瞑想とセルフヒーリング

こんにちわ♪
今日は少し、瞑想とヒーリングについて、私の体験や頂いていた質問をからめてお話したいと思います。
私にとって瞑想は、基本的には毎日欠かせないものであり、さまざまな時間に細かく行いますが、まとまった時間をとるのはだいたい寝る前です。
そして、身体で気になる点があれば、夜の同じ時間にセルフヒーリングもおこないます。
私にとっては瞑想とセルフヒールングはあまり区別のあるものではなく、一つの流れでやることもおおいです。
夜に瞑想とセルフヒーリングをおこなうため、次の日にはある程度回復していることが殆どなのですが、睡眠時間が短いこともありたまに十分な回復を得られずに翌朝目覚めることもあります。
そんな日は、平日なら通勤時間の電車の中で祈りますし、休日ならベッドでうとうとしながらまどろみのなかでセルフヒーリングすることもあります。
睡眠にしろ瞑想にしろ、霊的なエネルギーが十分に補充されてはじめて、肉体的にも十分なエネルギーが全身にゆきわたります。
【目次】
瞑想とセルフヒーリングと呼吸法
今朝、起きた時首の後ろから肩にかけて特に右側ですが少し痛みを感じました。
職業柄、そもそも右手から肩首にかけては結構なダメージが蓄積しているのですが、 今日はピリピリと下痛みがあったのでソファーにもたれかかって瞑想しながらセルフヒーリングを行いました。目をつぶって呼吸を整え脳波が軽い瞑想状態になったことは確認して右手でそっと首や肩の辺りをさすりました。
ピリピリとした痛みが少しずつ取れて行き右腕から発するエネルギーによって肩や首の辺りの重たい感じが少しずつ良くなってくるに従いだんだんと呼吸を長く吐きたくなっできました。
この呼吸を長く吐きたくなるというのは体の声の一種で、セルフヒーリングによって浄化されたマイナスエネルギーの中で一部肉体に残ったものを物理的に排出するために呼吸を長めに吐きたい体の欲求が生まれます。
私はだいたいこういった状態になるとこの天空の庭先でもご紹介している浄化の呼吸法を行います。
4秒吸って8秒吐いて、4秒吸って8秒吐いて、もっと履きたいなと思ったので今日はおおよそ24秒ぐらい。
4秒吸って24秒吐いて、4秒吸って24秒吐いて、 マイナスエネルギーが取れてくると徐々に繊細な感覚を取り戻してくるため、自分のこの痛みはマイナスエネルギーの中心がどこにあるのかがわかってきます。
この日の場合は右の前側の胸と腕の付け根のあたりと後ろ側の肩と首の付け根のあたり、このあたりもしょうチャクラがあるのですが、どうやらそこを中心にマイナスのエネルギーが詰まっていたようです。
そんな時いつも考えるのは、 肉体的なダメージによってエネルギーが詰まったのか、それとも霊的なエネルギーの詰まりによって肉体的なダメージを受けたのか。
そして詰まっていたチャクラが体のどのような機能と関係しているのかを探り始めます。
チャクラについてはおおよそのことは分かっているのですが、 細いエネルギーの流れや肉体への対応についても書籍やインターネットにおいても深く正しい情報と出会うことはほとんどないので自分の体に起きる事象に対して毎回考察や検証を繰り返しながら探っていくしかないという感じです。
右の胸と腕の付け根の装着等に関して、エネルギー的に紐づいているのが喉の奥と肺、そしてそこに意識を持っていくと少し咳が出始め、今回のこの首や肩の痛みの原因が肺の奥にあるということを気づくに至りました。
そしてしばらく肺の奥から汚れた空気はエネルギーを出すために引き続き深く長く吐く呼吸を繰り返しました。
それを続けることをおよそ1時間ぐらいでしょうか、まだ少し軽い痛みが残るものの、随分と軽くなったので立ち上がり動き始めました。
どうやら妻が子供達を連れて散歩に出かけていたようなので私は天空の庭先のブログを書き始めたというわけです(笑)
浄化の呼吸法についてはこちらの記事が参考になります。
全身の細かいチャクラについてはこちらの記事が参考になります。
瞑想と身体の感覚
私の師のような人、トヨタさんがそうでしたが、あの方はヒーリングを行う時に小手先の技術や知識に頼らず圧倒的なエネルギーの総量で常に問題を解決していました。
私に関しても同じでどなたかをヒーリングするときには、そこに負担するエネルギーや結果も全て神に委ねてしまうというスタンスをとるため、私自身が何かを意識したり小手先の技術を駆使したりするのことはありません。
ただ自分自身に起きた出来事に関してはいつも細かく 検証し考察するようにしています。
そしてそのことがヒーリング時に特別な問題にぶち当たった時役に立つことが多々あるのです。
呼吸法、瞑想、セルフヒーリング、こういった技術は自分のエネルギーをある程度コントロールできるぐらいのレベルに達してきた人たちにとっては自分や人の健康維持するために本当に役立つスキルではありますが、 私たちに 理解が難しい様々な事象を引き起こすこともあります。
感覚の鋭さが増す
だいぶ前ですが、メールでこんな質問をいただきました。
最近、電磁波や地球のエネルギーの影響を感じますが
瞑想は、感知しやすい状態を作ったりはしないのでしょうか。
瞑想を通じて、心や体の感覚は鋭さを増していきます。と言うよりは、人間本来の感覚に近づいていくと言ったほうが正しいかも知れません。
瞑想を通じて今とは比べ物にならないほど精細な感覚は身に付いていくことでしょう。
それは相手が心に抱いている悪意や祈りなどを皮膚で感じられるほどにです。
そして瞑想に関しては何かしら恐れを抱くのであれば、まずはその恐れの原因と向き合うのが良いです。
善病とか瞑想で起きるような体に対しての弊害は本質的な理由は一つで準備不足な状態で瞑想を進めてしまった時にそれは起きます。
そして体に起きる症状としてはあらゆる精神的な弊害とあらゆる肉体的な弊害です。
本当に一言でどんな症状と言えないぐらいに瞑想に取り組む人が持つ問題や課題に対してあらゆる症状の現れ方がします。そしてその症状によってその人が抱えている問題がおおよそ分かります。
頭頂に感じる刺激
こちらも頂いた質問からです。
瞑想中、頭全体の広い範囲でもの凄い電流が流れる感じがするときがあります。
ビリビリ凄くて目を開けると余韻が残っていて頭頂に穴でも空いたかと思うくらいの衝撃です。
瞑想時に第一チャクラから上昇するエネルギーが第7チャクラに行きわたる過程において、まだ第七チャクラが覚醒段階にない場合にこの現象が起こります。
簡単に言うと自分の内から湧き上がったエネルギーがまだ開いていない第7チャクラにうち当たったとき、この衝撃は起きますし、外部からエネルギーの集積が第7チャクラに対して行われつつある時にこの衝撃は外側からも起こる場合があります。
簡単に言うと家のドアを内側と外側からノックされているという状態に近いかもしれませんね。
第7チャクラに関しては、 呼吸法、エネルギーワーク、 瞑想などの技術だけで開くことはなく、第7チャクラは霊的なエネルギーの浄化ができて初めて開かれるチャクラです。
心を清めて愛を持って生き、その上で瞑想する習慣を続けていればいずれは第7チャクラ自然に安全に開き、自分の外と内の大いなる力と繋がり莫大なエネルギーをその身にもたらしてくれるでしょう。
ただそこに至るまで、あと5回や10回生まれ変わりを繰り返したとしても私は驚きません。神と繋がる第七チャクラは、それほどのチャクラなのです。
ですから焦らずゆっくり無理なく目覚めのときを待ちましょう。
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いつもお世話になっております。
東京に4月から赴任し、医師として働いております。
1年ちょっと前からこの天空の庭先のHPと出会い、様々な気づきをいただきました。
それまで西洋医学では説明がつかないような、自分自身の身体の不調がかなり説明可能なものなんだと驚き、
そしてそれを解消できるよう1年ほど稚拙な瞑想を続けております。
以前には足底や背部がどうにも重く鈍痛を感じることがありましたが、
最近はだいぶそれを感じる機会も以前より少なくなっていると感じています。
子どものころから曖気が人より多いのがなぜだろうと思っていたのも、
なんとなく自分が引き寄せたものを消化しているのだろうといまは納得しています。
職業柄、どうにも頭が働かなくなり以前は仮眠をとらないとどうにもならなかったのが、
いまは短時間瞑想をすることでなんとかエネルギーを充填しているような状況です。
このようなことに気づかせていただいたことに、深く感謝いたします。
これからも人のために尽くすことができるよう、
またそのような環境で仕事ができることに感謝しつつ精進したいと思います。
これからもウリエル様と周囲の方々に安寧が訪れますように、心よりお祈り申し上げます。
す、すごいですね(°▽°)
瞑想はやっぱり繊細な感覚を呼び覚ますのですね〜
やっぱりウリエルさんには何でもバレちゃってるんでしょうね(笑)
参りました〜〜〜m(_ _)m…(笑)
私は自分では、ある程度のカンは働く方だと思ってますが、瞑想をしてウリエルさんのような研ぎ澄まされた感覚を手にしてしまったら…
一般人として社会で生きづらくなってしまいそうで。《言い訳(・∀・)》
私もこの春、人生の中で大きな転機を迎え、世の中的に大変だと言われる職種に飛び込んだのですが、現時点の私が今以上のセンサーを持つことは一歩間違えば容易に転落してしまうのでしょうし、自分を苦しめるようにも思えてしまうんですね。
まだ今ではないような…
これは恐れなのでしょうかね…?
それは神の力でもあると感覚的に思いますが、神を畏れているというか、人間のワタシ…いと小さきもの…とでも言いますか(笑)
でもいつかその繊細な感覚が必要だと強く感じることがあるのかもしれません。
誰かの力になる為にそれが必要だと思うならば、求めるのでしょうね。
それを手にすれば、それを使いこなす責任も出てくる。
覚悟も想いも、やっぱり私はまだまだなのかな、なーんて思っとります(^◇^)
ウリエルさん、今日も記事をありがとうございます˚✧₊
ウリエルさん、みなさんが良いステイホームをお過ごしですように♪
☆瞑想とセルフヒーリングと呼吸法☆の場所で
☆ウリエル☆さまは普段周りを浄化なさっているので、自然とこの様なセルフヒーリングが可能なのかと気づき尊敬です。
改めて「情けは人のためならず」ということわざを思い起こしました。
「トヨタさん」とおっしゃる素晴らしい方のお話いつも拝見しております。
私も人生の師となる素晴らしい方々から沢山の愛を頂く幸運に恵まれました。
昔の私は「なってなくて」なのに辛抱強く、救おうとして下さいました。今でも一言一言思い出します。今を強く支えてくださっています。お礼申し上げたいけど、もう会えなくなってしまった人もいらっしゃいます。
何故、私の様な「なってなかった」人を??
もっと愛すべき素晴らしい人は沢山いるのに。
でも、本当の愛って、そういうものなのかな。
その方の「神さまの光」ですね。
私もそのようになればいいのだなあと思います。