瞑想 – スピリチュアルとは 第29話
瞑想とは?
祈りが神へと語りかける事であるなら、瞑想は神の声に耳を傾けるといった感じです。
瞑想は、心身が健康で心の浄化が順調に進んでいる人であれば大きな危険はありません。
逆に我や欲望に心を奪われているような人が瞑想を始めるのは危険もあると思います。
私もこれまで、あまりハッキリとはやり方について書かないできました。
これは私自身もトヨタさんに教わるときに、準備ができているかを調べられた上で方法を教えられたからです。
エネルギーが解る、輪廻やカルマの思想を受け入れる、こういった事が人間のひとつ段階であるの同様に、瞑想に興味を持って取り組み始めるのもひとつの段階であると言えます。
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瞑想をはじめるにあたっての心構え
私が瞑想について人に聞かれアドバイスするとき、2つの事に注意しています。
その人の準備が整っていて、瞑想を始める時期に達しているか
心身の準備、霊性、自己を浄化して神へと近づこうという決意です。
これらが十分であれば瞑想はその人の心や段階に合わせて必要なちからや認識を与えてくれるでしょう。
もし瞑想が破壊的な結果をもたらしても受け入れる覚悟があるか
準備不足な場合でも、本人の強い希望や決意が在れば、瞑想を教える場合もあります。
ただ、準備が十分でない人が瞑想を行うと、瞑想の結果を急ぐあまり、無理な呼吸やワークで自分を傷つけたり、瞑想で強まった霊的な力が他者への呪いや霊媒体質、幻覚や幻聴など、有害な結果を引き起こしたり、最悪の場合は精神異常などの破壊的案結果を招く場合があります。
まあそこまで壊滅的な結果になる事は普通なかなかありませんが。
そういった悪い結果も受け入れられる心があれば、学びの機会や経験とする事ができます。
本やネットを調べると色々な瞑想方法がありますが、中には明らかに間違ったものや危険なものもあります。いずれ人それぞれが、段階にあったやり方を知ることができるように、この庭先に書いていこうと思います。
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