今、いじめという、深く理不尽な苦しみにかかわる方々へ
「なぜ、私がこんな目に…」
「前世で、何か悪いことをしたのだろうか…」
出口も変わからず続く苦しみの中で、その原因をスピリチュアルな世界に求め、あなたはこの場所に辿り着いてくださったのかもしれません。そして、もしかしたら「いじめはカルマのせい」「魂を成長させるための試練」といった言葉を目にして、さらに深く傷いたり、失望してしまっている方もいるかもしれません。
いじめられるのは、たしかに「カルマ」や「魂の成長」といった側面もあるでしょうが、実際はもっと複雑で入り組んだ理由が存在することが大半です。
この記事では、安易なカルマ論の危険性と、すべての人の心と体が決して傷つけられるべきものではないというスピリチュアルな真実をお話しできたらと思います。そしていじめの最も危険な部分は、自分を愛し理解できる最後の存在であるはずの自分自身が、自分を責めて最後には自分を見放してしまうことにあります。
はじめに:いじめは「犯罪」となりうる行為です【文部科学省の定義】
☆ウリエル☆すべての人間が、愛され尊重されるべき存在です。いじめという行為は、その尊厳を不当に踏みにじる、決して許されない行いです。いじめにかかわる人たちが、本来あるべき正常な心や生活に戻れるためのヒントになれば幸いです。
スピリチュアルな解釈の前に、まず、私たちが生きるこの社会のルールを確認しましょう。
文部科学省は「いじめ」を、「心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と定義しています。
つまり、いじめを受けている人が「苦痛だ」と感じていれば、それは「いじめ」なのです。「からかいのつもりだった」という相手の言い分は関係ありません。これは、あなたの感情と尊厳が法的な概念によっても守られているという、動かしがたい事実です。
スピリチュアルな意味を考える前に、まず「自分は社会的に見ても不当な扱いを受けている被害者であり、保護される権利がある」ということを、しっかりと認識してください。
スピリチュアルで語られる「いじめの意味」とその危険性
インターネットで検索すると、いじめについて様々なスピリチュアルな解釈が見つかります。しかし、その中には、使い方を誤ると、いじめられている人をさらに深く傷つける危険な考え方も含まれています。
従来の解釈1:前世や過去生のカルマの法則
これは、「過去生であなたが誰かをいじめたから、今世ではその報いを受けているのだ」という考え方です。一見、宇宙の公平な法則のように聞こえるかもしれません。
事実として、前世の行いに起因していたり、カルマの法則によって今自分がいじめられているという状態や環境に陥ることがあります。
ですが、それはそれ、「だから仕方がない」とか「だから当然の報いだ」ということにはなりません。
なぜならば、人間は本来等しく愛され尊重されるべき存在だからです。
従来の解釈2:魂を成長させるための試練
「その困難を乗り越えることで、あなたの魂はより強く、成長できるのだ」という解釈です。これもまた、あなたに与えられた試練には意味があるのだと、励ましているように聞こえるかもしれません。
これも、スピリチュアルな本質に従って言うなら文脈としては正しいです。
ただし、この言葉を口にするとき、語る人間に問われるのは「愛」の質と量です。そしてこの言葉を受け取る人にお伝えしたいのは、「だから仕方がない」とか「だから当然の報いだ」ということではないと言うことです。
これらの解釈が、なぜ虐められてる人を傷つけるのか
今まさに苦しみの渦中にいる人にとって、これらの言葉は「結局、原因は自分にある」という、あまりにも残酷なメッセージとして響いてしまう危険性があります。
そして巷のスピリチュアルで語られる多くの結論は、ある意味無思考に「カルマ」と「魂の成長」といった文脈で相手を突き放したり、相手をひたすら甘やかす構造になっている場合が多いです。
本来、カルマの法則や魂の成長論は、私たちが人生をより大きな視点から理解するための知恵です。しかし、それをいじめの被害者に直接当てはめることは、被害者にすべての責任を押し付ける「被害者非難」に繋がりかねません。
絶対的真実として、「そもそも加害者が悪く、虐めをすべきではない」「そもそも全ての人間が愛され尊重されるべき存在」この前提があってはじめて、「カルマの法則」「魂の成長」といった文脈があり、そしてこれらのテーマを扱う私たちは、この3次元世界においては未完成な存在なので、1つ1つの言葉や行動に新調査が必要なのです。
虐められている人にも、関わる周囲の人や家族の方々にも。
いじめの本当のスピリチュアルな真実
従来のカルマ論では説明できない、より高次の視点から、いじめという現象を捉え直してみましょう。
カルマの始動:あなたは「最初の被害者」かもしれない
カルマは、常に過去生から引き継がれるとは限りません。今、この瞬間にも、新しいカルマは創られています。
いじめという行為は、まさに、いじめる側の人間が、自らの自由意志で、今まさに最初の「悪しきカルマ」を犯している瞬間と捉えることができます。そして、あなたは、その不正な行いによって傷つけられた、「カルマの最初の被害者」かもしれません。
スピリチュアルな界隈では輪廻転生という長いサイクルの中で、前提として「過去の報い」だという結論ありきでいじめが語られることも多いです。
もし、「カルマの最初の被害者」であるならば、本来いじめられる原因などどこにもありません。あるのはただ、加害者が自らの未熟さや心の闇によって、誰かの心や体、一人の人間という尊い存在を攻撃するという、一方的な選択だけです。
これは私の経験ですが、カルマに関して、「これは身に覚えがある」と感じるケースと、「これは身に覚えがないな」と感じるケースはいじめにかぎらず確かにあります。
私たちの人生は生まれる前に組み立てる「魂のプラン」によって大きな道筋を与えられていますが、現実問題としてリアルタイムに変化し続ける物語のようなものでもあります。
犠牲的な魂:愛のために困難を選ぶ気高い魂
もう一つの可能性として、いじめを受けている魂が、極めて高い霊性を持っているという見方があります。それは、「犠牲的な魂」、言わば「ボランティアの魂」としての役割です。
これは、いじめる側の人間が、その攻撃的な衝動を乗り越え、カルマを解消する機会を得るために、あえてその困難な役目を引き受けて生まれてきた魂のことです。その純粋さや天使性が、かえって未熟な魂の攻撃性を刺激してしまうこともあります。
もしあなたがこの役割を選んでいるのだとしたら、それはいじめられている人が悪いからでも弱いからでは決してなく、むしろ、他者の魂の成長すら助けようとする、計り知れない愛と強さを持っている証なのです。
【加害者の方へ】あなたが今、犯しているカルマについて
もし、この文章を、誰かを傷つけているご本人が読んでいるのであれば、聞いてください。
あなたが今、誰かに向けている攻撃的な衝動や言葉は、カルマの法則によって、いつか必ず、何らかの形であなた自身に返ってきます。それは、宇宙の絶対的な法則であり、誰一人として逃れることはできません。
相手を支配し、傷つけることで得られる一瞬の優越感は、あなたの未来に、与えた分と同じ量の苦しみとなって現れるでしょう。あなたの今世での課題は、その攻撃的な衝動を抑え、相手を思いやる心を学ぶことにあります。
今すぐ、その行いをやめること。それが、未来のあなた自身を、暗闇から救う唯一の道です。
【周りの方へ】見て見ぬふりをすることは、加担するのと同じ
いじめをただ見ているだけのあなたへ。その沈黙は、安全な選択のように思えるかもしれません。しかし、スピリチュアルな視点から見れば、不正義を見て見ぬふりをすることは、それに加担することと等しいのです。
そして無関心はもっとも愛のない行動だと言えます。
「カルマの始動」は、誰にでも起こりうるリスクです。今日、あなたが助けの手を差し伸べなかった誰かの痛みは、明日、形を変えて、集団からの攻撃としてあなた自身に向かうかもしれません。
誰かを助け、守ろうとする愛のある行動は、巡り巡って、未来のあなた自身を助ける力となります。小さな勇気が、カルマの連鎖を断ち切る大きな一歩となるのです。
いじめられてる人が、今すぐできること
最後に、今、苦しんでいる方々が、ご自身を守るためにできることをお伝えします。
最優先事項:物理的に安全な場所を確保する
スピリチュアルなワークよりも何よりもまず、あなたの心と体の安全を確保することが最優先です。一人で抱え込まないでください。信頼できる大人、親、先生、あるいは下記のような公的な相談窓口に、必ず助けを求めてください。
24時間子供SOSダイヤル:0120-0-78310
チャイルドライン:0120-99-7777
法務省 人権相談:法務省 人権相談窓口
そこから逃げることは、決して負けではありません。あなたの命と尊厳を守るための、最も賢明で勇気ある行動です。
心を守るためのスピリチュアルな考え方
安全な場所に身を置くことができたら、少しずつ心を癒していきましょう。
天空の庭先では、想念エネルギーという概念をよくお伝えしています。想念とは、私たちの「想い」そのものを宿した半物質的なエネルギーです。他者から向けられた攻撃的な想念がある意味「一本目の矢」だとするならば、その後も「自分が悪かったのかもしれない」「なぜ私だけがこんな目に」と自分自身に否定的な想念を向け続けることは、自らの手で「二本目の矢」を自分に放ち続ける行為です。
否定的な想念エネルギーが自分自身へ向かい続けることで、心はさらに疲弊し、霊的なエネルギーも著しく消耗していきます。
一本目の矢は、あなたのせいではありません。しかし、自分を責め、否定し続けることは、二本目の矢として、あなた自身がご自分の魂を傷つける行為になってしまうのです。
全ての人間が愛され尊重されるべき存在です。
自分を信じ、自分を愛しましょう。気づついた心では、すぐにそのように気持ちや心を切り替えるのが難しい場合もありますが、無限の時間と記憶の忘却は、この世界のひとつの大いなる愛の形です。
まとめ
いじめのスピリチュアルな意味をつきつめると「すべての人が、何があっても、誰からも、傷つけられるべきではない、尊い存在なのだ」という本来あるべき本質へとたどりつきます。
自分を責めたり自分で自分を傷つける理由になり得るなら、「安易なカルマ論」や「魂の成長論」などに耳を貸す必要はありません。
申しあげた通り、理不尽なカルマの「最初の被害者」か、あるいは、気高い「ボランティアの魂」であるかもしれない、そして「いじめている加害者にこそ最大の原因がある」いじめなどなく、誰も傷付かないことがあるべき本来の状態なのです。
まずは、虐められてる人の安全を確保すること。そして、虐めを受けている人は自分自身に向ける想念を、否定から愛へと変えていくこと。
その先には、必ず本来在るべきあたりまえの、穏やかな世界が待っています。
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コメント
コメント一覧 (1件)
こんにちは♪まみです。
いつもありがとうございます。
私は会社の上司や関わる人にいじめではないのですが、暴言とかちょっとした嫌がらせを受けていました。非常に辛く我慢をしていましたが、私が努力しても向こうが私に対して否定心があるのを感じていたので、ある時疲れてしまい休職しました。
その後チームを変えてもらい復帰すると、とても良い方々に囲まれて、今の夫に出会い、結婚を機に転職しました。今はとても幸せで、あの困難があったからか仕事に対する力がついたなとあの方々にも感謝をしています。
いつも、なぜか嫌われるとは言いませんが、友達ができません。友達ができなさすぎて結婚できないのでは?と思っていましたが今の夫とは不思議なことにとっても仲良しです。
友達がいないことに特に何とも思ってはいませんが、時々私の性格が悪いのか?と思ってしまいます。
今を振り返ると、辛い時期も何の無駄にもなっていないんだなと思います。
いつも記事を書いていただきありがとうございます!