「嫌い」という感情には、スピリチュアル的に深い意味があります。特定の人がなぜか生理的に受け付けない、理由は分からないけれどどうしても好きになれない……そうした感覚は偶然ではなく、あなたの魂が向き合うべきものを映していることがあります。ここでは、嫌いな人・嫌いなものに出会うスピリチュアルな意味を整理し、この感情をどう受け取り、どう扱うかについてお伝えします。
嫌いな人に出会うスピリチュアルな意味
☆ウリエル☆嫌いな人が現れること、嫌いという感情が湧き上がること。それはどちらも、今の人生や自分の成長に必要な課題が始まるサインだと思います。
「嫌い」という感情を無理に消そうとしたり、感じてしまう自分を責めたりする必要はありません。ただし、ひとつだけ最初にはっきりお伝えしたいことがあります。「嫌いな人との出会いに意味がある」ということは、「その人と関わり続けなければならない」という意味ではありません。意味を受け取ることと、距離を置くことは、同時に成立します。
波動・エネルギーのズレとして現れる
スピリチュアルな観点では、私たちはそれぞれ固有の波動(エネルギーの振動)を持っています。波動が大きく異なる相手に対して「何か合わない」「そばにいると消耗する」「生理的に嫌だ」と感じるのは、このエネルギー的なズレが引き起こす感覚的な反応です。
嫌いという直感は、自分と相手のエネルギーの不一致を知らせるセンサーとして機能しているとも言えます。スピリチュアルな解釈がしっくりこない方には、「相手の言動が自分の価値観や境界線に触れている」という心理的な読み解き方も、同じくらい有効だと私は思います。
自分の内面を映す「鏡」としての存在
嫌いな人は、自分がまだ受け入れていない内面の一部を映し出す鏡だという考え方がありますよね。相手の言動に強く反応するとき、その反応の強さは自分自身の何かと共鳴しているのかもしれません。ただし、これはあくまでひとつの視点です。すべての「嫌い」が投影や自己課題に還元されるわけではなく、単純に相手が自分の安全や境界線を脅かしているケースもあります。その場合は、内省より先に自分を守ることを優先してください。
カルマが「嫌いな人・嫌いなもの」を引き寄せる
スピリチュアルな法則の中で、わたくしが特に重要だと考えているのがカルマの観点です。私たちが強く「嫌い」と感じた感情のエネルギーは、カルマの法則によってその対象を引き寄せます。
すごく簡単に言うなら、嫌いという否定的なエネルギーを自ら生み出すその状態を改善する機会として、引き寄せてしまうのです。
さらに、前世から持ち越した感情のエネルギーが、今世で「理由もなく生理的に嫌い」という形で現れることもあります。なぜか分からないのに嫌い、という感覚の多くには、こうしたカルマの引力があるとわたくしは理解しています。この仕組みについては、このあとくわしく解説します。
嫌いという感情
嫌いというのはおもに感情によって起こります。
感情とは、わたし達の肉体や幽体に属するエネルギーです。
例えばどんなに理性的な人間でも、強く足を踏まれたり、道でよけずに身体をぶつけてくる人間が居れば、一瞬その人に対して「イラッ」ってしたり、怒りの感情がわくと思います。
これら肉体と紐付く感情は、ある意味自分の肉体を守るための防御本能であるとも言えます。
実は「嫌い」という感情にも、似たような側面があります。
例えばですが、子供の頃に犬に噛まれた事がある人が、「犬が嫌い」とうのは当然のことだと思います。
その人が犬が嫌いなのは、また噛まれるかもしれない、「犬が危険」だという情報を持っているからです。
だから、犬のことが怖いし、犬が嫌いになったります。
これが、大人になる課程の中で、おとなしくて可愛い犬と出会ったら、「犬が嫌い」という感情は消え、犬が危険だという認識は、犬によって個体差があるという認識に変わり、犬のことが嫌いではなくなるかもしれません。
つまり、人間の肉体に紐付く「嫌い」という感情は、あるいみ肉体や自分自身を守るための防御本能なのです。
今回は犬でたとえましたが、もし相手が人間だった場合でも同じです。
これがひとつ、人間が感情的に何かを嫌う大きな理由の1つです。
キライ! いや! という感情エネルギーが蓄積する
感情の蓄積とは、情報の蓄積です。記憶と共に薄れていきます。
人間が感情にとらわれると、つまり毎日同じ感情を思い続けると、感情のエネルギーは蓄積します。
例えば毎日顔を合わせる嫌いな上司、忘れたくても忘れられないほどの嫌な思い、その原因となった誰かの事。
毎日のように考え続けたら、記憶が薄れるどころか、ますます膨らんでいきます。
そういった感情的なエネルギーは、第三チャクラと呼ばれる、鳩尾のあたりにある霊的なエネルギーの中枢へと蓄積します。
感情的なストレスで、お腹が痛くなる理由の一つは、この感情エネルギーの蓄積にあります。
嫌いの感情が想念を増幅させると起きる不幸
感情エネルギーは蓄積しやがてエネルギーの密度が増すと感情エネルギーは想念となり、より物質に近い感情的なエネルギーとして具現化しはじめます。
想念とは、私たち人間がの想いのエネルギーです。「念」という言葉のほうがよく知られているかもしれませんね。
想念エネルギーはそれが生み出された原因となった感情を引き継ぐために、「相手が嫌い!」とか「憎い!」といった否定的な感情、マイナスエネルギーとなり、感情の向き先へと向かってゆきます。
想念エネルギーは反物質のエネルギーなので、このエネルギーの向き先となった人間の身体に直接影響を与えます。
これがつまりこれが、呪いを生み出すプロセスという事です。
そして、もっと恐ろしいのは、この想念というエネルギーがより大きく、より高密度に集約されたときには、感情的なベクトルだけでなく、生み出した本人の特徴を兼ね備えます。
つまり、生み出されたときの感情と、多少の知性を持った存在として独立するのです。これがいわゆる「生き霊」を生み出すプロセスです。
嫌いの感情と想念は生まれ変わっても持ち越す
感情のエネルギーは第三チャクラに、想念のエネルギーは第二チャクラに蓄積します。
このチャクラというのは、私たちの霊体にも存在し、肉体と連動して機能しているため、私たちは今生きているこの人生で自分が蓄積させた、感情的なエネルギーを輪廻転生して来世に生まれ変わった時にも持ち越します。
つまりは、私たちは、前世に生きていたときの感情の蓄積や、想念の蓄積を持ち越して生まれて来ているという事でもあります。
これが何を意味しているか? お気づきになられましたか?
そうです、私たちが前世で嫌いだったものは、今世でも嫌いなのです。
なんとなく嫌い、生理的に受け付けないなど、理由も無く嫌いに思えるような事でも、実は前世から引き継いできた感情に原因があったりします。
「嫌い」の本質は、輪廻転生を経て、今も持ち越している感情という事になります。
前世で犬にかまれた人は、今世でも犬が怖くて嫌いかもですね。
「嫌い」も解消すべきカルマの一つ
さて、ここからが結論ですが、因果応報とかカルマの法則と呼ばれる、「人間は行い(原因)に対して報い(結果)」を受け取るという法則があります。
よく、前世で殺人を行った人が、今世では殺されなければならない、なんて例え話でも知られていますが、このカルマの法則は、恐ろしい事に、人間が生まれ変わっても逃れることはできません。
「カルマ」というのは私たちの霊体に記録され、死んだときに持ち越すからです。
ちなみに、カルマの法則は実際に行動に移した事だけでなく、想った事にも作用します。
つまり、人が誰かに殺意をもったり、呪いを向けても、カルマの法則はその感情のエネルギーに作用します。
「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」というキリストの言葉がありますがまさにそれです。
つまり、第三チャクラに貯まる感情エネルギーの蓄積が、自分が生み出し、来世へと持ち越す感情のカルマという事です。
人間はいずれ全ての過去の過ちを精算して、全てのカルマを解消しなければならない、なんて話を聞いたことありますでしょうか?
例えば、山本(仮名)君が佐山さん(仮名)をとても強い気持ちで嫌ったとします。
「人を嫌った心」はカルマとなりますから、山本君はいずれ佐山さんを嫌った感情的なカルマを解消しなければなりません。
その時なにが起きるかというと、山本君は、佐山さんと近しい環境に生まれて来たり、恋人同士になったりします。
つまり、カルマの法則は「嫌い」なものを引き寄せます。憎んだもの、恨んだもの、自分がかつて持った、浄化が必要なあらゆる感情を引き寄せます。
そしていつもの結論ですが(笑)
心を清めて愛を持って生きましょう♪ それがカルマを浄化するだけではなく、来世に持ち越すあらたなカルマを生み出さない唯一の方法です。
私たちは、真実によって測られる、それが真理です。
なにも嫌いなものが無く、何も嫌うことなく生きられたなら、そこには大きな魂の幸いがありますから♪
「嫌い」という感情と、どう向き合うか
ここまで、「嫌い」という感情がカルマや輪廻転生と深く結びついていること、感情エネルギーが蓄積して想念となっていくプロセスをお伝えしてきました。最後に、天空の庭先としての見解をまとめておきます。
「嫌い」という感情は、持ち続けることで第三チャクラに蓄積し、いずれそれを解消する為にカルマとして自分自身に戻ってきます。これは罰ではなく、魂が浄化を促しているプロセスです。だからこそ、嫌いな感情を無理に押し殺すのではなく、「この感情は今の自分に何を伝えているのか」を静かに受け取ることが、最初の一歩になります。
同時に、「嫌いな人に意味がある」という理解が、我慢や無理な関わりを正当化するものになってはいけません。カルマの観点から言えば、相手を憎み続けることも、無防備に傷つき続けることも、どちらも新たなカルマを積む行為となり得ます。必要であれば離れていい。距離を置くことは、愛の欠如ではなく、自分と相手の双方を守る選択です。
最終的には、「嫌い」という感情そのものを手放すことが、魂の浄化につながります。それは相手を無理に好きになることでも、許すことを強いることでもありません。その感情エネルギーを自分の中に蓄積させ続けないという選択です。嫌いという感情を丁寧に手放していくことが、来世に持ち越すカルマを減らし、今世をより軽やかに生きることにつながると、私は思います。
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コメント
コメント一覧 (8件)
ウリエルさま
いつもわかりやすくて、本当に魂の学びになることを教えてくださり、感謝いたします。
今回の(怒り)も転生輪廻しても、持ち越すのですね。 私事ですが、主人が本当に大嫌いなのです。
結婚当初はそんなことなかったのですが…○○年も結婚生活をするとたくさんの出来事があり、ドンドン大嫌いになっていきました。 この大嫌いな感情も今世だけの感情ではないわ~と感じておりましたが、やはり、前世からの持ち越しのようです。 魂が永遠なら、今世は主人を心から赦したいと思います。
ですが…頭で分かっていても、私の魂が赦さないのです。難しいです。
今世で終わらせたいです。そして来世は自分の魂に近いグループの男性とめぐり逢いたいと思います。『赦す』が今世の私の魂の課題なんだと思います。 そのために、今世の魂の学びのために主人をパートナーに決めて生まれてきたように思います。
毎日を感謝と祈りで清めて参りたいと思います。
ウリエルさんに心から感謝いたします。
magunolia
magunoliaさんこんにちわ♪
生まれ変わっても持ち越す、記憶は無くす、カルマの返済制度は本当に良く出来ているというか恐ろしいというか、逃れられませんね(笑)
許そうとして許すは感情的な行動で、あるがままで許すというのが愛です。
これって本当に難しくて、本当の許しとは、今許せない想いが、感謝のような気持ちに変わった瞬間なのだと思います。
私も自分の人生の中で、それが難しい事がたくさんありましたが、思い出したら感謝しか無い、ありがとうという気持ちで涙さえ出てくる、そんなゆるしがいずれ訪れると思います♪
ウリエル様
いつも楽しく読ませて頂いております。
嫌う感情とカルマについて、また気づきがありました。
ある共通の嫌いな部分を持つ人と知らず識らずのうちに出会います。人を好きになるたびに世の中に嫌いなものが増えていくくらいなら、恋愛などしない方がいいと思う日もありました。
答えは、私が許せばよかったんですね…
すぐにはまだ難しそうですが苦笑
許せないと思うものをできるだけ少なく、寛容になり、ウリエル様のように心を清めて愛を持って生きれたらいいなと思います。
いつもありがとうございます。
ウリエル様
いつもたくさんの学びをありがとうございます。
まだまだ学びが足りない故いろいろと悩んでいます。
私自身、家が自営業のため、自分の周りには商売をしている人や
2代目3代目との仕事でのつきあいが多いのですが
自分本位な方や、人をうまく使って自分が儲けたい人が多いということに
ここ最近気付いてしまい、がっかりしつつ
そんな方々が信じられず、人間不信と人嫌いな昨今です。
カルマの法則で考えると過去世で他人にそうしていたから
それを現世にて消化しているのかとも思いますが
やっぱり“信じられない”とか“この人嫌だなぁ”の念が
1日の想いの多くを占めてしまう毎日です。
宇宙の法則と神と愛を知る前はそんなことはあまり感じませんでしたが
きっとこのことを知ったが故
こうあるべきという気持ちや、どこか期待してしまっている面もあるのかもしれません。
宇宙の愛と現実とのギャップというのでしょうか
それを思い知らされているところですが
こう思っている時点で、まだ学びが足りないのかなとも思います。
また、魂の学びをしている方の中には
同じような葛藤をかかえる方もいるのではないかと思います。
そんな自分と同じような迷いや不安、人間不信に陥っている方に
メッセージや乗り切るコツを伝授いただけると嬉しいです。
“心を清めて愛を持って生きる”こと
見返りのない無償の愛とはやっぱり難しい修行であると感じます。
ちなみに、最近一緒に居て一番安心できる人は
無邪気な子どもかなと思いました。
もちろん母としてガミガミもしていますし
やらないといけないことも沢山ありますが
人を騙したり、利用したりという邪念がなく
子どもの純粋さに心がホッとすることがあります。
miyaさんこんにちわ♪
コツですか?
神は無限の愛で無限の時を待ち続けています。
ですから、あまり焦らずにゆっくりやる事ですかね?
毎日100点をとる必要など無く、51点取れれば十分です。
他人にも自分にも良い加減に接する事が出来ればと思います。
たまに失敗してもたまにやり過ぎても、毎日51点取れればいずれチャラになるので♪
悪気は無い人達ばかりです。ただ、知らないだけなのですから。
子供は確かに、癒やしと活力を与えてくれますね♪
ウリエルさま
愛溢れたコメントありがとうございます。
『許そうとして許すは感情的な行動で、あるがままで許すというのが愛』のウリエルさんからのメッセージ,心に響きました。
今はまだ大嫌いな主人をすべてを受け入れ許せますように…心を清めて愛の想いで毎日を過ごして参りたいと思います。
この世で体験する悲しいこと、苦しいこと、辛いことも、すべては自分の魂の学びのためであったことが分かれば、本当に感謝になりますね。そのことは私もよくわかります。
大嫌いな感情も『ありがたい』という感謝の思いに変わりますように、これからもウリエルさんから学ばせていただきます。
素敵なHP【天空の庭】に感謝いたします。
お写真もとても綺麗で癒されてます。
magunolia
magunolia こんにちわ♪
言うのは簡単で、やるのは人生賭けてみたいな事も沢山あり、私自身も自分を省みる毎日です。
いつか、ありのままで愛そのものになれると良いですね♪
時間というのは、本当に神の無限の愛の顕現だと思えるときがあります。
いつもありがとうございます♪
ウリエルさん、学ばせて頂いております。感謝しています。
私は他人に対しての嫌いと言う感情はほぼ無くせました。
今までは車に乗っててもルールを守らない人にイラッとしたり、職場で子供のような嫌がらせを考え実行する人にイラッとしたり、考え・行動が正しく無い、ダラダラしてると感じる人にイラッとしたり、導火線は短いし短気だと自覚がありました。
しかし、人は倫理転生を幾度となく繰り返し、カルマを解消しながら勉強し、魂を磨く存在だと認識してから考えが変わりました。目の前の嫌な人は、元を辿れば同じ神の分け御霊で私と同じ存在。今世で私の勉強の為に嫌な役目を担っているかも知れないし、前世で良い人で今世では徳を積む為に悪人を選択しているかも知れない。そんな私の人生に出会ってくれた相手の魂に感謝し、相手の幸せを願う事でイライラは消し飛びます。学んだ後も嫌がらせが続く事もあるでしょうが、その時は赦した上で精神的な距離を置けば良いと思います。もう学んだのですからそれが可能になります。