スピリチュアル日和は過去に想が馳せる
今日は気持ちの良い日でしたし、突き抜けるような果てのない空、そして柔らかく私の横をすり抜けていく心地の良い風、こんな日は心がどこまでも高く広がっていく、この世界には果てがない。
そして目をつむれば自分自身の想いや心にも果てはない。
1年のうちにそんなことを感じさせてくれるような日が何日かはあります。そしてそれはおもに春からこの新緑の季節にかけて、新しい命が芽吹く時期だからでしょうか?
スピリチュアル日和です♪
いつも思いますが春の風は遠い昔の記憶を時代を超えて運んでくるようななんだか懐かしいような切ないような風が吹きます。出会いと別れの季節だからでしょう。
私たちの心の中にたくさんの出会いと別れが刻まれている、そんな季節ですし私たちがまだ子供の頃、春の日に私たちの手を引いて歩いていた父親や母親がいつもより少し情緒的であったの私たちも子供ながらに感じていたのでしょう。
そして今大人になった私たちに手を引かれている子供たちもまた、春の天気の良い日に私たちに情緒的な何かを感じているかもしれませんね。
そうやって時代の風を感じる感性は人から人へ親から子へと受け継がれていくのかもしれません。
【目次】
スピリチュアル日和は過去を思い起こさせる
今日はとても天気が良かったから、息子は友達と遊びに行きましたし、 妻は娘と一緒に散歩に出かけて行きました。
そして私はこの素晴らしいスピリチュアル日和に、家に残された一人の時間、庭に出て空を見上げたり風を感じたりそして目をつむり、風が運んでくる過去の記憶や、自分自身の心のあるところに思いを馳せていました。
天気の良い日に目を細めて空を見上げると虹のように輝くキラキラとした光が見えるときがあります。
私にとって虹や虹色はこの世界を構成する光や霊的な光やオーラを思い起こさせるものでもあります。
はじめてオーラが見えた日
私がオーラを見る力を身につけたのは1990年代の後半ぐらいでした。
朝目が覚めていつも通りに朝の支度を調えたり、洗濯したり干したり、そして午後から夕方ぐらいだったか洗面所の鏡を見たときに自分の周りを縁取るように輝く強い光が見えました。
私にはそれがオーラなのか最初は判断がつきませんでしたが、昨日まで見えなかったものがあきらかに見えているという現実に、いずれにしても自分の身になにか変化が起きたのだと感じました。
そしてまじまじと観察するとぶわっと膨らむように自分を包む薄い光や、自分をふちどる青い色がみえたのです。
その頃、私はとくに修行したわけでもなくある日突然見えたのでビックリしましたが、その日から他人のオーラを見たり、変化を観察したり、やがてオーラを見る修行をはじめ、さまざまなオーラの種類が見えるようになりました。
第七チャクラが覚醒した日
思えば第七チャクラが覚醒した日も、オーラが初めて見えた日とにたりよったりでした。
ある朝母の居酒屋に朝ご飯をもらいに行くと…
母:あんた七番目のチャクラが開いたんだね?ものすごい強いオーラが柱のようになってるよ。
自分:うそ?いつもと何もかわらないよ?
私自身は本当にいつもと変わりない朝でした。ただ母に言われあと、そういえば部屋がいつもよりずいぶんと明るいな、そう思ったのを覚えています。
第七チャクラの覚醒に関しても特に何か修行したわけでもありませんでしたからそうなんだなって思ったぐらいでした。
私がスピリチュアルな界隈な情報にいろいろと疑問をもつのは、私自身がなんの修行もせず、苦痛もなく、あるいは意識さえせずに霊能力をみにつけていったり第七チャクラが開いたという経緯があるからかもしれません。
当時の私がやっていたことは毎日聖書を読んでは書に隠されている真意を見極めようとしていたということと、トヨタさんから教わった瞑想を1日1~2時間欠かさずやっていたぐらいでした。瞑想歴で言えば4、5年とかは過ぎてたでしょうかね?
ただ、今なら分かりますが、この瞑想習慣が4、5年無理なく続いているあたりが、普通ではなかなか難しいのです。
余談ですが、聖書は表面的な文章を鵜呑みにしてると霊的な真意にはたどりつけません。
そしてイエス・キリストが弟子にさえ語らなかったことの中にこそ本当の真理が存在します。
聖書は人間に本当の信仰と霊感を与える書です。
思えばあの日も、突き抜けるような高い空で晴れわたるスピリチュアル日和でした♪
スピリチュアルも変化する
オーラという言葉は2000年代のスピリチュアルブームから今日までの間に本当に世の中に広く知られる言葉になったなあと思います。
ちなみに私がオーラを見始めた頃の話で言えば、オーラが見える人よりもは霊が見えるという人の方がはるかにたくさんいました。
今は逆に、霊が見えるという人は随分と少なくなりましたが、 オーラが見えるという人はとてもたくさんいます。
私に言わせると、霊もオーラも本当に見えている人はとても少なく、雰囲気や、あるいは嘘で見えてると言ってる人もたくさんいます。
特にオーラに関しては、本当に見える人間が話しをきけばすぐに嘘と分かるような内容を口にしたり説明してるようなスピリチュアルカウンセラーや占い師など山ほどいますね。
あえて言いますが、これまでテレビに出演してきたような方々はほとんどが実際には力をもたない人たちでした。
まあ、私が言わずとも気づく人は気づいているとおもいますが。
スピリチュアルを語る人も、スピリチュアルで嘘を語り人を騙す人間たちも、月日が流れて世の中が変わるしたがいその言い回しも変化してきたように思います。
スピリチュアルというのは本来で霊的という意味ですが、私に言わせるとこの世の中に霊的でないものなど1つもありませんからこの世の全てはそもそもが霊的なものです。
つまりぜんぶスピリチュアル♪
なぜでしょうね、そこにスピリチュアルという言葉を使ってしまうととても軽く感じられてしまいますし、例えば精神世界というような言葉を使ったならば逆に無駄に重く感じられてしまう。
実のところ私はスピリチュアルという言葉があまり好きではありません。
ただ、 多くの日本人が霊的なことをスピリチュアルと言ってるので、私だけが霊的と言っていてもなんだかこんにケーションが取りづらいじゃありませんか(笑)
ですから私もいつからか、私のメッセージがより多くの人に伝わるためにスピリチュアルという言葉を使うようになりました。
メールでいただく質問について
私宛にいただくメールには私自身についての質問もたくさんいただくのですが、私ことはこの天空の庭先に体験談や過去のブログも含めて色々書かれています。
いただく質問については体験談を見て頂くと、どのように霊能力を身につけたかとか、想いが実現する力の本質にどのように至ったかなど、たいていのことは書いてあると思います。ただ、危険性の高い霊的情報については伏せてあることも多いのでそこはご了承ください。
私は21歳の頃にスピリチュアルなメンターに出会い、そこからずっとその方に教わったことやその人が愛読していた聖書に書かれているようなことを自分自身で実践してきました。
もしあの時はの方と出会わなければ?
まあスピリチュアル的に言えば人間が生まれる前から、ある程度人間の運命はその分岐も含めて決まっているので、会わないということ自体があり得なかったのでしょうが、それでもたった一人の人間との出会いが人間の人生をここまで変えてしまうというのはすごいことだなと思います。
トヨタさんにお会いしたい
メールで私のスピリチュアルメンターであったトヨタさんについて聞かれることがあります。
この件についていただくメールは、どうすればトヨタさんに会えますか?トヨタさんに会いたいですといった内容がほとんどです。
この質問は本当によく頂くのでいつかどこかにももっと分かりやすく書いとかなければなと思っているのですが、私自身トヨタさんとはたったの2週間一緒にいただけで、トヨタさんがどこで何をしているのか私には知る由もありません。
元々彼は世界中を旅しながら関わる人たちをヒーリングしたり霊的なことをとても自然に人に伝えたり教えているような人でしたから、今日本にいるのかも分かりませんし今世界のどこにいるのかも分かりません。
ただトヨタさん自身は自分は300歳まで生きられると言っていたのできっと出会った頃と変わらず元気に活動してるのではないかなと思います。
ですから申し訳ございません、 私がトヨタさんに皆さんを引き合わせることはできないのです。
ですが、私がトヨタさんから教わったことやその後に学んだ大切なことはこの天空の庭先にずっと書いてきましたので良かったら参考にしてみてください。
スピリチュアルなメンターや、 強い力を持つヒーラーとの出会いは、望んで得られるものではなく霊的な成長によって巡ってくる機会となりますので、いくら求めても得られない時期はあります 。
ですがその時のために準備をしておくことはできます。
心を清めて愛を持って生きる、私たちが自分自身の霊性を高めて生きていけば何望むような機会はきっと得られることでしょう。
思えばトヨタさんと出会ったあの日も、突き抜けるような果てない空で、日差しの気持ちよい日でした♪
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体験談75話までの一覧ページです♪ 私のスピリチュアルの原点がここにあります。
私が若い日に出会った霊的なメンターのお話です。
はじめまして
コメントすること、随分迷いましたが昨年スマホになって割と早くウリエルさんの天空の庭先にたどり着き、時々気になったものを読ませて頂いています。
ここ数日は、とても用心深い私の中にコメントしてみたい!気持ちが湧いてきて、そんな私を納得させるためかのように一昨日はTVを観ていたら「天空の集落」昨日は「金沢」そして私の旧姓は「清水」(地名ではありませんが)引き寄せ?なのか、勝手にご縁のようなものを感じて決心しました。
私も、何かのセミナーを受けるでも、修行をする、でもなく、幼い頃から自分の中に生まれる感情の全てをじっくりとみつめて、内省を繰り返すことだけでここまでこれたと思っています。第7チャクラが開いているのか?途中なのか?は分かりませんが、自分は魂の望む通りに生きられているのだなぁという満足感と喜びと、不思議と人と何かを比べて妬んだりして苦しむ感情に支配されることがなかったことにも、沢山の存在に守られていることをハッキリ実感できるようになったことにも全てが感謝に繋がっています。
少し前は、こんな自分には何か使命があるはずで、何か大きな行動を起こさなければ!などと、意気込んで少し焦る自分もいたのですが、自分の居場所で自分にできることを、自分の中に溢れる愛をまずはじっくり感じていれば、後は自然と周りにも溢れて流れていくと思えるようになりました。ありがとうございます☆