スピリチュアルから離れ、スピリチュアルを手放す – スピリチュアル体験 第二部 第50話
強すぎる霊的な感受性や霊的な能力は使い方によっては人を助けることが出来ますが自分を大きく消耗させる。僕の人生はきっとそうでした。
どうすれば手に入れた霊能力によって自分が苦しんだり不幸にならない人生をおくることが出来るだろうか?その結論は、スピリチュアルを手放す… はたして今の自分にそれが出来るのか?疑問でした。
魔境が過ぎ去り、僕はスピリチュアルを手放そうとした
僕のこれまでの人生で最もつらかった「魔境」が過ぎ去りました。
西暦2000年が始まり、暫くは穏やかな日々が続き、トヨタさんと出会ってからの7年間を振り返っていました。
トヨタさんからヒーリング(エネルギー治療)を受け、瞑想を教わってから本当に不思議なことがたくさん身の回りに起こりました。トヨタさんの見よう見まねで行ったエネルギー治療は家族や身近な人たちの健康を大きく回復させたし、父の癌を癒したことやその噂が広まり沢山の人たちが、時には県外からも癒やしを求めて人が訪ねてくるようになった。
6回をキッチリと行う事のできたエネルギー治療に関しては、驚くほどの効果が出ました。
やがて「霊」という存在に気づきはじめると、本当にたくさんの「霊」が人々の人生に深く関与してる事を知り、瞑想により霊を浄化する力が現れた事により僕の人生は激変しました。途中から数えるのをやめましたが、本当にたくさんの霊や、霊に憑かれた人たちを浄化してきました。
浄霊の能力についても噂が広がり、霊に憑かれたと思いこんでる人や、実際に霊に憑かれた人、自分で霊を浄化できない霊能者の方や、霊媒体質と自覚のある方々もよく訪ねてきました。
もともとは仕事の傍ら癒したり浄霊を行っていましたが、状況がどんどん厳しくなっていき、マイナスのエネルギーの蓄積や身体のダメージ、悪い霊から恨みや反感を買ったりして障られたり、仕事も人生も「魔境」が終わる頃には壊れかけていました。
神に見返りを求めた結果
「天からタダで授かった力だから人にもタダで」
キリストのようになりたいと言ったトヨタさんのように僕はなりたかったから、僕はトヨタさんと同じように自分の行動の仕方を「奉仕」と位置づけて頑張ってきました。
でも僕は気がつきました、自分のやっている事はトヨタさんとは違っていた。
いつのまにか僕は自分の特別な力に傲慢になり、霊を力づくで浄化したり、霊に対して攻撃的に、批判的になったり、自分自身の心に大きな問題を抱えました。
そして僕は、「こんなに頑張っているんだからいつか神様が助けてくれる」
きっともっと素晴らしい力や素晴らしい人生を与えてくれるに違いない、そんな気持ちが心のどこかにあった事に気がつきました。
僕は純粋な愛ではなく、神に見返りを求めていた。つまり本当の奉仕の心を持っていなかった。
「魔境」が終わった後、貯金もほぼ使い果たしていたいのでお金にも困る状況でした。
壊れかけていた自分自身の人生を立て直すために行動に出ました。
霊的な事とはスッパリ縁を切る!ヒーリングもやめる、浄霊もやめる!自分に来るのは仕方ないので浄霊するが、でもまずは自分の生活からだ!
フリーデザイナーとして再出発を心に決めて動き始めました。
僕にはそれまでの人間関係から手助けをしてくれる人も沢山いましたので、県関係の知り合いからから色々とパンフレットやポスターのデザインのお仕事を貰ったり、イラストの仕事を貰ったり。デザイン以外でもお金の良い仕事だったのでコンテナの清掃とかそんな事もやったりしました。
僕はこの頃、自分の傲慢さや至らない心。神に見返りを求めていた自分の心が産み出したこれまで自分の活動、たくさんの物ものを手放そうとしました。
霊的な環境の変化
仕事や生活にまずは注力する! そんな自分の意識や行動がもたらした変化はとても大きなものでした。
魔境が終わった頃、僕はある種の「使命感」から開放されていましたし、日々を仕事一生懸命にやっていると「霊的な事柄」を考える時間が少なくなっていきました。
その結果、僕自身がもっていた霊を引き寄せる性質も次第に減っていきました。
霊的な事から次第に離れていきましたが、ただ、1日の終わりにする瞑想、これだけは欠かすことなく続けていました。
2018年2月追記
実はこの体験談のシリーズは公開されていない文章が、1999年~2004年までの分で50本ぐらい原文ですが存在します。
忘れたくないことは何でもメモに残す習慣を持っていたので、たまにパソコンの中から書いたことさえ忘れているような文章がひょっこり出てくることもあります。
続きが読みたいというような意見もよく頂いていたので、今日は気まぐれで一本だけ追加で更新してみました。
十数年前に自分が書いた文章を校正して公開するというのもなんだか不思議なものです。
第50話目となったこの体験談は、全てではないですが当時の私が「スピリチュアル」を手放して現実の生活に比重を傾けようとしていた時期です。
私がこの庭先でたまに言う「スピリチュアルで受けた痛手を癒やすために一番良い方法はスピリチュアルを手放す事です」といった言葉の源になっているのがこの頃の経験です。
こんにちは^ ^
私も苦しい時期がありましたね〜
宗教を手放し、精神世界にも心が向かなくなって仕事に集中すると毎日が楽しくなりました。
頭の中で理想を展開しても生活が全然清くなかったな〜と今更ながら思います。
今では、生活の中に創造主をみつけるのを楽しみにしています。
(その頃の反動で神という言葉を使うことすら嫌いになってしまいました(;^_^A
momoさんも手放す経験をされたのですね♪
人はいつか宗教を超える日が来ます。
霊的な成長の為に必要な事は、全て私達の日常に
含まれています。
創造主はいつも傍らに在ります♪
そうそう、ずーっとむかーーーーしは、神という言葉が無かったのです。
理由は、「神は言葉で言い表せない」からです。(笑)
そうですね〜(;^_^
確かに『宗教を手放す』
他の人にとっては、何てことのないことなのかも知れませんが、私にとっては、生まれてくる前から自身で決めた今世の最大のテーマだったと思います。
おかげで、真理を探究することもできますし、ウリエルさんのような方ともお話しをする機会が生まれました。
これからもよろしくお願いします。
^ ^
momochan2000さんこんにちわ♪
きっとご自身で自覚できるぐらい人生の大きな出来事や決断だったのでしょうね。
そういえばカトリックの修道院で育った私の母も、宗教に属する人達の生きる姿勢に疑問を感じて離れたと言ってました。
私という存在がmomochan2000さんのお役に立てたなら幸いです♪