という心の感情でおぼえていますから、あとひ道の先に自分に飛びかかって噛みつきそうな犬を肉体と感情の両面で見極めるかも知れません。
感情というのも、じつは自分の身や人生をまもるために必要でとても大切なエネルギーで、女性の感が強いのは、そもそも女性の方が感情エネルギーが強く蓄積させやすいのと、女性は子供を産んで育てるという性質上、男性以上に危機を察知するための直感が強いのです。
思考的直感
このレベルの直感を使いこなす人間は本当にごく僅かです。
なぜなら、思考的な直感とは、自分自身の感情をコントロール出来ていることが前提で発動する「直感」だからです。
これを少年野球で例えてみましょう。
前回の大会の決勝戦でAチームのピッチャーのA君はBチームの四番バッターのB君に9回に逆転ツーランホームランを打たれました。
もちろん試合はそこで終わり、B君率いるBチームの優勝です。
そして今大会でも決勝戦はAチームとBチームが激突します。
0対0でむかえた9回裏、ピッチャーはA君、バッターボックスにはB君、カウントは2ストライク1ボール、まるで前回体会の再現のようなシーンです。
A君は負けん気が強く、全体会の雪辱を果たすことで頭がいっぱいです。
ですが全体会で得意のストレートを打たれたのでもう一つの決め球のカーブで勝負します。
B君は冷静沈着ですが、A君の投球はテンポ良く、A君の心が解る訳ではありません。
ですが結果はB君のサヨナラホームランでした。なぜでしょう?
これは私が例えとして作った話なので、できすぎていますが、B君の頭の中で、それが言語化できていなかったとしても負けん気の強いA君がボール球を投げずに、前大会で打たれたストレートではないもう一つの決め球であるカーブで勝負してくるということを感じ取っていました。
つまり、思考的な感とは、答えにたどり着く思考的なプロセスやそれが自分の中で言語化されない状態で「正解」だけがさきに頭に思い浮かぶ現象なのです。
またビジネスの話になりますが(笑)
アライアンスなどの商談で仮に3つぐらいの検討要素を同時にだされたとして、それをそれぞれ見積もりや数字を出して検討することなく、「この契約は無しだな」という結論がさきに頭に思い浮かぶことがあります。
ちなみに私の最近の転職もそうでした。
話をいただいた瞬間、「転職をする」という決断があり、それが本当に正しい決断かをその直後から自分で検討しはじめました。
思考的直感は「答えを先に得る」という状態で起こります。
この思考的な直感も、それまでの自分の経験などが確実に裏打ちされているとおもいます。
霊的直感
最後に霊的直感の話ですが、霊的な直感は、思考的な直感の延長線上に存在するものです。そして思考を超えるものは愛です。
天空の庭先では、心を清めて愛を持って生きていると、高級自我であるハイヤーセルフや、自分を手助けしてくれる目には見えない天使的な存在たちが、直感やインスピレーションというかたちで力や情報を与えてくれるという話を何度かしてきました。
このあたりの記事が参考になるとおもいます。
プロセスを超えて「導き」や「答え」がさまざまなかたちで与えられる。それが霊的な直感です。
そして霊的な直感の究極は、神から直接いただく「啓示」です。
「直感」を高いレベルで働かせる為には、規則正しい生活をして、自分の感情を自分でコントロールして、心を清めて愛を持って生きていればおのずと身についていきます。
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