千年の不浄霊 – スピリチュアル体験 第40話
「魔境」のころのある時期、毎日寝覚めが悪く、明らかにひどい時期がありました。
まあいつもより寄りつく霊の数が多く来ているのだろう、そう思ってサラッと流してました。
そんなとき僕の母がちょっと変わった夢を見ました。
日本の古い時代の人間の姿をした霊が何人も夜な夜な僕を取り囲んで障りをしていたそうです。
幽体離脱した母がその霊たちに聞きます。
霊との会話
母:「お前たちはなんでそんなことをしてるんだ?」
霊たち:「こいつは生意気だから痛い目に遭わせてやるんだ」
母:「お前たちはどこから来たんだ?」
霊たち:「K町の○○神社から来た」
次の日に母からこのできごとを聞きました。
生意気だから。。。。 ですか?(笑)
当時の僕は魔境の時期を経て、成仏できずに留まっているような霊に対してひどく傲慢な心をもってました。
思い出せる範囲でどんなに傲慢だったかを書いてみます(笑)
「今日は100匹以上 霊を片づけたなぁ」
「雑魚が何匹かかっても俺に勝てるか!」
「とっとと帰れ!帰らないと魂を引き裂くぞ!」
浄霊した霊の数を撃墜数のように思うような傾向があり、浄霊の数が増すにつれ、自分のちからや能力を過信し、魔境によって霊への不快感や苛立ちも手伝い、いつのまにかとても攻撃的かつ傲慢になってました。
力ずくの浄霊とでも言いましょうか。
もしこの傾向が長引けばダークフォースに魅了され暗黒面に落ちたかもですね(笑)
護符を持って神社に浄霊に行く
とりあえず母と一緒にK町という地名を探してみたら案外近所でした。
特筆するべきは、そこにはとても大きな古い神社があったのです。
ここか!って思いました。その日にさっそく出かけました。
僕はいくつか武器を用意しました。霊道の事件があってから僕の浄霊は護符などで自己負担を減らしながらやるような方法へと様変わりしていったからです。
この日は霊を憑依(ひょうい)させるための人間の分身体となる護符を10枚ほどつくって持って行きました。これがあると僕が霊に直接まとわりつかれないで済むからです。
古い時代の霊達を浄霊
神社に行きました。向こうも分かってたのでしょうね、鳥居をくぐったあたりから吐き気が来たので、霊を護符に集めて歩きました。
こちらに直接攻撃をしてくる霊は祈りによって浄化しました。
一回りすると、神社の一番奥のほうで、おじいさんがたき火をしてました。
ちょうど良かったので、霊が入り込んだ護符をたき火の中にほうり込んで浄霊しました。
これにて終了でしたが、この日1日は、家に帰ったあともつぶれていました。
このできごとをキッカケに僕は僕の霊への態度を改めはじめます。
霊はかつてこの地上に生きた人間で、今生きている人間と同じく感情がある存在なのだと。
愛のある浄霊|2009年 3月 追記
傲慢な心と敵意、愛のない力ずくの浄霊…
いつも攻撃的であった訳ではありませんが、これが若き日の私の姿です。
この体験も、私にとてもいろいろなことを気付かせてくれました。
とくに霊が生きている人間同様に、知性と感情をもっているということに関しては、頭では分かっていたつもりですが、この体験ではじめて理解できたのではないかと思います。
この体験以来、浄霊を行う際に、愛をもつということを意識しはじめました。
まあ最初はなかなか難しかったですし、苦痛でちょくちょく怒ってましたが(笑)
あともう1つ、狡猾(こうかつ)な智恵をもった霊も居ます。
この体験談の霊たちも、夜私が寝ているときだけ嫌がらせにきていたので、私自身は障りに気付かないままでいました。
たまに私に送られてくるメールの質問で、「これは霊の仕業ですか?」「霊は居ますか?」と聞かれることがあります。居れば分かるのですが、頭の良い霊は身を隠したりするので、霊能者といえども発見しにくい場合があります。
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