想念と念 – スピリチュアルとは 第13話

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【目次】
想念とは?
想念とは「想いえがくもの」です。
目に見えない気やエネルギーについてお話ししましたが、目に見えないエネルギーにはそれ以外にもたくさん種類があります。
中でも私たち自身に密接な関わりを持つのは「意識エネルギー」です。
「思考」「感情」「想い」私たちが日々心に想い描く考えや気持ち自体が精妙なエネルギーなんです。
そして想念とは、そういった私たちが普段から心に思い描くものが集まって蓄積し、エネルギーとなったもの「想いのエネルギー」です。
気やオーラもですが、この想念も、目には見えなくても物質としての属性も兼ね備えているので、現実世界の物や私たちに人間に影響を与えることができます。
「想念」は、より物質に近づくと「念」になります
念じる、念を込める、感謝の念、これらは「念」を使った言葉です。
「虚仮(こけ)の一念、岩をも通す」 これは絵空事でも一途に想い続ければ叶うという意味の言葉です。つまり想念エネルギーが蓄積し、より濃い状態、物質に近い状態になったものが「念」なのです。
こんな経験ありませんか? 友人と喧嘩になってとても攻撃力の高い言葉(酷い悪口)言われたときに何かが胸に突き刺さるような感じとか実際に痛みとして感じるようなこと。
それって相手を傷つけてやろうという想いのエネルギー「念」が言葉に宿っているからなんです。
相手の言葉が ズン! っと自分に打ち当たるときそれは相手の念が言葉と一緒に自分に打ち当たってる時です。念は 物質と精神 両方の属性を持っていますが、想念よりもより物質的です。
念は物や場所に宿る
念は物にもこもります。時間をかけて描いた絵と3分で描いた落書きの完成度の差は単にそれにかけた時間だけではなく、その物質にこもった念の大きさの違いでもあります。
心を込めた料理とそうでない料理の味の差もそれに振り向けられた「想いのエネルギー」つまり想念や念に大きく左右されます。
カップ麺やレトルト商品、大量生産された多くの食べ物には人の気や念がこもってないんです。たくさん食べてもあまり長い時間元気が続かないのはそのためです。
私たちの「想いのエネルギー」である想念や、それが念となったものは、見えないだけで対象に大きな影響を与えます。
カルマの法則でちらっと説明しましたが、自分がしたことの報いはよいことであれ悪いことであれ、自分自身に返ってきます。
だから、人を呪わば穴二つなんです。
悪い念送ったり悪い念込めたらだめですよ?(笑)
良い念を良いことに使いましょう♪
いつも素敵な記事をありがとうございます。
言葉にこもる念、本当に実感します。
オーラが乱されるのか、チクチクしたり、殴られたような感じさえします。
(涙もろいのに、意識があるから、泣かない我慢しがちですが、
怒ったりするよりはストレートに泣いたほうが解決はもっと早いかもしれないなぁと感じることもあります。)
energy的な衝撃は目に見えるものでないし、
(衝撃に感覚?がマヒしてうまく心身が動かせなかったり、ろれつが回らなくなったり、静電気が発生したり?)
そんなことを言う本人も傷ついているし(もしかして憑依減少のため本人の意思とは関係ない?自分や環境の波動が落ちてるから?)、
その言い方?口調?止めてといっても意味が伝わらないからしょうがない、と思いこんで
ドッチボールのボール当たるがままにしてきた時期があります。
(今は何となく対処方法わかってきたので、浄化音楽流したり、受けず流したりを精進中です。)
しかし、本当は、変な自己犠牲していちゃいけないのだなぁと気づくまで結構な時間を要しました。
ちゃんと避け、自分を守ること。
そうすることで、相手にも不要なカルマを積み重ねさせないこと。
暴力を受けることを甘んじるのは、相手がカルマを積むのを促進させてしまうので、
例え愛する人のすることであっても、愛から外れた行為には、自分を守り相手を守るためにも、ちゃんと避け、線引きする必要があるのでした。
軸が人なのか、愛なのか、本質を見極める練習だったのかもしれません。