ヒーリング 無料(奉仕)と有料(仕事)
スピリチュアルな分野や、ヒーラー達の間でよく議論に上るヒーリングの無料、有料。
何故このような議論が起きるのかと言うと、無料=奉仕で、有料=仕事(商売)という認識がひとつ存在するからです。
この件に関して、「ヒーリングは無料であるべき」と主張する人達は、有料だとそれは商売であって無私の愛では無い。
そんな感じの理由が多いです。
逆に「ヒーリングは有料であるべき」と主張する人達は、働いたら対価を受け取るのは当然という理由が多いです。
「ヒーリング無料派」は、有料でヒーリングを提供する人達をレベルが低いとみなしたり、逆に「ヒーリング有料派」は、ヒーリングを無料で提供する人達を、「古い価値観に縛られている人」「豊かさを受け取るのが下手」と思ってたりします。
神は善のものと考えられていましたが、ニューエイジ的な思想の中には、神はニュートラルと見なす考え方もあり、無料や奉仕が必ずしも良いと思わない人も増えています。
【目次】
ヒーリングは無料?有料? ヒーリングの価値はいかほど?
ここでも心の清さと愛というものが大きく関わると思います。
私自身はお金や物などの報酬を頂いたことはありません。
理由はと言えば、最初は私をヒーリングしてくださった方の影響でした。
「僕はこの能力を天からタダで授かった、だから人を癒すときにもタダでするんだよ。」
心の師ともいえる人のこれらの言葉から、私自身も人から報酬を受けずに活動しました。
無条件に誰にでもヒーリングや浄霊を行い、20代にはいちど生活や人生が壊れかけるまでそれを続けたことがありました。
そのときの「報酬を受け取らない」は、あるいみ頑なであったかもしれません。
結論から言えば、「報酬を受け取らない」この姿勢が間違いなく正しいです。
神から無償で頂いたエネルギーですから、それを与えるのは同じように無償であるべきです。
これまでたくさんの方をヒーリングさせて頂きましたが、感謝や喜び、愛や感動など、私がした事以上のお返しを頂いているなぁと感じています♪
エネルギーのお返しは、これら同じエネルギーで十分だと思います。
そしてこれは私が上の人たちから教えられた事であり、私自身の感じ方や考え方でもあります。
ヒーリングビジネスとは?
まずはたとえ話からです。
険しい岩山に囲まれた町があります。
そこは昔は肥沃な土地でしたが、人々が木を切ったり山を掘ったり
好き放題にしたために、今では土地はやせほそっています。
その町の人たちは何より水不足に頭を悩ましていました。
あるとき、2人の旅人がその町から遠く離れた岩山の奥で水が湧いているのを見つけました。
旅人Aはこう言います。
「あの町の人たちは水に困っているから、この水を容器に詰めて持って行ったらきっといい商売になる」
旅人Bはこう言います。
「水は自然の恵みだぞ、それを商売にするのは良くない」
旅人A
「容器に入れて運ぶのだって手間がかかるのだからお金を頂くのは当然だろう」
旅人B
「何を言っているんだ、あの町の人々は困っているのだからここに水が湧いているのを教えてあげよう」
旅人A
「ではこうしないか? 場所は秘密にしてお金を払ってくれた人にだけ教えるってのは?」
旅人B
「お金なんかもらわないでみんなに教えてあげよう」
こうして意見の合わないふたりの旅人は仲違いをしました。
最初、旅人Aは水を売る商売をはじめましたが大盛況です。
町の人たちは遠くからその水が運ばれてきてるのだと思い込み、多少高いお金を払ってでも水を買いました。
旅人Aは商売を拡大しようと儲けたお金で荷車と水を入れるたくさんの容器を買いました。
しばらくして、旅人Bが町の人たちにわき水の場所を教えると、町の人たちは自分で水をくみに行くようになり、旅人Aの商売は廃れてなくなってしまいました。
旅人Aには荷車とたくさんの容器が残りました。
旅人Bには町の人たちのたくさんの感謝が残りました。
もし水をみつけたのが旅人Aだけだったら、もっと長く商売できたかもしれませんね(笑)
初めてミネラルウォーターが店頭に並びだした頃、水までもが商品になったのか!?
って思いました。今ではネットで情報が商品になる時代になりましたから驚きです。
この例え話、細かい説明はしませんが、水を神のエネルギーに置き換えて考えたなら
私の言いたい事が、きっとお解りいただけると思います。
ヒーリングの報酬を受け取る = 悪では無い
私は物質的な報酬をまったく受け取ってはならないという事では必ずしも無いと思います。
大切なのは期待をしない事、要求をしない事です。
もし相手が喜びや感謝の気持ちをどうしても形あるものでという場合、相手のためにもそれは受け取って構わないのではないかと思います。
ただ、神やヒーラーから頂いた愛を、感謝ではなくただお金や物で決着させようという意志を感じたら私なら断固として受け取らないでしょう。
よく霊能者やヒーラーが、自分がお金を受け取る事に対して言う論法で、お金はエネルギーだという言葉が多いです。それは正しいですが、それを言ったらあらゆるものがエネルギーであるはずです。報酬をお金に限定する理由は無いはずです。米や野菜でも良いでしょ♪
お金は人によって価値の変わる不公平なエネルギーです。
同じ1万円が、人によってまるで価値が変わってしまう、そんなエネルギーです。
マネーシステムは人の欲望や想念によって淀んだ水たまりのようなエネルギーです。
もしヒーリングが、愛や奉仕、親切と結びついているのなら、お金を要求すること自体ナンセンスではないかなとも思います。本当に人生や健康で困っている人の多くはお金にも困っている場合の方が多いのですから。
なによりも、神のエネルギーに値段がつけられるでしょうか?
タダより高い物は無いなんて言葉がありますね♪
私が報酬を頂かないのは、無料という価格設定が最も公平で、色んな意味で適正と感じているからです。
ヒーリングにおける奉仕とビジネスの違い
私はよく、人が何かをする動機が愛や信仰を見極めるためにビジネスか?奉仕か?というような事を言います。これはヒーラーというよりは、霊的なマスターを見分けるときの基準としての言葉なのでとてもハードルも高いです(笑)
私自身はヒーリングでお金を頂いたことは一度もありません。神への信仰や愛に基づいて霊的な活動をしているからです。
私は報酬を受け取らないという姿勢が正しいと思っていますし、人にもそのように伝えています。しかし、この言葉がたまに誤解を生むのですが、私は必ずしも商業的なヒーラーを不要だとか、そういう事を言っている訳ではありませんよ♪
ただ、現在の商業的なヒーリングの実情を見ていると正直これはどうなんだろうと疑問を持たされる事があまりにも沢山ありますが、商業的なヒーラーの中にもヒーリングを広めたいとか高い理想を持って素晴らしい活動をしている人はいらっしゃると思います。
奉仕で行うヒーリングと仕事で行うヒーリングは根本的なところが違うので、一緒くたに語ること自体が間違っていると思います。
ヒーリングを仕事にする
ヒーリングビジネスを考察
人は仕事を通して人や社会に貢献し、その成果(報酬)によって生きていくというのは当然のことです。
ヒーリングでお金を取るか否かは何かと議論にあがる事が多いですが、他の仕事をしたくない!自分の時間はすべて人を癒すことに使いたいんだ!という方がヒーリングをお仕事にできたらそれは素晴らしいことだと思います♪
ヒーリングを仕事にするなら、それは仕事なので報酬を受け取って当然です。
ただし、ヒーリングを仕事にして報酬を受け取っているにもかかわらず、奉仕をしていると思い込んだなら、それは報酬の二重取りです。
奉仕として行い神から見返りをいただくか? 仕事として行い人から見返りをいただくか? それがヒーリングのビジネスと奉仕の違いです。
もしヒーリングをビジネスとするのであれば、ぜひ「人や社会に貢献する」という事を忘れないでください。それはプロのビジネスマンとしての姿勢です。
私はデザイナーという職業ですが、プロとして報酬を得るまでは、高校、専門学校と専門教育を受けましたし、毎日授業や課題以外にも数時間絵の勉強をしました。
社会でプロと成るには要求される一定の水準を超えた能力が必要です。
それはどんな職業でも同じであると思います。
ヒーリングやリーディングなどスピリチュアルな分野でも同じだと思います。
エネルギー治療と結びつくことでその効果を飛躍的に向上させられるような知識や技術はたくさんあると思います。 医療、精神療法、食事療法、鍼灸、マッサージ、リフレクソロジー。もし本当に人を癒したいという熱意があるのであれば、あらゆる知識や技術の習得を惜しまず、プロとして求められる、プロとして認められる水準の力を持つヒーラーを目指してください♪
もし本当に誠実に、ヒーリングを仕事としようと思ったなら、ヒーリングは目に見えない事であるが故に、普通の職業以上の努力とが必要な大変厳しい世界になると思います。
旅人の話ですが、町の人たちは水場が遠くて不便だと思います。
もし旅人Aが私欲ではなく、人々の為に「町まで水を引く」といった事を最初に始めたなら、旅人Bや町の人たちはみんな協力してくれたかもですね♪
その気持ちがあったなら、きっと仕事も報酬もおのずとついてきたと思います。
こんにちは♪
お金を受け取らず、その能力を人さまの為に、と尽くされる善意の思いがひしひしと伝わってきました。
人を思い奉仕の心に溢れているウリエルさん。心から尊敬します。
私個人としては、この三次元世界にてその方のお時間を割いていただいていることに対する等価として、お金をお渡しすることは悪いことではないんじゃないかなと思ってます。もちろん、野菜やお米、その他のものにもなりえますが♪
癒しを与えてくださるその方にも、この現実世界で生きるにはお金は必要なので。笑
お金って不思議ですね。
使う人の心を乗せてますよね。
使う人の心が清められていることで初めて、神の愛すら表現できると感じます。
己の欲得、不安や恐怖、人への妬み嫉み、そんなことがお金を悪者にしてしまう気がします。
お金を汚しているのは人なのかもしれません。
でもそのような大切な気づきを私たちに与える為に存在していることに感謝です。
どんな時も高慢にならず謙虚であろうとすること、とても大切なことですよね。
自分だけが正しいと思ってしまうことは間違いですし、謙虚であろうとしすぎて卑下することも違うと思いますし、今の私はそんなことを学ぶように、、導かれている気がします。
ウリエルさん、いつもありがとうございます。
ウリエルさんの言っている意味がよくわかります。すごく 腑に落ちます。
旅人Aは、 町まで水を引く 事を 人々のために奉仕の心で、動き始めたら
多くの人が集まり、 さらに効率よく 人々が水を組めるような仕組みを考え、
もしかしたら、最初の 「水を売る商売」よりも もっとワクワクするような他の仕事が 見つかったかもしれませんね。
いつのまにか 「仕事」が成り立っていた。なんてことも あるのかもしれませんね。
「一升枡には一升しか入らなぬ 。無理に入れては袋が避ける。
地位も名誉も神任せ 世のため人のために尽くして器を大きくせよ。」
神さまはいつも私たちに 与えてくれているけれど
それを受け取る 「器」がなければ意味がない。
やはり、「器」、愛、 を 大きくしてあくこと
それが第一なんでしょうね。
ウリエルさんのブログを拝見する時、ダスカロスのイメージが浮かんでくるのは何故なのかわかりました☺️
はじめまして
よくわかるお話でした
ありがとうございました
スピリチュアルな力をお持ちの方は
天職と適職とに
是非分けて活動して頂きたくて
でも、ご自身の負担もあるでしょうし
勝手な考えとも思っていましたが
ヒーリングやリーディングの有料は
どうしても腑に落ちない理屈でした
生命の実相を
深くきちんと知りたいのです
何かできること、するべきことはあるでしょうか?
もっと辛く大変な思いをされている方は多く
呑気な話なのかもしれませんが
私がずっと気になっているふわふわしたものの
答を探しています
いつも素敵なshareをありがとうございます🐳
“感謝ではなくただお金や物で決着させようという意志を感じたら私なら断固として受け取らないでしょう。”
おぉー目から鱗。。。棚から牡丹餅(??)
私の中で、ウリエルさん心の師です(*^^)v
私は何か ん? と違和感を感じても、よくわからなくてそのままなぁなぁにしたり、
とりあえず自分も違和感を感じつつもズルしたり染まってみたりしてしまうことが多いので、
こう、素晴らしい軸をkeepしている方々って素晴らしいなぁとその清らかな美しさに感嘆します。
私もさらにさらにハート(愛)を基準にしていこうと決意しました。
尊敬するヴィーガン師匠(住職さん)も、
お仕事(法事+毎回、ご家族様自身によるご遺族様への回向と菜食のお話など)のお値段はその人の経済状況(気持ち)にお任せしてるのに、
なんだかものすごく経済的に守られているとお話ししていました。
法を説きながら?、(真逆に)営利をむさぼっている?(高額要求?)同業の方は、
ペナルティ出る(経営ひっ迫したり、病気したり)のがどうも早いようで、
法を説くものとして日本のお坊さんがこんなんじゃ切ないともお話していました。
そもそも経典?に間違い(誤訳?誤記?)がある箇所があるのに、
仏教?協会?は間違いを知りつつ直そうとしないでそのまま布教して日々読み上げていたりするからおかしなことも起きる、うんぬん。
信じるな、疑うな、確かめてみよ、という言葉が好きですが、最終的には自分で確かめるのが一番ですね。
「水を売る商売」のお話では、
私的には、町の人のカルマだなぁと思うので、同じ悲劇を繰り返さないよう、
水の場所を伝える前に、
調和、循環、再生だよ、(山を癒す、瞑想して一人一人が自然や宇宙と一体になる教育の取入れ)と念を押しておきたいところだなぁと思いました。