神の存在を感じる時 – 神と人間 第3話
【目次】
神の存在は常に人間の傍らに在ります
人間が生まれてきて生きる目的は魂を成長させる為であると説明しました。
こういった事を文章や言葉にするといかにも宗教的に感じられるかもしれませんし、神に近づくという事がその道を志した人だけのものすごく特別な事のように感じられる方もいるかもしれません。
しかし実際には違っていて、神に至るという目的は、自覚のあるなしにかかわらず全ての人間の共通の目的であり、今人間としてこの人生を生きること自体が神へと至る道筋を歩んでいるという事でもあります。
そして目には見えない神とその法則ですが、私たちの日常生活において、実は神を感じる事のできる機会は山ほどあります。
愛に宿る神の存在
「神 = 一体 = 愛」
神は全てと一つで、愛は全てを一つにする。
この事を考えたとき、神は常に身近な存在であるという事がわかります。
では神を感じるときとはどのような時でしょう?
一番分かりやすい形は愛です。
これは男女間の愛情のようなものではなく、親が子どもに惜しみなく与える無私の愛のような見返りを求めない純粋な愛の中に存在します。
そして屈託のない笑顔でほほ笑みかけてくる赤ちゃんの笑顔にも純粋な愛を見ます。
時に人は愛によって自らの不利益や犠牲もかえりみる事無く、誰かを助けるときがあります。 そしてそのような行為に胸を打たれて流す涙も愛のあらわれです。
神は愛という形をとって私たちの生活のいたる所に現れます。
己のごとく人を愛せよという言葉があります。
愛こそがこの地上世界に発現している神の純粋な力の姿なのです。
神は人間のよきアドバイザー
そして神はアドバイザーでもあります。
自分と人との関係は神と自分との関係であると 私は説明しましたが、もし私たちが周りの人を愛する事に直向きであれば神はいつでも私たちの身近に在ります。これは私自身、よく感じる事なのですが、自分はよく人から受けた相談の答えを自分以外のどなたかとの会話の中に見つけたりします。
たとえ自分が答えを知っていたとしてもそれをどう相手に伝えるかはいつもたくさん悩みます。 そんなときほかの方との会話のなかから得られたタイムリーな 「気づき」がまるでその相談者にこう言ってあげなさいと神に教えられているかのように感じる時が多々あります。
そんなときには神がこの世界すべてに満ちあふれ、すべてが一つというという事を強く実感するのです。 私たちが愛することにひたむききであったなら、
神はいつでも良きアドバイザーとして私たちの疑問や問いに答えてくれます。
神は常にあなたの側に
神はいつも私たち人間に語りかけています。
人との会話の中に、自分自身の自問の中に、時に悪への誘惑に駆られても良心声と言う名の神の声が聞こえて来ます。
例え一方的に自分を傷付ける悪意を持った友人の言葉があったとしても、その中にはやはり、魂を成長させるために最も必要な神の声が宿っているのです。
そして何より、一日の終わりに心を鏡のように静まりかえった水面のようにして研ぎ澄ませたなら、今日という一日の中にすべてを通して自分の心に 響き渡った神の声がいくつも聞こえる事でしょう♪
この記事を読んで 心が安らぎました。
この記事を今読ませてもらえた事も
そこに「神」がいたからでしょうか、
愛を持って生きたいのに
前の晩に反省して また決意しても
また次の日の生活の中で それができず
比べたり、疑ったり、不満をもったり
そしてまた その日の晩に 一日を振り返って 、愛から離れた自分に、傷つきます。
なんで、こんな風に思ってしまったんだろう、と、傷つきます。
この時 傷つく 感情にも 神が宿っているということなのでしょうかね。
神さまは、いつも側にいるんですね。
ルナさんこんにちわ♪
仰るとおり、神はいつでもルナさんの内側に在ります♪
毎日の葛藤やせめぎ合いの繰り返しで愛は成長していきます。
無関心ではないルナさんは、それだけでも素晴らしいですし、日々成長しています♪